清末民初探偵小説管窺


大 塚 秀 高



 『清末民初小説書系』の「偵探巻」が出版されて満四年になる(中国文聯出版公司、1997.7)。名誉顧問に物故した呉暁鈴を担ぎ、数々の小説関係の出版に関与し、その重鎮ぶりを遺憾なく発揮している侯忠義を顧問に据えるこのシリーズは、実質的には主編の于潤gが、他の編委十七名と点校を分担しておこなった仕事とみられる。日本では(おそらく中国でも)見ることが難しい清末民初期の雑誌に掲載された、(おそらく翻案を含む)創作小説ならびに翻訳小説から、短篇(ないし中篇)を、社会、偵探、武侠、愛国、滑稽(後述の于序は笑話とする)、家庭、警世、言情、科学、倫理の十類に分類し、それぞれ一冊ないし二冊、合わせて十二冊に編集した便利なシリーズではあるのだが、問題がないわけではない。
 このシリーズには侯忠義の「序」と于潤gの「我国清末民初的短篇小説(代序)」が共通して冠されているが、それ以外にはまったく解説的文章がなく、誠に不親切である。出処については、各篇の末尾に、たとえば「《月月小説》第二年第十期 1908年」のごとく記されているのだが、それも、樽本照雄氏の『新編清末民初小説目録』(清末小説研究会、1997.10)に照らすと、まま相違がある。題名については目次と本文で異なる場合が少なくないようであり、双方が異なるものをとった可能性も否定はできない。ただ、そうした場合にあっても、『清末民初小説書系』がその際の原則を明らかにしていない点は責められてよい。とはいえ掲載雑誌の巻号が両者で異なることはありえないから、この場合は両者のいずれか一方(または双方)に誤りがあるに相違ない。ただし、筆者にそれをいちいち確認する余裕はないので、ここでは問題の指摘のみにとどめたい。
 しかし、なにより問題なのは、翻字の誤りならびに句読の誤りが頻出する点である。しかも、その程度が論外にひどい。この問題が発生するケースは複数考えられるが、次のふたつに収斂されよう。依拠した初出誌における誤りを無批判に踏襲したものと、今回の排印時における新たな誤りがそれであり、後者はさらに、印刷所にまわされた原稿そのものに淵源するものと、校正漏れによるものに分かれる。「偵探巻」におけるそれが、以上のいずれによるものかは、いちいち初出誌にあたって確認せねばならないのだが、いずれの場合も、「偵探巻」の点校者である洪迅の責任は免れがたいし、顧問・主編の両氏も責任を逃れるわけにはゆくまい。ただ、欠点をあげつらうのが本論の主旨ではないから、この点についても指摘のみにとどめたい(なお、以下の原文の引用は「偵探巻」によったが、初出誌により正しえたものは[ ]内に、私見により改めたものは〔 〕内に示した)。
 ここで、筆者が『清末民初小説書系・偵探巻』につきこうした文章を書くことになったきっかけにつき、一言しておきたい。筆者は、昨年度演習で、バン・グーリック(中文名高羅佩)の『大唐狄仁傑断案伝奇』(陳来元・胡明等訳、柳芳校、甘肅人民出版社、1986.2、1987.8二次印)を取り上げた。それもあって、今年度は『清末民初小説書系・偵探巻』を取り上げることにしたのだが、先立って一読してみて、中国を舞台とする創作(ないし翻案)小説のいくつかに古来の公案小説と同趣向のものがあることに気づいたのみならず(これについては機を改めて論じたい)、外国を舞台とする翻訳小説(原作名・原作者名とも明記されておらず、翻訳とことわってもいないから、創作の可能性も否定はできないのだが)のうち、三作品については原作が思いあたった。筆者のごときこの分野の素人が一読しただけで原作がわかったのだから、当然すでに斯界周知の事実と思い、翻訳小説であって原作が判明しているものについてはそれを明記している『新編清末民初小説目録』にあたってみたのだが、案に相違して、そのいずれについてもそうした記載はなかった。とはいえ『新編清末民初小説目録』刊行以後もこの分野の研究は進展しているはずであり、筆者が知らなくとも、誰かがそれに言及していないとも限らない。そこで樽本照雄氏に直接うかがってみた。すると、「約830件を電脳には追加入力ずみですが、『新編清末民初小説目録』には、収録していません。その(筆者注:『清末民初小説書系・偵探巻』を指す)うち「両頭蛇」は、ドイルの「まだらの紐」を翻案したものだと理解しています。しかし、その他は、まったく手付かずです」との返信をいただいた。「両頭蛇」は筆者が原作に思いあたった三作品の一つで、筆者の結論もそれと同じであったのだが、残る二作品の原作についてはいまだ斯界に知られてはいないらしい。よって「両頭蛇」をのぞく残る二篇につき、以下ですこしく論ずることにした。これが拙文執筆にいたる経緯である。
 なお、この当時のことであるから、翻訳といっても、今日の目からみれば不完全な、抄訳とすべきものがほとんどであること、したがって、人名・地名なども原作のそれがすべて翻訳で見えるわけではないのだが、そうしたものについてもとりあえず翻訳とみなしたことをあらかじめおことわりしておく。


