呉 〓 人「 電 術 奇 談 」の 方 法


               樽 本 照 雄


           1.「電術奇談」に言及した人々

 数ある呉〓人の作品で、最初に読者の注目を引いたのは、「痛史」でもなければ、「二十年目睹之怪現状」でもない。また「九命奇寃」でも、「恨海」でもない。では、何か。ほかならぬ、「電術奇談」である。
 「電術奇談」に言及した最初の読者は、寅半生(鍾駿文)であった。『游戯世界』第1期に掲載された寅半生「小説閑評」(1906。注1)がそれだ。寅半生は粗筋を紹介し、各回の見所を書き添える。
 また、呉〓人の出世作はほかでもない「電術奇談」である、とする張冥飛もいる(1919。注2)。
 阿英は、その『晩清小説史』(1937。注3)で、「科学物語を訳述し、科学的啓蒙運動をする」作品の例として「電術奇談」をあげた。
 寅半生に遅れること約40年、「電術奇談」の粗筋をややピントをはずして紹介したのは、楊世驥だ(1948。注4)。
 最近では、盧叔度が各種資料を引用したあと次のようにいう。「『電術奇談』は最初“写情小説”と自称していたが、後に“奇情小説”と改めた。“写情”でも、“奇情”でもどちらでもよいが、いずれも男女の私事、すなわち、喜仲達と林鳳美の悲喜離合の愛情物語を書いているにほかならず、社会的意義というようなものは、ない。寅半生の一千字におよぶ『閑評』も、斬新な見解があるというわけではないし、旧い文人が旧小説を評したという限界を抜け出ることができていない」(1980。注5)作品のみならず、評者をも切って捨てただけで、盧叔度に「斬新な見解があるというわけではない」。
 楊世驥を引用してすませる馬祖毅がいる(1984。注6)
 あとは、せいぜい「電術奇談」という書名をあげるにとどまっている文章ばかりだ。かろうじて、孫楷第が書目の説明に「本書(注:電術奇談)は、日本菊池幽芳元著を底本として敷衍したもので、すでに翻訳という性質のものではない」(1957。注7)と言っているのが注目されるくらいだ。

