中国におけるコナン・ドイル(1)
――附:コナン・ドイル漢訳小説目録(初稿)


樽本照雄

 中国において、過去の一時期、翻訳探偵小説の研究が進まなかったのは、事実である。だが、研究がほとんどなかったからといって、多くの中国人読者が、コナン・ドイル Arthur Conan Doyle をはじめとする翻訳探偵小説を大いに歓迎していた時代が存在したという歴史事実までは、消すことはできない。
 日本において、古くは江戸川乱歩が、中華書局の『福爾摩斯偵探案全集』に触れて次のように書いた。「中国は探偵小説では日本より遥かに遅れているというのが常識だが、少なくともホームズの翻訳では向こうの方が進んでいたことが分り、ちよつと意外に感じた」*1。中国におけるホームズ物語の翻訳が、日本よりも進んでいるとの指摘が、すでにここでなされている。しかし、乱歩は、その後、中国のホームズ物語についての文章を発表することはなかったようだ。乱歩の指摘は、一般読者の共通した認識にはならなかった。
 中国文学研究者で翻訳探偵小説を研究する人は、いない。そんななかで、中村忠行の「清末探偵小説史稿」全3回(『清末小説研究』第2-4号1978.10.31-1980.12.1)は、ホームズ物語だけでなく、その他の外国探偵小説がいかに多く中国に紹介されたかを詳細に説明する。しかし、これも一部の研究者だけが知っているにとどまっている。掲載誌が、専門研究誌だからだろう。
 コナン・ドイルの小説作品は、どのように中国に翻訳紹介されたのか*2。以下に私なりの検証をしてみた結果を述べるのだが、いくつかの意外な事実が出現する。そのなかの1例を示せば、中国において、ホームズとワトスンは、当初、実在の人物だと受け取られていたことがある。にわかには信じがたい事かもしれない。おいおい説明することになろう。
 コナン・ドイルの創作で特に有名なのは、シャーロック・ホームズ Sherlock Holmes 物語だ。しかし、彼が書いた小説は、ホームズ物語ばかりではなかった。小説に限っても、歴史、恐怖、怪奇、空想科学、神秘、冒険などなど、その内容は多岐にわたっている。
 ホームズ物語だけで、長篇4篇、短篇56篇(短篇集は5冊)の合計60篇がある。だが、ホームズ物語60篇を含んで、ドイルの創作小説数は、全部で232篇を数える*3。これを見ても、ホームズ物語だけの作家ではないことが理解できるだろう。
 中華人民共和国成立の1949年以前に限定して、どれくらいドイルの作品が漢訳されているかといえば、つぎのようになる。
 ホームズ物語60篇のうち、すべての漢訳が存在していることが現在判明している。
 漢訳について、その発表時期を日本語翻訳と並べてみると、なんと39篇の漢訳が日訳に先行しているという驚くべき事実には、注目してもいい。この点だけをとらえても、中国の読者の方が、日本人よりもホームズ物語を歓迎していたという見方をすることが可能だ。
 日本で最初のドイル小説の翻訳は、「乞食道楽」(The Man with the Twisted Lip 1891.12 『日本人』(6)-(9)1894.1.3-2.18)だという*4。中国最初の翻訳ホームズ物語である「英包探勘盗密約案」(張坤徳訳『時務報』第6-9冊 光緒二十二年八月二十一日1896.9.27−九月二十一日10.27、The Naval Treaty 1893.10)よりも、2年ほど先行する。いままで流布していた通説、すなわち漢訳ホームズ物語が日本に3年先んじていたというのは、くつがえる。
 翻訳一番乗りという点では、中国と日本が逆転するにしても、ホームズ物語全体の翻訳、あるいは翻訳が先行する数などを見れば、中国における漢訳ホームズは、日本に勝るとも劣らない。
 ホームズ(福爾摩斯)の名前を冠した全集と称する出版物が、書目を見ただけでいくつも存在することがわかる。中華書局(1916)、大東書局(1925)、世界書局(1927)、三星書店(1935)、大通図書社(1937)、重慶・上海書店(1943)などから刊行されているのを知れば、その熱狂ぶりを想像することができよう。
 江戸川乱歩が言うように「少なくともホームズの翻訳では向こう(注:中国)の方が進んでいた」情況は、確かに存在したのだ。
 ホームズ物語以外の小説作品を視野にいれるとどうなるか。
 漢訳されたホームズ物語以外のドイル作品は、65篇が存在する。漢訳ホームズをうわまわるホームズ物語以外の翻訳があるというのには、やはり注目せざるをえない。ドイル作品で中国で知られていたのは、ホームズ物語のみではなかった事実があるとわかるのだ。
 参考までにいえば、日本語訳のあるホームズ物語以外の作品は、107篇だ。
 ドイル全作品232篇のうち、漢訳総数にして125篇(約54%)が発表されている。日訳の全部は、167篇(約72%)だ(いずれも1949年以前)。
 全体の翻訳数を日中で比較すれば、日本での翻訳紹介が、中国でのものを上回っている。しかし、9篇については、想像しにくいかもしれないが、日本語翻訳がなくて漢語翻訳のみが存在している。
 中国は、日本とならぶドイル作品翻訳の大国だったといわなければならない。

