台 湾・林 明 徳 編『 晩 清 小 説 研 究 』書 評


中 島 利 郎


 台湾において近年来盛んになってきた晩清小説研究の状況については、以前『中国文芸研究会会報』53号(1985.6.30、中国文芸研究会)に、「台湾における晩清小説研究」と題して紹介したことがある。その中で、それまで台湾において出版された晩清小説関係の研究書について触れたが、いま一度それを整理しておくと以下のようになる。

  A.李培徳『曾孟樸的文学旅程』(陳孟堅訳)1977.8伝記文学出版社
  B.林瑞明『晩清譴責小説的歴史意義』1980.6国立台湾大学出版委員会
  C.陳幸閨w「二十年目睹之怪現状」研究』1982.6国立台湾大学出版委員会  D.国立政治大学中文系・中研所編『漢学論文集・晩清小説専号』1984.12文史哲出版社
  E.『聯合文学』第一巻第六期「晩清小説専輯」1985.4聯合文学雑誌社

 Aは、カナダ在住の著者が、台湾の中国文化大学に籍を置く曾樸の子息・曾虚白の協力を得て書き上げた曾樸の伝記である。原文は英文。
 Bは、台湾で唯一個人の手による晩清四大作家の代表作四作品(「官場現形記」「二十年目睹之怪現状」「゙海花」「老残遊記」)を扱ったもの。著者の碩士(修士)論文である。氏はまた詩人でもある。
 Cは、現在では散文作家としても知られ、また国防管理学院に勤務する著者が、大学院在籍中に碩士論文として書いたもので、「二十年目睹之怪現状」研究としては現今唯一の専著である。
 Dは、1984年12月1日・2日の二日間にわたって台湾の政治大学で開催された「晩清小説専題研討会」での発表を一冊の「専号」にまとめたもので、中央研究院、台湾大学、輔仁大学、政治大学、文化大学、東海大学などに所属する十一名の研究者の論文を収めている。
 Eは、1985年1月5日に聯合文学雑誌社の主催で行なわれた「晩清小説座談会」の席上での発言を整理掲載し、更に「書面意見」として六篇の記事・論文類を附載したものである。
 以上に見るように、1977年より1985年にかけて台湾ににおける晩清小説研究は急激に盛んになってきたのである。その原因については、第一にそれまで台湾では厳禁であった「三十年代文学」などに対する研究が、制限はあるものの徐々に行なわれるようになり、その結果従来はその名前さえ公にできなかった魯迅や阿英などの手になる資料類が利用できるようになったこと、第二に日本での研究成果および日本や香港を経由しての大陸の研究成果に刺激されてのことなどが考えられる。また、これらの研究の内容的にみれば、個人の手になるA・B・Cからはかなり啓発されるところがあったが、D・Eのふたつの特集は各人が晩清小説をさまざまな角度から論じてバラエティに富んだものであるにもかかわらず、そのほとんどが胡適・魯迅・阿英の業績によって論を展開しており、それほど示唆に富むものはなくいささか残念ではあった。しかし、台湾の晩清小説研究がこのふたつの「研討会」「座談会」とその成果であるこれらの特集に結実したことは研究の広がりという点において、今後におおいに期待ができると感じた。

 さて、上記のふたつの特集が発表されてからほぼ三年を経た本年三月、台湾の聯経出版事業公司から林明徳編著『晩清小説研究』が出版された。編者の林明徳は、台湾の輔仁大学中国文学系教授で、三年前のふたつの特集の参加者でもある。編者の「編序」を除いて収載論文が十九(ほかに付録二)、本文五六七頁・索引十四頁の大冊である。この三年間、台湾は政治的にも経済的にもおおいに変化をとげた。たとえば、戒厳令の解除、総統蒋経国の死による本省人総統の出現、台湾人の大陸への探親、大陸の文学作品の紹介出版等々、急激な経済的優位とあいまって徐々に開放的な政策がとられるようになってきた。そのような中で出版されたこの大冊に、台湾の研究者によるどのような研究成果が盛られているのか、この三年間で台湾の晩清小説研究はどのような発展や展開を見せたのか、おおいに期待をいだかせた。いま、その内容を示すと以下の通り。

