清 末 民 初 小 説 目 録 の 構 想


               樽 本 照 雄


 ある書物の出版が、べつの書物の出現をうながす。目録についても同じだ。あとから出るものは、先行者の不足を補おうとするのが普通である。また、そうあってほしい。

               それぞれの方法

 宋元明清の口語体旧小説を集めた孫楷第『中国通俗小説書目』1は、清末小説を含んで1911年を収録の下限とする。それを説明して、「魯迅先生の『(中国)小説史略』は、通俗小説を記載して宋から清にいたる。いま、これにならい、1912年から現在までは、たとえ同じような口語体旧小説があろうとも、おおむね著録しない」という。収録された小説約800種のうち、清末小説は、約50種である。 記述は、たとえば、

  文明小史 上下2巻60回
    存 商務印書館印本
    清李宝嘉撰。宝嘉、字は伯元。江蘇上元の人。はじめ『繍像小説』に掲    載された。「南亭亭長新著」、「自在山民加評」と題する。のち単行。

というように、簡潔な説明文がつく。商務印書館単行本は、1906年に発行されたこと、李伯元は、「上元の人」ではなく武進(今の江蘇省常州市)の人であること、『繍像小説』の連載は、1−56期であること、などつけ足すことがあるだろう。しかし、なんと言っても清末小説を収録している点が、また、他を刺激する。
 墨者「稀見清末小説目」2は、清末の活版小説が研究の対象にならないことを嘆き、28種を紹介する。数は多くないが、『中国通俗小説書目』と重複するのは、6種類にすぎない。前例にならって、1項目をあげると、

  文明小史 2巻60回
    李伯元撰。光緒丙午年(1906)、商務印書館活版本。
    原書は、最初、『繍像小説』に発表された。維新運動のいろいろな側面    を描く。

という具合で、一長一短である。
 清末小説に関して、孫楷第『中国通俗小説書目』の不足を大きく埋めようとしたのは、なんといっても阿英であろう。この場合、「埋める」というよりは、新たに構築した、といったほうがいいかもしれない。
 阿英の「晩清小説目」3は、商務印書館版『晩清小説史』4の原稿が完成した4、5年後、すなわち1940年には編み終わっていたらしい。ただし、出版されたのは、解放後の1954年になってからである。
 「晩清小説目編例」の冒頭には、孫楷第『中国通俗小説書目』、『日本東京所見中国小説書目』にとりこぼされた清末小説は、あまりに多く、所蔵本(原文「家蔵」)に基づいて、この小説目を編纂した、とわざわざことわっている。早くから阿英が、清末小説を収集していたことがわかる箇所だ。
 「晩清小説目」は、創作と翻訳の二部構成で、単行本を主にし、雑誌からも採取する。収録範囲は、光緒初年から、宣統辛亥革命の成功までだという。
 収録作品を分析してみると、光緒8年(1882)から民国元年(1912)まで、創作 479種、翻訳 628種、合計1107種(増補版による)、同一種の作品で、再版などをいちいち数えると、全1144件を収録する。清末小説についてのみいえば、収録数は、孫楷第本の、実に、約22倍である。
 例をあげる。

  文明小史 南亭亭長(李伯元)著。60回。光緒三十二年(1906)、商務印書    館発行。2冊。

 単行本の情報が、記されている。しかし、初出の『繍像小説』については、触れない。阿英には、阿英なりの理由があったようだ。「晩清小説目編例」に、編集方針を述べて、最初、孫楷第にならい、各書の版本について詳述するつもりだったが、『晩清小説史』においてすでに詳しく論及したので、ここでは簡単にした、という意味のことをいっている。
 阿英自身にしてみれば、重複を避けたつもりだろう。だが、利用する側からいえば、『晩清小説史』をみて、「晩清小説目」をひくなど二度手間にほかならない。小説目は小説目として、独立して利用できてこそ、読者の役に立つ。
 もうひとつ、採録基準について疑問がある。単行本を主に、雑誌掲載のものを従としたのはいい。ただし、雑誌掲載の作品を採録する基準が明記されていない。阿英の判断で、収録するに価するもののみを掲げたのかとも推測するが、彼自身による説明はない。
 ちいさなキズはあろうとも、清末小説の、それも専門に、これだけの規模でまとめあげた阿英の力量、収集力の非凡さに、今更ながら、私は、敬意を表したい。今まで、どれくらいお世話になったかわからない。5
 孫楷第本、阿英本のあとに出てきた補遺には、