●1 漢訳ホームズ物語
 中国における探偵小説は、伝統の裁判小説とはまったく別のところからはじまった。外国探偵小説の翻訳という形で、中国に輸入されるのだ。
 中国で翻訳探偵小説を最初に掲載したのは、清朝末期維新派の主要刊行物のひとつ『時務報』であった。

◎1-1 最初の漢訳ホームズ物語――犯罪報道として
 『時務報』創刊のいきさつは、以下のとおりだ。
 1895年、北京には、官吏登用試験の最終段階である会試受験のために集まっていた各省挙人1,300名余りがいた。日清講和条約が締結されたと聞くと憤慨し、康有為を中心にして署名を集め、遷都、練兵、変法などの要求を光緒帝につきつけた。これが、世にいう公車上書である。昔、受験のため車馬で都に登ったことにちなむ。梁啓超、麦孟華らもこれに参加した。
 その後、康有為、梁啓超らは北京に維新派の政治団体・強学会を組織し、おなじく強学会上海分会も設立した。上海分会に参加した者のなかに、汪康年、黄遵憲、章炳麟らがいる。しかし、両者とも短期間で閉鎖された。上海分会は、定期刊行物『強学報』を発行したが、これもわずか3号で発行禁止となる(2号までが、現在、影印されている)。
 閉鎖された強学会上海分会には、張之洞らからの寄付金の残額1,200両があった。これに黄遵憲が1,000元を、盛杏〓クサカンムリ+孫}が500元を寄付して創刊したのが『時務報』だった*5。
 『時務報』第1冊は、光緒二十二年七月初一日(1896.8.9)に発行され、第69冊(光緒二十四年六月二十一日1898.8.8)までが出た。主宰者は汪康年。主筆を担当した人々は、梁啓超、麦孟華、章炳麟などである。日本文翻訳者は、古城貞吉だ。
 『時務報』は、新聞を連想させる名前だが、実は雑誌である。月3回発行の旬刊。紙面は、梁啓超の「変法通議」などの論説を冒頭に掲げ、公文書、国内ニュース、海外の新聞(西洋と日本)からの翻訳記事などで構成される。
 『時務報』の文言による翻訳探偵小説は、「域外報訳」欄に掲載された。該欄は、文字通り外国の新聞記事を漢訳して掲載する。『時務報』には、小説欄はもともと設定されていない。
 次の5篇が探偵小説である。原作などの判明しているものは、注に書いておく。

 「英国包探訪喀迭医生奇案」 張坤徳訳 『時務報』第1冊 光緒二十二年七月初一日1896.8.9
 この1編は、原作が不明だ。
 以下は、シャーロック・ホームズ物語である(冒頭の数字は、藤元編「コナン・ドイル漢訳小説目録」の通し番号を示す。作品検索に便利なようにつけた。無視されてもよろしい)。
085「英包探勘盗密約案」 ((英)柯南道爾著) 張坤徳訳
  『時務報』第6-9冊 光緒二十二年八月二十一日1896.9.27−九月二十一日10.27
  「海軍条約文書事件 The Naval Treaty」訳歇洛克呵爾唔斯筆記。
081「記傴者復讐事」 ((英)柯南道爾著) 張坤徳訳
  『時務報』第10-12冊 光緒二十二年十月初一日1896.11.5−十月二十一日11.25
  「曲がった男 The Crooked Man」訳歇洛克呵爾唔斯筆記。此書滑震所撰。
050「継父誑女破案」 ((英)柯南道爾著) 張坤徳訳
  『時務報』第24-26冊 光緒二十三年三月二十一日1897.4.22−四月十一日5.12
  「花婿失踪事件 A Case of Identity」滑震筆記。
087「呵爾唔斯緝案被〓」 ((英)柯南道爾著) 張坤徳訳
  『時務報』第27-30冊 光緒二十三年四月二十一日1897.5.22−五月二十一日6.20
  「最後の事件 The Final Problem」訳滑震筆記。

 張坤徳訳としたのは、翻訳が掲載された「域外報訳」「英文報訳」欄の下に張の名前が記してあるからだ。ただし、5篇の漢訳が単行本に収録された時、訳者の名前が張坤徳から丁楊杜に変更されたという。これについては後で問題にしたい。「柯南道爾」すなわちコナン・ドイルをカッコにいれたのは、『時務報』に掲載されたとき、原著者名を明記していないからである。
 『時務報』に見える5篇の文章は、漢訳探偵小説だ、と現在、誰でもが知っている。阿英の指摘があって以来、中村忠行の論文をはじめとするこれまでの研究成果により、5篇のうち4篇はドイルのホームズ物語だということが判明している。なによりも漢訳本文に「歇洛克呵爾唔斯」「滑震」と書かれているのだ。前者が、シャーロック・ホームズ、後者がワトスンの漢訳名であることは、今では周知の事柄だ。
 研究者が漢訳ホームズ物語に言及する場合、はじめからホームズ物語だと疑わずに、既知のものとして論じているのも無理はない。
 だが、『時務報』を読んでいた当時の人々が、それらを創作としての探偵小説だと知っていたかどうか、これはまた別の問題となる。
 なぜなら、5篇の翻訳が掲載されたのは、「域外訳報」「英文報訳」という英字新聞に見える記事を漢訳する欄だった。「東方の時勢を論じる」とか「日本の国勢を論じる」などの比較的短い新聞記事あるいは論説の重訳のなかに、それらの探偵小説は紛れこんでいる。さらには、探偵小説という表示は、どこにもない。なによりも、それまでホームズ物語が漢訳されたことがない。
 読者にしてみれば、新聞に発表された新聞記事のひとつ、それもかなり長いニュースの漢訳としてしか認識しなかった、と私は考える。新聞記事のうち犯罪をあつかっているから、犯罪報道である。犯罪報道であるからには、事件と登場人物は実在していると考えられたとしても不思議ではない。『時務報』には、それらが創作であるとわからせる工夫は、なにひとつなされていないのだ。編集者自身が、創作であると知っていたかどうかも問題になるが、今は、指摘しておくにとどめたい。
 作品を提供する側は、掲載するにあたり、神経を使ったのではないか。これについては、後述する。
 それぞれの作品を見てみよう。

