『絵図文学初階』巻1について
――初期商務印書館における教科書の系譜2

樽本照雄


 商務印書館が刊行した初期の教科書について、私は、ひとつの流れがあることを指摘した*1。
 簡単にまとめると次のようになる。
 英語教科書に漢語の注釈をほどこした『華英初階』(1898年)にはじまる。ついで、日本語の国語読本に同じく漢語の注釈をつけた沙張訳『和文漢訳読本』(1901年)が出る。これらは、英語あるいは日本語の原文に漢語の注釈を併記するのが、その特徴だ。この流れをくんで杜亜泉の『絵図文学初階』(1902年)が刊行される。その書名からも理解できるように、『華英初階』を継承するものとして考えられていただろう。ところが、商務印書館が日本の金港堂と合弁することになる。合弁後の最初の仕事が、日中合同編集によって『最新国文教科書』(1904年)を刊行することだった。商務印書館は、『最新国文教科書』を大々的に宣伝販売する。教育界で評判をよび、大いに売れた。一方、杜亜泉の『絵図文学初階』は、その後、改訂されることはなかった。こうして、商務印書館の教科書の主流からはずれていくことになる。
 上の見取図を考えた時は、『絵図文学初階』の原物を見ることができなかった。このたび、『絵図文学初階』6冊を入手した。原物を見たが、商務印書館における教科書の系譜について、私の考えを訂正する必要は生じない。ただ、原物を手にしなければわからないこともある。気のついたことをのべることにしたい。

1 体裁
 活版線装本。全課ではないが絵図がついている。書名に「絵図」をうたう理由だ。
 巻1の扉には、「初等小学堂用/光緒三十一年歳次乙巳/絵図文学初階/上海商務印書館第五次校印」とある。
 全6冊の奥付に見える発行年月を示す。

巻1 光緒三十一年二月二十日五版(120課、31丁。表紙は七版とする)
巻2 光緒三十一年四月十二日八版(112課、39丁)
巻3 光緒三十一年四月二十日八版(107課、34丁)
巻4 光緒三十一年四月二十日四版(100課、33丁)
巻5 光緒三十一年二月二十日五版(101課、48丁)
巻6 光緒三十一年二月二十日五版(100課、53丁)
編輯者 山陰杜亜泉
発行者 商務印書館

 奥付の発行年月は重版のものであり、初版についての記述は、ない。
 扉の裏には、「此書計共六大巻係専為蒙学堂所用計学生約半年読一巻凡三年可以読畢嗣後則将本刊所刊小学堂用之文学進階授之獲益匪浅焉」とある。
 ここに見える「蒙学堂」は、扉の「初等小学堂」と同じ意味に使われる。日本でいう小学校だ。半年1冊で全6冊だから3年間で使用するために編集された。
 『絵図文学初階』を学び終えれば、つぎに『文学進階』に進め、という。
 商務印書館が英語の教科書に漢訳をつけた『華英初階』の後継書として『華英進階』を用意していたのと同じ方式である。「初階」から「進階」へと名称を共有している。だからこそ、杜亜泉のこの『絵図文学初階』は、国語教科書として商務印書館によって重要視されていた、と私は考えるのだ。
 共通の名称を持つ英語教科書と国語教科書の、いわば2本柱である。ただし、不思議なことに『文学進階』が出版された様子はうかがえない。商務印書館の出版広告にその名前を見ないのである。のちに編集刊行された『最新国語教科書』に取ってかわられた。最初の構想がくずれたのだろうと考える。
 つぎに教科書編集の意図が明らかにされる。

「文学初階叙言」
蒙学一事不但為学生一身徳行知識之基礎実為全国人民盛衰文野之根源所関甚鉅近年以来有識之士見我国訓蒙之法未〓至秦}妥善亟思整頓編輯蒙学新書者已若干家体段粗具是編憑藉諸家之藍本冀為初学之津逮更増図画俾蒙童披覧不致厭倦乏味亦可識物之真形惟智慮短浅体例錯雑匡予不逮是所望於同志耳茲録編輯大意如下
 一此書為教授初次入塾之孩童所用其業経入塾而識字無多字義未解者亦可以此書授之
 一此書共分六本計学生毎半年読一本足敷三年之用読畢此書可以[小学堂用]*2文学進階授之
 一此書由浅入深先以二三字聯綴成簡短之句増長至以数句聯属成文略成片段而止学生読畢是書則浅近之文学不難自解矣
 一此書原擬為蒙学堂中所用凡各處書館家塾用此書課徒者亦宜〓人方}照学堂規式則受益較多茲列教授略法於巻首請 高明披閲一過如可採用務祈依法施行庶不負編輯是書者之本意
 一訓蒙之法須随本地之語言風俗事物以為権度我国幅員広大語言風俗事物錯雑不斉教師課読是書如遇書中字句有為本地所罕見者即宜随時改易編輯是書者所切望也