 『新小説叢』第1期(1908.1)に星如の名義により発表された「窃書」の原作は、E.A.Poeエドガー・アラン・ポーの‘The Purloined Letter'(=「盗まれた手紙」)である。
 「盗まれた手紙」は、ドイルのシャーロック・ホームズもので語り手の役をつとめるワトソン博士に相当する「ぼく」の手記の形をとる。「ぼく」の友人で、パリのフォーブル・サン・ジェルマン、デュノ街三三、四階にすむオギュースト・デュパンのもとに、旧知の警視総監G氏が入ってきて、物語は始まる。

 極めて重要な書類が王宮から盗まれた。誰が盗んだかは判っている。まだ彼の手もとにあるってことも判っている。盗んだのは大臣のDで、問題の手紙は被害者が王宮の婦人居間に一人きりでいるとき受け取ったものだが、手紙を読んでいるとき、とつぜんもう一人高貴な方がはいって来た。その方にはとりわけ隠したいような手紙だったのであわてて抽斗にしまおうとしたが駄目だった。仕方ないから、開けたまま、テーブルの上に置いた。さいわいその手紙は気づかれないで済んだ。だが、上に出ていた宛名などから、ちょうどはいってきたD大臣に秘密を気づかれ、問題の手紙をそれと似た手紙とすり替えられた。本当の持主はそれを見ていたが大臣の行為を咎められなかった。かくて被害者の貴婦人がGに手紙を取り戻すことを依頼することになるのだが、パリ警察の総力を尽くした徹底的な捜査も奏功せず、追剥に見せかけた身体検査も空振りに終わったとのこと。約一ヵ月後再度やってきた警視総監Gに、デュパンが、前回Gが口にした貴婦人からの莫大な報酬に水をむけ、けちな金持ちがアバニシーから医学上の意見を只で聞き出そうとした話をすると、狼狽したGは、本当に五千フランお礼する気でいるんですという。この言葉をまっていたデュパンは、いま言った金額の小切手を書き、署名してくれたら手紙を渡すといいだし、その通りにした。

 これが物語の前半である。後半はデュパン(すなわちポー)の、隠すという行為と、そうして隠されたものを探り当てる手立てに関わるうんちくが述べられたのち、問題の手紙をデュパンが入手するまでの経緯が語られる。

 Gが飛び出していった後、デュパンはおはじきの「丁半あそび」の例を引きつつ、「ぼく」に、この場合に大切なことは、推理者の側の知性と相手の知性を一致させることだと説き、続けてD大臣の知性の分析から、今回Dはこの手紙を隠すため、ぜんぜん隠さないという、意味深長で聡明な手段をとったに相違ないとの結論に達したことを述べる。後日自ら変装してDの官邸を訪れたデュパンは、ボール紙製の、透し細工をした安物の名刺差しに差してある、ひどく汚れて皺くちゃになっており、真中のところで引きちぎれかけている手紙が問題の手紙に違いないと確信し、わざと置き忘れておいた嗅ぎ煙草入れを取りに再度官邸を訪ねた翌朝、あらかじめやとっておいた男に官邸前の通りでマスケット銃を打たせて騒がせて、裏返しにされ、宛名を書き直され、封蝋も押し直されたこの手紙と、ラテン語で「こういう恐しい企みはティエストにはふさわしい。アトレにはふさわしくないとしても」と書いた紙片を入れた偽手紙とを、まんまとすり替えた。

