「童話」の漢訳アラビアン・ナイト


樽本照雄


 中国において、児童向けの漢訳「アラビアン・ナイト」が、最初に出現したのはいつのことか。
 この問題は、簡単なようで、そうではない。
 まず、なにをもって児童向けと考えるかが問題になるからだ。

●1 児童向けということ
 作者が最初から児童向けだと意識して書いた作品であるならば、理解しやすい。それが漢訳されると、児童書の中国登場ということになる。
 一般論として、児童を意識しないで書かれた作品が、いつのまにか児童文学に認定されてしまう、ということもある。そのばあいは、受け取る側の主観によって左右される。
 だが、「アラビアン・ナイト」についていえば、最初から児童向けを意識していたとは思われない。
 英語に翻訳された「アラビアン・ナイト」にしても、時間を経て、青少年向けに書き換えられるものがでてくる。刺激的な部分を削除している版本が出版される理由だ。中国人翻訳者が、それと気づかず大人用として漢訳したときはどうなるか。どこでどう区別するのか。簡単に判断できるとは思わない。
 ここでは、読者に児童を想定して原作を改変した作品ということで、とりあえず、話を進めよう。もうすこし具体的にいえば、原作の大筋を保ちながらも、時には大幅に書き換え、分量は短めに編集しなおした挿絵つきのものとする。あくまでも児童を読者対象とかんがえている点が重要だ。
 中国における「アラビアン・ナイト」翻訳の歴史は、1900年前後からはじまった。
 日本と比較すれば、時期的にみてその遅いことに、やや意外な気がしないわけではない。日本永峯秀樹訳『(開巻驚奇)暴夜物語』(1875)よりも、約25年もおくれる。
 中国で、初期に「アラビアン・ナイト」の漢訳をてがけた周桂笙も、あるいは『大陸報』に掲載された漢訳にしても、また、奚若訳の『繍像小説』連載も、いずれも当時の児童を直接の読者とは考えていなかった。
 そう考える大きな理由は、漢訳が英文原作に忠実であろうとしているからだ。書き換え、省略などがない。児童向け読み物という印象を受けない。
 掲載誌そのものも、一般の知識人むけに編集刊行されている。児童を特に意識して編集している種類のものではない。さらには、文言で翻訳している点も理由のひとつとなる。
 『繍像小説』掲載の「天方夜譚」は、その「挿絵(繍像)」を売り物にした雑誌名からして、挿絵があっても、いい。しかし、なぜだか、それがない。のちに「説部叢書」に収録された単行本を見ても、明らかに児童向けではないのだ。あくまでも外国文学翻訳シリーズのひとつとして扱われている。
 そういう流れのなかにあって、児童用として編訳していることがはっきりしている刊行物がある。
 なにしろ「童話」と銘打っているシリーズものなのだ。児童を対象として編集されていることが、それだけで了解できる*1。

●2 商務印書館の「童話」シリーズ
 商務印書館が刊行した「童話」シリーズは、第1集から第3集まである。
 第1集は、孫毓修が主編して、私の知るかぎり第89編までが出ている(一部を茅盾ほかが担当)。その刊行期間は、1908年から1921年までとなる。
 第2集は、同じく孫毓修の編集で第8編を刊行した。その刊行時間は、第1集と重複しており1910年から1918年までだ。かかった時間のわりには、刊行種類が8編と少ない。辛亥革命をはさんでいるからかだろう。
 第3集は、鄭振鐸編で第4編までが、1924年に出版されているらしい。第2集から時間の隔たりがある。しかも第2集をわずかに8編しか出していないのに第3集をはじめる理由がわからない。中途半端といえば、第1集も89編で中断しているのも、そうだ。
 とにかく、全体は、単純に合計して全101編となる*2。
 それらの題材は、中国の古典、あるいはギリシア神話、グリム、アンデルセンなどの西洋の童話、物語から得ている。白話で翻訳しているのも特徴のひとつだ。
 七、八歳から十一歳くらいまでの児童を対象としていたという*3から、今でいう小学生に相当する。
 児童にとってわかりやすい語句を使用しようとすれば、必然的に白話になる。啓蒙が重要な要素のひとつだから、挿絵を理解の補助として重視するのは当然だ。ただし、適切な挿絵になっているかどうかは、それぞれの作品を個別に検討する必要がある。
 私が見ているのは、第1、2集のなかの少数にすぎない。
 中国の規格でいう32開本に近い大きさ(19cm×13cm)の活版洋装本で、本文は24ページ前後の薄い冊子だ(第2集では42-46ページに増える)。本文20字×9行だから第1集は1冊につき約4,300字となる。挿絵を掲載しているから、その分だけ文字数はさらに減少する。
 彩色リトグラフの表紙をあとから糊づけし、本文に凸版で挿絵を組み込む。細い糸でかがった簡単な製本だ。活字は比較的大きく、ゆったりと組んである。挿絵も適当に配置されており、なによりも表紙が色彩豊かでいくらか救われはする。しかし、紙質はよくなく、全体の印象は、あくまでも小冊子でしかない。
 奥付に、5分という定価が明示されている。
 商務印書館が1903年から発行をはじめた小説専門雑誌『繍像小説』は、1冊2角であった。活版線装本で、創刊号は石印の挿絵を含めて39葉だから、洋装本になおせば倍の78ページとなる。「童話」の24ページは、それの約3分の1に相当する。値段も3分の1として計算すれば約6.7分だ。これと比較すれば、「童話」シリーズの1冊5分は、かなり低めに設定していることになろう。
 さて、この「童話」シリーズに「アラビアン・ナイト」から選択翻訳した作品が4種類*4収録されている。