光緒二十八年荷月亜泉学館編輯

  教育こそが全国人民の繁栄と衰退、文明と野蛮の根本であることを強調する。学童をあきさせないために絵図を増やす。その編集意図は、はじめて学校にあがる学童用であること、半年に1冊、3年用であること、簡単から複雑へ、23文字で句をつづり、漸次ふやして文にすること、学校用だが家塾で使用してもかまわないこと、わが国は広いので課文にその土地にあわないものがあれば、適宜変更してほしいこと、などである。

2 課文
 簡単から複雑へ、という杜亜泉の編集方針は、どのように実現されたのか。課文を見るのが一番わかりやすい。

第1課 動物に関する名詞と形容詞(大きさ。語句) 絵図:乳牛と子牛
  大 小 牛 羊
  大牛 小羊 大小 牛羊
  法問 ▲小牛▲ ▲大羊▲[凡字旁有竪者書其字於板問学生解否]

 「法問」とは、模範質問という意味だろう。そえられた注釈によると、教師が第1課を教えるとき、小牛、大羊と黒板に書いて学堂に質問をしろ、という。大牛、小羊は、課文にあるから、それとは違う漢字の組み合わせを示して、学童が理解しているかどうかを確かめるという手順だ。
 この教科書は、学童用であると同時に教師用をも兼ねていることになる。考えてみれば、教師用の「法問」も課文のなかに示されているのだから、わざわざ黒板に書かなくてもいい、という見方も成り立つだろう。
 掲げられた絵図は、乳牛1頭がおり、その側で子牛が乳を求めている。羊は、いない。「絵図」を強調する教科書ならば、もう少し大きい紙幅を占めていてもよかりそうだが、それほど大きくはない。順に見ていくうちに、その理由がわかった(後述)。
 形容詞と名詞を出して、それぞれとの組み合わせが示される。語句どまりである。

第2課 動物に関する名詞と形容詞(色。語句)絵図:なし。
第3課 植物に関する名詞と形容詞(色。文)絵図:梅にウグイス2羽
  花 草 紅 青
  白花 青草 花紅 草黄(法問省略)

 第3課から、早速、文が出てくる。課文を見れば、漢字の組み合わせにすぎず、語句かと思われるかもしれない。「白花」と「青草」は、たしかに語句だ。しかし、「花紅」と「草黄」は、漢語の用語を使えば形容詞述語文である。著者には、これが文であるという認識がないのではないか。
 たとえば、王建軍は、『絵図文学初階』をかなり詳しく説明してつぎのようにいっている。「第80課以後にようやく簡単な文が出てくる。たとえば、「馬拉ママ[負]車、牛耕田、桃開花、竹生笋」である」*3
 課文を間違うのは、誤記かもしれない。ただ、「第80課」とわざわざいっているのは理解しかねる。この課文は、第85課のものだからだ。これは、動詞述語文である。第3課の形容詞述語文には、王建軍は、気がつかなったということだろうか。それとも形容詞述語文は、文ではない、というか。そうならば、おかしい。

第4課 自然と天体に関する名詞と形容詞(色。語句)絵図:なし
第5課 数字(量詞。語句)絵図:なし
第6課 自然に関する名詞と形容詞、動詞(語句、文)絵図:なし
  上 下 雨 雪
  上雲 下雨 大雨 大雪(法問省略)

 いうまでもないが、「下雨」も文である。

第7課 自然に関する名詞と形容詞(語句、文)絵図:山川の風景
  天 地 高 厚
  天下 地上 天高 地厚(法問省略)

 「天高」と「地厚」は、文だ。
 というような具合で、字から語句へ、簡単から複雑へ、という筋道は順に追っているように見える。
 ただ、漢字の筆画数を問題にすれば、順序が守られているかというと、必ずしも理想通りにはいかない。日常に必要であり、しかも筆画数が多いというのは、普通にあるからだ。

