本 格 的 翻 訳 文 学 研 究 の 出 現
――郭延礼『中国近代翻訳文学概論』について


沢 本 香 子


1 はじめに

 清末時期の翻訳文学研究を行なうのには困難がともなう、と私が感じる理由は簡単である。資料の不足もさることながら、使用言語の多様さが私をたじろがせる。英語はまだしも、フランス語、ドイツ語、ロシア語とあげていけば、それだけでなかば諦めに似た気分におおわれてしまう。事実、日本にこの分野の研究者は、ほとんどいない。だから、翻訳文学研究に関する著書、論文にはそれだけで敬意を払いたくなるのだ。
 翻訳小説の研究といえば、阿英『晩清小説史』(商務印書館1937)のなかの「第14章翻訳小説」をあげるのが、昔ならば一般的だった。しかし、今では躊躇する。清末小説全体の「3分の2」を翻訳が占めている、というわりには、『晩清小説史』のなかでの扱いが小さいのが気になる。なにしろ60年以上も昔の文献であって、その間、研究も進歩している。参考までに書名をあげる、くらいが適当なところだろう。
 日本では、中村忠行が豊富な資料にもとづいて多くの論文を発表してきた*1。詳細かつ幅の広い研究で、中国近代翻訳文学研究では必ず目を通すべき類の存在だといえる。一本にまとめられなかったのが残念だ。だからこそ、中国での研究を待っていた。
 中国における最近の翻訳文学研究といえば、私の知っている単行本だけで以下のようなものがある(論文は除く)。
 馬祖毅『中国翻訳簡史――五四以前部分』(北京・中国対外翻訳出版公司1984.7)が、第5章においてアヘン戦争から五四運動前の翻訳活動に言及する。ただし、清末の文学に焦点をあわせたものではないから分量的には少ない。陳玉剛主編『中国翻訳文学史稿』(北京・中国対外翻訳出版公司1989.8)は、中国近代翻訳文学の発展(1840年アヘン戦争から1919年「五四」運動まで)から記述を始める。梁啓超、厳復、林〓らの翻訳を紹介するが、馬祖毅本同様に専著というものではない。さらに、鄒振環『影響中国近代社会的一百種訳作』(北京・中国対外翻訳出版公司1996.1)は、近代中国に影響を与えた西洋の書物について考証する。思想、哲学、社会、文学、科学など広範囲にわたる。だが、これまた全体を述べているわけではない。執筆の意図が異なるから当然なのだ。
 それぞれに特徴はあるが、清末民初に焦点をしぼった専門書となると、今まで出現していなかった。
 五四時代の翻訳文学の専著である王錦厚『五四新文学与外国文学』(成都・四川大学出版社1989.10初版未見/1996.6第二版)が、国別に翻訳作品を解説して詳しい。
 五四の新文学における翻訳文学研究が充実しているのに比較して、清末民初の翻訳文学研究は、不十分な状態におかれたままだという感じを受ける。だが、このたび郭延礼『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)が出版され、研究の欠落を補った。長年の渇きをようやく癒してくれるということができる。
 山東大学教授・郭延礼(1937生)は、秋瑾、〓自珍の研究ですでに著名だ。清末民初文学全体に関してならば『中国近代文学新探』(鄭州・中州古籍出版社1989.10)および巨著『中国近代文学発展史』全3巻(済南・山東教育出版社1990.3-1993.4)の著者として、日本でも広く知られているのはいうまでもない。中国近代文学学会会長の任にあることを知っている人も多いはずだ。
 郭延礼の新分野開拓が、この中国近代翻訳文学研究である。