●3 「童話」の漢訳アラビアン・ナイト
 以下に、漢訳名と原作名をかかげる(漢訳名の後ろにつけている英文は、奥付にかかげられているままを示す。*印の1種類は、未見)。

童話 第1集第25編
『怪石洞』(Forty Robbers Killed by One Slave)
 高真長編訳 孫毓修校訂、上海商務印書館1914.8/1922.9八版 全23ページ
 “THE ARABIAN NIGHTS.”Ali Baba, and the Forty Robbers killed by One Slave.
童話 第1集第45編
『能言鳥』(The Three Sisters)
 孫毓修編訳、上海商務印書館1915.12/1922.9五版 全19ページ
 “THE ARABIAN NIGHTS.”The Two Sisters who were Jealous of their Younger Sister.
童話 第1集第46編
*『橄欖案』
 (孫毓修編纂)、上海商務印書館1916?1917?
 “THE ARABIAN NIGHTS.”Ali Cogia, a Merchant of Bagdad.
童話 第1集第60、61編
『如意燈』上下(The Wonderful Lamp)
 孫毓修編訳、上海商務印書館1918.1/1922.9五版 上冊全23ページ、下冊全23ページ
 “THE ARABIAN NIGHTS.”Aladdin, or the Wonderful Lamp.

 中国では、児童むけに「アラビアン・ナイト」をどのように紹介したのだろうか。
 この「童話」シリーズは、それを知るための材料となる。
 「童話」シリーズとして字数が限られているから、原文の省略を余儀なくされる。どこをどのように書き換えるのか。それこそが編訳者の腕の見せ所である。
 未見の1種類を除いた3種類について以下に紹介しよう。

○第1集第25編『怪石洞』
 漢訳題名が意味するのは、『不思議な洞穴』だ。しかし、物語はおなじみの「アリ・ババと40人の盗賊」である。
 アリ・ババが不思議な洞窟に遭遇するのが物語の発端だから、それを翻訳題名にしても、おかしくはない。
 この「童話」シリーズの題名は、ほぼ3字から4字におさまるように統一している。それに従ったのだろう。
 「童話」シリーズは、孫毓修が、当時、発行されていた英語の児童用書籍にもとづいて編纂したということになっている。
 ただし、「アリ・ババと四十人の盗賊」については、2種類の漢訳が先行しているのを見逃すわけにはいかない。
 すなわち、萍雲(周作人)訳述、初我潤辞『侠女奴』(上海・小説林総発行所 丙午(1906)年三月再版)および奚若翻訳、金石校訂「記瑪奇亜那殺盗事」(『(述異小説)天方夜譚』第4冊 上海商務印書館 丙午4(1906)/1913.12再版 説部叢書1=54)だ。
 固有名詞の翻訳を見れば、先行の翻訳を参照しているかどうかを知る判断材料になる。
 3種類の版本について、比較一覧したものを下に示す。

『侠女奴』 「説部叢書」 『怪石洞』
Cassim 慨星 克雪 克雪
Ali Baba 埃梨〓酉倍}伯 愛里巴柏 愛里
Sesame 西〓炎リ}姆 茜莎米 茜莎米
Morgiana 曼綺那 瑪奇亜那 馬奇
Baba Mustapha 麦斯塔夫 黙世徳法 徳法
アリ・ババの息子 ×  × 亜拉
盗賊の手下  ×  × 怜悧
chalk 堊筆 白粉 白鉛粉
Cogia Houssain 苛h亜 古奇海生 奇生