 ひるがえって「窃書」だが、デュパンを杜辺、パリ警察の警視総監Gを朱巴黎警察長、事件関係者を法(フランス)王后某、某王子、某相臣とする。事件の記録者たる「ぼく」の存在は言及されないが、これはホームズものにもよくあることで、当時における中国小説叙事模式の転変と関係しようが、今ここでは論じない。Gが杜辺に振り出した五千フランの小切手は五万法郎(フラン)銀票と十倍になっているが、これもよくある例のようである。完全な翻訳ではなく、抄訳であることも当時の例に漏れない。以下に、先の梗概で言及したアバニシーに関する部分を、丸谷才一訳と「窃書」で比較してみよう。

 「なるほど」とデュパンは、海泡石のバイプを吹かしながらのろのろした口調で言って、「実は……ねえG**……君はまだ全力を……尽していないと思うんだ。もう少し……何とかできるのにな」 「どういうふうに?」 「ねえ」とパイプをぷかぷかやりながら、「君は」(ぷかぷか)「この件で相談しているわけだね?」(ぷかぷかぷか)「アバニシーの話は知ってるかい?」 「知らないね。アバニシーなんぞ、くたばってしまえ!」 「ごもっとも! アバニシーがくたばったって、知ったこっちゃないやね。でもね、昔むかし、一人のけちな金持がいましてね、このアバニシーから医学上の意見を只で聞き出そうとしたんです。彼はこう考えて、どこかで出会ったとき、なにげない会話のふりをして自分の病状をこの医者に相談した。架空の病人の病状みたいな話にしてね。 『この病人が仮りに』とその吝嗇漢は言ったんだな。 『これこれしかじかの症状だとしますと、さて先生、あなたならどうしろとおっしゃいますか?』 『どうしろ、ですって!』とアバニシーは言った。『もちろん、医者に相談しろとすすめますね』」 「いや」と警視総監は、いささか狼狽しながら言った。「わたしは相談するつもりでいるんですよ。お金も払う。この件で助けてくれる人には、個人的に五千フランお礼する気でいるんです」 「それなら」とデュパンは答えて抽斗を開け、小切手帳を取出し、「いま言った金額の小切手を、ぼくに書いてくれてもいいでしょう。署名してくれたら、手紙を渡すぜ」

 杜曰:“何不延智者而問計,昔有守財虜,患某症,不忍抜一毛以延医,適遇名医鴉抜尼地于友人座間,乃問之曰:‘仮有友患病,其病状如此如此,君将何以処之?’鴉曰:‘勧之延医而已。’今君之事将毋同。”朱曰:“余豈吝刻者流,能助我者,五万法郎可立致,決不背約。”杜起,授朱筆墨曰:“請先書銀票。”