◎1-2 『時務報』掲載の漢訳探偵小説1篇
 書名に出てくる「包探」という漢語について、説明しておく。
 「包探」は、日本語で言えば、探偵である。探偵という単語からの連想で、ホームズのような私立探偵のみを意味していると想像されるかも知れない。だが実は、「包探」は、本来は、欧米における警察制度のもとの警察官(刑事を含む)を指す言葉として使用された。「包」からの連想で北宋の名裁判官包拯と関係があるように考えられるかもしれない。しかし、直接の関連はないと思っている。なぜならば、「包探」の使用例は、清末らしいからずいぶんと新しい。香港・三聯書店の『漢語大詞典』は「又称包打聽」という。「包打聽」は上海語だとするものもあり、この「包」は動詞ではなかろうか。
 もともと、ホームズに代表される私立探偵は、中国には存在しなかった。ゆえに「包探」に私立探偵を含めて使用するのが普通だ。ただし、警察官と私立探偵を区別して翻訳する場合も、まれにではあるが、実例がある(後述)。本来ならば、内容にそって訳し分けなければならないだろう。本稿においては、「包探」は、刑事と私立探偵を含むものとする。また、ホームズなどを指す場合、単に探偵という場合がある。
 最初の漢訳探偵小説は、「英国包探訪喀迭医生奇案」と題されている。この場合の「包探」は、内容から見れば、私立探偵ではなく、刑事のようだ。ゆえに、「英国刑事のカルチエ医師怪奇事件」と訳しておく。
 『倫敦俄們報』掲載のものを翻訳したように見えるが、該報の発行年月日を明記しない。中村忠行が、ドイルの作品ではないこと、原作は不明だと指摘してから、いまだに原作不明のままになっている。
 話の筋は、つぎのとおり。
 数年前、英国ロンドンの警察(包探公所)に、一人の病人のような金持ちの老商人・〓口高}子生がやってきた。最近、フランスの年若い妻を娶ったが、身体の調子が悪いところに、カルチエ(音訳。喀迭)という美男子の医者にあい治療してくれることになった。妻の知り合いでもある。ところが自分の身体はますます悪くなるので調べてほしいという依頼である。そうこうするうちに一人の婦人が医者をともなってやって来ていうには、夫は病を得てから疑り深くなってしまい、毒殺されるなどと恐れている、と泣き崩れる。警部は、著名な刑事を派遣することにした。調べても婦人と医者のあいだには疑わしいところはない。しかし、老人の病気はますます悪くなる。食事を検査しても毒物は検出されない。医者を他の者に替えたので、刑事はしばらくそのままにしておいたところ、突然、〓口高}子生死亡の知らせが届いた。苦痛もない急死だという。埋葬後、疑問に思った刑事は、許可を得て棺桶を開けると死体が消失している。遺産の大半を手に入れた若い妻は、各国を旅行したのち、英国にもどるとカルチエ医師と結婚することにしたという。その前にロンドン市外でひとりの婦人とふたりの子供の死体が発見された。室内に残された紙片に薬売りの手掛かりがあり、刑事が調査するとカルチエが塩素ガスを購入していた。さらに家具を運搬した車夫も死んだ。その妻の証言では、ある婦人のために家具を運んだ日、医者が薬を処方し、それを飲んだあとに死亡したという。刑事は、カルチエ医師が事件に関係していることを確信しその家に行くが、不在である。室内を見れば、いろいろな殺人方法についての文書がある。そこに帰宅したカルチエ医師を刑事は逮捕した。留置場に送ったところが、不明の薬物で自殺してしまった。若い婦人は、ロンドンを離れ、いくらもしないうちにパリで死んだ。刑事の厳密な推理によると、死体で発見された婦人とふたりの子供は、カルチエの妻子であり、車夫はインドの毒草で殺害したもの。香港へむかった汽船からの報告によると、ロンドンを出発する時、夜中に二人の客があり、そのひとりは老人で病気であった。出港したのち病気の老人は死亡してしまい、例にならって水中葬とした。刑事が、その情況を詳細に考えた結果は、こうだ。船に乗ったのは、〓口高}子生とカルチエのふたりだった。〓口高}子生をインドの薬草で殺し(たように見せかけ)、その腹のなかに痕跡が残っているため、棺桶から取り出して覚醒させた。その理由は、船上で死去すれば死体は海に棄てられることになり、それは証拠隠滅のためであった。刑事の考察から逃げることはできないのである。