3 文字と絵図
 文字の大きさは、学童の学習に大いに関係している。
 小学生用の教科書は、なぜ大きい文字を使用するのか。学童の目はいいのだから、小さな文字でもよく見えるはずだ。
 坪内逍遥が教科書編纂で示した工夫のひとつは、文字を大きくすることだった。
 文字が大きいと、読むときの声は自然と大きくなる。これが工夫である。
 それに比較すると、『絵図文学初階』は、活字はそれほど大きくはない。最初から最後の第6冊にいたるまで同じ大きさの活字を使用している。
 坪内逍遥が、日本の教科書で示して見せた文字の大きさに変化をつけるという工夫には、杜亜泉は、気づかなかったことがわかる。
 絵図の使用は、杜亜泉教科書の特徴のひとつだ。なにしろ題名に『絵図文学初階』とうたっている。杜亜泉も「叙言」で絵図の使用を強調しているところからもわかる。力の入れようがちがう。
 中国で編纂された教科書としては、絵図の導入はたしかに画期的かもしれない。
 だが、同じ版元の商務印書館が先に出版した『和文漢訳読本』の存在を視野にいれると、感想がかわってくる。日本の学童を対象としたこちらの教科書は、最初は、絵図の方が主体のように大きく目を引くように配置されている。
 第1課で触れたが、牛と羊が出てくる課文であるにもかかわらず、絵図は母牛と子牛だけだ。学童は、羊はどこだ、とさがすだろう。羊も、当然、出てきてほしいところだ。
 『絵図文学初階』に使われている絵図は、大きさはどれも比較的小さい。ほんの挿絵程度であり、悪くいえば添え物なのである。題名に「絵図」を入れて強調しているわりには、扱いが小さい。おまけに、同じ絵柄が別のところで重複して使われたりしている。
 木版画と銅版画がいりまじり、絵柄のタッチもばらばらだ。同一人物が描いたものではないことは一見してわかる。『絵図文学初階』のために新しく描かれたとはとても思えない。
 絵図から受ける違和感の理由を考えて、その解答を得ることができた。
 すなわち、『絵図文学初階』で使っている「絵図」は、ほかの出版物からの流用なのである。あるいは、すでに作成してあった絵図を使い回した。
 私が強調したいのは、本教科書のために特別に作成した絵図ではないということだ。つまり、別の雑誌の穴埋め用にあらかじめ作成されている多数のカットのなかから、教科書の本文に適合しているものを選択して配置したにすぎない。本文に適合するカットがなければ、その課には、絵図は置かれない。わざわざ新しく描く手間を惜しんだ、ということだ。
 その証拠を示そう。
 『絵図文学初階』第42課は、「読、写、学、作」の4文字を組み合わせて文をつくる。「読書、写字、学画、作文」というようにだ。それに添えられた絵図は、羽根ペンを持った右手だ。よく見かける絵柄だということができる。そのはずで、『華英初階』の4頁に出てくる絵柄と同一である。大きさまでも同じだから、いくつも作り置きがあったらしい。
 商務印書館が力をいれているはずの『絵図文学初階』でありながら、強調する「絵図」に手抜きがあったとすれば、その行く末は目に見えている。もっとも、杜亜泉をはじめとして夏瑞芳などの商務印書館の首脳たちも、それが「手抜き」であるという認識はなかったかもしれない。金港堂と合弁し、『最新国文教科書』を編集している過程で、商務印書館の絵師はうまくない、と日本から来た小谷重に指摘されている。その時まで、商務印書館側の編集者は、中国には従来見られなかった、絵図を教科書に取り入れた、という点だけを誇りにし、絵図そのものがもつ重要性には気づかなかったのではないか。

4 結論
 『絵図文学初階』の冊数について、重要なところで、齟齬が生じたことについては、すでに触れた。
 すなわち、1902年の「欽定学堂章程」では、蒙学堂の年限は4年である。『絵図文学初階』は3年用だから、もともと一致していなかった。さらに、1904年の「奏定学堂章程」では、初等小学堂に名称が改められる。しかも、修学期間は1年延長して5年になった。ますます、適応できないではないか。
 杜亜泉編『絵図文学初階』は、最初、商務印書館における教科書の主流であると目されていた。しかし、『最新国文教科書』の出現により急速にその存在を忘れられた。
 その理由は、いくつかある。
 簡単から複雑へという編集方針を持っていたにもかかわらず、漢字の筆画数までには考えが及ばなかったという不徹底さがある。
 「絵図」を前面に押し出して強調するが、できあいのカットを流用するという安易さを指摘しなければならない。
 大きな理由は、定められた就業年限にあわない冊数のままに放置し、変更をしなかったことだろう。
 重版をかさねていたことは、その版数を見ればわかる。のちの書目にも掲載されており、刊行は続けられていた。だが、それだけのことだ。研究者が、わざわざ取り上げて論及することは、ほとんどなかった。埋もれてしまったといってもいい。

【注】
1)樽本「初期商務印書館における教科書の系譜――『最新国文教科書』第1冊まで」『大阪経大論集』第53巻第4号(通巻第270号)2002.11.15
2)割注の形に小字を組む。
3)王建軍『中国近代教科書発展研究』広州・広東教育出版社1996.11。107頁

【参考文献】
王建軍『中国近代教科書発展研究』広州・広東教育出版社1996.11
汪家熔「“鞠躬尽瘁尋常事”――杜亜泉和商務印書館与《文学初階》」『商務印書館一百年(1897-1997)』北京・商務印書館1998.5/汪家熔『商務印書館史及其他――汪家熔出版史研究文集』北京・中国書籍出版社1998.10