晩清小説大系『老残遊記』の素性


               樽 本 照 雄


 1984年3月、台湾広雅出版有限公司から「晩清小説大系」全37冊が一括して発行された。81種の小説が収録されている。その中の1冊が『老残遊記』である。
 まず、「出版説明」と尉天 「総序」がある。アート紙に口絵が32頁印刷され、本社編審「老残遊記提要」、目次と続いて、本文がくる。「初編」20回、「二編」9回、外編残稿をおさめる。183頁の附録がついて全481頁を構成する。
 さて、「出版説明」と「総序」からして不可解だ。このふたつは、「晩清小説大系」全体のもので、ほとんど全冊の頭を飾っている。各冊に定価が明記されていないから分売はしないらしい。それなのに、なぜ、いちいち二つ合わせて14頁もの文章を重複させなければならないのか。
 口絵を見る。劉鉄雲の肖像写真、天津日日新聞版『老残遊記』の扉、「老残遊記」外編の原稿2枚は、いずれも魏紹昌編『老残遊記資料』(北京中華書局1962年4月)に掲載されたものと同一である。 ただし、大系本が使用したのは、北京中華書局の原本ではない。日本采華書林の影印本である。印刷が不鮮明であるところから、それがわかる。『繍像小説』第9期の表紙と「老残遊記」巻一の本文、および「挿絵(繍像)」は、1980年12月上海書店が影印した『繍像小説』によっている。出所は明らかにしていない。
 「老残遊記提要」では、劉鉄雲と「老残遊記」を簡単に紹介し、本文は天津日日新聞本により、『繍像小説』、亜東図書館本、芸文書房本を参考にしたこと、校勘例を四つあげる。すでにおわかりの通り、以上の部分は、北京人民文学出版社版『老残遊記』(1957年10月北京第1版。1979年5月上海第2次印刷)の流用だ。出所は明らかにしていない。
 大系本独自の校訂を行なったことが3行分書かれている。しかし、私の調べたところでは、対照した本というのが、 台湾清流出版社本(1972年9月再版)、台湾正文書局本(1975年10月1日)、台湾利大出版社本(1977年1月)という本なのだ。本の吟味もせず手当たり次第に比べてみても、それはムダ骨というものだ。校訂したとわざわざことわるほどのことではない。
 「重要参考資料」の評語は、『老残遊記資料』からの孫引きである。
 本文の「初編」20回(注を含む)と「二編」6回は、前出北京人民文学出版社本をそのまま使用する。出所は明らかにしていない。1982年4月に出た再版本は見ていないらしい。提要で、「二編」6回は良友復興図書印刷公司本によったと書いているが、ウソである。「二編」第7〜9回と外編残稿は、『老残遊記資料』所収のものを使ったと、これだけは、大系本の編者も、さすがに書かざるをえなかったらしい。
 附録として、劉鉄雲の日記二則と詩三首が収められるが、これらは台湾世界書局版『老残遊記』(1960年初版未見。1967年12月再版)から引っ張ってきたもの。それだけではない。同書からは、論文を6本再々録する。そのなかに趙景深「十一、希望能多読一些劉鶚的遺著」と劉厚滋「十二、読小説瑣話奉答趙景深先生」がある。「十一」、「十二」という番号が忽然と現われていて何のことかわからない。それもそのはず、この数字は、台湾世界書局本につけられているものだ。編者が消し忘れた孫引きの証拠である。さらに、『老残遊記資料』からは、胡適「亜東版『老残遊記』序」ほか9本の文章をまるまる収容している。出所は明らかにしていない。
 独自の収集になるものは、趙景深「老残遊記及其二集」、李辰冬「老残遊記的価値」、孔」境「老残遊記史料」の3本のみである。
 結論。台湾広雅出版有限公司「晩清小説大系」本『老残遊記』は、北京人民文学出版社版『老残遊記』、魏紹昌編『老残遊記』および台湾世界書局版『老残遊記』の3冊をもとにして、しかも、それを明記せずに編集された、お手軽本である。本文さえ正確ならば、出所などどうでもいいという考えならば、わたし、笑ってしまいます。
 一事が万事、ということがある。その他の「晩清小説大系」本も、推して知るべし。「清末小説研究会通信」第40号(1985年9月1日) で少し触れておいた。
                          (たるもと てるお)