 一目瞭然だろう。周作人の漢訳は、商務印書館の「説部叢書」および『怪石洞』の両者からかけはなれている。『侠女奴』は、自然に本稿の考察の対象からはずれる。
 商務印書館の2種類は、固有名詞の漢訳についていえば、同一だといっていい。
 『怪石洞』は、アリ・ババについては「説部叢書」の愛里巴柏を冒頭2字だけ使用する。同じ2字でも、モルギアナ瑪奇亜那は、あたまの1字を同音の別漢字におきかえただけ。ムスタファ黙世徳法は、うしろの2字のみを使う。おもしろいのは、コギア・フゥサインだ。盗賊の首領がアリ・ババの息子にちかづく時に使った変名である。「説部叢書」で原語に忠実な古奇海生を、2字だけ選んで奇生と省略した。いかにも中国人らしいやりかただ。
 アリ・ババの息子は、本来は名前なしで登場している。それに「亜拉」と命名したのは、編訳者高真長の判断だろう。盗賊の手下にありもしない「怜悧」を名前としたのも、「怜悧」な手下という意味をもたせたかった、と考える。
 固有名詞の漢訳から、『怪石洞』は、「説部叢書」本をもとにして改編されたのだろうという推測が成り立つ。
 物語は、ほぼ「説部叢書」のままをなぞりながら、こまかな描写を省略していく。筋だけを追うのであれば、さしつかえはなさそうだ。6枚の挿絵も、1枚を除いて(後述)原文をそのまま反映しているといえる。
 しかし、表紙が奇妙だ。カゴのようなものが積み上げられた倉庫がある。そのドアをあけ、西洋の服装をした女性が、手にポット様の容器を持って入ろうとしている*5。外にはロバが群れている。これは、なにか。洞穴ではない。かりに洞穴のつもりだとしても、洞穴に女性が入っていく場面など、物語のどこにも存在しない。
 あとでのべる『能言鳥』と『如意燈』の表紙が、物語の内容をほぼそのまま描いているのに比較すれば、この『怪石洞』の異なる様子がきわだつのである。
 それより、もっと奇妙な部分が本文にある。書き換えなのだ。
 アリ・ババ物語の名場面といえば、モルギアナが短刀を握って踊る場面もそのひとつだろう。
 物語の最終部分にでてくる、いわば最高潮だ。
 客人をもてなすためにモルギアナが踊る。モルギアナは、舞いながら客人を刺し殺す。なんということをしたのだ、と驚くアリ・ババ親子に、その客が盗賊の首領であることを説明する。モルギアナよ、よくやってくれた、という話の運びになる。
 音楽と踊りを背景にアリ・ババ一族の命運がかかっている瞬間だ。しかも、アリ・ババ本人は、その重要さに気づいていない。モルギアナだけが、事実を知って危機を自分の才覚で乗り切ろうとしている。危機感が伝わってくる。読者が、はらはらドキドキしながら読む、あるいは耳をそばだてる場面にちがいない。
 ところが、編者高真長は、それをどう改変したか。
 奇妙のひとことにつきる。
 『怪石洞』は、この踊りの場面を削除した。
 削除してどうしたか。踊りも舞わず、殺しもせず、盗賊との話し合いになるのだ。話し合いだから、それに添えられた挿絵は、テーブルクロスの掛かった机にアリ・ババ、モルギアナ、息子らに対面して首領が椅子にすわった図になっている。例のモルギアナが踊る場面は、ない。
 コギア・フゥサインと名乗ってはいるが、それが盗賊の首領であると見破ったモルギアナだった。
 彼女は、事実をアリ・ババに告げる。対処のしかたを聞かれたモルギアナは、ひとつの提案をする。
 「恨みは解かなければなりません。いだいてはならないのです。私たちは、結局のところ彼から利益を得ているのですから、私の考えでは、彼と交渉するのがいいでしょう。こうおっしゃるのです。あなたのあの財物は、どのみち道にはずれるものです。今、私の手を借りてこの土地で有益な事をなさるのがよろしいでしょう。今から足を洗って真人間になるのです。そうすれば双方ともにつごうがいいでしょう、と」
 驚いたことに、盗賊を相手に説教をしようというのである。
 これが、モルギアナがアリ・ババに勧めたことだった。
 そうすると、どうなったか。
 盗賊の首領は、アリ・ババの言葉にしたがい心をいれかえ、洞穴の財宝をすべてアリ・ババにわたした。それで多くの工場を建築し、多くの学校を開設して無数の貧乏人に教育をほどこし、ペルシア国内で恩恵を受けなかったところはなかった。
 これでふたたび驚くことになる。
 盗賊の首領は殺されず、改心して好い人間になった。これでは、まるで「アラビアン・ナイト」らしくない。工場、学校が、突然、出現するのも、物語の本来の時代を無視している。
 奥付には、首領も殺されて「40人がひとりの奴隷に殺された」という英文表題になっているではないか。明示した題名を裏切る漢訳内容に変化してしまった。
 もともとの物語では、盗賊の首領は殺される。用心深いアリ・ババは、その後、長い間洞穴を訪れることもなく、ほとぼりが冷めたころにようやく財物を取りにでかけた。息子にだけ洞穴を開け閉めする呪文を教え、一族だけが繁栄した。それが、『怪石洞』では、書き換えられて本来の「邪悪」な物語の姿がなくなってしまったのである。
 「邪悪」というのは現代の私の感覚でのべただけだ。盗賊の盗品を盗むのは、正義である、という論理が通用する社会であれば、「邪悪」ではなく、正義のアリ・ババだ。
 しかし、編者の高真長は、そうは考えなかったからこそ、書き換えたのではないのか。
 つまり、盗賊の盗品であっても、それを盗むのは悪である、という点にこだわった。
 盗賊の首領が助言によって改心することが、中国の児童の啓蒙と教育を考えたうえでの処置だというのであれば、そもそも「アラビアン・ナイト」を題材に選ぶこと自体が不適当だった。