 中村忠行は、この物語が探偵小説だと考えていたから、すこし脚色して粗筋を紹介した。
 そもそも、探偵小説の特徴は、謎の発生→謎の追求→謎の解決の3段階にある。謎の解決は、意外な犯人、想像もしなかった結末にむすびつく。
 だが、上の物語は、どうだろうか。いくらか謎めいた部分もあるにはあるが、事件の発生とその経過、および犯人に関する説明という、平板な記述に終始している。粗筋だけがあって、小説らしい描写がない。残された資料から、推理をかさねて犯人を割り出す、不思議な行動を理論にもとづいて説明する、という探偵小説の肝心の部分が存在しない。手のこんだ殺人事件のひとつだとはわかるが、山場というものがまったくないのは、不可思議であろう。
 刑事が、小さな証拠を集めて、綿密に推理を行なう、という箇所もないから、この物語の翻訳に教育的目的があったとも思われない。
 インドの薬草で殺したように見せかけるなどの場面を見れば、現実の犯罪事件とも思えない。そうなるとやはり探偵小説なのだろうが、その部分だけを取り上げれば、あまり出来のよくない作品だ。ただし、昔のロンドンにおいて、共謀して金持ちを毒殺するなどの事件は、普通に発生していたかもしれない。実話にもとづいた探偵小説という場合もあるだろう。
 掲載誌が『倫敦俄們報』というからには、ロンドンで発行されていた新聞のようだが、犯罪実話雑誌だとしてもおかしくはない。
 原作がどのような文章であったのか不明だから、断言はできない。だが、少なくとも『時務報』に掲載されている文章そのものから判断するに、犯罪報道、もしくはそれに毛の生えた程度の読物だと考えて間違いなかろう。
 該作品そのものは、『時務報』1号分で掲載が終了するほどの短さで、新聞記事といってもいい。だからこそ新聞記事重訳欄に収録されている。
 では、同じく新聞記事重訳欄に掲載されているホームズ物語を、同じ犯罪報道として見るとどうなるだろうか。こまかく見ていくと、それぞれに翻訳の仕方が違っていることに気づくのだ。

◎1-3 『時務報』掲載の漢訳ホームズ物語4篇
 「英国探偵の密約盗難探査事件(英包探勘盗密約案)」が、中国で翻訳された最初のホームズ物語である。

○「英国探偵の密約盗難探査事件(英包探勘盗密約案)」――「海軍条約文書事件」
 085 The Adventure of the Naval Treaty | The Strand Magazine 1893.10-11
 上の一覧で示しているように、著者名をカッコでくくったのは、私の注記である。くりかえすが、もともとの『時務報』には、原作者コナン・ドイルの名前はない。『時務報』は原作者を隠している。「シャーロック・ホームズ筆記の翻訳(訳歇洛克呵爾唔斯筆記)」と書いて、他の掲載誌を明示しているのに合わせているくらいだ。
 ここが肝心な点だが、当時、シャーロック・ホームズを知っている一般読者が中国にいたかどうかは、はなはだ疑問である。なにしろ、本作品が、中国ではじめて翻訳されたホームズ物語なのだ。一般の読者に知られていたと想像することは不可能だ。ゆえに、外国ニュースを重訳する欄に掲載されている以上、形の上では、あくまでも犯罪報道としか受け取ることができないようになっている。原作者が明示されていないこともその証拠になる。
 だいいち漢訳題名が問題だ。英文原作の題名は、内容がわからないような命名の仕方をしている。探偵小説は、謎解きが主眼なのだから、題名を見て内容が分かるようでは困る。ところが、漢訳題名は、その内容が分かるように翻訳されており、これだけ見れば、小説ではなくて新聞報道、つまり犯罪報道の体裁をとっていると理解される。
 ちなみに、ドイルの該作品が日本語に翻訳されたのは、天馬桃太(本間久四郎)「海軍条約」(『神通力』祐文社1907.12.15)という。漢訳は、日本より11年も前のことだ。いかに漢訳が早かったかが、理解できるだろう。
 原作の「海軍条約文書事件」は、結婚直後のワトスンが執筆したという設定になっている。
 保守党の大政治家ホールダースト卿の親戚であるパーシ・フェルプスは、ワトスンと学校が同窓だった。外務省勤めのパーシが、伯父ホールダースト卿の指示でイタリアとの秘密条約の原本を筆写することになる。事務室で書き写していた時、コーヒーを命じた隙に条約原本を何者かに盗まれてしまった。警察も犯人の手掛かりをつかむことができない。パーシは、脳炎で9週間寝込んでしまった。婚約者アニーの兄ジョーゼフが滞在しており、その寝室をパーシの病室としたのだった。ワトスンの紹介でホームズが調査に乗り出すや、関係する人々からの証言を得ただけで、彼はすぐさま結論を得る。それを証明するため、ホームズは、単身、パーシ家を見張り、犯人から秘密条約の原本を取り返すことに成功した。
 謎の発生。ここでは誰かが条約原本を盗み出した、にはじまる。
 謎の追求過程では、読者の関心をそらすために、作者は、意図的な誤誘導を盛りこむ。誰が得をするのか、ホールダースト卿か、と思わせてみたりする。
 謎の追求には、読者に対しても証拠のすべてが、開示されていることが必要だ。手掛かりが誰にもわかるかたちで書かれている。すなわち、条約文書が盗まれてから10週間も経過するのに、外国外務省の手にわたったという情報がない――パーシは9週間も寝たきりだった事実に気がつく読者は、感覚がするどいことになろう。また、パーシが付き添いなしに寝た夜、ナイフをもった人物が病室に侵入しようとした――犯人は、パーシに付き添いがいないことを知っていたことになる。これなどは、ホームズが種明かしをして、ああ、なるほどと思うのがほとんどの読者ではないか。
 ワトスンらにも、また読者にもその理由を明かさずに策略をめぐらすのも、読者の興味を引きつける箇所だ。婚約者アニーをパーシの病室にくぎ付けにし、ホームズ、ワトスンとパーシはロンドンのホームズ宅に向う。ところが、途中でホームズは、ロンドンには行かない、留まることにした、そのことを他人に知らせるなといって、読者を煙にまく。
 翌朝、左手に包帯をしたホームズが、ロンドンの自宅にもどってきて、パーシたちと朝食をともにする。パーシがふたをとった皿の中には、例の盗まれた秘密条約の原本が置かれているではないか。ホームズが取り戻したのである。朝食の皿に盛ったのは、意表をつく、ホームズ好みの芝居がかった演出だ。最後に、事件の経過と謎の解明、犯人の特定がホームズによって語られる。意外な結末である。
 漢訳では、以上の物語がどのようになっているのか。
 出だしはこうだ。

