編 集 ノ ー ト



Q『清末小説』雑誌ができるまで。
 清末小説研究会という名前がついていますが、具体的には誰が、どういう手順で雑誌を作っているのですか。
A清末小説研究会は名前だけです。その実体は樽本一人ということになります。これは『清末小説研究』創刊号を発行した頃と何の変更もありません。年1回の雑誌発行には多くの人手はいらないのです。ひとりで充分。何人もの手を煩わせる必要はありません。だいいち清末小説というせまい分野のことですから、日本で研究会を組織して、月例会だとか総会だとか規模の大きいことができるとは思いませんでした。今でもそうです。中国では事情が違い、1993年の劉鉄雲国際学術討論会には百人単位で集合するのは、やはりそれだけ研究者層の厚みがあるということでしょう。日本ではとても想像することはできません。研究誌の編集とはいっても、複雑なものではありません。送られてくる原稿に目を通し、掲載の判断を下し、自分でワープロに入力したあと著者校正に出します。版下を作成して印刷所で印刷製本する、というだけのことです。できあがった雑誌は、日本の書店へおろし、個人購入分には郵送し、諸外国研究者あて少しばかり贈呈します。書店関係もそれほど数はありません。取扱い書店は10社、部数はわずかに50冊ですから、代金請求、回収にしたところでなにほどの手間がかかるというわけでもありません。この作業にあきたらいつでもやめるつもりでいます。といいながら、すでに17年間続けているわけですが。
Q中国からの原稿はどのようにして入手しているか。
 中国語の原稿がほとんどで日本語の論文はわずかなようですが、その理由はどこにあるのですか。中国に原稿執筆を依頼していますか。
A本誌第3号より中国人研究者(中国大陸在住とは限らない)の論文を掲載しはじめました。すべて本誌が初出のオリジナル論文です。すでに発表したものを再度掲載したものは、原則としてありません。本誌第7号は「中文版」と銘打っているように、ほとんど全ページが中国語です。日本語の論文が少ないというのは、雑誌を開いてみた感じが漢字で埋っているところからくるものでしょう。調べてみると、資料を勘定に入れないで全ページに占める中国語論文の割り合いは、16号まで平均して25%でした。意外に少ない数字です。しかし、実情は見ての印象通り、日本語の論文の本数が少ないのは事実です。その理由は、日本語の書き手がいない、ということしかありません。
 中国からの論文は、最近ではすべて投稿です。うろ覚えですが、10号くらいまでは、こちらから依頼して原稿を書いてもらったことがありました。原稿料も出せない雑誌ですから、気の毒で執筆依頼することをやめているのです。掲載誌を10部お礼に贈るだけにもかかわらず、投稿くださる研究者には、本当に感謝しています。感謝ついでにお願いです。中国語原稿は、なるべく短いものをお送りください。せいぜい5千字くらいまで。中国語のワープロ入力は、日本語の3倍くらい労力が必要です。ダラダラと長い文章より、主張の明確な短い論文を下さい。これは、日本語論文でも同じことです。
Q論文採用の基準はどこにあるか。
 日本語論文、中国語論文にかかわらず、雑誌に掲載する基準をどこに置いているのか明らかにしてください。
Aまず研究範囲から述べましょう。『清末小説』という誌名からわかりますように、研究対象は「清末小説」です。ただし、時期区分については諸説あり、いまだに確定的なものはないと思っています。本誌があつかうのは、ほぼ1900年前後から文学革命あたりまでです。1911年の辛亥革命からは「清末」ではない、とおっしゃるのは当然ですが、そのように切り捨ててしまって、その結果文学革命前の文学を研究する人がいない、あるいは出てこなくなりました。中国では1840年のアヘン戦争以後を近代文学と考える人もおり、私から見ればだいぶ古典よりの研究論文を投稿くださることもあります。場合によっては返却申し上げることがありますが、悪しからずご了承ください。それから本誌には商務印書館関係の論文も掲載されます。出版研究は「清末小説」と何の関係があるのだ、と疑問を呈する人もいないわけではありません。しかし、作者が書いた作品は、雑誌に掲載されて読者に読まれる、という過程を考慮するならば、雑誌を発行する出版社それ自身を研究することも重要な意味を持つのです。論文の内容に新しい発見があるかどうか、これのみが掲載の基準です。新資料であれば、それだけで掲載する価値があると考えています。二番煎じの長い論文よりも、新資料を短く紹介した文章を歓迎します。
Q中国語原稿が簡体字ではない理由。
 雑誌に掲載されたの中国語原稿は、一見、繁体字のようです。しかし、よく見ると日本の漢字もあるようですし、それよりも簡体字を採用していない理由はなんでしょう。
A簡体字を使っていないのは、政治的な理由ではありません。単純にワープロの問題です。中国語ワープロソフトも購入して試用したことがあります。しかし、日本語ワープロソフトに比較して操作性はあきらかに劣っていました(値段は高いのに)。とても実用にはならないと数年前に感じたのです。なによりも日本語ワープロと中国語ワープロでは、データの共有ができないのが最大の理由であるといってもいいでしょう。ご存知のように、日本語ワープロで定められた漢字の第1、2水準JIS規格には、とぼしい漢字数にもかかわらず、日本語簡体字と繁体字が混在しています。あるものを使わない手はありません。繁体字なら全世界で通用します。あらかじめ日本語で入力しておいた中国語(この場合は単純に漢字)原稿を、繁体字に変換します。その場合、一字一字漢字を確認して変換するわけではありません。そのための電脳なのですから、一瞬で電脳自身が作業をするようにセットしてあります。あらかじめ、たとえば「国」を「國」にしなさいなどというふうに決めておき、それを電脳に実行させれば自動的に作業は終わります。ない漢字は外字としてそのつど作成しています。『清末民初小説目録』製作時より蓄積して今まで約1千字たらずの外字を作りました。それでもまだまだ不足していますから、漢字問題は電脳の世界ではやっかいなのです。
Q『清末小説から』は市販しているか。
 『清末小説』雑誌を見ると季刊誌『清末小説から』が発行されています。これは書店で入手できるのでしょうか。
A季刊誌『清末小説から』は、現在まで第35号を発行しています。1995年1月には第36号を出す予定にしてしていますから、小冊子ながら満9年にわたって継続することになりそうです。書店で入手できるかというご質問には、残念ながらできません、と答えるほかしかたありません。ただし、直接購読は可能です。郵送料を含めて1号200円となっていますから、第何号からと明記のうえ前もって郵便振替でご送金ください。在庫のない号もあります。その時はご容赦ください。