○第1集第45編『能言鳥』
 漢訳題名の『ものいう鳥』は、原題の一部を示しているだけだ。本来は、『ものいう鳥と歌う木と金色の水』という。あるいは、『妹に嫉妬したふたりの姉』などと称される。
 王様と結婚した妹に嫉妬したふたりの姉が、妹をいじめるのが物語の前半をしめる。妹が生んだ3人の子供は、姉たちによってすぐさま川に流されてしまう。姉たちがかわりに王様に示したのは、犬、猫、蛇(英文原作では材木)だった。
 役人に拾われて育ったのが、ふたりの王子と王女ひとりである。3人ともに、自分が王様の子供であることを知らない。苦難のすえに入手した「ものいう鳥と歌う木と金色の水」によって、姉たちのたくらみが暴かれ、子供たちは王様のもとでしあわせに暮らした。これが物語の後半になる。
 自分がどこから来たのか、出生の秘密を発見する話に宝探しが組み合わさっている。
 表題にも使われている「ものいう鳥」は、文字通り人間のことばをしゃべる鳥だ。「歌う木」は音楽を奏でる。「金色の水」は水源もないのに噴水をあげつづける。鳥は知恵を、木は快楽を、水は永遠の生命をそれぞれが象徴している、などと解説することも可能になる。それよりも、命がけで入手した、ただ珍しい品物というだけの理解でもかまわない。
 漢訳には、人名がでてこない。原作にある前半の宝探し部分が削除される。すなわち、「ものいう鳥(能言鳥)と歌う木(自鳴樹)と金色の水(金色水)」を手に入れるためにふたりの王子は失敗して石に変身させられ、王女がようやく成功するという重要箇所だ。漢訳では、小冊子にまとめるためのしかたのない処理だったのだろう。冒険部分をもりこめば、2分冊にせざるをえない。
 冒険をしないから、ものいう鳥は、はじめから王子たちの家にいることになっている。
 表紙に描かれた、右の木の枝にくくりつけられたカゴの鳥がそれだ。ここは王子王女の家の中だ。左右の王子と手前の王女に、王冠をかぶったヒゲの男性が本当の父親ということになる。それを知らない子供たちが、王様を自宅に招待し、机の上に真珠をつめた胡瓜料理を出しているところまで物語に忠実だ。ただし、窓とカーテン、あるいは板敷きの床の描き方、人物の服装、調度品などアラブ風ではないところに、やや違和感を感じる。昼間であるのにローソクをともしているのが奇妙だ。
 ものいう鳥の存在があまりに唐突だから、編訳者が注釈を文中につけ加える。
 「もともとアラブの国には、鳥語に通じている人が多い。我が国には公冶長ひとりしかいないのとはくらべものになりません。難しい事があればなんでも鳥に解決してもらうのです」
 孫毓修の苦しい説明である。鳥語に通じている人が多い、ということであれば、王子たちの家にいる鳥は、特別の鳥でなくてもかまわない。この物語が不思議なのは、人の言葉を話す鳥だからだ。それゆえ表題になっている。鳥が事の真相を知っていて、人間に説明するから物語が成立している。それを、人間の方に鳥語を理解するものが多い、ということになれば、物知りの鳥でなくてもよくなる。編訳者の説明は、命をかけて捕獲しにいったほどの「ものいう鳥」でなくてもいいことに、結果として、してしまった。これでは、物語全体の構成がガタガタになってしまう。だいいち、人間のほうが鳥語を理解してしまっては、表題の「ものいう鳥」にならないではないか。孫毓修は、勘違いしたのではなかろうか。にもかかわらず、5版を重ねている。誰も気づかなかったらしい。
 歌う木と金色の水が省略されたのも、紙幅の関係であろう。
 物語のいくつかを省略するにしても、つじつまのあわせかたが厳密には行なわれていないといわざるをえない。改変によって物語としての統一がなくなってしまった。
 奚若は同題名で、内容の省略なしで漢訳している。「童話」本が奚若訳を底本としていてもおかしくはない。

○第1集第60、61編『如意燈』上下
 「如意」とは、願いどおりになる、思いのままになる、という意味だ。願いをかなえてくれるランプという漢訳を孫毓修は採用した。奚若が漢訳して「神燈記(不思議なランプ)」と、にているようで少し異なる。
 物語の冒頭部分を、英文原作、「説部叢書」、『如意燈』で比較対照してみよう。どれくらい変化するものかみものである。
 英文原作は、フォースター Edward Forster, M.A. 版“THE ARABIAN NIGHTS.”(ロンドンのミラー社 William Miller 第3版、1810年発行。皮革装小型本4冊)を使用する。

【フォースター】IN the capital of one of the richest and most extensive kingdoms of China*6, the name of which does not at this moment occur, there lived a tailor, whose name was Mustafa, and who had no other distinction than that of his trade. This tailor was very poor, as the profits of his trade barely produced enough for himself, his wife, and one son, with whom God had blessed him, to subsist upon.(中国の、もっとも豊かで広大な王国の都、今、その名前が浮かんできませんが、その都にムスタファという仕立屋が住んでいました。その仕事よりほかになんの特徴もありません。貧しく、その収入では彼自身と妻、および神のご加護によるひとり息子を養うのがやっとでした)

