劉鉄雲「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」跋について


 前に掲げたのは、劉鉄雲に関する新出資料である。日比野丈夫氏よりご提供いただいたものだ。氏のお手紙に次のようにある。

 陸羯南が中国へ行った時、劉鶚から贈られた「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」の二冊をもっております。鈴木豹軒先生旧蔵のもので、辛丑六月(明治三十四年)とあり、一度、羯南全集などを調べたいと思いながらそのままになっておりました。『清末小説』10号のリストにはその名が載っておりませんので、一文したためました。
 瓦豆文、瓦当文ともに一冊で、それぞれ拓本を綴じたものです。瓦当文の方は一つひとつ自筆の解説がついております。ともに開巻第一葉に自筆で書いたもので、瓦豆文の方には年記がありませんが、瓦当文と同時の筆であることは間違いないと思います。

 以上の説明で充分のような気がするが、最小限の補足をしておく。

★1.陸羯南の中国行
 陸羯南(1857-1907) 弘前の人。幼名は巳之太郎、後に実と改める。羯南は号。新聞『東京電報』、『日本』を創刊し、主筆兼社長として筆をふるう。『日本』は、当時の政府から30回にわたり発行停止処分をうけている。日清戦争後、「東亜問題」に関心をいだき、東亜会(東亜同文会の前身)を結成。1898年、近衛篤磨らの同文会と合併した際には、会長・近衛のもとで幹事となった。1901(明治34)年、近衛篤磨に随行して清韓両国を視察する。前出資料は、この中国行のときのものである。
★2.劉鉄雲と陸羯南の関係
 劉鉄雲の交遊範囲に陸羯南がいたことは、いままで知られていない。
 1901年7月23日(六月初八日)、劉鉄雲が近衛篤磨と会見した事実は、近衛側から『近衛篤磨日記』、劉鉄雲側から「辛丑日記」により確認できる(沢本香子編「劉鉄雲辛丑日記を再構成する」『清末小説』9号1986.12.1。 樽本照雄「劉鉄雲と日本人」『清末小説』10号1987.12.1)。 しかし、陸羯南については、劉鉄雲の「辛丑日記」にその名前が見えない。資料の「辛丑六月十一日」という日付の「辛丑日記」部分を見ても、陸羯南は出てこないのだ。もっとも、ここで言っている「辛丑日記」というのは、現物の日記ではない。劉闡キ『鉄雲先生年譜長編』(済南・斉魯書社1982.8)に引用されたものである。劉鉄雲の日記には、出会った人物について詳細な記述があるとは限らないが、少なくとも名前は記入されているように思われる。つまり、日記の現物には陸羯南の名前がある可能性を否定することができない。劉闡キが自著『鉄雲先生年譜長編』に「辛丑日記」を引用する時、陸羯南の部分をとりこぼしたのかもしれない。「辛丑日記」が再発見されるのを待つより方法がないだろう。
 ついでにいえば、六月十一日にあたる近衛篤磨日記の7月26日部分を見ると、
中国人たちとの面会、孔廟への訪問、劉鉄雲の来状が記録されているが、陸羯南の名前は、ない。劉鉄雲が陸羯南へ、直接、瓦豆文、瓦当文を渡したのだとしたら、陸羯南がひとりで劉鉄雲に面会したということだろう。直接面会したのではなく、瓦豆文、瓦当文は贈物として届けた、と考えられなくもない。
★3.瓦豆と瓦当
 瓦豆は、瓦製のたかつき。
 瓦当は、「がとう 瓦当 Wa-tang 軒丸瓦と軒平瓦の正面にあたる部分。当はリと書くのが正しく、正面を向いた飾りという意味。中国では戦国時代に、軒丸瓦の端をふさいで、半円形の瓦当をつくることが始まった。漢代以後の瓦当は、円形のものがふつうである。南北朝ごろから、軒平瓦も端がひろがって、瓦当といえるようになった。瓦当にはいろいろの文様や文字があらわされていて、研究の材料となる。中国で生まれた瓦当は、日本や朝鮮にも伝えられた。(関野雄)」(『アジア歴史事典』第2巻1959.12.15初版、1984.4.1新装復刊。201頁)
 瓦当に刻まれた文字は、一般には四字のものが多いが、劉鉄雲の所蔵品のなかには、五字、七字、八字、九字などというものも少なくない、という(劉徳隆、朱禧、劉徳平著『劉鶚小伝』天津人民出版社1987.8。125-126頁)。
★4.印について
 ふたつの表題の下に見える大きな印章は、「劉武僖王後裔」と読める。劉家の先祖、劉延慶の次男を劉光世という。武僖は、この劉光世のおくり名である(前出『劉鶚小伝』67頁参照)。
 署名「支那丹徒劉鶚」の下に印されたのが、「銕雲所蔵」。「銕雲識」の下が「銕雲印」。
★5.『清末小説』10号のリスト
 劉鉄雲の交際範囲に名前のあがった日本人を一覧表にまとめたことがある(前出「劉鉄雲と日本人」)。64名の名前を掲載したが、この表には、陸羯南の名前はない。そのほか、私の文章の足らないところをおぎなった阿部聡「劉鉄雲日記中の日本人」(『清末小説から』15号1989.10.1) がある。こちらも参照してほしい。
★6.表題について
 本資料は、劉徳隆、朱禧、劉徳平編『劉鶚及老残遊記資料』(四川人民出版社1985.7)の「鉄雲碑帖題跋輯存」にならい、「三代瓦豆文」「秦漢瓦当文」跋とする。
★7.お礼
 最後になりましたが、劉鉄雲の貴重な資料をご教示くださったばかりでなく、そのコピーをお送りくださいました日比野丈夫氏に、記してお礼をもうしあげます。
(樽本照雄)