通俗小説書目補遺及其他 張穎・陳速 『明清小説論叢』3輯 1985.8
《中国通俗小説書目》補 胡士瑩遺著 曾華強整理 蕭欣橋校訂『明清小説論叢』4輯 1986.6

阿英《晩清小説目》補遺 谷ワ 《新民報晩刊》1957.11.21初出未見 『中国近代文学論文集』小説巻 中国社会科学出版社1983.4 
晩清小説補目 上海書店、上海図書館 《晩清小説大全》編印計画(徴求意見稿)阿英「晩清小説目」をも収める。1985.8付上海書店の説明文あり
阿英《晩清小説目》補遺 張純 タイプ版

などがある。価値ある仕事である。元本に統合してもらうと、もっと、いい。
 大塚秀高編著『増補中国通俗小説書目』6に、私は、期待した。書名に「増補」とあるのだから、孫楷第の収録した清末小説がどれだけ「増補」されたのか、興味津々だったのだ。
 本書は、労作である。所蔵機関に、中国の図書館、大学、欧米の図書館、大学、日本の図書館、大学をあげるだけでも大変なものだ。大きな労力が投入されていることが一見してわかる。
 著録方針を抜粋する。「光緒初年以降に刊行されたものは原則として省く」、「石印本、排印本については原則として著録しない」、「新聞、雑誌が初出であるものは、後に木版本が刊行された場合も著録しない」と、収録範囲を厳密に限定する。それが著者の方針なのだから、しかたがない。当然、「この書目は同治年間以前に執筆され、あるいは刊行された語体旧小説の木版本の総目録とほぼ等価となったのである」。清末小説は、あっさり切り捨てられてしまった。
 「そもそも『晩清小説』、あるいは『清末小説』といった概念が、中国の小説史の中でどれほど有効なものであるかが、筆者には疑問なのである」とあるだけで、それ以上くわしいことがわからない。ただ、せっかく孫楷第が清末小説を取り込んでくれたのだから、著者の言葉を借りれば、「たとえ一般的であり、目睹していないものではあっても、それをすべて著録しておいて欲しかったというのが私の偽らざる気持ちである」。
 もっとも、「増補」というのを孫楷第『中国通俗小説書目』の「増補」だと勘違いした私の方が悪いのかも知れない。これは、同じ著者による「『中国通俗小説書目改訂稿(初稿)』を増補改訂し、『増補中国通俗小説書目』と改題したもの」であったからだ。
 一方、著者が清末小説を切り捨てたのは、賢明な選択であったと感心しないわけにはいかない。清末小説にはまりこんだら、それこそ泥沼であるからだ。
 さて、ここに、孫楷第『中国通俗小説書目』、阿英「晩清小説目」および大塚秀高『中国通俗小説書目改訂稿』に主としてよった、と称する目録が発表された。江蘇省社会科学院文学研究所「中国通俗小説総目(未定稿)」7である。先行文献をまとめるわけだから、より充実したものだと、誰しもが思うだろう。
 文言小説、翻訳小説、1912年以降の小説は、採らない、とある。翻訳小説を省いたところから、もう、つまずく。外国の小説であって、中国のものではない、というのだろう。しかし、清末小説に与えた影響を考えれば、翻訳小説を排除することなど、到底できるはずがないし、また、無視してはならないことはいうまでもない。でてきたものを見ると、書名、巻数、回数、著者名、これだけが書名の筆画順にならべてあるだけだ。例を見てもらう方がはやい。

  文明小史 二巻六十回  清・南亭亭長

 これだけである。書名と著者名だけでは、そういう書物が過去に発行されたことがわかるのみだ。編集意図が不明といわざるをえない。これでは、名前をあげた孫楷第、阿英、大塚秀高に失礼というものだろう。既出のものをまとめあげようとして、かえって足を引っ張ってしまったというところだ。
 ただ、原稿には詳細な説明があり、紙幅の関係で簡略にしたとも考えられる。「未定稿」というのが、それを説明しているのかも知れない。それにしても、出版年くらいは、あってもよかったのではなかろうか。