 「盗まれた手紙」は、探偵小説の鼻祖といわれるエドガー・アラン・ポーが書いた広義の探偵小説五篇のうちの一つで、「モルグ街の殺人」「マリ・ロジェの謎」「黄金虫」「「お前が犯人だ」」に続き、1845年に発表された作品であった。樽本氏の『新編清末民初小説目録』は「窃書」を創作小説とする。星如には、「窃書」のほか、『新小説叢』3期(1908.6)に掲載された「〓夢」と、『小説月報』4巻2号(1913.5.25)に発表された「拿破崙之鬼」があり、『新編清末民初小説目録』はともに翻訳小説とする(前者は未見)。
 なお、1918年1月、上海中華書局から刊行された、常覚、覚迷、天虚我生(陳蝶仙)訳の『杜賓偵探案(小説彙刊47)』所収の四作品のうち、「法官情簡」はおそらくこの‘The Purloined Letter'(=「盗まれた手紙」)であろう。他の三篇のうち、「母女惨斃」は‘The Murders in the Rue Morgue'(=「モルグ街の殺人」)、「髑髏虫」は‘The Gold-Bug'(=「黄金虫」)に相違ないが(「金虫述異」「玉虫縁」という訳もある)、「黒少年」は原作が明らかでない。以上のほか、ポーの清末民初期の翻訳としては、原作が明らかなものに「巴黎奇妙案」(‘The Mystery of Marie Roget'=「マリー・ロジェの謎」)、「黙」「寂漠」(ともに‘Silence'=「沈黙 ひとつの寓話」)、「意霊娜拉」(‘Eleonora'=「エレオノーラ」)があり、確認を要するものに‘The Pit and the perdulum'(=「陥穽と振子」)と‘The Tell-Tale Heart'(=「告げ口心臓」)によるとおぼしい「活地獄」と「心声」がある。
 なお「偵探巻」所収で、『礼拝六』第31期(1915.1)に延陵名義で発表された「藍猿」には、「脱彼曽見 Edgar Allen Poe's Mysteries 一書者,或知所見非真猿矣」とあり、ポーの「モルグ街の殺人」をあてこんだものと知れる。


 『礼拝六』第69期(1915.9)に塵夢名義で発表された「宝石項圏〔圜〕(初出誌は園に誤る。以下では「宝石項圜」とする。なお引用における同様の誤りも、ことわらず項圜に改めたことをあらかじめおことわりしておく)」の原作は、 Maurice Leblanc モーリス・ルブランの“Arsene Lupin. Gentlemen-Cambrioleur"(=『アルセーヌ・ルパン 怪盗紳士』)の‘Le Collier de La Reine'(=「女王の首飾り」)である。「女王の首飾り」は『Je Sais Tout(ジュ・セ・トゥ)』誌の15号(1906.4.15)に連作の第5作として発表されたのち、翌年6月、短篇小説集『アルセーヌ・ルパン 怪盗紳士』に収められた。
 「女王の首飾り」はルパンの少年時代の話ということになっている。以下にまずそのあらすじを引こう。

 ドルー−スピーズ伯爵夫人所有の〈女王の首飾り〉は、その昔フランス王室おかかえの宝石細工師ボメールとバサンジュにより、ルイ十五世の愛人デュ=バリー夫人用としてつくられたもので、のちに大司教ローアン−スピーズからマリー=アントワネットに献呈されるはずが、さまざまな経緯の後、スピーズ大司教の甥のガストン=ド=ドルー−スピーズのものとなり、それ以来ドルー−スピーズ家のものとなったといういわくつきの宝石であったが、カスティーユ宮殿でひらかれた夜会の晩、翌朝リヨン銀行の金庫にもどすまでの間、臨時に置いておいた夫妻の寝室の隣室から忽然と消えてしまった。疑われたのは、夫人の修道院時代の友だちで、いまは未亡人となっているのを息子ラウールとともに引き取り、邸の一室に住まわせているアンリエットであった。だが、問題の部屋に夫妻に知られず人の入れる余地はなく、予審判事も伯爵夫妻は金に困って〈女王の首飾り〉を売り飛ばしたに相違ないと考え、捜査を打ち切った。夫人は元同級生に八つ当りし、後に息子ともども邸から追い出してしまった。ところが、数か月後、夫人のもとにアンリエットから礼状が届く。謎の人物から二千フランを受け取ったが、こんなことをするのは夫人しか考えられないというのである。謎の送金は当局の調査にもかかわらず、アンリエットの死の年まで続いた。
 ところが、後年ドルー−スピーズ邸の昼食会にあらわれたフローリアーニ勲爵士を名乗る人物が、〈女王の首飾り〉紛失の謎を解き、犯人はラウールだといいだす。実はこのフローリアーニ勲爵士こそが成長したラウールその人であり、なおかつアルセーヌ・ルパンの変装した姿であった。ルパンは母の無実を明らかにするためこうした行動にでたのであって、〈女王の首飾り〉は四日後、ドルー夫人の寝室に宝石箱ごと置かれており、翌日のエコー・ド・フランス紙には、ルパンの、このことを記した公告が載った。