             2.「電術奇談」の原作

 すでにおわかりの通り、「電術奇談」には原作がある。 菊池幽芳「新聞売子(しんぶんうり)」という(注8)。『大阪毎日新聞』に連載された新聞小説だ。
 明治30年(1897)1月1日、幽芳の署名で「催眠術「「小説『新聞売子』を掲ぐるに就き」が掲載された。連載開始に当って、小説の重要部分を構成する催眠術のあらましを読者に紹介するものだ。同日より、「はしがき」を頭において第1回「麻耶子」が始まる。同年3月25日、第75回をもって完結した。
 「はしがき」によると、「新聞売子」にも原作がある。イギリスの小説雑誌社が三百ポンドの懸賞で募集選抜したもので、無名作家の作品という。菊池幽芳が翻訳(翻案)したのは、「妙は只事実錯綜趣向変幻巧みに読者の好奇心を動かすに在り」(引用にあたり総ルビは省略した。以下同じ)という点に着目したからである。
 英国、印度、倫敦、巴里等を除いて、その他の地名、人名はすべて日本風に改められた。それに合わせて明治の風俗を写した挿絵が、毎回、紙面を飾る。
 物語は、大きく四つに分かれる。仮りに小題をつけると、
 1.麻耶子と泰蔵 2.真辺敏一 3.麻耶子と三吉 4.全員集合
となる。次に粗筋を紹介する。
 1.麻耶子と泰蔵(第1〜16回)
 菱田泰蔵と麻耶子が登場する。二人は恋人である。泰蔵は、5年間、インド高蘭において鉱山開発に従事したあと、いくらかの蓄えを得てイギリスに帰国した。麻耶子は、イギリス人の母(別の個所では、母はアイルランド生れ、とある)とインド高蘭の酋長を父にもつ娘で、泰蔵のあとを追い三田港(サウサンプトン?)に到着する。麻耶子に迫られた泰蔵は、結婚を承諾し、結婚に必要な特別免許状を取りに一人でロンドンに向かった。泰蔵の身に事件がおこるのだから、ここは一人でなければならない。別れぎわ、麻耶子は泰蔵に「東洋美術の神髄を凝して彫刻せる金地に大きやかなるダイヤモンド三個を挿入せる腕輪」(伏線1)などの宝石をあずけ、列車の出発間際に、凶事を予告して変色するルビーの指輪(伏線2)を泰蔵に投げ渡す(第1〜4回)。
 「大層青い色に変つたでせう、このルビイは不思議な宝石でいつも妾に吉凶を知らせます、凶い事のある時には屹度色が変ります」(第4回)と事件の予告がくりかえし行なわれるのだから、何事が起こるのか、と興味がわかないわけがない。
 医学士杣木利一が登場する。泰蔵の友人である。催眠術研究に熱を入れ、台所は火の車。ロンドンに出て来た泰蔵は利一を訪問し、好奇心に動かされ催眠術をかけてもらった。術をかけるのに電気器械を用いる(第5回)のが伏線3になっている。ところが、覚めないのですネ。「利一は稍驚ろきながら其手を取るに冷やかなる事氷の如く指は鷹の爪の如くに歪めり、身体を抱き起せばこはそも如何に固き事石の如く呼吸全く止まり、顔に痙攣を生じ歪みなりに真青となりぬ」(第6回)。あっさりと書いてあるが、顔が歪んだというのが伏線4である。
 利一は、泰蔵をテムズ河に投げ込んだ。証拠隠滅のため、「かの汽車の離別の時麻耶子より受取りてはめ居たるルビー入の指輪をも抜取りつ」(伏線5)して、自殺を装わせた(第4〜7回)。
 一方、残された麻耶子は、気掛かりでなんとか泰蔵をつかまえようとするが失敗する(第8〜10回)。
 利一は、ロンドン銀行で本人といつわり、泰蔵の預金を引き出し、その金で借金取りを追い払う。ところが、タイムス新聞をふと見ると、麻耶子の名前で、泰蔵を捜す広告が出ているではありませんか。「麻耶子といへる名は東洋の名なり、さては菱田が印度より伴ひ来れる情婦なるか」こうしてはいられない、利一はパリへ逃れた(第11〜13回)。
 泰蔵を信じる麻耶子だったが、一向に連絡がない。心配のあまりロンドンへ捜しに行くことにした(第14〜16回)。
 泰蔵が催眠術より覚めず「死亡」したのだから、この部分が発端、つまり事件発生である。
 2.真辺敏一(第17〜23回)
 真辺敏一が登場する。私立探偵である。事件発生となれば、次は、探偵登場となるのがきまりだ。ただし、この探偵にはあまり出番がない。ロンドンにやって来た麻耶子は、銀行などを当ってはみるが泰蔵の足取りはつかめない。新聞広告で知った私立探偵真辺敏一に捜査を依頼する。そうして、尋ね人の広告をだしたのが利一の目にとまったというわけだ(第17〜19回)。
 敏一は、泰蔵のあとを追って調査を開始するが、いくつかの事実は泰蔵が麻耶子の財産をだまし取って姿をくらましたことを示していると考えた。読者は真相を知っているのだから、このボンクラ探偵、とあざ笑っていればよい。敏一の説明に、麻耶子は泰蔵を信じながらも、彼のことは諦めるという。いじらしい、麻耶子、と言いたくなるではありませんか。麻耶子は最後に、銀行を訪れた泰蔵がはたして本人かどうか、もう一度調べて欲しいと敏一に依頼する。敏一が銀行で聞き込むと、それが泰蔵をかたる別人であったことがわかる(第20〜23回)。これでは、どっちが探偵かわかりはしない。
 つぎの、3.麻耶子と三吉、の部分は全体の5分の3を占めて、いささか長い。さらに四分割(a〜b)する。
 3−a(第24〜35回)
 泰蔵に裏切られたと考えた麻耶子は旅店を引き払い、花水公園に下宿を見つけた。名前を尋ねられ、「水嶋花(花子とも。母の名)」となのる(第27回)。麻耶子といわず、水嶋花と変名を使ったことが伏線6となる。いくらか宝石も残っており当座の生活には不便はないとはいえ、いつまでもボンヤリとすごすわけにはいかない。同じ下宿人お艶の口車に乗せられ、音楽会の幹事と称する山川新吉に会うはめに陥った。腕に覚えの音楽で身を立てたいと考えたからだ。これがとんだ食わせ物だった。お艶は高等淫売、新吉はスリで二人して麻耶子を食いものにしようと計画していたのだ。
 3−b(第36〜45回)
 あやうく危機を脱した麻耶子は生きる希望もうせ、花水橋から身投げしようとしたとき新聞売子のうッそり三吉に助けられた。表題の「新聞売子」である。鋭い読者なら、ここで、何かあるナ、と気付かれるだろう。「口と眼とは互に引つり、右の眼尻の著るしく下れるに右の口元はその方に歪みて顔の様いと醜し」これが伏線7だ。ついでにいえば、あとで出てくる三吉のせりふ、「いつかなんざア病気になつちまつて道で倒れてる処を知りもしない他人の叔母さんにた…助けられて……(中略)自分の爺の名も知らなけりやアお袋の名も知らずよ、自分で自分の身が、ど、どうして生れてきたのか知らないと云ふ、お、おれの身体がおれに解らないツてんだから」(第43回)も同じく伏線8である。
 三吉に助けられた麻耶子は、インフルエンザにかかり三吉の住む十軒長屋で寝込んでしまった。三吉は、それ以来、かいがいしく麻耶子の世話を焼き、ついには「及ばぬ恋をなしたるものなりき」(第45回)。
 3−c(第46〜57回)
 病気のいえた麻耶子は、近所に住む所作劇(しよさごとしばゐ−バレツト、とルビが振ってある。考えるにballetをそのまま発音したのだろう。バレエのこと)の楽長杉田金弥にすすめられ舞姫となる決心をした。これが大成功。海を隔てたパリより招聘され、これに応じて麻耶子はパリに行く。陰ながら見守っていた三吉も、追ってパリに行く。ここでの三吉のセリフ「己なんぞは生れ落ちてから此年になるまでの事さへちツとも分らないんだ」(第53回)が伏線9となる。つまり、三吉の過去が不明ということである。
 パリでも大当りを取った麻耶子「「ただし、水嶋花子の名で舞台に立っている「「のもとにファンからさまざまな贈り物が届けられた。そのなかに、「異様の彫刻をなせる純金製の腕輪にしてこれにいと大なる金剛石三個とルビーとを鐫ばめたるなりき」(第54回)があった(→伏線1)。差出人は利一である。一方、利一は、まさか水嶋花子と麻耶子が同一人物であるとは思ってもいない(→伏線6)。二人は会うことになった。
 3−d(第58〜61回)
 いよいよ、麻耶子と利一の対決である。麻耶子は、一目見て宝石はすべて彼女が泰蔵に託したものであることに気が付いた。そのなかにルビー入りの指輪がある(→伏線2,5)。麻耶子はついに「さア菱田泰蔵は何うしました、若しや貴君が殺したのではありませんか」と利一を追求する(第60回)。切羽つまった利一は麻耶子に催眠術をかけてしまった。あやうし、麻耶子。また書いてしまった。利一は麻耶子を連れて維耳西(エルセイ。どこのことか不明)へ逃げた。
 4.全員集合(第62〜75回)
 いよいよ結末部分だ。
 麻耶子と利一を追ってエルセイに着いた三吉、金弥、敏一の三人は、利一をホテルに襲った。ところが、催眠術をかけられた麻耶子は利一の言うがまま、三人に出ていけという。あわやという時、三吉の必死の呼びかけに麻耶子は目覚めた。ここらあたりは純愛物語デス。大乱闘になる。利一はコップで三吉を殴り、ピストルを取り出し麻耶子を撃とうとする。金弥がとびかかる。利一の手からピストルが離れる。麻耶子がそれを手にして利一を撃つ。命中。倒れる利一(第67回)。
 活劇のままでは終わらない。裁判がこれに続く。
 いわば「死体なき殺人事件」である。泰蔵は殺されたというが、その死体がないのだ。読者に向けられた謎でもある。利一の弁護人は、死体がないのだから泰蔵はどこかに潜伏しているに違いない、と主張した。しかし、それは認められず有罪の宣告がある。死刑判決の下った利一は、覚悟を決め、獄中で催眠術に関する著述をする(第68〜71回)。
 それはコッチへ置いといて。ある日、三吉は花水橋に行くと地中電線の工事に出会い、誤って感電してしまった。病院で目を覚ました三吉は、「こはそも恐る可き電気の打撃を受たる結果にやあらん、不思議にも彼の顔は見紛ふ許りに変化せり、口と眼と互にひッつりて、右の眼尻はいたく下れるに右の口元のその方に歪みいとも醜き顔なりしものが其ひッつりは全く跡を隠し、両眼はその平均を得口は尋常に復せる様宛ら別人の如く、さるが上に口と瞼とが絶えず小顫ひなし居たるも全く止み、著しく其相格を変化せしめたり」(第72回)菱田泰蔵の復活である。催眠術をかけるのに電気を使用した伏線3がここで生きる。容貌が変化するのは、伏線4,7の裏返しである。三吉の過去が不明という伏線8,9もこれで一挙に実を結ぶ。
 利一は処刑の前日、催眠術に関する著作を完成するや服毒自殺してしまった。泰蔵の生きていることがわかって処刑停止の通知が発せられたが、すでに手遅れ(この部分は、第74回の1回分が当てられている)。麻耶子と泰蔵は結婚してメデタシ、で終わる。
 本作品は、麻耶子と泰蔵=三吉の恋愛を軸に話が展開する。また、催眠術が重要な小道具となっているので幻想文学的要素を持つ。さらに、「殺人事件」が起り探偵が登場するという謎解きの側面もあるので、探偵小説とも言える。構成要素を重要な順にならべると、「新聞売子」は、恋愛幻想探偵小説である。幽芳の言う通りたしかに「事実錯綜趣向変幻巧みに読者の好奇心を動かす」作品だ。
 これが呉〓人の手にかかると、どうなるか。