             清末民初小説目録の構想

 いくつか例をあげてみて、結局のところ、今の自分にとって必要な目録は、既存のもののなかにはない、という結論に落ち着く。
 私の構想する目録について述べよう。
 大枠の前提である。まず、役に立たなければならない。利用できる情報が記載されている、と言いなおしてもいい。

 a.期間
 採録対象の作品をどの範囲で区切るか、から始めよう。
 基本的には、1902−1918年にしぼりたいと考える。
 1902年は、梁啓超が日本横浜で『新小説』を創刊した年だ。清末小説の繁栄を支えたのが、雑誌の発行であった。小説専門雑誌『新小説』の創刊を、起点と考えてさしつかえない。
 下限のほうは、孫楷第、阿英のように辛亥革命とする考え方がある。狭く区切れば、それだけ労力がはぶけて結構なのだが、辛亥革命で終わってしまうと、文学革命までが空白になってしまう。それは、避けたい。今までにない目録を目指しているのだ。
 1902−1918年というのは、あくまでも基本的な目安である。実際には、例外がいくらでも出てくる。たとえば、林。、王寿昌訳の小デュマ作『巴黎茶花女遺事』の発行は、1899年である。これを外すことはできない。
 作品採取の材料ともかかわってくるが、阿英「晩清小説目」に採られた作品は、1902年以前のものであろうと、無条件にとりいれることにする。
 1918年以降はどうか。一例をあげる。1910年に創刊された『小説月報』は、周知のとおり、12巻1号より文学研究会の機関誌に改革される。これが1921年1月のことだ。1918年で機械的に切り捨ててしまえば、作る方とすれば楽だが、利用する側からいえば、不親切だ。当然、1920年12月までを採る必要がある。
 例をもうひとつ。商務印書館版「説部叢書」である。わざわざ商務印書館版とことわるのは、小説進歩社、群学社といった商務印書館以外の出版社からも「説部叢書」と銘打ったシリーズが発行されているからだ。この商務印書館版「説部叢書」は、最初、第一−十集の各集10編全 100編で出版された。つぎに、作品の一部を入れ替え、最初の 100編を初集 100編に数えなおし、表紙をつけかえて出す。2集 100編、3集 100編とつづいて4集22編で完結するかなり大きい叢書である。8発行年を1918年で切った場合、3集の後半から4集のすべては、採録対象からはずれてしまう。こういう叢書は、まとまっていてこそ利用価値がある。説部叢書も、まるごと採取する。
 採取に当っての、基本姿勢は、あれかこれか、と切ることではなく、あれもこれも、抱え込むことだ。取捨選択は、利用者に任せる。採らなければならぬ材料は、必然的に増えるばかりとなる。

 b.材料
 清末民初小説がどのように発行されたのかを考えれば、基づく資料はおのずと定まってくる。
 まず、雑誌そのものを重視する。活版印刷普及にともない、定期刊行物の発行が盛んになったのが清末時期であった。雑誌に掲載される作品が急増し、そのなかから、さらに単行本として出版されるものがでてくる。清末以降、雑誌などの定期刊行物が作品発表の主要な舞台となった。ゆえに、単行本を主に、雑誌掲載の作品を従に、などと区別する必要などない。単行本も個々の作品も、同様にあつかう。
 『新小説』『繍像小説』『月月小説』『小説林』『新新小説』を影印した「晩清小説期刊」シリーズが上海書店より発行された。9利用価値がある。これより以前に、私が作成していた「繍像小説総目録」「月月小説総目録」「小説林・競立社小説月報総目録」「小説時報総目録」なども使用する。
 作品の影印、復刻を集めた叢書類がある。たとえば、阿英編「中国近代反侵略文学集」10であるとか、同じく阿英編「晩清文学叢鈔」11、はたまた王孝廉等編「晩清小説大系」全37冊12も採録対象となる。
 つぎは、2次文献である目録類だ。これらから単行本を拾う。
 阿英「晩清小説目」をはじめとして、その他、「中英雅片戦争書録」「甲午日中戦争書録」「庚子八国聯軍戦争書録」「辛亥革命書徴」など、彼の編集した書目。13ならびに、後人の補遺。孫楷第『中国通俗小説書目』および、同じく、後人の補遺を見逃すことはできない。
 日本で見ることのできない雑誌については、上海図書館編『中国近代期刊篇目彙録』全6冊14という便利なものがある。1857−1911年に創刊された哲学、社会、科学方面の雑誌497種(説明では495種というが誤りだろう)の目録を収録している。小説とおぼしいものは、すべて採録する。
 上海図書館編『中国近代現代叢書目録』15で、商務印書館「説部叢書」「林訳小説叢書」を確認し、馬泰来『林。翻訳作品全目』等16によって、原作をおぎなう。
 あとは、図書館などの所蔵目録から抽出する。
 既発表の個別論文には、できるかぎり当り、必要事項を採り入れる。
 そればかりではない。清末民初小説といっても、後に、復刻されたものも少なくない。出版社が異なって発行されたものは、最近のものもこれを採る。