 アラジンと不思議なランプといえば、「アラビアン・ナイト」を代表する作品のひとつである。小さいときから聞かされてきた物語だ。
 ガランのフランス語訳にのみ見えていて、ほかの版本には収録されていないという。ガラン訳をもとにして英訳が世界中に流布していったことになる。
 あれほどアラビアを代表するように思われているその舞台は、実は中国なのである。これは、意外でもありまた奇異に感じるところだろう。
 多くの版本が、辮髪をたらした中国人たちを描いた挿絵をかかげている。
 周作人が南京で学生生活を送っていた時、「アラビアン・ナイト」の漢訳をおもいたった。アラジンにするかアリ・ババかと迷ったが、最終的にアリ・ババを選んだのには理由があった。挿絵の辮髪を嫌って不思議なランプを漢訳の対象からはずしたのである。ゆえに、漢訳『侠女奴』がある。
 ただし、『如意燈』の表紙を見てわかるように、アラジンは、トルコ風の帽子をかぶった西洋の少年である。アラジンを、トルコ風に描く挿絵は、英訳版本にもある。

Mustafa's son, whose name was Aladdin, had been brought up in a very negligent manner, and had been left so much to himself, that he had contracted the most vicious habits of idleness and mischief, and had no reverence for the commands of his father or mother. Before he had passed the yeas of childhood, his parents could no longer keep him in the house. He generally went out early in the morning, and spent the whole day in playing in the public streets with other boys, about the same age, who were as idle as himself.(ムスタファの息子はアラジンといいました。怠慢に満ちて育ち、怠惰とわるさというもっとも不道徳な習慣に染まってしまい、父母のいいつけを尊敬もしません。子供時代に、両親は彼を家にいさせることができず、朝はやくから一日中、通りで同じように怠惰な同い年の仲間といっしょに遊んですごしたのでした)

 英文原作を長く引用するつもりは、私には少しも、ない。しかし、漢訳を区切りのいいところまで示すためには、英文が長くなってしまうのだ。やむをえない。
 それにしてもアラジンの生い立ちが怠惰にまみれていたというのは、児童の教育用材料としては、具合が悪いのではあるまいか。まっとうな職業にもつかず、努力奮闘することもしない。偶然入手した不思議なランプによって生涯を幸福に暮らしたというのでは、あまり生産的ではないようにも思うが、いかがか。
 先をいそぎすぎたようだ。アラジンのろくでもない生い立ちを説明して、もうすこし、英文原作がつづく。

Arrived at an age when he was old enough to learn a trade, his father, who was unable to have him taught any other than that he himself followed, took him to his shop, and began to show him how he should use his needle. But neither kindness nor the fear of punishment was able to restrain his volatile and restless disposition; nor could his fater, by any method, make him satisfied with what he was about. No sooner was Mustafa's back turned, than Aladdin was off, and returned no more during the whole day. His father continually chastised him, yet still Aladdin remained incorrigible; and Mustafa, to his great sorrow, was obliged to abandon him to his idle, vagabond kind of life. This conduct of his son gave him great pain, and the vexation of not being able to induce him to pursue a proper and reputable course of life, brought on so obstinate and fatal a disease, that at the end of a few months it put an end to his existence.(仕事をおぼえるのに十分な年齢になると、自分がやってきたこと以外に教えることのできない父親は、息子を自分の店につれていき針の使い方を見せはじめたのでした。ですが、息子の移り気と落ち着きのなさという性質を抑え込むのには、優しさも、脅しもなんの役にもたたなかったのです。どのような方法をもってしても、父親の満足いくようにすることはできません。ムスタファが背中をむけるやいなや、アラジンは逃げだしてしまい、一日中もどってきません。父は、彼をたえず叱りつけましたが、アラジンはあいかわらず手に負えないままでした。ムスタファは、大きな悲しみを抱いて、息子の怠惰、いわば人生の無頼漢でいるのをあきらめるほかなかったのです。息子の品行は、人生のきちんとして立派な道を求めることができないのですから、父に大きな苦痛と悩みとをもたらし、治癒不能で致命的な病気を生じさせて、数カ月で死んでしまいました)

 アラジンの品行の悪さが、ことこまかに描写される。それが父親を死においやったというのだ。物語として、中国の児童には提供することがためらわれてもいい種類のものではないのか。
 ここまでの内容を、漢訳では、どのように述べているだろうか。
 言ってしまえば、まことに簡潔に圧縮している。ご覧いただきたい。
 「説部叢書」と『如意燈』の順に冒頭部分を示す。

【説部叢書】支那都極東。最富饒。有縫人黙世徳法者。家於都。素貧〓穴婁}。所入不能周妻子。子曰愛拉亭。愚頑不受教。日遊衢市。与群児戯。稍長。黙世徳法携之入肆。習其業。而性惰且拗。不任労。恒曠日以嬉。雖厳督之。不顧也。黙世徳法忿而成疾。旋卒。(シナの都は、東のかなたにありとても豊かでありました。そこにムスタファという仕立屋がおり、都に住んではいましたがその収入で妻子を養うことができないほどに貧乏でした。息子はアラジンといいます。愚昧で頑固、人のいうことなど聞こうとはしません。街をうろつき、仲間と遊んでおりました。成長してのち、ムスタファは店で仕事を習わせたのですが、性格が怠惰で傲慢でしたから、苦労にはたえきれず、いつもさぼっていたのです。いくら厳しく監督しても、気にかけようとはしません。ムスタファは怒りのあまり病気になり、まもなく死んでしまいました)