2 構 成

 本『中国近代翻訳文学概論』は、緒論、上篇、下篇、附録の人名索引、書名索引、引用書一覧および後記によって構成されている。
 緒論は、中国の翻訳の歴史を概括し、翻訳活動の三大時期とそれをになった主体について述べる。すなわち、僧侶の仏典翻訳、キリスト教宣教師による自然科学書の翻訳、そうして近代、すなわちアヘン戦争以後の知識分子による大量の文学翻訳の出現となる。それはまた、外国語学校での学習者あるいは外国留学経験者が中心であって、それ以前の集団翻訳から個人の独立した翻訳へという形態の変化をともなっていることにも言及する。その結果、翻訳家は、約250名を数え、翻訳小説は、約2,600種、詩歌100篇近く、戯劇20余部、その他若干の散文、寓話、童話が存在することになった。
 作品数の多さから推測できるように、「五四以前に、外国の主要な著名作家の作品は、ほとんど翻訳があった」(16頁)のだ。
 五四時期から突然、新文学がはじまっているかのような印象をもっている人にとっては、この指摘は新鮮に感じられるかもしれない。だが、これが事実なのだ。五四新文学が花咲くためには、前段階に豊かな文学的土壌があると考えるのが普通ではなかろうか。それが清末民初時期にほかならない。
 郭延礼の筆になる簡潔な記述からは、そのような感想を引きだすこともできる。
 上篇は、翻訳文学の特徴、理論、詩歌、小説の概説、政治小説、探偵小説、科学小説戯劇、イソップなど分野別に述べる。
 下篇は、梁啓超、厳復、林〓、蘇曼殊、周桂笙、呉梼、曾孟樸、包天笑、周氏兄弟、胡適などなど個人の活動に焦点を当てて記述する。
 清末の翻訳文学を見る場合、過去に存在した方法は、作品の内容により分類して説明する、時間の経過に沿って記述する、あるいは書物そのものについて論じるというやり方があった。
 郭延礼が採用した方法は、全体の見取図を最初に示しながら、詳細は分野と個人に分けるという二部構成である。お互いに重なりあいながら詳しく語られる。専著だからこそ可能になった。翻訳界全体を見るのに立体的な接触の方法となっているように思う。郭延礼の工夫のしどころだ。高く評価することができる。