  1.林明徳「彌補中国文学史的一頁空白──編序」
  2.張玉宝「晩清的歴史動向及其与小説発展的関係」
  3.澤田瑞穂(謝碧霞訳)「晩清小説概観」
  4.夏志清「新小説的提唱者:厳復与梁啓超」
  5.Shu-ying Tsau(謝碧霞訳)「『新小説』的興起」
  6.林明徳「論晩清的立憲小説」
  7.頼芳伶「論晩清的華工小説」
  8.樽本照雄(謝碧霞訳)「[官場現形記]的真偽問題」
     付録1 「[官場現形記]審判」
     付録2 「[官場現形記]的初期版本」
  9.林瑞明「[官場現形記]与晩清腐敗的官場」
  10.林瑞明「[二十年目睹之怪現状]与晩清的末世現象」
  11.陳幸閨u[二十年目睹之怪現状]的評価」
  12.夏志清「[老残遊記]新論」
  13.樽本照雄(謝碧霞訳)「劉鉄雲与[老残遊記]」
  14.林瑞明「[老残遊記]与晩清社会」
  15.頼芳伶「論[゙海花]的小説芸術」
  16.呉淳邦「晩清四大小説的諷刺対象」
  17.周宰嬉「[文明小史]的主題和人物類型」
  18.李健祥「清末民初的旧派言情小説」
  19.Milena Dolezelova-Velingerova(謝碧霞訳)「晩清小説中的情節結構類型」
  20.Milena Dolezelova-Velingerova(謝碧霞訳)「晩清小説中的叙事模式」