 清末民初に発表された作品の、初出から現行版本まで、発行所、発行年はいうにおよばず、翻訳ならば原作、原著者にいたるまで、判明していることはすべてを記述する。いわば各作品の履歴書をつくりたいのだ。
 以上が『清末民初小説目録』の構想である。まもなく、皆様に現物をお目にかけることができるだろう。


★ 注
1)孫楷第『中国通俗小説書目』 北平国立北平図書館1933初版未見、北京作家出版社1957.1北京第1版未見、1958.1北京第2次印刷、 北京人民文学出版社1982.12訂正重版
2)墨者「稀見清末小説目」 『学術』第1輯 1940.2
3)阿英編「晩清小説目」 『晩清戯曲小説目』 上海文芸聯合出版社1954.8、増補版 上海古典文学出版社1957.9、中華書局1959.5(未見)
4)阿英『晩清小説史』 上海商務印書館1937.5、北京作家出版社1955.8、北京人民文学出版社1980.8 そのほか台湾、香港の影印版がある。
5)阿英「晩清小説目」を使って、清末小説全体における創作と翻訳の量的変化を見たことがある。樽本照雄「目録って何だ」『大阪経大論集』124号1978.7.15。のち『清末小説閑談』法律文化社1983.9.20所収。
6)大塚秀高編著『増補中国通俗小説書目』汲古書院1987.5.15
7)「中国通俗小説総目(未定稿)」 江蘇省社会科学院文学研究所『明清小説研究』4輯 1986.12
8)中村忠行「商務版『説部叢書』について」 『野草』27号 1981.3.1
9)「晩清小説期刊」 上海書店影印 1980.12
10)阿英編「中国近代反侵略文学集」
鴉片戦争文学集 北京古籍出版社1957.2
        中華書局二次 1962.11
中法戦争文学集 北京中華書局 1957.12
甲午中日戦争文学集 同 上  1958.7
庚子事変文学集   同 上  1959.5
反美華工禁約文学集 同 上  1960.2
11)阿英編「晩清文学叢鈔」
小説一巻    同 上 1960.5、1980.6
小説二巻    同 上 1960.5、1980.6
小説三巻    同 上 1960.8、1982.9
小説四巻    同 上 1961.4、1982.10
域外文学訳文巻 同 上 1961.9
俄羅斯文学訳文巻 同上 1961.10
12)王孝廉等編「晩清小説大系」 台湾広雅出版有限公司 1984.3
全37冊、81種の小説を復刻。主として阿英編の「中国近代反侵略文学集」、「晩清文学叢鈔」また『新小説』『繍像小説』などの小説雑誌影印本をもとに再編集したもの。
13)以下は、いずれも阿英編のもの。
「中英雅片戦争書録」 張静廬輯注『中国近代出版史料初編』 上海上雑出版社1953.10
                  ママママ
「甲午日中戦争書録」 『中日戦争文学録』(集ヵ)近百年来中国文学大系之二 北新書局1938(未見)、張静廬輯注『中国近代出版史料初編』 上海上雑出版社1953.10
「庚子八国聯軍戦争書録」 張静廬輯注『中国近代出版史料初編』 上海上雑出版社1953.10
「辛亥革命書徴」 『学林』6輯 1941.4、張静廬輯注『中国近代出版史料初編』 上海上雑出版社1953.10、『晩清文芸報刊述略』上海古典文学出版社1958.3
14)上海図書館『中国近代期刊篇目彙録』 上海人民出版社
(1)1857−99年分 1980.7 (2)1900−11年分 1979.10 (3)1900−11年分 1981.6 (4)1900−11年分 1982.2 (5)1912−14年分 1983.8 (6)1915 −18年分 補編 1984.8 497種(説明では495種というが誤りだろう)を収録。
15)上海図書館編『中国近代現代叢書目録』 香港商務印書館分館 1980.2
  1902−49年に出版された叢書の書名目録
16)馬泰来「林。翻訳作品全目」 『林。的翻訳』北京商務印書館 1981.11
馬泰来「林訳提要二十二則」 『馮平山図書館金禧紀念論文集』 香港香港大学出版社1982
馬泰来「林。訳書序文鈎沈」 『清末小説研究』6号 1982.12.1
薛綏之・張俊才編『林。研究資料』 福建人民出版社 1983.6


                          (たるもと てるお)