3 特 色

 たとえば、中国近代翻訳文学の発展を時代分けする。萌芽期(1870-1894)、発展期(1895-1906)、繁盛期(1907-1919)と区切り、さらにそれらの特徴を述べる。発展期では、政治小説、科学小説など類型が完備しはじめること、思想移入が主要目的であること、意訳あるいは翻案が主なる方式であること、中国伝統小説の形を借りること、原著者名あるいは訳者名を明記せず、翻訳名が混乱していることなど、その特徴を数え上げるところはまことに鮮やかな記述であるといえよう。
 全体をとおして、原作者と原作について、判明している限りを原文で示しているのがありがたい。ただし、印刷上の制限からか欧文およびロシア文字のみの使用となっており、日本語は使われていない(例外1ヵ所373頁)。
 当然のことながら、現在までの研究論文は、ひろく参考にされている。中国国内ばかりか日本、香港の研究にもその採録対象範囲が拡張されているのが、本書の特徴のひとつでもある。
 思えば、過去の中国において、清末文学研究に日本の研究論文が参照されることは、ほとんどなかったのではなかろうか。以前は、情報経路が確立されていなかったことが考えられるにしても、現在では中国の研究者の意識にも変化が生じたのかもしれない。特定の分野では、中村忠行らの論文が大きな役割りをはたしているのが事実なのだ。日本での研究を抜きにしては、清末民初小説の研究は進まないことの証明でもある。郭延礼は、中国大陸以外の研究に対しても注意を払っている。開放された研究状況こそが、この大部な著作を成立させたと思う。
 たとえば、日本語経由で欧米の文学作品が中国語に翻訳されたことをいう。日本へ留学した学生の多さにその原因を求め、具体的にその姓名を掲げる箇所など(113-115頁)、郭延礼の新見解として注目に値する。
 広く文献を収集して、深く観察すれば、新しい認識に到達することができる。一例をあげよう。
 呉〓人の「電術奇談」は、翻訳か「再創作」か、今にいたるまで議論が沸騰している。中国では「再創作」説が有力で、ほとんどの研究者がそのように述べる。
 「電術奇談」そのものに添えられた説明から始まった。その末尾には、「もとの翻訳がわずかに6回、それも文言であった。それを24回に俗語で書き改めた」と付記がある。菊池幽芳の翻訳「新聞売子」を方慶周が文言で中国語に翻訳し、それを呉〓人が俗語で書き改めたという、やや複雑な手順を踏んでいる。やや複雑な手順といっても、べつに珍しいわけではない。林〓は、外国語ができなかった。しかし、外国語のできる人物が翻訳するのを筆述した例がある。それも大量の作品として結実した。これについては皆が知っている。だから普通に「林訳小説」と称していて、誰もそれを疑問とも思わない。呉〓人の場合も、林〓のやり方と同じである。
 ところが、魯迅が「訳本を翻案した」(『中国小説史略』1931訂正本)と書くから、翻訳ではないと言いだす人が出てくる。孫楷第(1933)、盧叔度(1980)、欧陽健ら(1989)、『中国近代文学辞典』(1993)、『中国近代文学大辞典』(1995)にいたるまで「再創作」説は根強く主張されるのだ。
 林〓の場合は、翻訳であって、呉〓人の場合は、なぜ「再創作」なのか。だいいち日本語原文「新聞売子」を翻訳「電術奇談」と比較対照したうえで「再創作」だといっているのだろうか。「新聞売子」を見れば、「再創作」などという考えが成立しないことは明らかなのだ。憶測だけが伝えられている中国の研究界だということができる。
 では、郭延礼は、どう記述しているか。
 彼自身、以前は「再創作」説に傾きかけていた。「方慶周が訳した日本菊池幽芳「電術奇談ママ」にもとづいて呉沃尭が、翻案(原文:衍義)した同名小説は、さらに創作に近づいている」(『中国近代文学発展史』1518頁)。菊池幽芳の作品名を「電術奇談」だと誤ってもいる。
 だが、本書においては、「「電術奇談」を翻訳翻案した呉〓人」(52頁)、「方慶周、呉〓人が翻訳した日本菊池幽芳(1870-1947)の「電術奇談」など」(216頁)と書くにいたっている。翻訳であって「再創作」とはいっていない。正しい認識を示していることがうかがえる。
 同じく呉〓人の作品についても新見解が示される。「九命奇冤」の構成に西洋小説影響があることは、胡適、阿英らによってはやくから指摘されている。郭延礼は、さらに一歩進めてその西洋小説とは、フランス人Baofu(鮑福)の「毒蛇圏」だという(349、354、505頁)。興味深い。

4 不十分あるいは疑問

 本書は、判明している範囲内で、作品、著者、訳者について詳しく述べるという方針が全編に貫かれていて、まさに壮観である。
 詳細ついでにもう少しつっこんで書いてほしい箇所もある。郭延礼は、資料を博捜しているから、当然、書くことが可能だと思われるからだ。例をいくつか示したい。

4-1 コンナン・ドイル「緋色の研究(A Study in Scarlet)」
 原著者名と原作品名が中国語に翻訳されると、多種多様な表記になることがある。研究者は、まずこの事実に直面して困惑する。おまけに中国語の翻訳が発表される時、原作名が示されないことも多く、困難をより大きいものとする。
 郭延礼は、コンナン・ドイル「緋色の研究(A Study in Scarlet)」を例に引く。同じ作品が、中国語に翻訳されて奚若訳「大復仇」(1904)、陳彦訳「血書ママ」(1904。「恩仇血」が正しい)、林〓訳「歇洛克奇案開場」(1908)となったというのだ(604頁)。
 本文354頁でも“A Study in Scarlet”の翻訳として奚若訳「大復仇」(1904)、陳彦訳「恩仇血」(1904)、林〓訳「歇洛克奇案開場」(1908)、佚名訳「福爾摩斯偵探案第一案」(1906)をあげる。
 郭延礼の記述は、誤りではない。この翻訳4種類は、たしかに“A Study in Scarlet”にもとづいてはいる。しかし、これら4種類が異名同種の翻訳かといえば、正確にはそうではない。
 “A Study in Scarlet”は、周知のとおりホームズ物語の第1作である。作品は、2部構成となっている。第1部では、ワトスンとシャーロック・ホームズとの出会いとふたつの殺人事件が語られる。第2部は、殺人事件の背景にアメリカ大陸におけるモルモン教をめぐる因果譚を述べて、二つの殺人事件の種明かしをするという筋書きだ。
 中国では、該書の半分が、陳彦訳「恩仇血」(1904)として出版された。残りの半分が、奚若訳「大復仇」(1904)と題して出版される。すなわち、原作ではひとつの作品だが、中国語の翻訳は、二つに分離して発行しているのだ。さらに、この2種類を合体したものが佚名訳「福爾摩斯偵探案第一案」(1906)というわけである。旧版『清末民初小説目録』にもそう注記してある。
 郭延礼が、頭をひどく悩ませたといっているからには、翻訳4種の原本を見ているはずだ。見ていなければ頭を悩ませることもない。見ているはずなのに、原作を二つに割って、それぞれを単行本にして発行した事実に触れないのはいささか物足りない。細部に踏み込んだ記述こそが、著書の信頼性を増す、と私は考えているからだ。