          3.「新聞売子」から「電術奇談」へ

 「電術奇談」は、『新小説』第8号(光緒二十九年八月十五日<1903.10.5>)から第2年第6号(第18号、刊年不記)まで、24回が連載された。「写情小説」との角書を持ち、「一名催眠術」と副題がつく。
 「日本菊池幽芳氏元著・東莞方慶周訳述・我仏山人衍義・知新主人評点」とにぎやかな顔ぶれである。方慶周は、光緒二十三年(1897。明治30年)来日し高等師範学校に入学した自費留学生だ(注9)。我仏山人は呉〓人の、知新主人は周桂笙の筆名であることはよく知られている。
 「電術奇談」第24回末尾の「附記」によると、方慶周の翻訳は文言でわずかに6回、人名、地名も訳者によって中国風に改められているという。翻訳臭を消すため、それを俗語で24回に書き改めたうえ、原書にない「議論諧謔」を衍義(ここでは翻案の意)者、つまり呉〓人が付け加えた、ともいう(注10)。
 各回は短いとはいえ日本語の原作は75回もある。それを方慶周はどのようにして6回に縮めたのか。このあたり、詳細は不明である。また、文言を俗語になおせば長くはなろうが、6回の原稿が24回とは、回数だけで言えば4倍だ。
 人手を経ている分、複雑になる。つまり、原作は英語の小説→菊池幽芳「新聞売子」→方慶周の原訳(文言6回)→呉〓人の翻案(俗語24回)、という経路をたどっているのだ。
 呉〓人の手になる翻案は、幽芳「新聞売子」から直接なされたものではない。中間に方慶周の原訳(注11)がはさまれている。これが問題をむつかしくしている。幽芳「新聞売子」をもとに呉〓人はどういう具合に「電術奇談」を仕立て上げたのか。その腕前を私は知りたいと思っている。ところが、両者の間に方慶周が入り込んでいるため、どこまでが呉〓人の手になる修改か、その見極めがかなり難しくなってくるのだ。呉〓人の改変だと思った箇所が、方慶周のものだとしたら、目も当てられない。慎重さが要求されるところである。
 とりあえず、物語の冒頭部分を対照してみよう。上は「新聞売子」、下に「電術奇談」を置く。

第1回:五年の間印度に在りて鉱山業に従事し居たる技師菱田泰蔵といへる男東洋通ひの郵便船三田号にて三月二十日午前十一時己が故郷なる英国三田港に着きぬ、故郷とは云へ自分は孤児にて近しき親戚とてもなければ生れし土地の倫敦に急がんとにもあらず、差当り航海中の疲労を休めんとて土地の俵屋と云へる旅店に入りぬ
俵屋の一室に茶を啜り居る泰蔵の姿を見るに年の頃は二十八九なる可し、格好すらりとして立たば人並より高かる可く、色の浅黒きは航海中の日焦か顔立しやんとして厭味なく天晴の好男子なり

