商務印書館最初の英語教科書
――『華英初階』について


樽 本 照 雄


 商務印書館は、創業直後は、自転車創業的営業不振に苦しんでいた。業務飛躍のきっかけを掴んだのは、英語教科書の発行によってである。
 商務印書館は、もともと印刷所として創業されたことは周知の事実だ。
 キリスト教会関連の書籍を印刷し、ほかからの雑誌、書籍の印刷を請け負っていた。社長の夏瑞芳は、印刷業にあきたらず、出版業に発展の方向を求めた。英語教科書の発行で成功をおさめ、その延長線上に国文教科書がある。
 商務印書館の教科書というならば、『最新国文教科書』(1904)が有名だ。日本から小谷重、長尾槙太郎が、中国から高鳳謙、張元済が参加していっしょに編集した。編訳所成立後の仕事でもある。商務印書館が金港堂と合弁した直後に、日中の共同作業で完成した新しい教科書であった。
 以上のような概略は、どの論文にも書かれている。ハンで押したように、にかよった記述になる。
 だが、『最新国文教科書』の中身がどのようなものであるのか、説明した人はいなかった。それをはじめて明らかにしたのは、張人鳳だ。『清末小説』第20号に掲載された論文*1だから、なんと1997年になるまで誰も教科書の内容について注意を払わなかったことがわかる。

1 最初の英語教科書
 商務印書館の英語教科書は、国文教科書と同じように有名であり、研究者で言及しない人はいない。商務印書館にとっては、最初の教科書出版である。のちの『最新国文教科書』に先立つ、まさに記念的出版物なのだ。
 その書名を『華英初階』という。商務印書館創業の翌1898年に出版された。インドの学生用に編集された英文教科書に漢字の注釈をほどこしたものだ。それまで全部が英語で書かれた教科書しかなかったから、大いに売れたことが知られている。
 商務印書館の経済的基盤は、この英語教科書によってうちたてられた。もし、成功しなかったならば、商務印書館は、印刷会社のままだったかもしれない。
 それほど重要な意味をもった教科書である。しかし、『華英初階』の内容について詳しく説明した文章を読んだことがない。
 初期商務印書館に関する論文を書くようになってからも、長く気になっていた教科書である。ようやく原物のうちの1冊を目にすることができた。商務印書館の初期刊行物のなかでも、最重要書籍のひとつだ。初版ではないから、当時のものと違っている箇所があるかもしれない。だが、おおよその形を知ることができよう。紹介しておきたい。

2 『華英初階』のこと
 商務印書館が出版した英漢字典がある。『商務書館華英字典』(上海・商務印書館 光緒壬寅(1902)三次重印)という。「商務書館」とあるのは、誤植ではない。初期の印刷物には、こう称しているものがある。
 興味深い出版広告が掲げられている。英語の辞書だから、商務印書館が、当時出していた英語関係の出版広告なのだ。これを見れば、商務印書館が当時発行していた英語関係の書籍の全貌を、見渡すことができる。
 総題は、English and Chinese School Books という。
 どこの国でもそうだが、外国語学習の初期には、自国語で説明する教科書は、なかった。英語の教科書をそのまま流用するのがせいぜいだったろう。
 だから、中国でも同様に、英語を学習する場合は、英語で英語を説明する教科書しかなかった。
 そこで、商務印書館は、それに漢語の注釈をつける工夫をした。だから、わざわざ“and Chinese”という語句を挿入したのである。
 商務印書館が採用した英語教科書の原本について、その広告は、以下のように説明している。

Especially Reprinted, with FULL TRANSLATION IN CHINESE, from the series of School Books published by the Christian Literature Society for India.(インドむけにキリスト教印刷協会によって出版された教科書シリーズから、漢語の全訳をつけて、特に翻刻したもの)