 アラジンの怠惰な性格もよくわかるように漢訳していることが理解できる。英文原作に見えるあれだけの長さの描写を、ここまで圧縮することができるのは、編訳者にその力量があるという証拠となる。
 「東のかなた(極東)」は、奚若がつけくわえたのだろう。
 これが孫毓修の手にかかると、さらに一段と簡略化される。

【如意燈】古時。中国極西。有一大城。城中有一裁縫。靠著手藝。養活妻子。子名亜拉亭。裁縫年老。指望児子成立。有了幇手。自己省得操心。那知亜拉亭性好遊蕩。不務正業。裁縫又気又急。湊著時症。就送了命。(昔、中国の西のかなたに大きな都がありました。都にひとりの仕立屋がおり、その腕前によって妻子をやしなっていたのです。その子はアラジンといいました。仕立屋は年をとっておりましたから、息子が独り立ちし、片腕になって心配しなくてよくなるようにと望んでおりました。ところが、アラジンは遊び好きで、正業にはげむつもりはありませんでしたから、仕立屋は腹を立てるし気はせくしで、おまけに流行病にかかって、とうとう命を失ったのです)

 ムスタファという名前がここでは出てこない(すこし後の部分に、「黙大発」となっている。「説部叢書」の黙世徳法とは違う漢訳のしかただ*7)。
 ここでは中国の「西のかなた(極西)」に方角を変える。中国であれば、西のかなたの方が物語の舞台としてはより適切だと考えたのか。
 ただし、物語の場所が中国であると冒頭に説明していながら、それに添えられた挿絵のすべては、中国ではない。前述の表紙に見えるのはトルコ風のアラジンである。また、そのほかの登場人物は、アラビア風の服装をしていたり、西洋風の町並みが描かれていたり、中国を感じさせる事物は皆無である。編訳者は、話の舞台が中国ではないかのように思っているらしい。矛盾である。
 それにしても、英文原作が長々と説明した部分が、上のような簡潔な漢訳になる。その省略化の腕前は、なかなかのものだと重ねていう。
 アラジンは、遊んでいるときに、アフリカの魔法使いに目をつけられる。自分の欲望を実現するためにアラジンが利用できると判断したのだ。
 『如意燈』では、アフリカの魔法使いというのを、孫毓修自身が文中に出てきて説明する。
 「みなさん(看官)、その人ははたしてアラジンの叔父さんだと思いますか。私が本当のことを言いますと、その人はアフリカからやってきた魔法使いなのです。ムスタファには、どうしてこのような弟がいましょうか。今、彼が親族だといつわっており、アラジンによいことがありそうですが、みなさん、あわてなさるな。のちのお楽しみ」
 編者が作中にしゃしゃり出てきて解説をするのは、まるで旧小説のようだ。新しいかたちの「童話」シリーズだと思うのだが、孫毓修の意識は、かなり古い。
 叔父だとだましてアラジンを連れだした魔法使いは、歩き疲れるほどの遠くの場所で、火をたいて呪文をとなえる。大地がわれて洞穴の扉が姿を現わす。アラジンが開ける。奥まで続いているようだ。ランプに灯がともっているから、それを消し、油を抜いて持ってこい。これがアラジンに魔法使いが命じたことだった。
 ランプを手に入れたアラジンは、帰る途中で石でできた果物の美しさに見せられていくつもとった。
 漢訳では、木から果物をもぎ取る様子を描いた挿絵をかかげている。しかし、洞窟のなかであるのに、普通の庭園のように描いている。編者と絵師の連絡がうまくいっていないことを暴露しているとしかいいようがない。
 魔法使いが待っている。まずランプをわたせ、いや、自分が出るのが先だ、と言い争いになる。
 ここでもまた孫毓修が出てきてランプの説明をはじめるのである。
 「みなさん、このランプは普通のものではないことを知らなくてはなりません。願いをかなえてくれるランプ「如意燈」というのです。この世でもっとも不思議な品物で、それを手に入れた人は、お宝のたまる鉢「聚宝盆」、金のなる木「揺銭樹」よりももっと役に立つのです。……」
 中国人の児童には、「聚宝盆」「揺銭樹」を例にだしたほうが理解しやすいという判断だったのだろう。
 ランプを手渡そうとしないアラジンに腹を立てた魔法使いは、呪文をとなえて洞穴の扉を閉めてしまった。
 アラジンは、地下に閉じこめられる。
 「さてこれが『如意燈』の始まりの歴史であります。彼はどのようにアラジンを救出するのでしょうか。どのように彼の不思議な力を発揮するでありましょうか。まことに1冊では書き切れません。なにとぞ『如意燈』下冊をご覧ください」
 上冊をこう締めくくれば、まことに旧小説のままなのである。
 下冊の冒頭に、またしても孫毓修が出てきて説明を始める。
 これが、長い。
 アラジンがランプを手渡さないものだから、魔法使いは怒ってアラジンを地中にとじこめた。なぜ、魔法使い自身がランプを取りにいかなかったのかと質問されるかもしれない、とはじめる。
 「編集者としての私は、もともとが魔法使いではありませんから、みなさん方の質問に答えることはできません。しかし、本書に書いてあることによりますと、魔法には多くのタブーがあり、ニセ叔父が不思議なランプを取り出すには、自分で手を出してはよくないことがあるにちがいないのです。……」