 英国に名前をパーシ、姓をフェルプスという保守党の大政治家ホールダーストの甥がいた。幼時、医者のワトスン(滑震)と同窓で、年はほぼ同じだが、ワトスンよりもクラスはふたつ上級だった。(英有攀息名翻爾白斯姓者。為守旧党魁爵臣呵爾黒斯特之甥。幼時嘗与医生滑震同学。年相若。而班加於滑震二等)

 英文原作は、ワトスンの手記だが、漢訳では、記述の主をワトスンではなく第三者に変更している。
 ワトスンが結婚直後にかかわった三つの事件のなかのひとつがこの「海軍条約文書事件」である、という原文の冒頭部分が削除され、上の説明からはじまる。
 パーシが伯父の指図で秘密文書を筆記しているところ、すこしの隙に文書を盗まれる。手を尽くして捜したが、みつからない。パーシは昏倒し自宅で9週間も寝ついてしまう。ややよくなったところで昔の友人であるワトスンに手紙を送り、ホームズに事件の解決を依頼する。英文原作では冒頭部分にあるパーシの手紙が、漢訳では、この部分に移動させられている。(細かいことだが、この手紙にパーシの昔のあだ名が「おたまじゃくし tadpole」と書かれているのを、漢訳ではまず音訳して「〓心弋}坡爾」、注をつけて「これはあだ名で翻訳すれば小蛤〓虫介}(オオヤモリ)だ」と誤る)
 削除といえば、ホームズのバラの花について意見を述べる部分がある。だが、宗教は推論を必要とする云々は、意味不明だと判断されたものか(誰が判断したかは後述)、漢訳では省略される。また、ポーツマス線の汽車の中で、外の風景にある小学校を見て、ホームズがワトスンに「灯台だよ」と話しかける部分も、事件の本筋とは無関係だと考えられたらしく、省略。
 では、事件に関係のない箇所は、すべて省略されているかといえば、そうともいえない。ホームズが自室で化学実験を行なっている部分は、漢訳で6行分が残されている。
 いくつかの削除はあるが、あとは、英文原作にほぼ忠実に漢訳されているといえる。
 これを読んだ中村忠行は、つぎのように書いている。
 「……梗概をあらあらと綴るばかり、時に大きな改変がある。例文の箇所について言へば、原文冒頭の(筆者注:英文略)以下の一節は省略されてゐるし、パーシ・フェルプスからワトスンに充てた手紙以下、数頁の文章は後に廻され、フェルプスがホームズに事件の経過を話す条りに織込まれてゐる。その為、筋が平明となり、探偵小説としての面白さは失はれ、原作者独特の話術の巧みさも、印象が薄れたものとなつてしまつた」*6
 中村は、漢訳について明らかに不満を感じている。それは、『時務報』掲載の漢訳を探偵小説として考えているからだ。ドイルの原作を損なった翻訳に対する中村のきびしい評価である。
 漢訳において、パーシがワトスンにあてた事件解決依頼の手紙を、冒頭から物語の途中に移動させるという大きな変更をほどこした理由は、時間の推移のままに事件を述べた方が読者にとっては理解しやすいと考えたからだ。
 だが、だからといって完全な形では犯罪報道に改変されていない。最後の種明かしの部分は、英文原作のままになっており、犯罪報道としては完全さが崩れた。しかし、だからこそその分だけ物語としてのおもしろみを伝えることができたとはいえる。
 一部分であろうとも、英文原作の順序をわざわざ改変するには、労力が必要とされる。原文そのままを漢訳するほうが、ずっと楽なはずだ。それをあえて書き換えたのは、原作の探偵小説を小説として提供するつもりがなかったからだ。結果として徹底したものとはならなかったが、犯罪報道に書き直したかった。こう考えれば、これらの改変は、不思議でも不当でもない、当たり前のものとなる。
 漢訳最初のホームズ物語を見る限り、改変があったり、省略があったり、また例の豪傑訳に近い翻訳か、と思われる可能性が高い。だから、中村忠行も厳しい評価を下したのだ。だが、残りの3篇を丁寧に読んでいけば、その印象は違ったものになる。
 作品がニュース欄に掲載されていることからも、ドイルの創作した名探偵ホームズは、中国では、英国ロンドンに実在した探偵だと受け取られた。ホームズが実在したなどと考えること自体、現在から見れば、信じられないことかもしれない。だが、当時の中国においては、それが事実であった。
 ドイルの作品それ自体がうまく構成されているため、漢訳時に少々の変更をほどこされても、物語として成功した部類にはいる。大多数の中国人読者から見れば、探偵小説というよりは、新聞の犯罪報道として理解された。このことをくりかえし指摘しておきたい。
 ところが、つぎの作品になると、翻訳者は、犯罪報道のワクを頭から放り出しかかっているように見える。原文の記述順序を改変することなく、そのままに読者に提供しはじめる。