4-2 ハガード「ジョーン・ヘイスト(JOAN HASTE)」
 「『迦因小伝』(Joan Haste,1895)は、イギリスのハガード(H.R.Haggard,1856-1926)の小説で、楊紫麟の口訳、包天笑の筆述になる。当時は原本の上冊をみつけただけだったため、上冊を訳出し、1901ママ年に文明書局から出版した」(425頁)と郭延礼は、書いている。文明書局本は、「1901年」ではなく1903年出版のはずだ。1901年は、該翻訳を『励学訳編』に連載を始めた年である。
 それはさておき、郭延礼は、本文の「原本の上冊」に注をつけて以下のようにいう。
 「この事は、後に魯迅が「上海文芸の一瞥」のなかで、「しかし才子佳人の本で、当時を一時震撼させた小説がさらに一冊が出まして、それこそが英語から翻訳された「迦因小伝」(H.R.Haggard:Joan Haste)です。ただし、上半分しかなく、訳者のいうところによれば、もともとは古本の露店で入手して、とてもよいのだが、残念ながら下冊を捜し当てることができず、どうしようもない」といっている。最近、ある論者によれば、魯迅はたぶん記憶違いをしており、楊、包の二人が訳したのは上冊ではなく、下冊だという。林〓は「迦因ママ小伝・小引」で、包天笑は「釧影楼回憶録・訳小説的開始」で、惜しむらくは「その前半部を失う」(あるいは「ただ後半部があるだけ」)ともいってはいる。だが、林〓が訳した『迦茵小伝』を調べると、迦茵が妊娠し私生児を生む話はいずれも小説の後半部にある。迦茵が妊娠する文章は小説の第25章(全書は40章)にはじめて出現するのだ。これから見れば、蟠溪子、包天笑が訳した「迦茵ママ小伝」は前半部でなければならず、魯迅のいうのが正しい。遺憾ながら、私(注:郭延礼)は、楊、包二氏の訳本を見ることができていない」
 郭延礼の注に見える「ある論者」が誰を指しているのか不明である。私が知っているのは、樽本照雄の指摘である。「なお魯迅は、「上海文芸之一瞥」で「迦茵小伝」にふれてはじめに訳された方は前半部しかなかったというが、後半部しか訳されなかったのあやまり」と書いている(「劉鉄雲と「老残遊記」」『清末小説閑談』法律文化者1983.9.20。93頁の注33)。
 樽本が、英語原作の後半部しか訳されなかったと書いているのには根拠がある。包天笑自身が、その回憶録でそのように証言しているからにほかならない。ここは郭延礼も引用している通りだ。郭延礼は、それをあえて魯迅のいうように前半部とするのは、林〓訳本に根拠を求めている。
 どちらが正しいのか。まず、『ジョーン・ヘイスト』原本が2分冊で発行されたと考えている限り、樽本照雄も郭延礼も間違いを犯している、と私は思う。
 『ジョーン・ヘイスト(JOAN HASTE)』の原本は、私は、今までに2種類を見たことがある。そのいずれもが1冊本である。今、手元にあるものは、LONGMANS,AND CO.1895年出版本で、425頁あるとはいえ当然ながら1冊本だ。該書が2冊本で出版されたことがあったのかどうか、かなり怪しい。原作が、2冊で出版された可能性はなさそうに思う。
 考えてみれば、包天笑の証言というのが、くわせものなのだ。
 女主人公の行動――私生児を生む――には、当時の社会通念に照して「不都合」があるから、その部分を包天笑らは削除したかった。そのために上下冊に分かれていた原作の片方が見つからなかった、という説明にした。つまり、原本2分冊説は、包天笑らが捏造したのではないか。
 樽本照雄が包天笑自身の回想録にもとづいて「後半部」だといおうが、郭延礼が林〓訳によって「前半部」だといおうが、その両者ともに、包天笑にかつがれたのだ。これが私の見解である。

