漢訳アラビアン・ナイト(8)


樽 本 照 雄


5-8 頭顱語 The History of the Vizier who was punished 罰せられた大臣の話
 ある国王の王子は、たいそう狩猟が好きだった。
 漢訳は、この「狩猟が好きだった(性好畋)」の箇所に注釈をつけている。伝えられるところによると、マハムード王は、狩猟をするときには犬を400匹、うんぬん。タウンゼンド版にほどこされた注を漢訳していることがわかる。底本は、サグデン版からタウンゼンド版にもどっている。
 狩猟にでかけた王子は、獲物を追いかけていて大臣とはぐれてしまう。そこで、落馬して泣いている娘に偶然出会った。漢訳は、その娘が「インドの王女である。(則係印度王女)」(26頁)だとする。だが、タウンゼンド版は、単に「美しい娘 a beautiful lady」(26頁)と書いているだけだ。どこにもインドなどという言葉はない。そういうばあいは、サグデン版を見る。「インドの王の娘 the daughter of an Indian king」(31頁)とあるし、また、レイン版でも「インドのある王の娘 a daughter of one of the kings of India」(81頁)となっている。漢訳は、タウンゼンド版以外のものを参照していることになるか。
 ただし、参照したのは、インドの王の娘という箇所だけだと考える。その理由は、タウンゼンド版では、その娘が食人鬼だと知った王子は、すぐさま馬にのって逃げ帰ることになっていて、漢訳と同じだからだ。だが、サグデン版では、アラーに祈って食人鬼から逃れるている。レイン版も、サグデン版と同じく祈りによって食人鬼は身を引いている。
 保護のために王子のそばについているべき大臣が、王子から離れてしまった。つまり、職務怠慢を理由に処刑された、というのが、この物語の結末である。
 ドゥバンを暗殺者だと告発する大臣は、自分は職務に忠実な者である、と王に訴えていることになる。
 王を暗殺するために来た者が、わざわざ王の病気を治すであろうか、という普通の知恵もまわらない王であった。王は、大臣の言葉をいれてドゥバンを処刑することにする。
 サグデン版は、途中で、物語る漁夫を登場させるが、タウンゼンド版には、その箇所はない。漢訳にも、その箇所はない。
 死にのぞんでドゥバンが願ったのは、1冊の奇書を王に献上したいということだった。処刑のあとに、その書物を開けば、ドゥバンの首が王の質問に答えるというのだ。

【説部叢書】試繙閲此書。至第六葉之左方第三行。則知吾頭雖断。仍能与陛下語。(その書をひもとき、第6ページの左第3行を読めば、わたしの切られた首は陛下と話すことができることがおわかりになるでしょう)27頁
【タウンゼンド】if you will take the trouble to open the book at the sixth leaf and read the third line on the left-hand page, my head, after beeing cut off, will answer every question you wish to ask.(その書の第6ページ、左第3行を読めば、切られた私の首は、陛下の質問にすべて答えるでありましょう)27-28頁

 サグデン版も上とほとんど同じ表現になっている。
 レイン版は、「3ページを数えて、左の3行を読む count three leaves, and then read three lines on the page to the left」(85頁)としており、異なる。
 王は指にツバをつけてページをめくった。だが、何も書かれてはいない。ドゥバンの首に聞けば、もっとめくれという。結局、王は死んでしまった。ページに仕込まれた毒にあたったのだ。無実の罪に死んだドゥバンのたくらみである。
 こうして、漁夫と魔神の会話にもどっていく。漁夫が魔神をせっかく瓶から助け出してやったにもかかわらず、恩知らずにも漁夫を殺そうというのは、病気を治したドゥバンを処刑するのと同じだと言いたいのだ。
 そのあとで、タウンゼンド版は、金持ちになりたくないかという魔神の甘言に漁夫が心を動かすことになる。
 だが、漢訳では、底本であるはずのタウンゼンド版にはない魔神の言葉を示す。

【説部叢書】報復非長者所出。君胡為徇澆俗。幸勿如伊瑪之待阿替加也可。(報復は徳のある人のやることではありません。つまらぬことをなさるな。なにとぞイムマがアテカにしたようなことはなさらないのがよろしい)29頁

 英文原作においても、イムマとアテカと名前を出しているだけで、その内容が語られることはない。タウンゼンド版のように、無視してもいいような箇所にもかかわらず、奚若は、訳出する。
 サグデン版は、以下のようになっている。

【サグデン】remember that revenge is not a part of virtue; on the contrary, it is praiseworthy to return good for evil. Do not, then, serve me, as Imma formerly treated Ateca.(復讐は美徳というわけにはいかないことをお忘れなく。反対に、魔神によい行ないをすることは称賛にあたいすることですぞ。なにとぞ、以前にイムマがアテカをあつかったようには、わしにしないでくれ)35頁

 漢訳がサグデン版をほぼ忠実に翻訳していることが理解できる。
 上と同じ場所をレイン版で示しておく。

【レイン】――do not therefore as Umameh did to 'Atikeh.――And what, said the fisherman, was their case? The 'Efreet answered, This is not a time for telling stories, when I am in this prison; but when thou liberatest me, I will relate to thee their case. The fisherman said, Thou must be thrown into the sea, and there shall be no way of escape for thee from it;(ウママーがアティカにしたようには、わたしになさらないでください。いったい、どういうことなのかね、と漁夫は言いました。魔神は答えて、今はお話しする時ではありません、閉じ込められているからです。しかし、自由にしてくれるなら、そのお話をいたしましょう、といいます。それなら海に投げ込んでやろう、そこから逃げる方法はないからな、と漁夫はいいました)87頁

 アティカ 'Atikeh が漢訳で阿替加になるのは、理解できる。だが、伊瑪が、レイン版のウママー Umameh にもとづいていると言われても納得しがたい。
 伊瑪という名詞については、レイン版ではなくてサグデン版の Imma から漢訳されたと考えるほうが自然だろう。
 奚若がサグデン版を参照していると考えるのは、次のような箇所があるからだ。
 金持ちにしてやるという魔神の言葉に、漁夫は、結局のところ心動かされた。魔神にかたく誓わせて、瓶の口を開ける。出てきた魔神は、すぐさま瓶を海の中に蹴りこむ。ふたたび封じ込められることを防ぐためである。
 恐れた漁夫が魔神に向かって言う。

【説部叢書】汝殆欲背盟。抑汝欲我以竇本告希臘王之語語汝耶。(お前は約束に背くというのか。それともドゥバンがギリシア王に言った言葉をお前に言ってやろうか)29頁
【サグデン】do you not intend to keep the oath you have taken? Or must I address the same words to you which the physician Douban did to the Greek king−‘Suffer me to live, and Heaven will prolong your days?’(誓いを守るつもりはないのか?それとも、医者ドゥバンがギリシア王に言ったのと同じ言葉――私を生きさせろ、そうすれば神はお前に長寿をあたえるだろう、をいわなくちゃならんのか)36頁

 上のふたつを対照すれば、奚若がサグデン版を見ているのではないか、と私は考える。タウンゼンド版では、上のような漁夫と魔神の言葉のやりとりは存在しない。魔神は約束を守って、すぐさま、漁夫に網をもってついてくるようにいいつける。
 よっつの丘にかこまれた湖にたどり着く。魔神は、この湖にいる4色の魚を王様に売れば金持ちになることができる、ただし、1日に1度だけ網を入れるように、と言い残して姿を消してしまった。