漢訳アラビアン・ナイト(2)


樽 本 照 雄


5 『新庵諧訳初編』上下2巻 上海周樹奎桂笙(周桂笙)戲訳 南海呉沃堯〓人(呉〓人)編次 上海・清華書局 光緒29(1903)孟夏*6
 上巻に収録された「一千零一夜」と「漁者」が、『アラビアン・ナイト』の冒頭部分の文言による漢訳である。ちなみに該書下巻は、イソップ、グリム童話などの翻訳を収録する。
 単行本にまとめられたのが、1903年だ*7。

5-1 周桂笙訳の元本
 周桂笙は、もとづいた英文原本について、何も説明していない。末尾において「書名はもともと「アラビアの夜の談笑録(阿拉伯夜談笑録)」といい、「一千零一夜」はその俗称である」(329頁)とわずかに触れているだけ。これでは、なんの手掛かりにもならない。
 人名の漢訳を示しておく。兄王シャーリヤル(〓利亜)、弟王シャー・ザマン(〓斉南)、姉シャーラザッド(希臘才)、妹ドゥニャザッド(敵那才)。
 上に紹介した各異同点について、周桂笙の漢訳がどうなっているか見てみよう。
 参考までに、日本で最初の翻訳である永峯秀樹訳『(開巻驚奇)暴夜物語』(奎章閣1875*8)の該当箇所も示しておく(周桂笙訳/永峯訳の順)。
 日本語翻訳も周桂笙訳と同じく、物語冒頭から漁夫の話の黒島王の部分までを翻訳する。
 しかも、日本語訳の底本はタウンゼンド版であることが判明している。くらべてみれば、周桂笙訳が拠った元本を推測する手掛かりになるかもしれない。

 #1 ササン王朝――賽生国/佐々爾安(サッツァニアン)
 #2 20年間――十年/十星霜(ジフネン)
 #3 忘れ物――思返見其妃(もどって妃に会いたいと思った)/イカデ今一度后ヲ見、
 #4 黒人の料理人――僕(しもべ)/黒臣[永峯本は、この部分はレイン版による]
 #5 死体は絨毯の上――投屍宮外巨溝中(死体を王宮外の大きな溝のなかに投げ捨てた)/其死体オバ壕裏ニ投ゲ棄テ
 #6 10人の兄王の妻妾と10人の白人――なし/数対ノ男女[永峯本は、この部分はレイン版による]
 #7 黒人奴隷サイード Saeed――僕人/なし
 #8 印形570個――魔神と美少女部分そのものを省略する/同じく省略する
 #9 死罪――置其妃於死地/帝后ト共ニ数十人醜行ノ男女ヲ法場ニ誅戮シタリ[永峯訳は、この部分はレイン版による]
 #10 妻妾と白人奴隷――僕/数十人醜行ノ男女[永峯訳は、この部分はレイン版による]
 #11 3年間――なし/なし

 周桂笙訳は、レイン版、バートン版、マルドリュス版などと細かな部分で違っている。兄弟王が分かれていた期間が、20年間から10年間に短縮している。弟王が王宮に引き返したのは、忘れ物ではなく、愛する妃に一目会いたくなったから。切り捨てた妃の死体は、絨毯の上にそのまま置いておかずに、溝に投げ捨てた、などなどだ。
 決定的に異なっているのは、魔神と美少女の挿話を省略していることをいわなければならない。英文原作がそうなっているのか、それとも周桂笙が勝手に省略したのか、原典がわからなければ判断がつかない。
 ところが、上の比較表を見ると、日本語訳に近いことがわかる。誤解しないでほしい。周桂笙訳が日本語訳を重訳したといっているのではない。周桂笙訳は、日本語訳とはなんの関係もない。
 翻訳の傾向が、周桂笙訳と永峯訳とでは似ている。ということは、日本語訳は、タウンゼンド版をもとにしているから、周桂笙訳も同じではないか、とその可能性を考えることができる。
 魔神と美少女の物語にしても、その省略は、タウンゼンド版で行なわれている。すなわちタウンゼンド版には、魔神と美少女の話は採用されていない。そうなると、周桂笙訳は、タウンゼンド版にもとづいた可能性が高くなる。
 周桂笙訳は、明らかにレイン版、バートン版、マルドリュス版などとは大きく異なる。これは、確かだ。
 周桂笙訳がもとづいたのは、タウンゼンド版であると予測をつける。
 タウンゼンド版と周桂笙訳を比較対照してみれば、それが正しいかどうか、すぐに判明する。