○「曲がった男復讐事件(記傴者復讐事)」――「曲がった男」
 081 The Adventure of the Crooked Man | The Strand Magazine 1893.7
 ロイヤル・マロウズ連隊のバークレイ大佐殺人事件である。
 バークレイ大佐と夫人のナンシは、仲睦まじかった。ところが、ある日、外出から帰宅した夫人は、突然、夫と喧嘩をはじめ、恐ろしい悲鳴とともに大佐は変死、夫人は失神しているのが発見された。死んだものとばかり思われていた30年前の恋敵が、再び出現したことが原因で発生した変死事件だった。
 この物語のなかのホームズは、関係者の証言を取っていくことにより、自然と真相に到達する。それほど困難な事件ではない印象を受ける。
 該作品の日本語訳についても触れておけば、藤原時三郎「邪悪の人」(『ホルムスの思ひ出』金剛社1924(万国怪奇・探偵叢書2)未見)がある。中国のほうが、日本よりも28年も早い。
 漢訳には、「本書は、ワトスンの作(此書滑震所撰)」と書いてある。中国の読者は、原作者のワトスンが実在していると理解するだろう。まさか、ワトスンまで創作上の人物だとは、これだけでは想像できない。しかも、ワトスン作と明記しながら、この漢訳でも会話部分を除いて、第一人称は使われない。あいかわらずセリフの前に「ワトスン(滑震)」をかぶせている。
 本作品も漢訳題名が、内容を暗示したものであることに注目されたい。「記傴者事」だけならまだしも、これに「復讐」を付け加えるから、復讐にかかわる事件だと推測することが可能だ。それだけでも、探偵小説としての興味は少し削がれる。ただし、小説と考えなければ、別にこれでもかまわない。
 出だしは、人称問題を除けば、英文原作に忠実な漢訳である。そればかりか、注をほどこして読者の理解を助けている。
 たとえば、ホームズが、ワトスンの家を訪れ、帽子かけを見て患者のいないことをいう箇所“I see that you have no gentleman visitor at present. Your hat-stand proclaims as much”を、次のように漢訳する。「今晩は客がいないはずだ。帽子かけがそう私に教えているよ(今晩当無客。帽フ已告我矣)」ここに注がつけて「西洋の風俗では、客は玄関を入ると脱帽し、帽子かけに置く。その時、帽子かけに帽子がなかったからそう言ったのだ(西俗客入大門則脱帽置帽フ上。是時帽フ上無帽故云)」と説明する。わかりやすい。
 たとえば、おなじくホームズは、ワトスンの家で最近工事があったことを指摘して“He has left two nail-marks from his boot upon your linoleum ……”という箇所を漢訳して「絨毯を指さし、これはクツの釘跡じゃないかね(歇指地毯云。此靴釘印。非耶)」という。注して「労働者はつつましく、クツが破れても替えないので、釘跡が大きい(工人倹。靴破或未易。釘印較鉅)」と説明する。注釈をほどこすのは、原文のまま忠実に翻訳しようとする意識があるからだ。
 こまかいことだが、絨毯ではクツ跡は残りにくいのではないか。リノリュウムと絨毯は違うだろう。
 物を詳細に観察して推理するのは、ホームズの特徴のひとつでもある。注釈をつけてでも、その特徴を漢訳でも示したいと翻訳者は感じたからだとわかる。
 ワトスンの靴が汚れていないのを見たホームズが、医者の仕事が忙しいことを言い当てる箇所など、ホームズ物語の特徴をあますところなく漢訳している。
 同じ『時務報』に掲載されている漢訳ホームズ物語「英包探勘盗密約案」と比較して、「記傴者復讐事」は、少しの省略とほんの小さな誤訳(冒頭、食事の場面)はあるにしても、英文原作にほぼ忠実な翻訳である。にもかかわらず、原作者であるドイルの名前を一貫して出さないのは、掲載する欄が新聞記事の重訳ものだから、それに束縛されているとしか思えない。