4-3 包天笑「三千里尋親記」
 「三千里尋親記」は、文明書局から出版したと包天笑自身が書いているにもかかわらず、それが阿英目録にも旧版『清末民初小説目録』にも見えないと郭延礼はいう(426頁。注3)。たしかにそのとおり、「三千里尋親記」という書名ではないからだ。該作品は、『児童修身之感情』(文明書局1905)だと私は目星をつけている。

4-4 出版社と「説部叢書」「林訳小説叢書」
 さきに述べたように、本書は、作品と原作者、訳者について立体的に記述するという斬新な方法を採用し、それに成功している書物である。ただし、数少ない欠陥をあげるならば、出版社についての言及がない。翻訳作品を知識人の手元に大量に流通させたのは、新しく出現した出版社にほかならないことを郭延礼が知らないはずがなかろう。いくらかの紙幅を割くことができなかったのだろうか。
 もうひとつ、清末民初の翻訳文学を記述する専門書でありながら、各出版社が出していた翻訳叢書に言及しない。特に商務印書館の説部叢書、林訳小説叢書についての説明がないのはさびしい。当時の読書界にあたえた影響を考えれば、避けて通ることのできるものではないからだ。
 単語としては、登場はする。131頁注4、192頁の本文、また、386頁注1には、「説部叢書」の名前が見える。だが、それだけにすぎない。
 「林訳小説叢書」についても同様だ。郭延礼は、「林訳小説」という呼称を使用する。これは、林〓が翻訳した外国小説という一般的な意味だ。私がいうのは、商務印書館がシリーズで発行した「林訳小説叢書」のことである。銭鍾書の回憶を引用した文章のなかに「林訳小説叢書」が出てくるとか(303頁)、注に「“林訳小説”叢書」(386頁)とあるだけで、説明がない。
 本書の本文と注の記述を読む限り、使用した資料のなかに占める原本は、それほど多くないことがわかる。復刻本、阿英の編集物、のちの作品叢書、雑誌の影印などなどが主である。専門書を書く人の手元にさえ、原資料はそれほど少ないものなのか、というある種の驚きを感じざるをえない。だから、「説部叢書」「林訳小説叢書」と名前をあげたところで、実物を目にすることができなければ、筆も進まないかもしれない。だが、ほかの箇所でこれだけ詳しい記述を得意とする郭延礼である。それらと同じ密度で郭延礼の説明を聞きたいと希望するのは私だけではないだろう。

4-5 二、三流
 郭延礼が外国の作家、作品を評する言葉のなかに、気になるものがある。
 「日本の小説は多くが二三流の作家の通俗小説」(117頁)であるとか、「押川春浪は、日本の三流作家」(177頁)だとか、林〓は、外国語がわからなかったから作品の選択が厳格ではなく、「二三流の作家の作品」を多く翻訳した(295頁)とかいうのだ。
 何が一流で、なにがそうではないのか。それぞれの定義がなされていない。外国の該当文学史に取り上げられていない作家は、二三流にしてしまったのではないかと想像する。外国の評価と中国における評価は、別のものではないのか。本国人が知らないような作品でも、中国にとっては重要な意味をもつ作品もあったはずだ。日本に翻訳された欧米の作品で、日本人は大きな影響を受けたのに、本国人が忘れてしまったものは多くある。だいいち、文学作品の評価など、その時代によって変化するものだろう。今は二三流の位置づけしかなされていない作家でも、当時はもてはやされていたかもしれない。純文学が高級で、大衆文学が低級だというわけでもあるまい。
 郭延礼の書き方からすると、外国の評価を、また、それも現代の限られたものを無批判に受容しているように見える。中国には、当時の事情があったはずだから、それを深く探索していくことの方が重要ではないかと考えるのだ。