 魔法使いは、アラジンからランプを手に入れたあとは、アラジンを地中に埋めるつもりだった、という推測までの述べている。
 描写を省略したから、編集者による説明をつけくわえることが必要だという考えなのだ。親切といえば親切だといえよう。だが、重ねられた描写をたどることにより、説明されていない部分を読者が推理する楽しみがある。それこそが読書の喜びではないのか。孫毓修は、その快楽を読者から奪っている、ということも可能だ。
 地中に閉じこめられたアラジンは、洞穴に入る前に魔法使いからもらった指輪の力で、無事、自宅にもどることができた。
 ランプを売って食料を買うことにし、母親はよごれをきれいに落とそうとこする。出てきたのがランプの奴隷である。
 孫毓修がよった原本には、ランプの奴隷を描いた挿絵はついていなかったのだろうか。普通に見られる挿絵ではないからだ。つまり、一見していかにも魔物である、という感じがしない。
 ここにかかげられた挿絵には、ランプの奴隷はそこらにいる一般の成人男性にしか見えない。羽根飾りのようなものがついた帽子をかぶっている。ヒゲをはやし、長上着を身にまとって、裸足だ。漢訳では、醜悪な顔つきをして雷のような声の「怪人」としか説明していない。この説明では、人間の姿をした怪人を描いたとしてもしかたがないともいえる。
 母親は倒れて右手をあげて驚きの表情を浮かべている。アラジンも腰をぬかし、かたわらにはランプがころがる。窓の外には植木が見え、この空間だけがアラビア風ではない。舞台が中国なのだから、外の風景は中国だ、といったところで、それは説得力をもたない。登場人物のすべてが西洋人である矛盾を説明できはしない。
 食事を取り出させるためにだけランプの奴隷を使っていたアラジンだった。
 ある日、アラジンは、街でみかけた王女を好きになる。母親に宮殿にいって求婚してくるようにたのむ。その時に持たせたのが、あの洞穴からとってきた宝石の果物である。
 王様は、すでに王女を大臣の息子と結婚させる約束をしていたにもかかわらず、宝石に目がくらんだ。3ヵ月待つように命じる。
 その3ヵ月の間に、実際は王女と大臣の息子は結婚式をあげている。しかし、アラジンに命じられたランプの奴隷は、結婚式の夜、王女たちふたりを運び出してじゃまをするのだ。それをくりかえし、すっかり恐怖にかられたふたりは結婚を中止するのだが、孫毓修の漢訳ではこの部分すべてを削除してしまう。そのまま3ヵ月後にふたたび母親が宮殿を訪問する場面につづく。
 王様が母親に要求したというのが、40の大きな金の盆に宝石を山盛りにし、40名の黒人奴隷と40名の白人奴隷をきれいに着飾らせろというものだった。
 『如意燈』下冊の表紙絵が、この風景を描いている。黒人奴隷たちが頭に盆をのせ、行進している。盆には宝石が満載されているのがわかる。原文では金の盆だが、表紙では赤色で塗られている。先頭の盆には赤い珊瑚が描かれているから宝石だと見当がつく。ただ、画面の左は水色に塗られているから、川辺か海辺なのだろう。なぜ、水辺の風景でなければならないのか、理解に苦しむ。
 王様の要求を実現したから、アラジンは王女との結婚を許された。ふたりで住む豪華な宮殿をただちに新築する。ランプの奴隷に命じて造らせたのはいうまでもない。
 うわさが例のニセ叔父の耳にとどいた。不思議なランプをどうにかして奪おうと考えをめぐらせる。
 アラジンが宮殿を留守にしている間に、ニセ叔父は、古いランプをタダで新しいものに交換すると呼ばわり、アラジンの宮殿から不思議なランプを入手することに成功した。
 アラジンの新宮殿は、王女ごと影も形もなくなる。消失してしまった。アフリカに移されたのである。
 アラジンは、王様に40日の猶予をもらい王女をさがすことにした。
 さがし疲れて川に身を投げて死のうとしたとき、指輪に気がついた。当然のように指輪の奴隷に宮殿と王女を取り戻すように命じる。しかし、これほどの大仕事は、不思議なランプでなくてはできない、せいぜいが王女のところに連れていくくらいだ、というのでそうなる。
 アラジンが購入した薬を酒に混ぜ込み、ニセ叔父に飲ませる。意識を失ったすきに懐にいれて持ち歩いていた不思議なランプを取り戻す。ランプの奴隷を呼びだし、宮殿をもとの場所に移すように命じた。
 孫毓修の漢訳は、まるで断ち切ったようにここで終わる。
 本来はあるはずの、王様と王女の感激の再会、一部始終の説明、王女たちが無事帰還したことにたいする国中のお祝いも、すべて省略される。
 私が子供のころに聞いた「アラジンと不思議なランプ」は、ここで物語が終了する。
 めでたしめでたしで終わってどこが不足か、と言われるかもしれない。だが、それ以後も話が続いている。思いもしないことだ。
 ニセ叔父、すなわちアフリカの魔法使いには弟がいて、兄よりも極悪であったというのだ。アラジンは、兄の仇を討とうという弟のたくらみをうち砕き、逆に殺して難を逃れる。これがフォースター版である。
 奚若訳「神燈記」は、アフリカの魔法使いの弟についても省略することなく、そのまま漢訳していることを指摘しておきたい。
 「童話」シリーズに収録された「アラビアン・ナイト」は、普通によく知られた物語であるといえる。

