新編増補清末民初小説目録序


樽 本 照 雄


                  

 本稿は、済南・斉魯書社2002発行の『新編増補清末民初小説目録』のために書いた。賀偉氏によって漢訳されている。

 本目録の履歴を簡単に述べる。
 1988年、最初に出版したのが『清末民初小説目録』だ。清末から民初にかけて発表された創作小説と翻訳小説を収録し、題名の漢語音ABC順に配列する。これを増補訂正し、1997年に『新編清末民初小説目録』を発行した。最初から数えれば、本目録は、『清末民初小説目録』第3版になる。
 『清末民初小説目録』の編集作業をはじめたのは、1985年だ。しかし、その前段階と考えてもいい作業がある。
 思い起こせば、その準備作業ともいうべき仕事を、私個人で行なっていた。すなわち、『繍像小説』の総目録を作成したのがてはじめだ(1973)。つづいて、『月月小説』(1974、1979)、『小説林』と『競立社小説月報』(1974)、『小説時報』(1975)、『小説月報』(1976)、『遊戯世界』(1981)、『新小説』(1982)などの総目録を発表した。
 総目録は、原本とマイクロフィルムに拠って作成している(『新小説』のみは、影印本を利用する)。香港から清末雑誌シリーズが影印発行される前は、日本で清末小説雑誌の総目録を作るのは、かなりの手間とヒマを必要とした。日本における資料の所蔵状況を知り、かつ目録を作ったことのある人ならば、たやすく理解するだろう。当時、類似の総目録は、どこにもなかった。
 清末小説について、雑誌掲載の状況を把握していた。だから、それらを利用して小説目録を編集するのは、やってできないことはない、という判断で踏み切ったのだ。こうして、作業に追われながら、今まで16年が経過した。
 目録の対象は、清末民初時期の中国において発表された小説である。この種の目録を日本において編集するのは、本来は、私の仕事ではない。この思いを、たえず意識している。考えてもほしい。外国人が、慣れない漢語文献を、それも中国を遠く離れた場所で、収集整理することが、はたして可能であろうか。使用に耐える小説目録となるかどうかもわからず、はなはだ頼りない。
 中国の研究者が、1冊1冊、原物にもとづいて正確に書誌を記録し作成してこそ信頼にあたいする小説目録となる。これがあるべき手順である。
 だが、清末から民初にわたる小説目録が研究に必要だったにもかかわらず、当時、そのようなものは存在していなかった。だからはじめた編集作業である。日本で編集するのだから、第2次資料を利用せざるをえない。日本の図書館における原資料の所蔵の少なさから必然的にたどりつく方法なのだ。
 中国大陸において、より充実した小説目録が出版されるようなことがあれば、私はただちに自分の作業を中止するつもりにしていた。
 阿英の「晩清小説目」以来、いくつかの書目が編集発行されている。しかし、それらは、残念ながら私の要求に合致するものではなかった(「新編まえがき」において紹介した)。
 新編目録が発行されたあとで、中国において、注目すべき目録が出版されている。これに言及しないわけにはいかない。
 王継権、夏生元編著『中国近代小説目録』(南昌・百花洲文芸出版社1998.5 中国近代小説大系80)という。
 A5判、本文541頁。まさに画期的な目録だ。「中国近代小説大系」シリーズ80巻の1冊として編纂された。阿英「晩清小説目」以来の本格的小説目録だといっていい。1840-1919年に発表された、長篇、中篇、短篇小説を網羅的に収録する。発行年月日まで採録し、旧暦は新暦に換算している。収録作品の多さと記述の詳細さは、阿英目録をはるかに超えているといっていい。付言すれば、今後の改良点として人名索引は、ぜひとも作成してほしい。また、翻訳小説の目録が作成されれば、中国近代小説目録として完全なものとなるだろう。(参考:沢本香子「『中国近代小説目録』の出現――附:『中国近代小説目録』疑問表」『清末小説から』第54号1999.7.1)
 すばらしい小説目録ではあるが、翻訳小説目録を欠いているのが、まことに残念である、と重ねていわざるをえない。
 こうして、『新編清末民初小説目録』は、生き残ることになった。
 出版物として生き残ってはいるが、研究界に必要としている人は、それほど多くはないのではないか。その思いを払拭することができない。
 新編目録は、200部を印刷した。この数が少ないか、多いかは、その人の基準によるだろう。私としては思いきって多めに印刷した。ひとつには、いわゆる文部省出版助成金を得ることができたからだ。
 現在、私が刊行を続けている清末小説関係の雑誌を例にあげれば、すこしは理解の助けになるかもしれない。
 年刊『清末小説』は、約200部を発行する。季刊の『清末小説から』は、それよりも少なく、約150部を刊行しているだけだ。日本国内のみではなく、全世界に発信していて、この程度の研究者層であるといってもいい。専門家を対象として発行する学術雑誌であり、しかも、一般の流通を考慮していないから、200部というのは、妥当な数字だと考える。