5-2 周桂笙訳とタウンゼンド版
 まず、冒頭部分から。

【タウンゼンド】IT is written in the chronicles of the Sassanian monarchs, that there once lived an illustrious prince, beloved by his own subjects for his wisdom and prudence, and feared by his enemies for his courage, and for the hardy and well-disciplined army of which he was the leader.(ササン朝の君主の年代記において、かつて輝かしい君主が存在し、その聡明さと思慮分別により自国民から愛され、その勇気そしてその大胆さとよく訓練された軍隊の指導者であるがゆえに敵から恐れられていた、と記録されている)1頁
【周桂笙】亜洲西南有賽生国者,其歴代帝皇本紀中載有賢君焉。君聡明叡智,士庶帰心,威武英明,鄰邦懾服。(アジアの西南にササン朝というものがあり、その歴代皇帝の記録にある賢い君主が存在した。聡明叡知により、国民は心服し、権威武力および賢明さにより隣国は恐れ服従していた)

 周桂笙の漢訳は、文言で簡潔に英文を翻訳しているということができる。
 父王が死去し、二人の兄弟は、わかれて別々の国を統治して10年が経過した。兄王は、弟王に会いたいと使者を送る。承諾した弟王は、準備の後に王宮を後にする。それからが、あの問題の事件なのだ。
 弟王は、妃にもういちど会いたいと王宮に引き返した。まっすぐに自分の部屋に入っていく。

【タウンゼンド】when, to his extreme grief, he found that she loved another man, and he a slave, better than himself. The unfortunate monarch, yielding to the first outburst of his indignation, drew his scimitar, and with one rapid stroke changed their sleep into death. After that he threw their dead bodies into the foss or great ditch that surrounded the palace.(これはなんと、妃が別の男を愛しており、その奴隷は、彼自身よりもよりねんごろにしているのを発見した。不運な君主は、彼の憤怒の最初の爆発を生じさせ、三日月刀を引き抜くと、一撃のもとに彼らの眠りを死へと変えた。そののち、彼は、彼らの死体を宮殿のまわりにある堀あるいは大きな溝に投げ捨てたのだった)2頁
【周桂笙】則妃方与僕通,状貌甚狎,昵逾夫婦。勃然怒,抜佩剣並誅之,投屍宮外巨溝中。(妃は僕と通じており、その様子はとてもねんごろで夫婦よりも親しげだ。にわかに怒りがこみあげてきて、刀を抜くとこれを殺し、死体を宮殿の外の大きな溝に投げ捨てた)

 殺された妃と奴隷の死体は、絨毯の上にそのままにしておいた、という版本がほかにあることは述べた。それにくらべれば、溝に投げ捨てるところまで、タウンゼンド版と周桂笙訳は、両者ともにぴたりと一致する。
 もう1例あげよう。弟王が、兄王からさそわれた気晴らしの狩猟に出ることを断わり、宮殿に居残っていたとき目撃した、あの兄王の妃の淫行場面である。

【タウンゼンド】The King of Tartary was no sooner alone than he shut himself up in his apartment, and gave way to a sorrowful recollection on the calamity which had befallen him. As, however, he sat thus grieving a the open window looking out upon the beautiful garden of the palace, he suddenly saw the sultana, the beloved wife of his brother, meet in the garden and hold secret conversation with another man beside her husband.(ダッタンの王は、ひとり部屋に閉じこもるやいなや、彼にふりかかった不幸な思いにうちのめされた。悲嘆にくれながら座って、開かれた窓から宮殿の美しい庭園をながめたとき、ふと目にしたものがあった。兄王に愛されている王妃が、庭で彼女の夫ではない別の男と秘密の会話をしているのである)3頁
【周桂笙】〓斉南独処一室,悩想益繁,念遭際不幸,幾欲自〓,偶起四顧,則〓外御園望之歴歴在目,倚窗閑眺,〓見園中有与僕人握手〓〓狎褻不可以注目者。非他,蓋兄王〓利亜之妃,而己之嫂也。(シャー・ザマンは、ひとり部屋にいると煩悶はますますひどくなり、不幸に遭遇したことを考え、自分を責めた。立ち上がりまわりをみまわすと、窓のそとの庭園がはっきりと見える。窓によりかかって眺めていると、ふと、奴隷と手に手を握り、ひそひそとむつまじくしているのが見える。ほかでもない兄王シャーリヤルの妃であり、自分の嫂である)

