漢訳アラビアン・ナイト(4)


樽 本 照 雄


4-4 英文本の探求1――レイン版
 奚若がもとづいた原本については、『繍像小説』連載開始時には、言及がなかった。調べようにも、手掛かりはない。
 中村忠行が、「(訳者奚若は)英語はかなり出来た様で、『繍像小説』第十一期(光緒二十九年九月一日刊)以下に『天方夜譚』(Arabian Nights' Entertainment.)を Richard Burton の英訳本によつて訳載してゐるのを始め……」*21と書いている。これを読んで、原本はバートン版だ、と私は信じた。それを否定する資料を、私は持っていなかったのだ。だから、『新編清末民初小説目録』にも、中村の言葉のままに注記している。だが、これは正しくなかった。
 『繍像小説』に連載された「天方夜譚」は、のちに商務印書館から単行本として発行された『天方夜譚』とほぼ同一訳本だ。ゆえに「説部叢書」の1冊として出版された時につけられた「天方夜譚序」が、問題解決の糸口となる。
 この「序」において『アラビアン・ナイト』の概説とともに各種英訳が紹介されている。もともとの英訳固有名詞は漢語で音訳されているだけで、原文は示されていない。わかる範囲で英文を補い、日本語訳をつける。

若夫繙訳各本。自法人葛蘭徳訳為法文。実是編輸入欧州之始。後英人史各脱魏愛徳取而重訳。踵之者為富斯徳氏。至一千八百三十九年。冷氏則復取阿剌伯原本訳之。並加詮釈。為諸訳本冠。外尚有湯森氏。鮑爾敦氏。麦克拿登氏。巴士魯氏。巴拉克氏諸本。然視冷氏皆遜之。今所據者為羅利治刊行本,原於冷氏。故較他本為独優。(翻訳各種については、フランス人ガラン Antoine Galland がフランス語に訳したのが、欧州に輸入されたはじめである。その後、スコット Jonathan Scott、ホワイト White がそれを重訳した。それにつづいたのがフォスター Rev.Edward Forster 氏である。1839年になると、レイン Edward William Lane 氏が、ふたたびアラビア原本から翻訳し、注をつけくわえた。これが諸翻訳のなかで最優秀のものだ。ほかには、タウンゼンド Rev.Geo.Fyler Townsend 氏、ボードン氏、マックナーテン Wm.Hay Macnaughten 氏、ブレスラウ Breslau 氏ママ、ブーラーク Boulaq 氏ママらの諸本がある。しかし、レイン氏には及ばない。いまよったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏のものにもとづいている。ゆえに、ほかの諸本とくらべても格段に優れている)

 英文をつけていない名前は詳細不明であるから、音訳である。
 『アラビアン・ナイト』英訳本についての上の解説は、非常に詳しいということができる。
 ただし、アラビア語原典とそれの翻訳の区別をつけていないのが不十分だ。たとえば、ブレスラウ版(1824-43)は、印刷地の名前から命名されているし、ブーラーク版(1835)は、カイロ郊外のブーラーク地区で印刷したからその名前がある。マックナーテン版とは、いわゆるカルカッタ第二版(1839-42)のことだ。
 漢訳の原本について、ここには、明らかに「今所據者為羅利治刊行本,原於冷氏(いまよったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏のものにもとづいている)」と書かれている。
 こうはっきりと宣言してあるのだから、誰しもレイン版が原本だと考える。私も、そう思った。ゆえに、『新編増補清末民初小説目録』(済南・斉魯書社2002.4)では、旧版のバートンを訂正してレインの名前に書きなおし、さらにレイン版によって収録作品の題名を注記しておいた。
 ただし、一部、レイン版には存在しない作品が漢訳されており、注記しながら奇妙に感じたのは確かだ。
 もうひとつ不思議に思ったことがある。上の、各種版本について説明した箇所は(ブレスラウ版とブーラーク版についての説明を除く)、前出タウンゼンド版「序文」に似た記述が見られる。
 レイン版原本と漢訳作品の相違から、漢訳は、レイン版から離れる。また、版本についての説明の類似により、漢訳は、タウンゼンド版に近づく。
 だが、漢訳の序には、レイン版にもとづいた、と明記してあるではないか。まさか、レイン版というのが誤りであるとは考えもしない。その結論は、結果として一転二転するのである。
 奚若訳『天方夜譚』の原本をさぐる前に、英訳本の特徴を簡単にのべておく。