 中国には、清末民初小説を研究対象とした専門雑誌は、驚いたことに、ない。
1980年代において、発行されたことがあったが、3号を発行して停刊した。
 中国の、しかも清末民初を専門とする研究誌が、日本で発行されつづけていることの方が、普通ではない、という見方も成り立つかもしれない。部数の少ないのは、当然だといえる。
 発行期間が比較的長い(25年間になる)とはいえ、『清末小説』と『清末小説から』の知名度が、専門家を除いてそれほど高くないのは、価格と流通に問題があるからだろう。もうひとついえば、中国の研究者は、自国の小説研究に、外国人の研究、あるいは研究雑誌を必要としない。外国語で書かれた研究論文など、もってのほかであろう。理解できる。
 以上のような諸事情を考えあわせ、定期刊行物の150部から200部にすぎない発行部数を基礎において見れば、新編目録の200部というのは、かなり多い、というのが私の感想だ。
 一般の出版社が手におえる種類の刊行物ではない。編集印刷費用が多額にのぼり、しかも、必要とする研究者は、世界的にみても多くはいないと考えられるからだ。限られた需要しか予想できない出版物を刊行することのできる一般の出版社は、日本には存在しない。だからこそ、出版助成金を申請した。それが認められたのは、事情を知る人がいたからだと考える。
 新編目録は、中国そのほかの外国の専門家に、若干部を贈呈した。多数の書評が書かれた。工具書としての意義を認めてもらったと私は感じたのだ。
 それらの書評は、『清末小説から』誌上に「書評再録」として掲載した。また、清末小説研究会のホームページ http://www.biwa.ne.jp/~tarumoto でも公開している。
 新編目録が注目されているのがよりはっきりとわかったのは、第9回「蘆北賞」を受賞(1999)したからだ。それより以前、『清末小説』と『清末小説から』の編集発行を継続していたことを理由に第6回「蘆北賞」を受賞(1996)したのにつづいて2度目である。見る人は見ているという事実を目にすると、身の引き締まる思いがする。
 目録作成は価値のある仕事だ、と自分でいくら考えても、その真価を理解してくれる他人がいなければ、何にもならない。未来に理解者が出現するのを待つのもいいが、本目録のような工具書は、今、利用してもらわなければ価値が半減する。
 このたび、山東の斉魯書社が、本目録を出版してくださるという。中国の研究者に、より広く利用される可能性がでてきた。
 新編目録出版後も継続していた増補訂正作業により、復刻重版本を含めて約3千件のデータを追加している。総数約1万9千件のデータを整理しなおし、本文と索引をあらたに作った。新編目録と区別するために、作品番号の英文記号を大文字から小文字に変更してもいる(例:A→a)。
 私個人で作業を継続しているが、多くの人々のお世話になっているのはいうまでもない。長年にわたりご教示してくださる渡辺浩司氏には、とくに感謝する。
 すべてを漢語に翻訳するというのが最初の構想だった。しかし、編集と印刷の関係で、私が作成した日本語の混在する本文をそのまま版下とすることになった。ご了解をいただきたい。
 「時代を反映する小説目録」を附録として掲載したのは、目録についての私の考えを明らかにするためだ。ご批判をあおぎたい。
 最後に重要なお願いがある。
 本目録は、あくまでも調査の補助に利用してほしい。第2次資料にもとづいて記述している部分のほうが多い。誤記を避けることができないのだ。記述のすべてを信じる研究者がいるとは思わないが、原稿を書くばあいには、各自で原書によって事実を確認する努力が必要とされる。
 本書が、清末民初小説研究に少しでもお役に立てば、うれしい。
 より充実した目録にするため、今後とも増補訂正作業をつづけていく。ご教示をお願いする。

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 東方書店より送られてきた『図書速報(近現代文学)』2002年第29号(2002.6.28)に、『新編増補清末民初小説目録』(斉魯書社 予価18,000円)が掲載されています。
 該書を説明して「1997年に清末小説研究会で刊行した『新編清末民初小説目録』を中国の賀偉氏らによって大幅に増補したもの」と書かれています。
 正確ではない箇所があります。
 賀偉氏は、「序」「まえがき」「あとがき」などの日本語を漢訳しました。しかし、氏は、増補作業とは無関係です。
 見てもらえばわかります。また斉魯書社の「前言」にあるとおり、目録本文は、日本語をまじえて書かれているのです。
 目録本文全体を漢訳するとなると、作業は膨大なものになります。また、そうなれば誤植を避けることができません。1千頁をこえる校正を考えただけでも、気がとおくなります。
 誤植、誤記をひとつでも減らすために、熟考した結果、版下を樽本が作成したという次第なのです。