 「宝石項圜」はドルー−スピーズを徳利意と略し、宝石細工師のボメールとバサンジュを玉工樸茂と擺仁卿とし(「偵探巻」は「玉工朴及擺仁卿」と玉工を一人のように記すが、「茂」が゙脱落したに過ぎまい)、ルイ十五世の愛人デュ=バリーを台白麗[利]とし、大司教のローアンとその甥ガストンについては教主林恩と却懿とする。ガストンと却懿の関係には首を傾げざるをえないが(しかも、却懿は原作と異なり教主を継いだとされる)、このあたりまでは、概ね原作に忠実な訳しぶりといえよう。アンリエットが末蘭(「偵探巻」が、米蘭とも木蘭とも書くのは校正が杜撰だからに過ぎまい)となるのも、腑に落ちないが納得せざるをえまい。ただ、ラウールの名が見えなくなっている点は重大な変化であり、見逃せない(後述)。なお、謎の人物(ラウール)からアンリエットへの送金も、四千仏郎(フラン)と倍になったが、原作でも、アンリエットが急病にかかっていた五年目と六年目は送金が倍になったとあるから、まったく原作から逸脱しているわけではない。
 以上に明らかなごとく、「宝石項圜」の訳者塵夢は、「窃書」の星如に比し自由な翻訳態度をとっている。たとえば、フローリアーニ勲爵士は「騎兵中尉富其特」とされ、ドルー伯爵に勲爵士の前で首飾り盗難事件に水を向ける将軍ルジェール侯爵は脱米穀(「偵探巻」は脱米谷、脱米殼とも記すが、簡体字変換の際の不徹底、ならびに字形の類似による誤りに相違ない)とされる。さらに、この事件における密室トリックのみそは窓の上の回転窓にあるのだが、回転窓になじみのない中国人をおもんばかってか、これを通気口に変えた。「中尉曰:“倫敦夾室,例有通気之竇。豈君家独舌[否]”」といった具合である。原作は当然ながらパリが舞台なのだが、「宝石項圜」はなぜかロンドンに変えてあり、開巻冒頭も「徳利意為英倫世閥」で始まる(この点については後述する)。中尉は、この犯罪の可能な者は子供であることを示唆した後、伯爵夫人に問題の部屋(夾室)を見せてくれるよう求めるのだが、夫人が承知して鍵を開けると、なんとそこには首飾りがおかれており、それをしおに中尉が仮面をとると(いつのまにか仮面舞踏会?になっている)、なんと富其特は倫敦の有名な探偵康徳だったというのだから、あきれる。とりあえず「宝石項圜」の前引に続く部分を引こう。

夫人曰:“容我視之。”趨入,出曰:“有之。小窗寛広僅一尺,賊安能入?”中尉笑曰:“夫人,謂必成人始能行窃耶。”夫人曰:“君何由知其為稚子?”曰:“然,我知之,夫人曷導余人[入]臥室一視。”夫人允之,中尉顧謂諸客曰:“諸公小坐,某去即来。”因随夫人入,既抵臥室。夫人方啓関導視夾室,中尉忽大呼曰:“宝石項圜在是矣。”夫人奔視,則二十年前故物也。中尉仮面已去,夫人見而却歩。蓋中尉非他人,実倫敦有名探偵康徳也。