4-6 論文転載
 本書の内容とは無関係だが、ついでだから触れておく。文章の転載について中国の研究者は、無頓着であるらしい。
 本書の「九、中国近代伊索寓言的翻訳」(197-212頁)は、『清末小説』第19号(1996.12.1。54-64頁)に掲載されている。また、本書の下篇第6章の前半(371-383頁)は、「中国近代俄羅斯文学的翻訳」(上)(『清末小説』第20号1997.12.1。136-144頁)と同文だ。先行発表をしたらしい。それはまったくかまわない。だが、後記なりにその由を記すのが常識だろう。注意を喚起しておきたい。

5 誤 り

 これだけ大部で詳細な研究書である。誤りを免れない。気のついたものを指摘しておく。ニック・カーターについてだ。
 本書364-369頁は、翻訳小説ニック・カーターに関する記述である。中国の研究書でニック・カーターの詳細を明らかにしたのは、本書が最初ではなかろうか*2。研究が詳細になったことをうかがうことができる。ただし、ここの部分は、原文の引用*3を除いて、ほとんど中村忠行「清末探偵小説史稿(二)」の「ニック・カーター物の氾濫」(『清末小説研究』第3号1979.12.1。34-38頁)をそのまま下敷にしていることを指摘しておく。誤解のないように願いたいが、私は、下敷にしたことを非難しているのではない。まったく反対で、日本の研究論文にまで目配りを怠らない郭延礼の努力に敬意を表するものである。
 郭延礼はいう。Nicholas Carterは、作家たちの集団筆名であり、Nick Carterは、小説のなかの探偵だ。郭延礼の書く通りである。つづけて、「のちに少なからぬ書目と紹介の文章がニック・カーターをアメリカの探偵小説家とみなして、実際にそういう人物がいると考えているが、これは誤りだ」(364頁)と記述する。私から見ると、ややあいまいな書き方だと思う。個人としてのニック・カーターすなわちニコラス・カーターは存在しないが、筆名のニック・カーターあるいはニコラス・カーターは存在している。翻訳書の著者名にニック・カーターとあれば、書目にもそう記録するのが正しいやり方であるのはいうまでもない。
 さらに首をかしげる記述がある。原文を翻訳する。
 「ニコラス・カーターの探偵小説で中国語に翻訳されたのものは、ほかに「美人唇」(中略)、「女魔王」(中略)などがある。以上7種の小説の作者は、前の2種「美人唇」「女魔王」について、阿英の『晩清戯曲小説目』では美国訖克著とする。「〓瑰花下」は、樽本照雄ほか編『清末民初小説目録』で注記して作者はニック・カーターとする。このふたつの書目は、以上3種の小説の著者を小説のなかの人物Nick Carterと混同しているのだ。(中略)ゆえに、中国近代に翻訳されたNicholas Carterの30余種の小説は、原著者の署名についてほとんどがまちがっている。署名が正しいとしても訳名が不統一だ。ゆえに近代に翻訳されたニコラス・カーターの探偵小説を閲読あるいは研究する場合、この点に注意をしなければならない」(368-369頁)
 なにも知らない読者がこの箇所を読めば、阿英および樽本照雄の書目で間違っている部分を、郭延礼が訂正したと思うのではないだろうか。
 旧版『清末民初小説目録』を見れば、注記して本当に作者はニック・カーターと書いているかどうかがわかる。該目録には、「Nick Carterもの」(469頁)と注釈している。郭延礼がいうように、著者がニック・カーターであるとは書いてない。「Nick Carterもの」とは、いうまでもなくニック・カーターを主人公にした小説という意味だ。郭延礼は、こんな簡単な日本語を読み間違えたのであろうか。日本語の知識がなければ、日本語のわかる人に質問すればすむことだ。自分が犯した誤りにもとづいて樽本を批判したことになる。
 上の原文を読んで、郭延礼は、著者がNicholas Carterであり、小説の主人公がNick Carterだと考えているらしいとわかる。だから、著者をニック・カーターとするのは、「原著者の署名についてほとんどがまちがっている」と断定するわけである。ニコラスをつづめるとニックになるという英語の習慣を、郭延礼は、知らないらしい。英語の知識がなければ、英語のわかる人に質問すればすむことだ。なぜその手間をおしむのか。
 中村忠行「清末探偵小説史稿」は、郭延礼が参考論文(601頁)および「後記」(604頁)にあげて役立ったとわざわざ書いている*4。その中村論文には、「愛称のNickを取らずNicholasを採つて著者名とした」(35頁)と明記されている。ここに答えがある。郭延礼は見落したのだろうか。不可解だ。
 ニック・カーターは、小説の主人公の名前であり、同時に著者の名前でもある。日本でも、現在にいたるまでニック・カーター著の「ニック・カーター・シリーズ」(ハヤカワ・ミステリ)が翻訳出版されている。実作者は変わりながら、ニック・カーター名義のままの長寿シリーズなのだ。郭延礼が勘違いしていることが明らかだろう。
 郭延礼自身に簡単な日本語の知識がなく、人名についての英語の常識もないとは、誰も思わないだろう。でなければこんな大部な翻訳文学研究書が執筆できるはずがない。しかし、郭延礼が、具体的な証拠をあげ阿英と樽本照雄を名指しして行なった批判は、結局のところ郭延礼自身にツケがまわっていく。彼自身の外国語の知識が問題にされる状況を自分で作りだしてしまったのだ。この部分に関して簡単な日本語と英語を郭延礼が間違っている事実を否定することができない。本書が、近代翻訳文学を研究して画期的な成果であるだけに、基本部分でのちいさな間違いがよけいに目立つのかもしれない。
 誤植は、本文末にまとめておいた。