第1回:這日三月二十日。上午十一点鐘時候。英国韶安埠地方。聴得汽笛音嗚嗚的響。原来郵船韶安号従印度到埠。船中有一搭客。携了行李。捨舟登陸。来覓旅舎。只見道旁一家大書東明桟三字。這客便昂然直入。原来此人姓喜名仲達。倫敦人氏。年方二十八九歳。身体魁梧。眉清目秀。可惜沿路受了海風。把面色吹的淡黒了。他五年前到印度去辧理鉱務。今始附船回国。只因自幼已孤。倫敦並無親族。在船上鬱得辛苦的了不得。所以他就在此登岸。且不往倫敦。在此暫借旅館歇息歇息。(三月二十日午前十一時、イギリス・サウサンプトンに汽笛の音がウーウーと響くのが聞こえる。郵便船サウサンプトン号がインドから波止場に着いたのだった。乗客が一人、荷物を持って上陸した。宿屋をさがそうと見れば、通りの傍らに「東明桟」の三文字を大書した家がある。彼は昂然と入っていった。この人物、姓は喜、名を仲達といい、ロンドンの人である。年はちょうど二十八、九歳、体躯堂々、眉目秀麗。おしむらくは、航海で海風に吹かれて顔色は浅黒くなっている。彼は、5年前、鉱業に従事するためインドに赴き、今、船で帰国したのだ。幼き頃よりすでに孤児となり、ロンドンには親族もなく、船上では気がふさぎつらくてたまらず、それで彼はここに上陸したのである。ロンドンへは行かず、ここでしばらく旅館を借りて休息することにした)

 菱田泰蔵が喜仲達に、三田号(港)が韶安号(埠)に、俵屋は東明桟と書き改められ中国風だ。泰蔵の年齢、経歴、容貌等に訳し落しはない。しかし、記述の順序は入れ替えられている。さらに、「聴得汽笛音嗚嗚的響(汽笛の音がウーウーと響くのが聞こえる)」を、また、サウサンプトンに上陸した理由に「在船上鬱得辛苦的了不得(船上では気がふさぎつらくてたまらず)」を書き加える。いずれも日本語原文にはない。
 前に述べた「新聞売子」の伏線は、「電術奇談」ではどのように扱われているか。ダイヤモンドをちりばめた腕輪(伏線1)は、ほぼ日本語原文のまま(10〜11頁。影印版『新小説』作品別通し頁数。以下同じ)。凶事を予告して変色するルビー(伏線2)は、少々書き換えられる(13頁)。催眠術をかけるのに電気を使用する部分(伏線3)には、説明が加えられている(22頁)。催眠術にかかった泰蔵が目覚めず、顔が変形したという箇所(伏線4)をここで対照してみよう。
第6回:利一は稍驚ろきながら其手を取るに冷やかなる事氷の如く指は鷹の爪の如くに歪めり、身体を抱き起せばこはそも如何に固き事石の如く呼吸全く止まり、顔に痙攣を生じ歪みなりに真青となりぬ

第2回:士馬着了忙。執着手診他的脉。已是其冷如氷。脉息全無了。十指拘攣了。如同鷹爪一般。再欲将他抱起時。誰知連身体也硬了。(<誤字は正した>士馬はあわてて彼の手を取り脈を見ると、すでに氷のように冷たい。脈は全くなくなっている。十の指は曲がり鷹の爪のようだ。さらに彼を抱き起こすと、身体も固くなっていようとは。24頁)
第3回:慢慢的口鼻都歪斜起来。一双眼睛也閙得歪不歪正不正。全然失了従前部位。臉上又浮腫起来。眼看得是絶望的了。(ゆっくりと口鼻が歪んできた。両の目もあっちこっちになり、まったく以前の位置を外れた。さらに顔がむくんで、見たところ絶望のようだ。28頁)

 士馬(姓は蘇)は杣木利一のこと。日本語原文では1ヵ所にまとめられた顔の変形描写が、「電術奇談」では第2回と第3回の2ヵ所に分離される。前半はほぼ同じ。目を引くのは後半である。原文にはない、口、鼻、両目の歪みに顔のむくみを加えていることだ。この加筆は、仲達が全く別人の容貌になったことを日本語原文よりも強く読者に印象づけている。
 三吉の過去を述べる部分(伏線8)は、訳文にやや省略がある(162頁)のを除いて、伏線5のルビーの指輪(29頁)、水嶋花(李賽玉)と変名を使う(伏線6。108頁)、うッそり三吉(鈍三)の容貌(伏線7。139頁)、さらに三吉の過去が分からないという伏線9(190頁)は、ほぼ日本語原文のままである。
 物語を展開していくうえで欠くべからざる要点は、すべて、はずしてはいない。そればかりか、「電術奇談」の方には、「新聞売子」にはない描写が書き加えられているところがある。
 たとえば、やや省略があると書いた三吉の過去を述べるくだりだ。「自分の爺の名も知らなけりやアお袋の名も知らずよ、自分で自分の身が、ど、どうして生れて来たのか知らないと云ふ、お、おれの身体がおれに解らないツてんだから」(第43回)は、訳されて「可憐我忘了我的生身父母(哀れなもんさ、おれは自分の実の父母を忘れちまったんだ。162頁)」となる。確かに省略されてはいる。しかし、それを補ってあまりある部分がこれ以前に2ヵ所も加えられているのだ。
第13回:鳳美道。怎麼叫做年紀好像大些。這年紀怎麼可以好像起来的。鈍三道。因為我面貌生得蒼老些。若要問我多大年紀。連我自己也不暁得。鳳美暗想天下那裡有這等蠢人。連自己年紀也不暁得的。因又問道。ェ姓甚麼ァ。鈍三道。這個阿四也常常問我。我也很很的想過好幾天。却只想不出来。連我父母是個甚麼様子的。叫甚名字。我也不知道。鳳美聴了。越発覚得可憐。暗想我是在這裡等死的人。要銭也没有用処的了。不如拿来済了這個人罷。(鳳美「なぜ年上らしいと言うのですか。年齢がどうして、らしい、といえるのでしょう」。鈍三「なぜって、おれの顔付きがちっとふけているからだよ。おれにいくつかと聞いたって、自分でも分かりやァしねえ」。鳳美は考えた。世の中にこんな愚かな人がいるなんて。自分の年すら分からないとは。それで、また尋ねた。「名前は何とおっしゃるの」。鈍三「そいつは阿四にもよくたずねられるんだ。何日もよおっく頭を絞ったことがある。そいつが思い出せねえんだ。おれの父母がどんな顔をして、何て名前かも知らねえ」。鳳美は、それを聞いてますます哀れになり、私はここで死ぬ人間だ、お金があっても使うところもなくなった、この人を助けるにこしたことはないヮ、と考えた。140〜141頁)