4-5 欧州翻訳本間の異同
 漢訳「天方夜譚」がもとづいた原本を特定するために、欧州で翻訳された訳本のそれぞれの特色を明らかにしておきたい。
 バートン版が出現するまで、翻訳にはふたつの系統があった。
 ひとつは、フランス語のガラン版系であり、もうひとつは英語のレイン版系だ。
 アラビア語原典からフランス語に翻訳したガラン版の引き写しが、英訳のジョナサン・スコット版だという。「以後、不穏当な部分を削った子供向け英語普及版の種本として広く利用された」*22
 スコット版に基づき、これをさらに削除して「無害」にしたのが、タウンゼンド版である。タウンゼンド版は、また、韻文や詩句を省略している。
 ガラン版系の特色は、有名な「アリ・ババと四十人の盗賊」「アラジン、または不思議なランプ」を収録していることだ。当たり前ではないか、と言われるに違いない。「アラビアン・ナイト」といえば、アリ・ババであり、アラジンである。しかし、この2作品を含んで、約10点の作品は、アラビア語原典には存在しないという事実がある。
 くりかえす。ガランは、原典にない作品をフランス語訳にさしこんだ。あの有名なアラジンの魔法のランプもアリ・ババと四十人の盗賊も、ガランの翻訳にのみ出現するという意味だ。だから、ガランが勝手に創作した物語だとも疑われたこともある。
 一方、レイン版3巻本は、ブーラーク版に基づいて、カルカッタ第1版とブレスラウ版を参照して英訳された。「レインは自分の訳本が家庭内で読まれるのを意図していた。そのため、子供や純真な青少年には不適当であると考えた箇所は、削除するか書き換えている。話が全編にわたって猥褻だと判断した場合には、話自体を訳出しなかった」*23
 それでも、タウンゼンド版にくらべたら、まだよほど生々しい。
 それはさておき、アリ・ババあるいはアラジンについては疑惑が持たれていたから、レインは、アラビア語原典から英訳した際、それらを英訳しなかった。原典に存在しない物語を翻訳することはできない。
 つまり、レイン版系は、アリ・ババまたアラジンを含んで約10篇の有名作品を収録していないのが特色だ。
 それでは、アリ・ババとアラジンなどが、ガラン版系かレイン版系をみきわめる基準になるかといえば、必ずしもそうはならないから、ややこしい。
 すでに有名になりすぎたアリ・ババとアラジンだったから、それらを収録しない翻訳本は販売に影響をきたしたのだろう。なぜそう推測するかといえば、レイン版3冊本からさらに作品を選択して1冊本としたレイン版選集本があるからだ。このレイン版選集本には、附録としてわざわざアリ・ババとアラジンの英訳2作を追加収録している。
 さて、前述のように「天方夜譚序」には、「今所據者為羅利治刊行本,原於冷氏(いまよったのは、ラウトレッジ Routledge 社の刊行した版本で、レイン氏のものにもとづいている)」(2頁)とある。日本語訳に示したとおり、冷氏というのは、Edward William Lane である。羅利治刊行本とは、Routledge という出版社の刊行物をさす。
 ラウトレッジ社出版のレイン訳本がもしあるとすれば、これが『天方夜譚』の原本第1候補となる。
 ところが、意外なことに、該当するものは、現在、みつけることができていない。ただし、ラウトレッジ社のタウンゼンド版ならば、複数ある(1877[1876],1889[1888],1892,1893)。また、同社のサグデン MRS.SUGDEN 版([1875])というのも出版されている。
 ということは、「序」に見える「原於冷氏」という語句は、かならずしもレイン版を指しているとは限らないということか(後述)。レイン版そのものではなく、べつの改編本である可能性もあるのではないか。これは、やっかいなことになってきた。
 とりあえずラウトレッジ社の『アラビアン・ナイト』を調べてみると、東北大学漱石文庫が浮上してきた。
 目録には、「Arabian Nights' Entertainment /London: Routledge 1901」と表示する版本が所蔵されている。

【注】
21)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」『清末小説研究』第2号1978.10.31。30頁
22)ロバート・アーウィン著、西尾哲夫訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』平凡社1998.1.14。35頁
23)ロバート・アーウィン著、西尾哲夫訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』38頁
(著者から:章番号を変更しました)