 インドむけの教科書、それも漢語の翻訳付き、というのがうたい文句である。
 原本がなぜキリスト教会の教科書かといえば、商務印書館と教会の関係にさかのぼる。
 理由は簡単で、商務印書館の創業者の多くは、キリスト教徒であったからだ。英語教科書は、創業者たちが教会の学校で学んだときに使用したものだった。
 商務印書館の社員だった章錫〓が、その頃を説明して大略次のように書いている。
 当時、社会的には改良運動が起こっており、資産階級の知識分子は「変法自強」を求めて外国語学習に熱心だった。上海は、重要な商業港でもあり、外国商人との交流も多い。すくなからぬ青年が貿易に従事したいと希望したとしても不思議ではない。こうして英語学習熱が流行する。夏瑞芳らは教会学校の出身で、学校で学んだ英語教科書は、イギリス人がインドの小学生用に編集した入門書だ。その全部をインドから輸入してもいた。英語の需要が増加しているところに目をつけた夏瑞芳は、英語に漢訳をつけて『華英初階』と名付けて出版する。さらに高度な教科書も漢訳して『華英進階』の名前で発行した。この2種類の教科書は、いくどかの改訳をへて、その後十数年の長い期間流行したのである*2。
 夏瑞芳たちが、印刷業から脱皮するためにはじめようとした教科書出版だが、まったくの未知の分野であったわけではない。なじみの英語教科書だったからこそ、それに漢語の翻訳をつければ、利用者が増えるのではないかという予測も出てきたのだろうと考える。
 さて、広告のなかで分類して READERS の部に、以下の書名が見える。

English and Chinese Primer 華英初階
English and Chinese First Reader 華英進階初集
English and Chinese Second Reader華英進階弐集
English and Chinese Third Reader 華英進階参集
English and Chinese Fourth Reader華英進階肆集
English and Chinese Fifth Reader 華英進階伍集
English and Chinese Readers 華英進階全集

 読本の部といっても、入門を収録していることがわかる。初階を修了すれば、それにつづくものとして進階が用意されていた。
 その他の分類は、文法、地理書、さらに高度な読本が2群、辞書、手紙文(作文を含む)、会話、雑集などになる。それぞれに書名を掲げるが、ここでは省略する。
 英語関連書全体の構成は、『華英初階』の裏表紙に掲げてある「序」において述べられる。
 資料として貴重だ。全文を示す(句読点は樽本がほどこした)。

序  書経給示翻印必究
当中外交通之始、華人士之治英文者、殆莫不取資於印度文学会所著之読本。本館曾取以訳漢刊印問世。書成未幾風行一時。蓋是書之組織有極臻完善者、如首二三集中各課之所載、則著名之格言習用之物話為多。学者読之足以養道徳而啓知識。四五両集中各課之所載、則或為西哲所闡発之学理、或為彼都名人之伝記而遺聞野史。亦時採輯一二以助学子之興趣、資課餘之研究。餘如綴字之方審音之法、以及文法会話与夫尺牘体裁、凡為読本中之要素。而又為吾人日用所不可少者亦一一詳載臚列無遺。学者苟循序而進則於訳〓之学、譬引筏以渡迷津、猶拾級而登高嶺。進階之名庶幾無愧。顧其書専為印度人而作、凡所称述或未必尽合於吾中国之学子。今更将全書量為修改、凡専為印人説法者、悉数刪汰。其他訳註亦靡不審慎周詳、務求与原文相合、於読者有迎刃之益、刪繁補闕、蔚為大観。吾知是編一出、凡治英語者、更必有先覩為快之意也。是為序。
重訳者識

 ここには、『華英初階』を出版する前の英語学習状況、および商務印書館の英語関連書物の構成の妙が謳われている。用意された教科書を初階から進階へと順序よく学習していけば、道徳を養い、知識を増やすことができる。綴り、発音、文法、会話、手紙文までそろっているというのだ。ただ、それらはインド人のために制作されているから、中国人用に改めたとも書かれている。
 なるほど、よく考えられている全体の構成だということができる。
 合冊本も含めて、この出版広告には、29種類の教科書類が見える。
 教科書『華英初階』の発行1898年から、上の字典の発行までのわずか4年間にすぎない。まことに精力的な出版活動だというべきだ。
 『華英初階』の出版のみで、商務印書館が経済的基礎を築いたというわけではないことが理解できよう。『華英初階』を含めて、英語関連書籍全体である。
 英語に関連する書籍をこれだけそろえたということは、用意周到に出版事業をすすめたということでもある。
 ついでに、商務印書館の英語名について触れておく。一般に、COMMERCIAL PRESS と翻訳していることが知られている。だが、はじめからそうであったわけではない。出版広告に見られるように、最初は、COMMERCIAL PRESS BOOK DEPOT と表記している。まさに、漢字の逐語訳であったことも、重ねて指摘しておきたい。
 さて、商務印書館にとっては最初の英語教科書となる『華英初階』である。