第14回:我雖然忘記了父母的模様姓名。又不知那個是我父母。然而総有這麼両個人生我出来的。這両個人就是我父母。這麼説起来。我並不是没有父母生出来的人。如果我好端端的尋了死路。這不是不孝了麼。我是個蠢才還這麼想。小姐。ェ再想想看。鈍三本来是個強嘴笨舌的人。這一夜因為遇見了鳳美尋死。他嚇急了。鼓着那不住顫動的嘴唇。累累贅贅連篇累牘的説了這一大套。(おれは、父母の顔、名前を忘れちまッたし、誰がおれの父母かも知りあァしねえが、結句、その二人がおれを生んだんだ。その二人がおれの父母なんだから、そんなら、おれやァちっとも親無し子じゃあない。もし、わけもなく死にでもすりゃ、不孝になるじゃあねえか。おれはうッそりだが、そう思うんだ。お嬢さんもよおっく考えてみなせえ。鈍三は、もともと口下手ではあったが、その夜鳳美が死のうとしているのに出会い、驚いてしまったのだ。たえず震えるくちびるを奮い起こし、わずらわしくもクドクドながながと話したのだった。144〜145頁)

 上の二つは、林鳳美(麻耶子)が採蓮(お艶)と瞿輝鳳(山川新吉)にだまされて希望を失い、花水橋から身を投げようとして新聞売子の鈍三(うッそり三吉)に助けられる場面である。
 文中にある阿四とは、「新聞売子」の仁助である。仁助と三吉で、二、三と語呂会わせをしているのだが、中国語訳では鈍三と阿四、すなわち三、四に変更されている。張三李四、不三不四等からの自然な連想だろうが、うまい。鈍三の過去が不明だという点が、日本語原文よりも強調されている。注目すべきだ。
 以上の例を見るだけでも、中国語訳では日本語原文の大筋は変更せず、自由に加筆をし、肉付き豊かにしていることが分かる。
 これらの加筆を行なったのは原訳者の方慶周か。または、翻案者の呉〓人か。私は、呉〓人によってなされたと考える。その根拠は、評者・周桂笙の証言だ。
 第2回、蘇士馬が医者批判をする箇所に、突然、中国医者(中国語原文は支那医生)の例が出てくる。それを次のように評する。

  第2回評:士馬はイギリス・ロンドンの人である。どうして俄かに中国の故  実を理解出来ようか。当然、翻案者がわざと面白さをねらったものだ。24頁。
 呉〓人の加筆がある、ということをはっきり書いている。

  同  上:仲達が世の俗事を論ずる部分もまた翻案者が挿入したものだ。25       頁。

 喜仲達が蘇士馬に再会して、「忠厚(誠実)」を論じる場面のこと。中国の医者と「忠厚」だ。この二つは、呉〓人の筆ということが比較的容易に推察できる。しかし、第10回の例はどうか。
 林鳳美は李賽玉と名乗って花水公園に下宿をする。話をする人もなく、人に会うのもおっくう。椅子に座ってぼんやりしていたが、このままではいけない、やはり家に帰ろう、とサウサンプトンへ行く。乗船すると、仲達が岸で彼女を呼んでいるではないか。私を一度は捨てた人が、何で今頃姿を現わすのか。思いは乱れるが、ボンベイに到着してしまう。馬車を捜すが、ない。歩くが道に迷う。道を問うた場所は、仲達が金鉱を開発した工場の建物だった。そこに父親がいる。仲達もいるではないか。やれ、うれしや……。これが夢なのである。次々と場面転換をして、かなり長い。そこで周桂笙の評がある。

第10回評:わけもなく夢が挿入される。思うに、情感を描きたかったのであろう。書きにくいので、このように目まぐるしく変化させる事にしたのだ。原訳にはこの部分は、きっと、ないと私は思った。後に見てみたが、果たして、この部分はなかった。翻案者の、まったくずるいことよ。110頁。

 原訳とはいうまでもなく方慶周の文言訳のこと。林鳳美が夢に入るところなど、まことに自然で、周桂笙による指摘がなければ、これが呉〓人の加筆とはわからない。
 その他、第12回で鳳美が琴を弾く場面(「新聞売子」ではピアノ)に加筆があることを評で指摘する(121頁)。第21回、探偵甄敏達(真辺敏一)がどうして三吉を知ったか、という箇所に眉注をつけて、その説明が原訳にはないことをいう(217頁)。最後に、本作品中の「議論諧謔」部分は、すべて翻案者が挿入したもので、原訳にはないと明記してあること(260頁)は、すでにふれた通りだ。
 評者周桂笙ばかりではない。翻案者呉〓人自身が加筆を言っているところがある。
 「新聞売子」第9回、駅で泰蔵を待つ麻耶子の心配げな様子。「あてもなく室内を歩み廻り居りぬ、いかに待居るも泰蔵の姿の見えぬに、今は顔の色も青ざめつ、気力もなげに椅子に身を投げかけたり……」その後を続けるかたちで、「電術奇談」では、書き写すのさえいやになるくらい長くなっているのだ。