○「娘を欺く義父事件(継父誑女破案)」――「花婿失踪事件」
 050 A Case of Identity | The Strand Magazine 1891.9
 前回の「曲がった男復讐事件(記傴者復讐事)」から、約四ヵ月の空白時間をはさんで、みたびホームズ物語が掲載される。ここでも内容そのままを説明した漢訳題名であるといわざるをえない。
 日本語訳の南陽外史「紛失の花婿」((不思議の探偵)『中央新聞』1899.8.15-20)からすれば、こちらは漢訳が日本語訳よりも、2年早い。漢訳が先を行っていることに変わりはない。
 原作の内容は、次のようなものだ。
 財産目当てに年上の女性と結婚した男ジェームズ・ウィンディバンクが、義理の娘メアリ・サザーランドの所有する金までも自由にしたいがため、変装して娘と交際をはじめ、結婚式の当日に失踪する。花婿ホズマー・エンゼルの生死が分からなければ、少なくとも10年間は、娘は、他の男に心を向けないだろう、と読んだ義理の父親の計略である。
 花婿捜索を依頼しに来た娘を観察しただけで、彼女が近眼であること、タイプライタを打つことをホームズは推理する。娘が近視だから、義理の父親の変装を見破ることができなかったという伏線になっている。
 また、恋人ホズマー・エンゼルからの手紙は署名までもタイプライタで書いてあるというのが、事件解決の決め手のひとつともなる。タイプライタの文字は、一部分が欠けていたりして個別に特徴がある。別人の手紙と称しても、同一機器を使用した証拠となるのだ。
 義理の父親が犯人だとホームズがあげる根拠は、複数ある。ひとつは、花婿が失踪して利益を得る人物は、義理の父親のみであること。また、花婿と義理の父親は、けっして同時に現われないこと。および上に述べたタイプライタの印字癖だ。ホズマー・エンゼルからの手紙と、義理の父親からの手紙が同じタイプライタを使用して書かれていることをホームズは指摘するのである。
 義理の父親が、娘の花婿になるという、まことに奇妙な事件であるといわなければならない。しかも、ホームズのゆるがぬ推理で義理の父親を追い詰め、彼に罪を認めさせ、事件を解決しながら、その本人を罰する法律が存在しない。事実を娘に教えても、おそらく信じないだろう、といって話は終わる。
 娘の母親は、あやしげな花婿の存在に疑念を持たなかったのか、という読者からの当然すぎる疑問が予想できる。これに対して、ドイルは、「妻の黙認と援助」としか書いていない。義理の父親と母親はグルになって娘を騙していたことになる。はるか年下の男を好きになった母親は、実の娘を騙しても不思議ではないというのが、ドイルの考えであろうか。ならば、読者は、そうですか、というよりほかない。
 漢訳は、「私がホームズの所で、彼と暖炉をはさんで話していると、ドアを叩く音が聞こえた。……(余嘗在呵爾唔斯所。与呵據竃觚語。清談未竟。突聞叩門声)」ではじまる。
 ここでようやく「私(余)」を使用する第一人称で物語が綴られることになった。これでこそ「滑震筆記」とした意味があるし、また、英文原作に忠実な書き出しである。
 ところが、それにつづく新聞記事「妻を虐待する夫」をめぐる雑談とボヘミア王からの記念の品などを説明する部分は、漢訳では全文が削除される。
 ホームズ物語では、ホームズとワトスンの関係、それぞれの経歴、別の事件への言及などが語られることがある。とりあえずそれをホームズとワトスンの生活史と言っておくが、その記述は、事件そのものとは直接の接点をもたない場合がある。しかし、作品の血肉になっており、その血肉があるからこそ、個々の事件で独立する短篇小説が寄り集まって、全体でひとつの大きなホームズ物語を構成しているという、いわば二重構造を成立させているのだ。
 しかし、漢訳者は、その生活史部分を削る。その理由は、犯罪報道には余分だと判断したためであろう。いきなり、メアリ・サザーランド(邁雷色実)が訪問してくるのだ。
 以上のような少しの省略はあるが、あとはほぼ英文原作のままに漢訳している。
 ただし、首をひねる例も、ないことはない。
 タイプライタを打つことを「排鉛板」「彫板」と漢訳している。まるで活版印刷あるいは木版印刷をしているように漢訳するよりほかなかったのは、訳者のまわりにタイプライタそのものがなかったのか、中国人読者にはなじみのない機械だから、理解しやすいように改変したのだろう。
 たとえば、南陽外史「紛失の花婿」では、タイプライタを「活字手紙の印刷」と翻訳している。漢訳と似たようなものだ。
 タイプライタを利用して打った文字は、肉筆文字と同じに個性があることをホームズが指摘する箇所がある。英語原文では、活字体小文字の「e」と「r」を例にあげており、そのままに漢訳する。その際、どういうわけか2文字ともに筆記体を使用する。筆記体のタイプライタなど、そのころあったのだろうか。疑問だ。筆記体を示したことで、漢訳者は、タイプライタの構造を理解していないのではないかと思わせる。
 まあ、これなどは細かい誤りにすぎない。『時務報』は、木版の誌面だから筆記体小文字もそのままに印刷ができる。別の漢字に置き換えて翻訳することもできる箇所なのだが、英語原文の通りに翻訳したかったようだ。筆記体にしたから、結果として少しズレてしまったが、基本はやはり、翻訳の態度として原文に忠実であろうと努めていると考えていいだろう。