 さて、先ず「目次」に目を通すや、素直に驚いた。よくもこの三年という短期間でこのような論文集をとりまとめたものだなどと思いながら、早速編者に敬意を示して林明徳の「論晩清的立憲小説」から読み始めた………おかしい、あまりおもしろくないと思いながら読み進み、「第三節・晩清立憲的主題意識」にたどりついてやっと気がついた。以前に読んだことがあるのである。そこでどこで読んだのか調べてみると、先に挙げたD『漢学論文集』の中にまったく同様の論文があった。林明徳のこの論文は再録であったのだ。まさかとは思ったが念のために他の論文類についても当ってみることにした。その結果この『晩清小説研究』と題した大冊中の論文は、巻頭に掲げられた林明徳の「編序」以外ほとんどすべて再録であったのだ。2の張玉法、5の林明徳、7の頼芳伶、16の呉淳邦、18の李健祥、この五つの論文はDの『漢学論文集』から、4の夏志清のものは、夏氏の著書『人的文学』から、12も同氏の著書『文学的前途』からの再録、9の林瑞明のものは前記Bの『晩清譴責小説的意義』中の第三章、10は同じく第四章、14は同じく第五章の全文の再録(この部分の初出は、1977年11月中華文化復興月刊社刊『中国古典小説研究』収載)、11の陳幸閧フものは前記Cの『「二十年目睹之怪現状」研究』の第六章の再録(これは二度目の転載である)、3の澤田瑞穂および8と13の樽本照雄のものは、日本の『清末小説研究』1号および6号と『大阪経大論集』94号からの翻訳転載(付録は『中国文芸研究会会報』31・33号からの翻訳)、5のカナダ在住の中国人の論文と19、20のカナダ在住のチェコスロバキア人(いずれもトロント大学)の論文は、どちらも、原載誌は記されていないが、これらは英文からの翻訳転載のようである(尚、翻訳はすべて謝碧霞の手になるが、訳文については、少なくとも日本語からのものは正確である)。15と17の二論文については原載は見出せなかったが、以上の状況から考えてやはりどこからかの再録と考えられよう(以上、日本語からの翻訳論文以外には原載誌や初出誌の明示はない)。つまり、この大冊はほぼ三年前までに発表された論文類を、単に寄せ集めたにすぎないものなのである。と言うようなわけで、わたしの期待は裏切られた。
 林明徳がなぜわざわざこのよう寄せ集めた論文類に『晩清小説研究』と銘打って出版したのか、その意図はよくわからない。この数年来、中国大陸および日本における晩清小説に関する資料や研究書の出版は目をみはるものがある。もし再録を企図するのならば、この書に掲載された論文、すくなくとも台湾で書かれたものについては、それらの史資料に基づいて増補や訂正などが行なわれて然るべきであるが、ただ誤植や若干の誤りが訂正されているだけで、どの論文も以前発表のものとほとんど変りがなく、当然訂正されるべき誤りなどもそのままである。また、既に首尾の整った形で出版されている林瑞明の著書『晩清譴責小説的歴史意義』よりわざわざ三章のみを割き、再録する必要がなぜあるのか、さらに、陳幸閧フ「[二十年目睹之怪現状]的評価」は、彼女の著書『「二十年目睹之怪現状」研究』全六章の結論部分であり、他の章を読まずしてこの章だけを読むことは、彼女の「二十年目睹之怪現状」に対する評価について誤解を招く恐れがあるのではないか。やはりこの論文は彼女の「二十年目睹之怪現状」論全体の中で読まれるべきである。したがって、単行書あるいはそれに準ずる形になっているものを、わざわざこのようにまるで新味のない一冊にまとめあげる必然性はまったくないと思う。これではこの三年間、台湾の晩清小説研究にはまるで進歩がなかったような印象を受けざるを得ないではないか。
 次に論文の内容的な面に言及してみる。もちろんすべての論文について検討する余裕はないし、また、三年前に読んだ時の感想を繰り返し述べることになるのだが、以下、この大冊の編者である林明徳の「論晩清的立憲小説」に限って見ることにする。本論は、全四節に分れている。第一節では清末の政治状況を概括、第二節では、晩清小説の生成を胡適の「五十年来中国之文学」、魯迅の『中国小説史略』、阿英『晩清小説史』より概括する。以上の二節がこの論文の導入部で序説となる部分であるが、とくに目新しい所はない。中心となる第三節「晩清立憲的主題意識」では、先ず阿英『晩清小説史』第七章「立憲運動両面観」中の立憲小説関係の作品類をそのまま踏襲し羅列して紹介、次いで立憲小説を「(一)擁護立憲運動的小説」と「(二)反対立憲運動的小説」の二派に分け、前者では梁啓超「新中国未来記」、春z「未来世界」、後者では黄小配「大馬扁」、李伯元の「文明小史」、藤谷古香「轟天雷」、呉熕l「立憲万歳」についてそれぞれ紹介している。