第3回:坐了一会。坐未暖。又起来走幾歩。往門口外面張張。又靠着窓戸望望。偶然聴見脚歩声響。以為仲達来了。搶出来看時。却是個生臉的人。倒弄得不好意思。低着頭咬着那一点朱唇。想一回。又嘆一口気。坐這把椅子上不是。又走到那把椅子上坐坐。坐不安穏。又起来走幾歩。又往窓戸外望望。猶如熱鍋上 蟻一般。不知怎様才好。那裡是極潔浄的一座女客堂。他看得猶如牢獄一般。等得没有多少時候。他過得猶如多少年一様。想到自家因為一点痴情。遠渡重洋。来到此処。郎君已去。並没一個相識人。又是気苦。想到仲達身上。不知吉凶如何。又是担心害怕。看看天色已晩。自己個孤身幼女。還不知住宿在那里。又是焦急。(しばらく腰をおろすと、まだ席が暖まらぬうちに、また立上がって数歩あるく。ドアの外を眺め、また窓によりかかって遠くを見る。ふと足音が聞こえると仲達が来たと思ってとび出してみるが、しかし、見知らぬ人である。恥ずかしくなってうなだれて赤い唇はかんだまま。物思うたびに、溜息をつく。こちらの椅子に座って具合が悪く、そちらの椅子に行ってちょっとすわる。落着かず、数歩あるいて窓の外をながめる。まったく鍋の上のアリで、どうしたらいいのかわからない。そこはごく清潔な貴婦人室だが、彼女には牢獄のように見える。いくばかりも待っていないのに、まるで数年もたったような気がする。自分のちょっとした恋心のため、遠く海原を渡ってここまで来てしまった。君はすでに行ってしまって、一人の知人もいないのがしゃくにさわる。仲達の身の上に吉凶がどうなったのかわからないのも心配で恐ろしい。見ると空はすでに暮れ、自分は独りぼっちで、どこに泊まるかわからないのも、気があせる。37頁)

 鳳美の不安でいらだつ気分を描写して、はなはだ具体的である。
 問題は、このあとだ。続けて、「 、不要説是鳳美当日親身経歴的就是我訳書衍義的人。衍到這裡也替他難過ァ。(ああ、鳳美がその日身をもって経験したのは、私という翻案者がそこまで敷衍したのだといわないで欲しい。私も彼女に同情しているのです。37頁)」という文句が挿入されている。
 翻案者呉〓人が文中にノッソリ顔をだしているのだ。せっかく盛り上がったところで、興醒めしないこともない。しかし、日本語原文に上記引用部分がないことと、呉〓人のこの独白をつきあわせると、呉〓人の加筆の事実が証明される。
 この結論を敷衍する。すなわち、周桂笙の言及がない部分も、加筆のすべては呉〓人によってなされた。方慶周は関与しない。
 呉〓人自身の証言と周桂笙の評言に導かれて、「電術奇談」における加筆部分は呉〓人の手になるものであることがわかった。ここまでの加筆は、日本語原文の大筋を大幅に変更する種類のものではない。描写、あるいは説明をより詳細に行なうためにほどこされている。物語が終わりにさしかかる部分から、この種の加筆と書き換えが目立ってくる。

           4 呉〓人「電術奇談」の方法

 呉〓人の技量が最もよく発揮されているのは、第22回後半からの部分である。日本語原文では、「新聞売子」第66回以降に相当する。本論文の粗筋紹介でいえば、「4.全員集合」の大乱闘が始まるところからだ。
 大乱闘とはいえ、「新聞売子」での記述は長くない。「電術奇談」の文章と比較する。

第67回:さながら狂せるが如き利一は尚手にせる盃を振挙げて力の限り三吉の頭を打てり、三吉は手を挙げてそを防ぎたるも及ばずしていやといふ程その頭を打たれ、悲鳴を発してその場に倒れたり

第22回:士馬大怒。拿起一個玻璃杯。没頭没脳的照臉打去。鈍三低頭一躱。恰好打在額上。登時血流満面。竜馬大 道。不好了。反了。又打傷人了。鈍三被打破額角。他還不知痛楚。還遮護着鳳美。(士馬は大いに怒り、コップを取るや、みさかいもなく顔に殴りかかった。鈍三はうつむいて避けると、
ちょうどヒタイに当る。たちどころに血が顔中に流れる。竜馬がどなった。「くそッ。ちくしょうめ。やりあがった」鈍三は、こめかみを傷つけられたが、苦痛も感じず、鳳美を庇って護る。228頁)

 竜馬は杉田金弥のこと。「新聞売子」の三吉は、頭を割られて倒れたまま、それ以後の出番はない。そこが、「電術奇談」では異なる。「新聞売子」は、上に続いて次のようにある。「電術奇談」の該当箇所も並べてみる。

三人此有様に胆を挫がれ、あれよと云ふ間に利一は隠し持たる短銃を取出せり、彼は麻耶子を打留めんとしたるなりけり/されどこの刹那に敏一は麻耶子を蔽ふて立ち、金弥は利一の腕に飛びかゝれり、かくて金弥は短銃を奪はん利一は左はさせじと揉合ふ機会に短銃は利一の手を放れ、麻耶子の足元に飛び来れり、/斯くと見たる麻耶子は忽ち思ひ決する処あるが如く奮然として短銃を取上げしが、忽ちそを利一に擬し「一歩でも進んで来れば打つて仕舞ひます」されど烈火の如く怒れる利一は金弥の手を放れて猛然として進み来れり、この瞬間轟然一発、弾丸は筒口を出て、只見る白烟の中利一は三吉の上に折重なりて倒れぬ