 蓋しこの康徳、コナン・ドイルのつもりであろう。そもそもルブランのルパンものにはシャーロック・ホームズが登場していた。その最も早いものは第7作の「‘Sherlock Holmes Arrive Trop Tard(おそかりしシャーロック・ホームズ)'」で、その後もしばしばホームズが、ルパンの引き立て役として登場した。当然ながらドイルに抗議され、単行本ではシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)をハーロック・ショームズ(Herlock Sholmes)に改めた。「女王の首飾り」にも、ホームズその人は登場しないものの、フローリアーニ勲爵士の言葉にホームズに言及する部分があった。それらが訳者塵夢の念頭にあり、舞台をロンドンに移し、あえて「倫敦有名探偵康徳」を登場させたに相違ない。だが、原作にない康徳を登場させたため、肝腎のルパンの活躍する場がなくなり、アンリエット(末蘭)の子(ラウール)もルパンとは赤の他人になってしまった。かくて、ルブランのルパンものがホームズのパスティッシュ(?)に変わってしまったのである。
 平山雄一氏の「ホームズパスティッシュ史における中国作品」(『清末小説から』61、2001.4.1)によれば、「ホームズ作品のパスティッシュの始まりはいつかというと、おそらく一九二○年まで下らなくてはいけないだろう」という。ならば1915年に発表されたこの「宝石項圜(‘Sherlock Holmes Arrive Trop Tard'ではない)」こそがその嚆矢といえるのかというと、そうはならないらしい。なぜなら、「探偵の名前が違っている」と「厳密な意味ではパスティッシュとは分類されない」というからである。パスティッシュ(?)としたゆえんである。
 以下に、雪茄(シガー)を燻らしつつ康徳が語る、件の首飾りを末蘭の子(最後まで名が出ない)から取り戻す経緯のあらましを引こう。

 パリの宝石店で、件の首飾りの石らしきものを持ち込み、その倣製品をつくる交渉をする者を見かけた康徳は、尾行し、その男が末蘭の息子の屋敷に入るのを見届けた。さっそく末蘭の息子に面会した康徳は、単刀直入に首飾りの返還を求める。観念した末蘭の息子は、素直に首飾りを返した後、ピストルで自殺しようとする。康徳はそれを止め、結局末蘭の息子は国を去ると言い出し、康徳も“佳,以赴支那為宜。我欧人之在支那貿易者,類多因事去国。君故[固]善人,而非窃賊也,宜自珍重”と、それに賛成した。

 しかく「宝石項圜」は‘Le Collier de La Reine'(=「女王の首飾り」)の構成を大幅に改め、ルパンものをホームズ(ドイル)ものに変えていた。したがって、翻訳は翻訳でも豪傑訳あるいは超訳とでもいうべきものであった。こうなると、「宝石項圜」が日本語からの重訳である可能性も考察しないわけにはゆかない。なぜなら、この当時の日本語訳には豪傑訳が少なくなく、中国人がそれによって中訳した例もなくはないからである。それゆえ本論もここで日本におけるルブラン翻訳史に言及し、それと「宝石項圜」との関係を論じなければならないのだが、現在筆者にその余裕はなく、記して今後の研究課題としたい。
 なお、中村忠行氏の「清末探偵小説史稿(三・完)」(『清末小説研究』4、1980.12)によれば、ルブランの『アルセーヌ・ルパン 怪盗紳士』は、周痩鵑により『〓篋之王』の名で中訳されていたとされ、『新編清末民初小説目録』には上海有正書局1917年12月再版本が著録されているが、初版刊行の時期ならびに収録作品が明らかでなかった。このたび『礼拝六』第27-28期(1914.12.5-12.12)に連載された(周)痩鵑訳の「亜森羅蘋之勁敵」冒頭の痩鵑識語から、これ以前に『時報』に「〓篋之王」が載ったことが判明した(附記参照)。だがこの「〓篋之王」は“Arsene Lupin. Gentlemen-Cambrioleur" の全体ではなく、そこに収められた8篇のいずれかの翻訳であったろうから、‘Le Collier de La Reine' の初訳が「宝石項圜」であったかについては、なお今後の究明にまたなくてはならない。「宝石項圜」が載った『礼拝六』には、これに先立ち、上記の「亜森羅蘋之勁敵」のみならず、第40期(1915.3.6)には「亜森羅蘋之失敗」(‘L'Arrestation D'Arsene Lupin'=「ルパン逮捕される」)が痩鵑訳で掲載されていた。それゆえ、塵夢は痩鵑をはばかり、ルパンの名を「宝石項圜」から隠したとも考えられなくはない。なおまた「宝石項圜」の訳者塵夢だが、『礼拝六』を中心に、短期集中的に小説を発表していたようだが、その作品内容からみて、偵探小説に格別の嗜好があった様子はみえない。以下に塵夢名義の作品の題目、掲載誌、期、ならびにその発行年月日を記しておこう。