6 結 論――研究情報の国際化

 本書『中国近代翻訳文学概論』が、清末民初翻訳文学研究におけるあらたな出発点になることは明らかである。内容の深さからも、広い対象範囲への言及からいっても、阿英の『晩清小説史』翻訳小説部分を完全に葬り去る結果となった。過去に比較して研究水準を大きく押し上げたのはいうまでもない。今後、本書を見ずして中国近代翻訳文学を論じることは不可能になった。それほどまでに輝かしい成果だということができよう。
 本書の成立に日本、香港(Eva HUNG)の研究論文が、部分的にせよ貢献している事実は、中国における研究が新しい段階に突入したことを示している。中国国内の研究情報を追うことに加えて、海外の研究情報を積極的に取り入れる研究姿勢があってこそ、本書の成功が可能であったということだ。中国で発表される研究論文を見れば、情報収集の国際化の有無が、すでに論文の質を左右しはじめている。研究者個人が認める認めないにかかわらず、この事実は、厳然として存在しているのだ。このことに気づかない研究者は、その結果として論文の質にますます差が生じることになるといっても過言ではない。
 これからは、本書に掲げられたそれぞれの書物についてより精密に、より正確に記述することが求められるようになる。本書に掲げられなかった書物の発掘も研究の課題となるだろう。出版社の興亡を視野にいれた翻訳文学史の可能性も追求されなければならない。翻訳者の名前だけ知られていて経歴不明の人物の探索も必要だ。原作探しは、いつまでも続けられなければならない研究主題のひとつであることはいうまでもない。上に私が触れた郭延礼の記述の誤りは、文字通り瑕瑾であるにすぎないことを再度強調しておきたい。 〓