説時遅。那時快。士馬已経挙起手鎗。回転身来了。竜馬連忙上前托住他那隻手。鈍三此時恐怕傷了鳳美。也顧不得額角痛了。急忙爬起来。狠命的在他那隻手上打了一拳。那枝鎗便抛了下来。不偏不倚的、剛剛跌在鳳美脚下。鈍三到底痛不過。仍旧蹲了下来。俯在地下。忽聴得轟的一声。一 白烟起処。蘇士馬大叫一声。横倒地下。恰好倒在鈍三身上。(あれという間もなく、士馬はすでにピストルを持ち、振り向いた。竜馬はすかさず進みでて、その手を押し上げようとする。鈍三は、その時、鳳美が傷つけられるのを恐れ、こめかみの痛さもかまわず、急いで起き上がり、思いきりその手を打った。ピストルは手から落ち、ちょうど鳳美の足元に転がる。鈍三はとうとう痛さに耐え切れず、もとのままうずくまり地面に屈みこんだ。突然、バンという音が聞こえたかと思うと白煙が上がったところに、蘇士馬がワッと大声を立てて倒れた。そこはちょうど鈍三の上であった。232〜233頁)

 ピストルを持つ利一に跳びかかったのは金弥だ。それが「電術奇談」では鈍三に変更されている。これくらいの改変は、そうたいしたこともないかも知れない。日本語原文に比較的忠実な訳文と言える。しかし、上の引用文で鈍三が、こめかみをコップで傷つけられる箇所から、士馬がピストルを出すところまで、日本語原文にはない長い長い加筆がなされている。中国語で約1700字。日本語に翻訳すれば、四百字詰原稿用紙で10枚くらいになる。その内容を要約するにとどめる。「「竜馬が士馬に殴りかかる。くんずほぐれつ。それに鈍三が加勢する。敏達が割ってはいる。物音にホテルの客が集まって来る(「新聞売子」では、ホテルの人々が集まるのは利一がピストルで撃たれてからだ。それを「電術奇談」では前に移動している)。警察を呼んで来いということになる。鳳美は、皆の前で、仲達とのなれそめ、宝石を仲達に托したこと、追ってロンドンへ行ったこと、捜索を敏達に依頼したこと、パリに来て士馬の贈り物の中に仲達に托した品々があったこと、士馬を問いつめると術をかけられ、あとのことがわからない、今さっき目が覚めたことを説明し、士馬の罪を暴くのだ。「「万事休した士馬が枕の下からピストルを取り出して上記引用文に接続される。
 物語の復習をするのだから、くどいと言えば、くどい。しかし、繰り返しの説明は、読者の理解を助ける作用もする。
 第23回では、鳳美が鈍三に銀百元をお礼として贈り、鈍三はそれで雑貨店を開くという話が加えられる。まことに具体的な加筆だ。具体的と言えば、仲達をさがして銀行を訪問した鳳美が、彼を捜し当てたら怨みごとを言ってやろうと考える部分(第7回。79頁)、前述した鳳美の白昼夢(第10回。108〜110頁)などは鳳美の心理を描写して、いずれも具体的である。また、士馬が妻に、里帰りをしたら四、五元でも食費を母に渡せという加筆(第5回。57〜58頁)、鳳美がバレエで劇場と契約するときの契約金についての加筆(第18回。183〜185頁)などは、金勘定が具体的である。
 話をもとにもどす。三吉は工事中の地中電線に触れて感電する(第71回)。鈍三が感電するのは、雑貨店の入り口を通っている電線が断線したから(第24回。247頁)に変更される。
 うまいと思うのは、士馬の自殺を描くところだ。「新聞売子」では第74回の1回分を使って、利一が獄中で薬物自殺をしたことが書かれる。それを「電術奇談」では、鈍三の入院している病院の医者が、新聞を見て知ることに書き換えている。新聞のニュース記事だから表現は簡潔だ。記述に変化をつけることが出来る。
 敏一は病院の鈍三=仲達むかって、仲達がテムズ河から救い上げられた様子を調査に基づいて説明し、十家巷の住人は行き倒れていた仲達を助けて新聞売子にしたと証言する(256〜257頁)。事件の詳しいおさらいである。日本語原文では、「麻耶子は泰蔵が倫敦を出立してより後の出来事と、わが身の最悲しき経験「「即ち『新聞売子』連日の紙上に載せ来りたる事実「「を説聞かせぬ」と、そっけなく書き放されているだけだ。それを、呉〓人は、読者の腑に落ちるように詳しく加筆する。最後に全員を集めてタネ明かしをするのは、探偵小説のやり口だ。
 書き換えは加筆ばかりではない。当然、削除もある。たとえば、蘇士馬の自殺を新聞記事にまとめた箇所は、その代表例である。周桂笙が、わざわざ眉注で、「ニュースで蘇士馬の始末をつける。省略は少なくない」(248頁)、と述べる通りだ。
 ただし、削除は加筆に比べると判定しにくい。周桂笙が、眉注で呉〓人の手になる省略をいう箇所が、実はもうひとつある(第5回。56頁)。しかし、そこは日本語原文のままで、削除は行なわれていないのだ。
 方慶周が省いた可能性もある、という但し書きをつけて削除の特色をいう。「電術奇談」では「新聞売子」に出てきた「神」、「神様」のほとんどを削除する。

  第12回:ほんに菱田さんは神様にも優つた恩人で御座いますね
  第5回:喜君真是恩人(喜様は、本当に恩人でございます。56頁。同頁の3  ヵ所も削除)

  第25回:何事も神の条規に任せ神より授かりし身を傷つく可からず
  第10回:叮嘱了許多保重身体的話(自愛するようよくよくいい聞かされた。  104頁)

  第66回:お嬢さん、私は一度貴嬢の身投をなさる処を助けてあげました、そ  の時は神様が私の身に宿つたのです
  第22回:李小姐。ェ在花水橋投河時。被我救住了(李お嬢さん、あなたが花  水橋から身投げをしようとしたとき、私に助けられました。226頁。同頁の  2ヵ所も削除)