●4 いくつかの疑問
 ただし、それらの内容を個々に吟味すれば、腑に落ちない箇所もある。
 アリ・ババが洞穴の秘密を知ったのは、偶然であった。女奴隷のモルギアナの機転により、盗賊たちを滅ぼして財宝を自分のものにする。盗賊だから殺してもいい、という社会の掟だろうか。たとえ原作がそうだとしても、それを中国にそのまま移植できるだろうか。まっとうな人間のすることではない。
 漢訳者が、それに薄々気づいて、最後部分を話し合いで解決するように改変した。したけれども、不正義という印象をぬぐうことができない。
 アラジンは、子供とはいえ怠け者でどうしようもない遊び人だ。彼が不思議なランプを手に入れたのも偶然である。偶然こそが重要だ。努力することなしに、富と権力を自分のものにする。金持ちになるのが偶然ならば、日頃の地道な精進などは、ばからしくてしていられないということにならないか。
 もうひとつの物語は、嫉妬にかられた姉たちの理不尽な妹いじめである。しかも、子供たちは、その出身によって最終的に幸福を獲得することになる。
 外国の民話として成人が楽しむ分には、なにも差し支えはない。
 しかし、児童向けの読み物としては、いかがなものか。
 啓蒙だというならば、この社会が、基本的に不合理で不公平であることを教えることが目的である、とでも主張するつもりだろうか。
 だから、書き換えていますというか。書き換えが必要なものは、いくら有名であろうとも最初から児童用の書籍に収録すべき性質のものではないだろう。
 ただし、未見の『橄欖案』は、以上の3作とは違う。裁判もの、それも賢い児童が関係している。それほど広く知られてはいないかもしれない。だが、これこそ児童が読み、聞くにふさわしい。
 「童話」シリーズが、児童の啓蒙を目的にして刊行されているとすれば、「アラビアン・ナイト」ならばすべてが児童用として無条件に与えることができると考えてはならない。


【注】
1)この「童話」シリーズについては、茅盾とのからみで、以前、紹介したことがある。樽本「茅盾の『童話』」『中国文芸研究会会報』第27号1981.4.1
2)孫建江『二十世紀中国児童文学導論』(南京・江蘇少年児童出版社1995.2)の「第三編児童文学思潮/第一章世紀初存照:翻訳与改編」に「童話」シリーズについて言及がある。それには、全102種と見える(156頁)。私のいう101編と、数字が一致しない。
 「童話」第3集第2編には、2種類が掲げられている。沈徳鴻(茅盾)訳「十二個月」(初出未見。鄭振鐸編『鳥獣賽球』上海商務印書館1923.1)および鄭振鐸編『鳥獣賽球』(上海商務印書館1923.1。未見)だ。「十二個月」が『鳥獣賽球』に収録されているらしい。種類のうえでは別物であるから、第3集は5種類となり孫建江のいう102種と数のうえでは一致することになる。
3)孫建江『二十世紀中国児童文学導論』157頁
4)孫建江は、沈徳鴻(雁冰)、孫毓修編訳『金亀 (The Tortoise who Talked)』(上海商務印書館1919.12/1921.9再版 童話1=88)も「アラビアン・ナイト」ものだと書いている(157頁)。ただし、その原作が不明だ。胡従経は、『晩清児童文学鈎沈』(上海・少年児童出版社1982.4)において「《金亀》系《天方夜譚》中之一則」(232頁)と説明した。孫建江は、ここらあたりを参照したのかもしれない。蒋風、韓進著『中国児童文学史』(合肥・安徽教育出版社1998.10)も「童話」に言及する(112-116頁)。
5)欧米の風俗を反映した挿絵をもつ日本語訳の「アラビアン・ナイト」については、杉田英明「『アラビアン・ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響――」(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号(1999)2000.3.31発行)を参照されたい。
6)ラウトレッジ社1877年版は、the name of which does not at this moment occur を削除する。のちの別版では、China が Cathay に置き換えられているものもある。
7)アリ・ババで登場するムスタファは、Mustapha だ。アラジンのムスタファは、Mustafa で綴りが異なる。ただし同じ発音だから、「説部叢書」では両者ともに同じ「黙世徳法」を当てて統一したようだ。