 漢訳は、ほぼ英文の逐語訳だといってもいい。レイン版、バートン版など、いずれもこの場面は、より刺戟的に描写されている。
 レイン版は、もともと刺戟的で猥褻な箇所を削除していることが広く知られている。版本の系統は異なるとはいえ、性的表現を強く抑圧したのがタウンゼンド版だ。つまり、タウンゼンド版は、その性的表現について書き換えている。
 周桂笙は、原本のままを漢訳した。ついでだからのべると、日本語訳『暴夜物語』は、元本のままでは弟王と兄王の不幸が不均衡だと考え、この部分はレイン版から引用補充して悲劇性を強調した。翻訳の態度からいえば、やはり周桂笙の原文尊重の方がこのましい。
 周桂笙は、タウンゼンド版に忠実だから、このあと、弟王から妃の行状を聞かされ、そのまま弟王の言葉を信じて、妃を処罰する。ほかの版本が、弟王の言葉を信じきれない兄王が、狩猟に出かけたと見せかけて、宮殿にもどり自らの目で妃の淫行を確認することになっているのとは、異なる。英文版にも、いろいろある。
 さて、タウンゼンド版では、章を分けて「ロバと牛の寓話 The Fable of the Ass, the Ox, and the Labourer」がつづくことになる。ただし、周桂笙訳は、章分けを無視した。章を立てず、そのまま漢訳を続ける。だから、タウンゼンド版にはついている章題が、周桂笙訳には、ない。
 娘のシャーラザッド(希臘才)が、王のもとに行くというのを諌めて、大臣が物語る寓話だ。その意とするところは、相手のためを思って助言する者は、かえってひどい目にあう、という。
 シャーラザッドは、父の諌めをいれず、宮殿に赴くと、夜、王に物語りはじめる。長い長い『アラビアン・ナイト』の開幕である。タウンゼンド版で使用されている物語の題名を示しながら説明したい。
 まず、「商人と魔神の物語 The Story of the Mercchant and the Genie」がある。殺したおぼえもないのに、魔神の子供を殺したと責められる商人の話だ。
 物語のなかで、さらに語られる物語がある。
 「一番目の老人と牝シカの話 The History of the First Old Man and the Hind」は、妖術で母子を牛に変身させ、結局、その当人が牝シカに変えられた話。
 つぎの「二番目の老人と二匹の黒犬の話 The History of the Second Old Man and the Two Black Dogs」も変身譚だ。なぜ兄弟が黒犬に変わったのか、そのいきさつが語られる。
 不思議な話を聞かされた魔神は、それで満足し、商人を許した。
 『アラビアン・ナイト』は、いくつかの物語で構成されているのが基本構造だ。そのひとつの物語のなかで、さらに物語が展開していくという多重構造になっている。上の商人と魔神の物語にしても、大きく前後に、商人と魔神の話が置かれており、そのなかに、別の話題である牝シカと黒犬の物語がはめ込まれるということだ。
 周桂笙の漢訳は、以上のようにタウンゼンド版の順番通りに行なわれている。ただし、章分けをしない。ゆえに章題の漢訳もないことは、すでに述べた。
 上に見てきた周桂笙の「一千零一夜」部分は、タウンゼンド版の「序文 introduction」を含めて4話によって構成されている。
 つぎの「漁者」が、タウンゼンド版の「漁夫の物語 The History of the Fisherman」に相当する。
 網にかかった古壷から出てきた魔神に殺されかかった漁夫が、機転をきかせてもういちど魔神を古壷に閉じ込めるという話だ。よく知られている。
 この物語も、上の商人と魔神の物語と同じく、大きな話題のなかに小さな話をいくつか組み合わせて成立している。
 漢訳の的確さを示すために、ここも冒頭をあげよう。

【タウンゼンド】There was formerly an aged fisherman, so poor that he could barely obtain food for himself, his wife, and his three children. He went out early every morning to his employment ; and he had imposed a rule upon himself never to cast his nets above four times a day.(昔、年おいた漁夫がひとりいました。彼自身と妻、3人の子供をかろうじて養うことができるくらいに貧しかったのです。毎日、早朝より生業とする漁に出ましたが、自ら規則をつくり、1日に4回をこえる網は投げないときめていました)19頁
【周桂笙】某漁者,家赤貧,一妻三子,幾不能贍。漁者凌晨即操網出,而又自為定例,日凡投網四次,所獲多寡,悉聽於天,不多投也。(ある漁夫は、家は貧しく、妻と三人の子供を扶養するのむつかしかったのです。漁夫は、朝早くから網を打ちにでかけましたが、日に4回の網をうち、収穫の多寡は、すべて天にまかせて、それ以上投げないと自ら決めておりました)

 周桂笙の漢訳が、正確に英文を翻訳しているのを理解することができる。
 だが、漢訳には誤りがまったくない、というわけでもない。

【タウンゼンド】“It is,”replied the genie,“to permit thee to choose the manner of thy death.……”(魔神が答えて「お前に死に方を選ばせてやろう……」)20頁
【周桂笙】曰:“許爾自擇死所耳。……”(「死に場所を自分で選ぶのをお前に許してやろう」という)