 例外は1ヵ所(「天菩薩仏爺爺」第6回。70頁)のみである。
 以上の削除に、迷信反対の精神を読み込むのは容易なことだ。しかし、呉〓人の削除だと、私は確信を持って言うことが出来ない。速断は避けたい。
 連載小説でいかに読者を引き付けるか。呉〓人が意を用いたことが、これも周桂笙の第2回評で明らかにされている。
 士馬が、催眠術から目覚めない仲達を手当している最中、外で足音がする、仲達の命はどうなる、その足音は誰のものか、さて、次回のお楽しみ、と第3回に引き継がれる。日本語原文には見られない話の切り方だ。方慶周の原訳でも、そうなっていなかったらしい。周桂笙は評して、「ここまで述べて、突然、やめる。読者に仲達が結局のところ死んだのか、生きているのか知らせず、つづきを読みたくさせるのも、翻案者の不思議なところだ。私は、原文がこうなっていないことを知っている(第2回。25頁)」と書いている。
 読者に謎をつきつける形で、話をつないでいく。物語そのものが探偵小説の要素を持つ。話の継ぎ穂を工夫するから、謎が、一層、強調される。読者の興味はさらに増す。呉〓人がすでに連載小説の技術を会得しているのがわかる。

 「電術奇談」に見られる呉〓人の方法は、いくつかにまとめることができる。
 1.原作の大筋に忠実である。
 2.原作の大筋を変更しない加筆をやっている。
 3.加筆は具体的だ。だから、以下の効果がある。
   a.伏線が増設されると、謎が強まる。
   b.主人公の詳細な心理描写によって、人物が立体的になる。
   c.金勘定が詳しくなると、作品が地につく。
   d.盛り上がる活劇は、作品に動きを与える。
   e.事件の復習が挿入されるから、読者は理解しやすくなる。
 4.筋はこびに工夫を凝らしている。読者の興味をかきたて、持続させるため   の技術である。

 中国医者の挿話は、今の目で見れば違和感があるかも知れない。しかし、ロンドンだ、パリだ、エルセイだといいながら麻耶子、泰蔵、利一などが明治の装束で登場する「新聞売子」も、相当、異様なのだ。それを翻案した呉〓人の「電術奇談」に、突然、中国医者が出てこようが当時の読者は驚きなどしなかったであろう。
 方慶周の文言文6回が呉〓人の手にかかって24回になったのは、文言を白話に直したことと、この加筆が原因だ。
 なぜ、「電術奇談」という題名なのか。電気を利用して催眠術をかける。また、感電して正常にもどった。奇怪な談話であるからだ。
 「新聞売子」そのものが、「事実錯綜趣向変幻」の作品である。呉〓人は加筆によって、それに一層のメリハリをつけた。メリハリをつけることが出来るだけの小説技術を、呉〓人はすでに持っていたことは確かだ。
 「電術奇談」から「九命奇寃」へは、一本道である。


★注「「「「「「「「「「「「「「
1)寅半生「小説閑評」『游戯世界』第1期。刊記なし。丙午(1906年)閏四月  発行と推測される。木刻線装本。第1〜12期、天理図書館所蔵。「小説閑評  叙」には「光緒丙午春季…」、「扉」には「丙午夏孟(ママ。孟夏は陰暦四  月)」とある。「電術奇談」部分は、阿英編「晩清文学叢鈔」『小説戯曲研  究巻』北京中華書局1960.3,473~475頁、および魏紹昌編『呉〓人研究資料』  上海古籍出版社1980.4,92~94頁(以下『資料』と略す)にも収録される。
  参考:樽本照雄「游戯世界総目録」『大阪経大論集』第144号1981.11.15。
2)張冥飛『古今小説評林』民権出版部1919.5.1初出未見。『資料』94~95頁。
3)阿英『晩清小説史』上海商務印書館1937.5。282頁。北京作家出版社1955.8。  186頁。北京人民出版社1980.8。186頁。
4)楊世驥『文苑談往』上海中華書局1945.4・1946.8再版。影印本による。98~99  頁。台湾華世出版社1978.2。128~129頁。
5)盧叔度「我仏山人作品考略「「長篇小説部分」『中山大学学報』1980年第3  期
6)馬祖毅『中国翻訳簡史「「“五四"運動以前部分「「』北京中国対外翻訳出版  公司1984.7。291~292頁。
7)孫楷第『中国通俗小説書目』北京作家出版社1957.1北京一版・1958.1北京二  次印刷。128頁。北京人民文学出版社1982.12。146頁。
8)原作発見の経過を報告した、樽本照雄「呉〓人『電術奇談』の原作」(『中国  文芸研究会会報』第54号1985.7.30)がある。
9)房兆楹輯『清末民初洋学学生題名録初輯』台湾中央研究院近代史研究所1962.  4。5頁。中島利郎「晩清の翻訳小説(2)」『千里文学論集』第16号1976.10  による。
10) 「附記」の作者は呉〓人ということになっている。たとえば盧叔度(注5参  照)、魏紹昌『資料』(91頁)、中島利郎「我仏山人著作目録」(大谷大学『文  芸論叢』第24号1985.3.30。67頁)。しかし、「附記」とあるだけで、別に我  仏山人とは明記されていない。評者が周桂笙で、「総評」のあとに「附記」  があるのだから、その作者は周桂笙であるといってもおかしくはない。呉氈@ 人は、作品中に顔を出すとき、自らを「我訳書衍義的人」(第3回)、「我  演義的」(第7回)と「我」をつけて呼んでいる。ところが「附記」では、  単に「衍義者」というだけなのだ。明らかに使い方が異なる。故に、「附記」  の作者は言われているような呉〓人ではなく、周桂笙だと私は考える。
11) 「新聞売子」は『大阪毎日新聞』連載完結後、単行本化された。前後編2冊  本、大阪駸々堂発行。前編第1〜37回、202頁、1900.9.12。後編第38〜75回、  186頁、1900.10.30。 国会図書館所蔵。方慶周が翻訳の際、底本として使用  したのは、時期的に見て、この単行本の方であったろう。『新聞売子』は、  1920年7月、同書店より再版本が出ている(大正文庫76、77。天理図書館)。
                          (たるもと てるお)