3 『華英初階』の内容
 判型は、ほぼB6判にちかい。色紙の表紙を使い、本文はわずかに48頁である。
 印象は、薄っぺらな小型教科書といったところだ。
3-1 表紙
 上方に“ENGLISH AND CHINESE PRIMER”と示し、中央に縦書きで「華英初階」と大きく掲げる。右肩は「民国十年五月七十七版」、左下に「上海商務印書館発行」と印刷する*3。
 元本は、“ENGLISH PRIMER”だろう。翻訳すれば「英語入門」という書名になる。それを商務印書館なりの工夫をしたのが、前述のように“AND CHINESE”部分を挿入したところだ。
 漢語で「華英初階」と順序を逆にするのは、「英漢」では中国人の自尊心が傷つくからだ(と何かで読んだ記憶がある)。
 奥付らしいものは、ない。だから、本書を見るかぎり、初版がいつか、注釈者、編集者が誰であるのかも不明である。ただ、注釈者は、謝洪賚であるという汪家熔の指摘がある*4。
 1921年で77版を重ねる。初版出版から23年間にわたっているから、毎年、約3回平均で増刷していることになる。ただし、全体の印刷部数は、不明である。
3-2 序
 いきなり第1課がはじまるわけではない。
 前もっての解説が述べられる。この部分は英文だ。つまり、これは教科書だから、教師へむけての説明なのだ。

Plan of the Book
本教科書の目的は、読むことを教えるところにある。まず、こう宣言する。
 各課には、6個の新出単語がある。それらは冒頭に大文字でかかげられ、その下に使用例を示す。
 ページの下部に、組み合わせ練習の文章が置いてある。
 以上によって、各課の構成を説明した。
 教師はなにをするのか。
 それぞれの文章を読み上げる。それを生徒に漢語に翻訳するように命じる。その逆に、簡単な文章を漢語であたえ、英語になおさせる。すべての単語は、最低4回はくりかえさせる。
 具体的な指示である。
 自習書であれば、こういった説明は不要かもしれない。だが、対面教育であるからには、その教授法は、詳しい方がいいに決まっている。口と耳を使い、くりかえし練習するという外国語の学習法は、どこでもいつでも、それほど変化があるわけではないことがわかる。

Directions to the Teacher
 それぞれの課に、教師への注意事項が書かれているから、注意深く読むように。および、英語の発音に注意すること。当然の注意である。
 いかにも教会の教科書だと思うのは、この注意事項のなかで、宗教課 Religious Lessons について述べられていることだ。
 本文に分散して宗教専門の課文が配列されている(後述)。その通りを、単語の綴りなどは気にせずに、とにかく読むようにとの指示がある。なるほど、教会で使用される教科書である。
 あとは、アルファベットの小文字、大文字、筆記体とアラビア数字が、つづいて示される。
 入門の教科書であれば、挿絵は、学習者の理解を助けるために多い方がよい。外国の事物は、言葉で説明するよりも、絵図で示すのが、もっともわかりやすいからだ。
 だが、『華英初階』には、挿絵はわずかに2枚しか使用されていない。
 そのうちのひとつは、羽根ペンを持った右手である(残るひとつは、狼 wolf だ)。英文を書くのには、毛筆は不便だろう。羽根ペンに類する筆記用具であれば、その持ち方から教える必要がある。
 アルファベットが終了すると、文字の組み合わせとなる。
 ba be bi bo bu by と単純な組み合わせから、さまざまな2文字をくりかえし、3文字にいたる。
 こうして第1課をむかえる順序になる。
 本文に入る前に、祈りの文章があることに言及しておく。
 課文に宗教課があることは、前述した。それとは別に、本教科書の最後のページに、朝昼晩の祈りの言葉が英語と漢語(文言)で書かれている。
 朝の祈りを見てみよう。