 英文の「死に方」が、なぜ漢訳の「死に場所」になるのか。
 さて、周桂笙は、ここでも章分けはしない。
 「ギリシア王と医者ドウバンの話 The History of the Greek King and Douban the Physician」――王の命を救った医者が、逆に殺されそうになり、王が復讐される物語である。
 周桂笙訳は、次に物語の省略を実行する。すなわち、
 「夫とオウムの話 The History of the Husband and the Parrot」
 「罰せられた大臣の話 The History of the Vizier who was punished」
の2話を漢訳しない。助言者が、逆恨みによって殺されるという同主旨の物語だから、周桂笙は、省略したのかと考える。
 金持ちになる方法を魔神が教えてくれるというので、疑い深い漁夫も、ようやく魔神を古壷から出してやった。魔神が教えてくれたのは、湖に網を打ち、4色の魚を宮殿に届けろ、というものだった。これが、「漁夫の冒険の続き The Further Adventures of the Fisherman」の内容だ。きれいな4色の魚を料理しようとすると不思議な人物が出現してじゃまをする。これを3回くりかえし、それを知った王が湖にまで出かけることになる。
 その土地で遭遇するのが、下半身が大理石に変身している若王である。黒島王という。
 「黒島王の話 The History of the Young King of the Black Isles」は、愛欲におぼれた若王の妻が妖術を使い若王の下半身を変身させ、若王の都を滅亡させたのだ。その原因というのが、妻の淫行である。淫行といっても、タウンゼンド版は、他の英訳本とは異なり、性的表現が強く押さえてある。だから、以下のようになる。

【タウンゼンド】I perceived that she was walking with a man, with whom she offered to fly to another land.(妻が男と歩いているのに気がつきました。妻は、別の土地に逃げようとそいつに提案しているのです)35頁
【周桂笙】忽一男子出,与之偕行,且行且語,後許以同飛至他処,以図久遠。(ひとり男がふと出てくると、うちつれて歩いていきました。歩きながら話をしていて、一緒によそへ逃げて将来を考えようと約束したのです)

 ここだけ見れば、なにも相手の男に切りつけて植物人間(妻の妖術で命は助かった)にしなくても、と思いそうになる。本来は、もっとえげつない表現があり、かつそれを描写をしているのだが、タウンゼンドが、ドロドロ部分の過激表現を削って薄めてしまったのだ。
 王は、同情して若王の妻の愛人を殺害し、愛人を装って女に妖術をとくように命令した。若王も都も元通りになった。これをもたらした漁夫を手厚くもてなし、一家も裕福に暮した。
 結局のところ、周桂笙の漢訳は、タウンゼンド版にもとづいていることが明らかになった。ただし、全部ではない。序文を除いて全10話、序文を含めれば全11話のうち、2話を削除する。
 周桂笙の漢訳は、簡潔な文言によって、ほとんど誤訳もなく上出来の仕上がりになっている。質の高い初期漢訳のなかのひとつだということができる。最初部分の11話で、なぜ中断したのかわからないが、それにしても惜しいことであった。
 胡従経は、周桂笙の翻訳について、彼の直訳は非常に忠実で、意訳をして任意に原著を切り刻んでいた当時の訳風とは、まったく違う*9、と高く評価する。原文に忠実ではない当時の翻訳とは、何を指しているのか、わからない。また、胡従経は、もとになった英文の版本を知らないのに、なぜ、「彼の直訳は非常に忠実で」ということができるのか、これまた不明である。漢訳そのものから得られた印象かもしれない。

【注】
6)海風主編『呉〓人全集』第9巻(哈爾濱・北方文藝出版社1998.2)所収のものに拠る。張純校点
7)楊世驥『文苑談往』(上海・中華書局1945.4/1946.8再版。影印本)は、その刊行を「光緒廿六年」(12頁)とするが、廿九年の誤植であろう。『新庵諧訳初編』の出版を1900年とするのは、前出の李唯中「訳序」(『一千零一夜』1。34頁)また〓溥浩『中国翻訳詞典』832頁がある。
8)国立国会図書館所蔵原本のマイクロ・フィルムの奥付は、明治8年5月7日官許、山城屋政吉。天理図書館所蔵本の奥付は、明治8年6月12日出版。本稿は、『明治文化全集』第13巻(日本評論社1928.4.15)所収版による。樽本照雄「『暴夜物語』の底本」『大阪経大論集』第52巻第6号(通巻第166号)2002.3.31。本稿で使用したタウンゼンド版の出版社は、ロンドンとニューヨークのウォーン Frederick Warne & Co.,[1866]。刊年不記。
9)胡従経『晩清児童文学鈎沈』上海・少年児童出版社1982.4。151頁