【注】
1)樽本照雄編「中村忠行・日中比較文学研究論文目録」『清末小説から』第2号1986.7.1/第32号1994.1.1。清末翻訳小説研究には必見の目録である。
2)郭延礼は、自分の『中国近代文学発展史』において「華子才等人訳的美国訖克的《聶格〓偵探案》(全16冊,1906-1908年)」(2178頁)とだけしか書いていない。ニック・カーターのことであるとは、郭延礼自身、その時点では知らなかったことがわかる。馬泰来の先行研究があることをいっておく。
3)「車屍案」からの翻訳原文の引用である。どこから引用したのか明示されない。また、26篇ある作品のなかから、なぜ「車屍案」を選択したのかの説明もない。郭延礼が引用したのは、『中国近代文学大系』第11集第27巻翻訳文学集2(施蟄存主編 上海書店1991.4)に「車屍案」が収録されていたからだと推測できる。典拠を隠すのではなく、読者のためにも公開してもらうのがよろしいかと考える。
4)郭延礼は、参考文献として中村忠行の「清末探偵小説史稿」しか掲げていない。ほかの重要論文に目を通していないように思われるのは、まことに残念だというよりしかたがない。

【誤植】(注:記号類は原文通りではない)
頁 行   誤 正
29 14 柴四郎 柴四朗(郎ではなく朗が正しい。本書では、すべて間違っている。以下、いちいちあげない)
31 25 山上上泉 山上ゝ泉(阿英の目録以来、つづいている間違い)
117 10 森欧外 森鴎外
149 23 (1901) (1909)
150 1 (1904年小説林社刊) (1903年文明書局刊)
151 12 The Sign of the Four The Sign of Four
152 2 桐山毛欅案 銅山毛欅案
152 4 The Adventure of Silver Blaze
The Adventure ofを取る
152 5 The Adventure of the Yellow Face
The Adventure ofを取る
152 6 The Adventure of the Stockbroker's Clerk
The Adventure ofを取る
152 8 The Adventure of the “Gloira Scott”
The Adventure ofを取る
152 10 The Adventure of the Musgrave Ritgual
The Adventure ofを取る
152 12 The Adventure of the Reigate Squires
The Adventure ofを取る
152 14 The Adventure of the Crooked Man
The Adventure ofを取る
152 16 The Adventure of the Resident Patient
The Adventure ofを取る
152 18 The Adventure of the Greek Interpreter
The Adventure ofを取る
152 20 The Adventure of the Naval Treaty
The Adventure ofを取る
152 22 The Adventure of the Final Problem
The Adventure ofを取る
156 17 Golden Bug the Gold-Bug
156 21 Golden Bug the Gold-Bug
161 14 亜森羅蘋之…… 亜森羅苹之……
161 15 ……亜森羅蘋 ……亜森羅苹
163 1 The Adventure of the Crooked Man
The Adventure ofを取る
163 2 The Adventure of the Naval Treaty
The Adventure ofを取る
173 注1 太平三次 大平三次
174 注1 Lescinq Ceuts …… Les Cinq Cents ……
174 注1 《仏・曼二学士談》 《仏・曼二学士の談》
178 5 War of the Worlds the War of the Worlds
186 19 邁伊林 邁伊休
206 6 (11月 (9月
278 19 華震筆記案 華震筆記
305 10 Les Mise'rables Les Miserables
309 8 《娑羅海濱遁迹記》 《娑羅SALA海濱遁迹記》
346 注1 《猫狗成親》 《猫鼠成親》
361 24 《麦徳里礼堂》 《華徳里礼堂》
368 22 中国図書公司刊 小説進歩社
371 章題 〓翼 〓翼〓
385 23 釈経室刊 拜経室刊
386 10 《克里米戦血録》 《克利米戦血録》
397 9 de Brangelome de Brangelonne
414 21 Flaudert Flaubert
421 注2 白格的《杜衣児》 杜衣児的《白格》
422 21 《心冷》 《心》
422 22 《心冷》 《心》
424 13 《怕学》 《学怕》
456 4 《鉄圏圏》 《鉄圏》
456 19 God drn Buq the Gold-Bug
462 3 Jo'kai Mo'r Jokai Mor
475 22 《殺父母的児子》 《弑父之児》(『毎周評論』の初出はこの題名だ。初出雑誌をあげるのだから改題前のこちらを示すべき)
501 5 雁叟 〓叟

索引(512-591頁)は、上に示したものと重なるので省略する。


(さわもと きょうこ)