 MORN-ING PRAY-ER. 晨祷文
O Lord, my God, to Thee I pray,
主乎、吾之上帝、吾祈求汝、
When from my bed I raise,
自吾夙興以後、
That all I do, and all I say,
凡一切所行所言、
Be pleas-ing in Thine eyes.
願悦於汝目
(朝の祈り/主よ、わが神よ、お祈り申し上げます/目覚めたのちの/すべての行ない、すべての言葉が/あなたのお目にかないますように)

 この教科書の後半に進んだ段階で、くりかえし朗誦されたのではなかろうか。くりかえせば、生徒は暗唱できるまでになったものだと想像もする。
3-3 本文
 いくつかの特徴がある。
○1課の分量は、多くない
 48頁に全90課を展開する。課数が多いのは、1課の分量が、多くないからだ。1頁には、平均して2課分があると考えればよい。
 第1課は、「o/ n o/ no 無,否否」これだけ。
 第2課は、「l o/ lo 視哉 /s o/ so 如此,故」と2行になる。
 母音 o e a i u の順に、それらを使った単語を例に出す。
 教師への指示は、まず、文字を黒板に書くことだ。その時、文字の形を説明してはならない、生徒に質問せよ、とある。これが記憶させるためには、一番よい方法なのだそうだ。教師が発音し、生徒は、指で空中にその形をなぞる。これを何度もくりかえす。
 それにしても、最初に出てくる意味ある言葉が、「no 無,否否」というのは、強烈である。まず、否定することから教えているのだから。
 時代を反映しているのか、使用されている単語が、少し古い。「lo 視哉」「ye 汝等」などだ。
○単語から短文へ
 人称代名詞、動詞の次は、第7課に短文が試しに出現する。

we go.我輩去/ so ye go.如此,汝等去/ be so.乃如此/ we be so.我等乃如此/ go ye.汝等去/ lo we go.看乎,我等去

 この段階では、文字の形を覚えさせることが主眼ではあるが、文章になれるためにも早目にごく短いものを取りだしている。
 第15課より、例文が増える。

or 或,抑 do 為,作,行 to 及,於(12頁)
am I to go? 吾須去否
if it be so.若果爾爾
do as I do. 為之,以吾亦為也
is it he or I?
為彼歟抑為吾歟
is he to do it?
渠作此否

 文言による漢訳だ。
○口頭練習――文法説明は、ない
 文法の説明は、教科書には、ない。教師が、口頭で解説しているとも思えない。疑問文にしても、be 動詞にしても、説明しはじめるとかなりやっかいだろう。
 想像するに、教場では、教師が黒板を使用して、ひたすら口頭練習をくりかえしているのではなかろうか。生徒の方も、教師に言われたとおりを反復するのみ。英文の意味はわかっているかもしれないが、なぜ、そういう風に表現するのかは、説明がないから、わからない。漢語の翻訳があって、英語の意味がわかっているだけまし、というところだろう。
 文章の冒頭が小文字で表記されるのは、第34課まで継続される。いわば、肩慣らしという状況だ。第35-42課は、復習である。ここで一息いれて、第43課より、教授内容が、すこしだけ高度になる。新出単語を6個示し、文章の冒頭も大文字に変更されている。

can 能 hat 帽,冠 man 人 mad 狂,瘋 cane 杖 hate 憎悪 mane 〓 made 作,製造(24頁)
He made a box. 渠作一箱
Cut me a cane. 代吾斬一杖
A man has my hat. 一人有吾之帽
Has a cat a mane? 猫有〓否
Can I get a cane? 吾能得一否
A mad dog bit him. 一瘋狗荷渠
My dog is not mad. 吾之狗非瘋
Hate no man. 莫憎悪人