これは一見整然とした分類のようにみえるが、晩清の立憲小説を上記の二派に分けて分類したのは、阿英の『晩清小説史』が最初であり、林明徳はそれをそのまま踏襲しているだけなのである。その上、この二派に分類されている小説類にしても、ほぼ阿英の作品の分類をそのまま取入れ、それら作品に阿英よりは幾分詳しく解説を加えたに過ぎない。ただ少し異なるのは、阿英が「立憲擁護小説」の項に入れた呉熕lの「立憲万歳」を、「立憲反対小説」に入れ替えた程度であるが、これとてもどちらに分類しても主旨は阿英の示すところとさして変らないのである。つまり、この論文は細部には異なる所はあるものの、全体的、そして主要な部分は阿英の『晩清小説史』第七章を敷衍したにすぎず、林明徳の晩清立憲小説に対する観点は、阿英の観点から一歩も出ていないと言ってよいだろう。林明徳は巻頭に掲げた「編序」の中で、この『晩清小説研究』が「中国文学史の一頁の空白を彌補する」との旨を述べているが、これで「彌補」したつもりなのであろうか。
 次に、この大冊の中に収められている台湾研究者の論文類の一般的な傾向について簡述しておく。彼等のほとんどの論文は、魯迅の『中国小説史略』について言及あるいは引用をしている。ところが、いったいどの版本に依拠しての言及あるいは引用なのか明記されていない(6の林明徳、17の周宰嬉等)。あるいはあったとしても、「周樹人[中国小説史略](台北、明倫、五十八年五月影印)」、という版本を注記、使用している(9・10・14の林瑞明等)。この版本はおそらく大陸版リプリントの海賊版であろう。海賊版を使用したとしてもべつに問題はないのであるが、いったい『中国小説史略』のどの版に依拠してのリプリントか、明示がないのはこまる。『中国小説史略』は、魯迅の生前にすでに四種の版本が出ており、それぞれの版本は出版のたびごとに魯迅の改訂を経ているのであるから、その明示は必要なはずである。また、阿英の『晩清小説史略』についても同様なことが言える。単に「阿英、[晩清小説史]」と注記するもの(6の林明徳、17の周宰嬉等)、「阿英、[晩清小説史](台北、商務、五十七年五月台一版)」と注記するもの(9・10の林瑞明、11の陳幸閨A15の頼芳伶等)、「香港、一九七三」や「香港中華書局」とするもの(2の張玉法、18の李健祥)等さまざまである。「台北、商務」版とは、1968年5月台湾商務印書館刊行の「人人文庫」版『晩清小説史』のことで、これは1937年5月上海商務印書館初版の影印縮刷版であり、しかも第十四章に魯迅の「域外小説集」についての大幅な削除があったりする。周知のように、阿英の『晩清小説史』は上記の上海商務印書館の初版刊行以降、1955年8月に阿英自身が大幅に手を入れた改訂版が作家出版社より刊行され、また阿英の死後の1980年8月には北京人民出版社から、その女婿呉泰昌による誤記・誤植訂正版が出ているのである。台湾の研究者はおそらく政治的な理由から、表立っては人民共和国成立以降大陸刊行の資料類は使用できない、あるいは使用を差控えているのかもしれない(在米の夏志清のものは除く)。一度台湾でリプリントし、リプリントした出版社が政府の認可を得た後利用できる、ということだろう。それはこの大冊に収められた台湾在住の研究者の使用文献からも察することはできる。しかし、五十年も以前に出た文献をそのまましようすることは、かえって台湾における晩清小説研究の発展を阻害することになるであろうし、林明徳が「編序」で述べている「中国文学史の空白の一頁を彌補する」ことにもならないであろう。三年前にできなかったかもしれないが、いまは台湾の状況も変化していることだし、せめてこの『晩清小説研究』出版時には利用できる資料は、各論文になんらかの形で織込む努力がなされるべきではなかったのか。もし、今後もこのような状態が続くのであれば、台湾での晩清小説の実証的研究は望めまい。魯迅の『中国小説史略』も阿英の『晩清小説史』も、晩清小説研究史の中では既に古典的な研究書と言ってよいだろう。そして、なかなか乗り越えがたい研究書でもある。しかし、ただ『中国小説史略』の記述に寄掛かり、『晩清小説史』を祖述するだけでは学問的な進歩はなく、新たな視点なり資料をもって実証に徹してこれらの古典を些なりと凌駕するのでなくては、研究の発展も望めまい。いま、編者の林明徳の論文のみをとりあげ、あげつらうようなことを述べたが、大陸においては魏紹昌をはじめとする研究者が、また日本でもその壁を乗り越えるべく確実に努力を重ね「中国文学史の空白の一頁を彌補」しつつある現状を考えれば、以上のように言わざるを得ない。

(なかじま としを)