忘れられた増注本系『官場現形記』


樽 本 照 雄


 李伯元の作品が、別の刊行物に転載されている2例が報告されている。
 ひとつは、成都『啓蒙通俗報』第2年第8、9期合本(光緒三十(1904)年十一月)に、南亭亭長「活地獄」第2回があるという*1。李慶国による新発見である。
 もうひとつは、北京『愛国報』転載の「官場現形記」だ*2。
 発見者の蘇鉄戈による解説には、北京『愛国報』(辛亥年三月初一日(1911.3.30)-三十日(4.28))に掲載されたとある。また、題名に変更があり、「請看官場之現形」とする。
 蘇鉄戈は、1981年の北京人民文学出版社本と照らしあわせて、これが「官場現形記」第24回の終わり部分と第25回の最初であることを確認した。
 『官場現形記』の海賊版はある。だが、蘇鉄戈が書くように、転載されているものは珍しい。蘇鉄戈の新発見だ。
 また、掲載されている本文には、特徴があるという。少なくない「評語」がはさみこんである。
 蘇鉄戈は、この評語についてつぎのように紹介する。

 據有関資料,自李伯元此書面世以来,還無人論及曾有這麼個帯夾批的伝本(関係資料によれば、李伯元のこの書がおめみえしてからのち、このように評語をはさんだ伝本が存在することに言及する人はいない)90頁

 蘇鉄戈が書くことが本当だとすれば、研究界に知られていない版本ということになる。蘇鉄戈は、それを強調する書き方をした。
 だが、この説明には、私は、首をかしげる。蘇鉄戈は本当に知らないのか。また、文章を読んだ該雑誌の編集者は、疑問を感じなかったのだろうか。
 なにがおかしいかといえば、本文に評語をはさみこんだ版本など、ごく普通に見ることができるからだ。
 なにも原本で確認するまでもない。あの有名な、研究者ならば誰でもが参照するであろう「中国近代小説大系」(南昌・江西人民出版社1989.12)あるいは『中国近代文学大系』第2集第4巻小説集2(呉組〓、端木〓良、時萌主編 上海書店1995.11)に収録された「官場現形記」を見れば、すむ。これらの本文には、評語が小活字で組んである。蘇鉄戈が指摘しているのと同じだ。
 ふたつの大系本の巻頭には、わざわざ扉と絵図の全部が掲げてある。「増補絵図」を頭にいただく崇本堂発行の版本にほかならない。文学大系本の編者は、「崇本堂宣統二年(1910)本によった」と書く。
 文学大系本について私がもう少しつけくわえれば、絵図の違いから36回までは崇本堂本、37-60回は粤東書局本だとわかる。文学大系本編者がいうように、本当に「宣統二年」の表示があるのかどうか、わからない。発行年をしめすページは、掲げられていないからだ。崇本堂本の「宣統元(1909)年」版ならば、私は、知っている。
 『官場現形記』の版本について、文学大系本の説明は、ないに等しい。単に、崇本堂本によったというだけ。
 増注者が欧陽鉅元(源)であることには言及している。だが、作品の初出が『世界繁華報』であるとか、初版は世界繁華報館から出版されたとか、増注本との関係についてもなにも言わないのだ。
 なぜ初出の世界繁華報館本ではなく欧陽鉅源の増注本を底本に採用したのか、その理由も説明されていない。読者は、混乱するのではないか。
 北京『愛国報』に増注本系『官場現形記』が転載されている事実は、いくつかの興味深い推測を導き出す。
 ひとつは、増注本系の版本が、別の刊行物に転載されるほど広く普及していることを示唆する。
 ひとつは、原本系よりも、注あるいは評語のついている増注本系のほうが、読者に歓迎されたことがわかる。
 ひとつは、当時の編集者あるいは読者は、原本系と増注本系の区別をしていないのではないか。わかりやすいというだけで増注本を利用する。
 ひとつは、2系統を区別をしないで、南亭、南亭亭長の作品であるとだけ認識している。南亭新著と明記している増注本は欧陽鉅源が作成したのだから、南亭、南亭亭長は、李伯元と欧陽鉅源の共同筆名である。
 ひとつは、当時の読者と同じく、90年後の研究者も原本系と増注本系の区別をすることができていない。
 疑問だが、増注本系『官場現形記』が北京『愛国報』に転載されるいきさつがわからない。許可を得ているのか、それとも無断転載なのか。人的関係でもあるのだろうか。疑問として残しておく。
 そうして蘇鉄戈の説明にもどってくる。
 彼は、1981年の北京人民文学出版社本『官場現形記』だけしか利用しなかったらしい。原本をさがすのが無理であれば、せめて大系本を見るべきであった。
 論文の著者と、論文を審査した該誌編集者のふたりは、『官場現形記』に原本系と増注本系の2種類があることを知らないのではないか、という推測が生じているのは、述べたとおりだ。
 北京『愛国報』という普通には目にすることのできない資料を使用するほどの専門論文である。ふたりが、原本系と増注本系を区別しないということは、ほとんどの研究者が区別していないという情況も想像できそうだ。
 ゆえに、忘れられた増注本系『官場現形記』という。

【注】
1)李慶国「《啓蒙通俗報》篇目匯録・補遺」『追手門学院大学文学部紀要』第37号 2001.12。9頁
2)蘇鉄戈「“辛亥年”(北京)《愛国報》所載晩清小説三種述略」『明清小説研究』2001年第3期(総第61期) 2001月日不記。90-97頁