 英語の動詞変化に相当するものは、漢語にはない。言語の系統が異なるから、make も made も漢語では「作,製造」としか表現のしようがない。ここらあたりの説明は、どうしたのだろうかと不思議に感じる。
 英語の時制と漢語のアスペクトに言及したとは、とうてい想像することができない。文法的な解説は、教師は行なわなかったのではなかろうか。生徒は、とにかく、教科書に書かれている英文をくりかえし発音する。初期の段階では、考えるよりも慣れろ、と教えられたと思うのだ。
 朗読が訓練の主体になるとはいえ、文法的な説明が少しはあったのではないかと思わせる部分が終わり近くにようやく出てくる。第82課(40頁)だ。

can 能 could 能(過去)will 欲
would 欲(過去)shall 当 should 当(過去)

 英語の変化と漢語の無変化(漢字だから当然)が一目瞭然だろう。例文を見れば、それがますますはっきりする。

I will come if I can.
吾若能来吾必欲来
I would do if I could.
吾若能為吾必欲為

 漢語では、動詞によって時制が表現できないことがわかる。
 先に、『華英初階』は、中国人用に書きなおした、と説明があった。
 たとえば、第80課にある、「ball 球、call 呼、tall 高」などの発音説明に、それらしいものが見られる。
 「多様な音をもつ a は、中国の言語のほとんどには、見られない。口を大きく丸い形にあけて、発声は、口蓋の奥からだす」
 この説明は、英語の a が、前後の文字に組み合わせによっていくつかの異なる発音になることを説明している。たしかに漢語では、a ならば、基本的に同じ発音である。その違いを指摘しているのだ。ただし、このような説明は、多くはない。
 例文に全体をつらぬく主題があるわけではない。短文の寄せ集めだ。
 身の回りに起きる日常的な事物を説明し、動作を表現することが主眼となっている。
 例文に少しだけ、教会で教えそうな例文がまぜてある。

do no sin. 莫犯罪(17頁)
sin is not hid.
罪悪不能隠匿(19頁)
sin is not fun.
罪悪非遊戯之事(20頁)
Hate no man.
莫憎悪人(24頁)
We must not rob.
我儕不宜劫奪(30頁)

 ごくわずかだ、と思われるかもしれない。事実、わずかなのだ。しかし、それには理由があった。キリスト教の教えに関連する文章は、別の課、別の場所にまとめたのだ。
○宗教の課文
 教科書のところどころに“Read lesson ** on page **”という課がある。教科書の後半に、3課ごとに配置する。本文は、巻末に集める。朗誦するためだけの課であって、それを実行しろという指示もある。
 第57、61、65、69、73、77、81、85、89課がそれにあたる。これらは、教会の教えだけを集めたものだ。全9課だから教科書全体の1割を占める。教師用の説明には、綴りの練習は必要ない、内容を理解して読む練習をするようにと書かれている。おおよその内容を知るために、数例を掲げておく。日本語訳をするまでもない。