  厨娘(警世小説)   礼拝六33 1915.1.16
『清末民初小説書系・警世巻』所収
  一碗面(奇情小説)  礼拝六37 1915.2.13
『清末民初小説書系・言情巻』所収
  天子神方(短篇小説) 礼拝六40  1915.3.6
  一曲離鸞不忍聴(哀情小説) 礼拝六56 1915.6.26
『清末民初小説書系・言情巻』所収
  双姫惨遇記(惨情小説) 礼拝六57 1915.7.3
『清末民初小説書系・言情巻』所収
  宝石項圜(偵探小説) 礼拝六69 1915.9.25
『清末民初小説書系・偵探巻』所収
  〓麦船長航海談(冒険小説) 礼拝六72 1915.
10.16
  小説家小説革命軍1  1917.2

 「宝石項圜」を含め、以上は『新編清末民初小説目録』ではすべて創作小説扱いされている。筆者が現在までに閲読した『礼拝六』掲載の作品に関していえば、すでに『二十世紀中国文学大典』(上海教育出版社、1994.12)により指摘済みの「厨娘」と、「天子神方」「〓麦船長航海談」は翻訳小説の可能性が高い(なお『清末民初小説書系・警世巻』が塵夢の作品とする「牢獄之風味(『礼拝六』35、1915.1.30)」は藜青の作品である)。
 最後に『小説月報』第8巻第3号(1917.2)に競夫(「偵探巻」は競の簡体字躬を竟に誤る)名義で発表された「窃〓(ラジウム)案」につき、一言しておきたい。この作品にも魯賓(ルパン)が登場する。内容は、『礼拝六』第27-28期に掲載された上記の「亜森羅蘋之勁敵」と同じものであって、後には『亜森羅苹全集』(上海大東書局、1925.9)に収録されており(『新編清末民初小説目録』による)、ルブランの作品に間違いないようだが、ルブランにそうした作品はなく、劉樹森が「清末民初中訳外国文学研究報告(私家版)」で(美)“The Radium Robbers" とするのが正しく、ルパンのパスティッシュものとみるべきであろう(劉樹森は「亜森羅蘋之勁敵」の訳者周痩鵑の以下に附記する序文によったとおぼしい)。登場する探偵や怪盗の姓名は、清末民初の翻訳探偵小説の出自を調査する場合のキー・ワードとなるものであるが、それを鵜呑みにすることは危険であるといわざるをえない。なおルパンものについては現在調査中であり、後日成果を発表したい。
 附記
法蘭西名小説家瑪利瑟勃〔勒〕勃朗氏,虚搆一劇賊亜森羅蘋ARSENE LUPIN,著為小説。率恣肆奇詭,未経人道。一編纔出,風行半欧羅巴洲,洛陽之紙,変為之貴。是亦可見此劇賊之足以動人矣。予曩時所訳之「〓篋之王」(原名ARSENE LUPIN)及天笑君所訳之「大宝窟王」(原名THE HOLLOW NEEDLE)(均載時報)「八一三」(原名“813")(載中華小説界)倶侈道亜森羅蘋事,酣暢淋漓,令人如見此妙手空空児躍紙上。夜闌人静,孤檠独対時読之,毛髪直為之戴也。此篇原名「雷碇之刧賊」THE RADIUM ROBBERS見於美国某雑誌上,述一女偵探家〓奈高頓敗亜森羅蘋事。夫以一震爍一世之劇賊,而敗於一嬰宛宛之女子之手,則此〓〓者洵可謂為勁敵矣。昔楊子心一以福爾摩斯失敗於亜森羅蘋而有「福爾摩斯之勁敵」之作。此篇則以亜森羅蘋失敗於〓奈高頓,故名之曰「亜森羅蘋之勁敵」云。痩鵑誌(『新編清末民初小説目録』は『時報』に掲載されたという「〓篋之王」と「大宝窟王」を著録しないが、包天笑訳の「大宝魔王」(上海有正書局、1916.2)についてはこれを著録している。なおその原名とされる‘THE HOLLOW NEEDLE'だが、原文では‘THEHOLLOWNEEDLE'と表記される。いずれにせよ英文からの翻訳とおぼしい)。