よみがえる『出版史料』


沢本郁馬


 上海で発行されていた雑誌『出版史料』について、私は、高い評価を与えている。
 資料的価値の高い文章が、多く掲載されていたことが理由のひとつだ。
 特筆すべきは、商務印書館関係の史料が、それも貴重なものが、いくつも誌面をかざったことだろう。
 『繍像小説』編者問題で、私自身が関わるようになった関連論文が掲載されていたこともあった。日本で定期購読できるようになってから、すぐさま購読を申し込んだくらいだ。
 あらためて手元にある『出版史料』を見てみる。
 編集は、上海市出版工作者協会《出版史料》編輯組とある。
 第1輯は、1982年12月の年1回発行だ。第5輯(1986.6)より年2回発行、途中、合併号を出してやや乱れるが、最終的には年4回の季刊となった。ただし、1993年第1期(総第31期)の発行が1993年8月で、遅れている。同年第2期が、それよりも早い同年7月を表示して混乱が見られるのは、発行中止の決定がもたらしたものかと想像する。
 11年間に全32期(30冊)を発行して終わった。
 出版といっても範囲が広い。主としてアヘン戦争以来、特に五四運動から1949年までの30年間に的をしぼった。時間を限り、この間の史料に重点を置いているところにこの雑誌の特徴がある。
 見れば、商務印書館、中華書局、亜東図書館、開明書店などなどの著名書店についての回想録から、関連史料が掲載されている。張元済日記、蒋維喬日記なども貴重な資料だ。
 前出『繍像小説』編者問題とは、第2輯(1983.12)に掲載された汪家熔「《繍像小説》及其編輯人」に端を発する(該論文は、それより前に、『新聞研究資料』12輯(1982.6)に「商務印書館出版的半月刊――《繍像小説》」と題して掲載されている)。
 通説をくつがえし、『繍像小説』の主編は李伯元ではない、と汪家熔は主張したのだった。これに、樽本が『光明日報』誌上で反論を加え、論争となった。
 私の経験からいっても、清末の小説雑誌について論争が起こることなど、それ以前は、普通に見ることができるものではなかった。ことに、反論が掲載されたのが『光明日報』という全国紙だった。また、なによりも日本人が中国の研究者の主張に反論をぶつけたから、怒りの圧力も高まっただろう、と容易に理解できる。
 『光明日報』には、投稿が殺到したらしい。汪家熔の反論が、1回紙面に掲載されて、論争は、突然、中断された。汪家熔に再反論した樽本の『光明日報』への投稿は、没書となった。論争の舞台は、日本へ移るのである。
 一方で、『出版史料』第5輯(1986.6)では、「関於《繍像小説》編者問題的討論」を特集した。葉宋曼瑛、張純および魏紹昌の文章が掲載されている。また、巻末に「樽本照雄関於《繍像小説》編者問題討論文章書影」「《遊戯世界》第18期載陶報癖《前清的小説雑誌》一文書影」の2件を複写で示した。
 そのような事があったし、さらに、私の商務印書館についての興味からいえば、汪家熔論文が、新しい資料を発掘して、そのつど『出版史料』に掲載されるのだ。
 商務印書館と金港堂の合弁問題では、1992年第4期(総第30期1992.12)に掲載されている2本の文章をあげておく。

稲岡勝著、沈洵〓サンズイ豊}訳「関於金港堂与商務印書館合作問題的文献資料」
鄒振環「商務印書館与金港堂――20世紀初中日的一次成功合資」

 該誌は、商務印書館研究には欠かせないものとなっている。中国から船便で送られてくるのを楽しみにしていた。それが、急に発行停止となり、不思議なことに、体裁の似た『編輯学刊』が出てくる。
 発行の通し号を引き継いだ『編輯学刊』は、第33期からはじまる。
 上海市出版工作者協会、上海市編輯学会主〓ban、宋原放主編と明記しており、その組版などは、ほぼ『出版史料』を踏襲する。
 『編輯学刊』1994年第1期(総第33期1994.2.25)掲載の王益「中日出版印刷文化的交流和商務印書館」(大川ひろみ、趙京右訳「中日出版印刷文化の交流と商務印書館」『タイポグラフィックス・ティ』第156号1993.12.10の原文)を見れば、商務印書館と金港堂の合弁問題をあつかっている。さらに、汪家熔「商務印書館日人投資時的日本股東」(『編輯学刊』1994年第5期(総第37期)1994.10.25)も同じく日中の合弁問題だ。もしかしたら、前身の『出版史料』に掲載が準備されていた文章かもしれない。
 ただし、『編輯学刊』は、号を重ねるにしたがって、史料の掲載が少なくなっていくのは、さびしい気がしていた。
 手元にある2002年第1期(総第81期。2002.2)は、私の興味を引く史料は1本も掲載されていない。
 ニュースをもたらしてくださったのは、南京在住の教授である。北京で『出版史料』が創刊されたというのだ。日本の書店に注文したが、入手できなかった。その教授は、私の希望を聞き入れてわざわざ郵送してくださったが、郵便事故にあったらしく、とうとう手元には届かなかった。原因は中国にあるのか、日本にあるのか、それはわからない。ただ、南京の郵便局では、これまで何回かの郵便事故が発生している。封筒からの抜き取りが2回あったし、最近では、航空便で送った手紙が受取人に届くのに50日かかった。ほかの都市では、そういうことがないために、かえって不思議に感じる。
 版元の編集者から送られてきたのは、『出版史料』2001年第1輯(北京・開明出版社2001.7。目次には「叢刊」がついている)だ。B5判、本文128頁。編審委員会主任委員・宋原放と書いてある。
 巻頭には、「紀念中国共産党成立80周年」と題して4本の文章が特集してあるのが目を引く。
 つづいて「筆談出版史料」に5本を集めて、そのなかに「再生」という言葉を使っているものがあり、上海で消滅した雑誌が北京でよみがえったというとらえかたをしていることがわかる。
 「投稿規定(稿約)」は、上海『出版史料』とほぼ同じだということができる。ただし、異なる点もある。
 「マルクス主義、毛沢東思想および〓小平理論を指導として、党の実事求是、開放思想の思想路線を堅持し、……」と真っ先に宣言する。
 また、研究対照の年代――五四運動から1949年というワクをはずしたことは大きい。
 上海『出版史料』でよく見かけた執筆者名もいくつかあがっている。
 史料を重視した編集方針は、まさに上海の『出版史料』の再来といってもいいだろう。
 今後の継続発行と史料の発掘を期待している。