God made all we see.上帝創造我人
所見之万物
God made me. 上帝造吾
He gave me life. 彼与吾以生命

 生徒に、くりかえし教えれば、暗唱もしたであろう。
○編集上の工夫
 キリスト教関連の課文を巻末にまとめているのは、事実である。
 しかし、考えてみれば、おかしな編集であるといわざるをえない。
 キリスト教の教えを盛り込んだところに、この元版の特徴と意義がある。日常生活に応用できる語句文章にまぜて、宗教課を配置するという創意も盛られていた。
 にもかかわらず、漢訳版では、その肝心の宗教課を片隅に集めた。変則的といえばそうだろう。なぜその必要があるのか。
 順序よく学習を進めていて、その部分に到達するたびに、突然、××頁にとんで、ひたすら朗読せよ、との指示があるのだ。学習の流れをさまたげているということもできる。
 だが、これこそが商務印書館の編集者が工夫をした箇所だと考えるべきなのだ。
 つまり、宗教臭を嫌う教師、学習者には、宗教課を無視できるようにするために配慮したということだ。巻末の宗教課を切り離せば、普通の英語教科書となるのである。
○比較的高度な内容
 教授時間がどれくらいを想定して作成された教科書なのか、詳細はわからない。
 新出単語が約355語、例文が約630句ある。
 教師の懇切で熱心な指導が不可欠である。生徒の熱意も、当然、必要とされる。
 教科書全体を読んで感じるのは、相当に詰め込んだ内容ではないかと思う。
 文字から単語へ、短文からすこし長めの文章へ、とよく考えられた構成になっている。しかし、けっして内容のやさしい教科書ではない。入門書としては、かなり高度なものだという印象を受ける。また、その内容には、キリスト教会の教えが織り込まれていた(ただし、切り離し可能)事実を指摘しておきたい。
 『華英初階』だけで英語学習の入門が修了するわけではない。英語を身につけようと希望するならば、つづく「進階」へ進まなければ、希望は実現できないだろう。版元の商務印書館には、まことに好都合な出版物であったということができる。
 この『華英初階』を含めた英語関連の書籍が、商務印書館の経済的基盤を作ったほどによく売れたということは、逆にいえば、当時の中国で、それだけ英語熱がもえあがっていた証拠にもなる。
 最後に、商務印書館の英語教科書を使って英語を勉強した周作人の思い出を紹介しておく。

4 周作人の証言*5
 1901年、故郷をはなれた周作人は、南京の江南水師学堂に入学した。ここで勉強したのが「印度読本」だった。すなわち商務印書館発行の英語教科書である。
 周作人は、この英語教科書を読んで、経史子集以外に文章があることをはじめて知ったという(47頁)。
 そこで示すのが、「ここに私の新しい本がある(這里是我的新書)」という奇妙な例文だ。
 『漢英初階』には、周作人のいう通りの例文は載っていない。もともとの漢訳は文言だから、周作人の記す口語とは一致しない。記憶にもとづいて、そのような意味のない例文であったといいたかったのだろう。
 江南水師学堂における英語教育は、知識を得るための手段にすぎなかった、と周作人は書いている。だから、インド読本は、第4集までしか配給されなかった。ほかには『華英字典ママ』も配られたというから、英語教科書と辞書ともに、商務印書館出版のものを使用したということだ。
 周作人の先輩たちは、卒業するやいなや英語教科書も辞書も捨ててしまった。手段であるからそうなるのも当然だった。消耗品である。だから、現在は、かえってあまり目にすることがないのかもしれない。


【注】
1)張人鳳「商務印書館的《最新初等小学国文教科書》」『清末小説』第20号 1997.12.1
―― 「我国近代教育史上第一套成功的教科書――商務版《最新教科書》」『商務印書館一百年(1897-1997)』北京・商務印書館1998.5
―― 「商務《最新教科書》的編纂経過和特点」『商務印書館一百年(1897-1997)』北京・商務印書館1998.5
2)章錫〓「漫談商務印書館」『文史資料選輯』43輯 1964.3/1980.12第二次印刷(日本影印)。64頁。『(1897-1987)商務印書館九十年――我和商務印書館』(北京・商務印書館1987.1)。105頁
3)『商務印書館百年大事記』(北京・商務印書館1997.4)に1917年63版の表紙写真が収録されている。
4)汪家熔「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生(1875-1916)」『商務印書館館史資料』之三十七 商務印書館総編室編印1987.4.10
―― 「記《華英初階》注訳者謝洪莱先生」『出版史料』1988年第3・4期(総第13・14期)1988.9
―― 「記《華英初階》注訳者謝洪賚先生」『(1897-1992)商務印書館九十五年――我和商務印書館』北京・商務印書館1992.1
―― 「記《華英初階》注釈訳者謝洪莱先生」『商務印書館史及其他――汪家熔出版史研究文集』北京・中国書籍出版社1998.10
5)周作人「学校生活的一葉」『雨天的書』香港・実用書局1967.11影印。據1933北新書局本