○「ホームズ殺害事件(呵爾唔斯緝案被〓爿戈})」――「最後の事件」
 087 The Adventure of the Final Problem | The Strand Magazine 1893.12
 『時務報』に掲載されたホームズ物語の最後の1篇である。日本語訳の天岡虎雄「鎖された空家」(『古城の怪宝』博文館1922.4(探偵傑作叢書4)未見。“The Final Problem”と“The Empty House”を合わせたものという)より25年も先んじている。
 天才、哲学者、理論的思索家、最高級の頭脳の持ち主で数学の才能を持ち、かつ犯罪の組織者でもあり、犯罪史上最高峰に位置するモリアーティ教授とホームズの死闘を描いた作品だ。
 この作品は、それまでのホームズ物語とは異なる。ホームズが、イタリア人牧師に変装する場面はあるが、細かな観察から推理をするなどのホームズ得意の見せ場がない。
 なによりも解決すべき事件がない。謎の事件がないのだから、厳密にいえば、探偵小説ではなかろう。
 ホームズが、モリアーティ教授と対決するのが事件そのものである、という言い方はできようか。
 しかし、ライヘンバッハの滝壷に両者が転げ落ちて死んだように思わせる結末は、いかがか。ホームズが死んでしまったのでは、事件解決というには程遠いといわなくてはならない。英国読者の納得をえることができなかったのは、当然のことであろう。
 これが、ホームズ物語を打ち切るために、ドイルが、ホームズを葬り去るために書いた作品であることは、現在では周知の事実だ。ドイルの創作として見れば、エピソードの多い作品ではある。
 だが、中国では、これが犯罪報道だと受け止められたことを知れば、ホームズが死去するようなことがあったとしても、それはそれですっきり収まるような気もするのだ。
 漢訳は、「娘を欺く義父事件(継父誑女破案)」に引き続いて「私(余)」ワトスンの筆記となっている。
 本文冒頭に興味深い翻訳箇所がある。
 ワトスンが、ホームズとの交流を回想するところで事件の名前(つまり作品の題名)をあげる。英文では、“Study in Scarlet”と“The Naval Treaty”の2作品だ。漢訳者は、前者を「攷験紅色案」と翻訳した。これは、いい。問題は、次の“The Naval Treaty”だ。こちらは、おなじ『時務報』に漢訳が掲載されている。その漢訳名は、「英包探勘盗密約案」だった。ところが、本文では「獲水師条約案」と漢訳している。同じ漢訳者が、同じ作品を、同じ雑誌のなかで別の題名に翻訳するのは、どこか不思議だ。「英包探勘盗密約案」と「獲水師条約案」を比較した場合、後者の方が、原文に近い。
 ひとつの作品に二つの漢訳題名がある。なぜ、このような現象が発生したのか。別の刊行物で漢訳題名が違うことは、よくあることだ。だが、同一雑誌内だからこそおかしい。あとで問題にする。
 最後の方に、“my brother Mycroft 兄のマイクロフト”とある箇所を弟「我弟麦闊労傅〓心弋}」と翻訳する。兄弟としか書かれていないから、この部分だけを見て兄と訳すのはむつかしいかもしれない。だが、「最後の事件」よりも前に発表されている「ギリシア語通訳」(The Adventure of the Greek Interpreter 1893.9)に、“Seven years my senior 七歳上の兄”とあるのを知っておくべきだった。漢訳者は、忘れたのかもしれない。
 以上のような小さい誤訳を除けば、こちらの漢訳も英文原作に忠実であることをくりかえしておきたい。


【注】
1)江戸川乱歩『海外探偵小説作家と作品』早川書房1957.7.15初版未見/1995.9.30再版。211頁
2)樽本照雄「漢訳コナン・ドイル研究小史」『大阪経大論集』第51巻第5号(通巻259号)2001.1.15
3)藤元直樹編「コナン・ドイル小説作品邦訳書誌」『未来趣味』第8号2000.5.3。Richard Lancelyn Green and John Michael Gibson “A Bibliography of A.Conan Doyle”Hudson House 1983,2000
4)畑實「シャーロックホームズの訳「乞食道楽」について」『文学年誌』第6号1982.4.25。藤元直樹編「コナン・ドイル小説作品邦訳書誌」91頁。樽本照雄「コナン・ドイル作「唇のねじれた男」の日訳と漢訳」『大阪経大論集』第51巻第6号(通巻260号)2001.3.31
5)『時務報』第3冊(光緒二十二年七月廿一日1896.8.29。中華書局影印)には、「助資諸君名氏」として「汪穣卿進士/梁卓如孝廉 集銀壹千貳百両 黄公度観察捐集銀壹千元 盛杏〓クサカンムリ+孫}観察助銀伍百両 朱竹意志廉訪助銀壹百元 黄幼農観察助銀伍百両 薛次申観察助銀貳百元 黄愛棠大令助銀壹百元 ……」などのように掲載されている。また、史和、姚福申、葉翠〓女弟}編『中国近代報刊名録』(福州・福建人民出版社1991.2)には、鄒凌翰の名前もあげてある(189頁)。秦紹徳『上海近代報刊史論』(復旦大学出版社1993.7)には、張之洞が強学会上海分会に寄付したのは1,000両だと書いてある(40頁)。
6)中村忠行「清末探偵小説史稿」(一)『清末小説研究』第2号1978.10.31。11-12頁

【参考文献】
A. Conan Doyle“Memoirs of Sherlock Holmes”George Newnes, LTD (Souvenir Edition) 1902
Sir Arthur Conan Doyle“The Original Illustrated ‘STRAND’ Sherlock Holmes -The Complete Facsimile Edition”Wordsworth Editions Limited 1990,1998
“Sherlock Holmes: The Complete Novels and Stories”Volume 1, Bantam Books 1986
川戸道昭、新井清司、榊原貴教編『明治期シャーロック・ホームズ翻訳集成』全3巻 アイ アール ディー企画2001.1.20

【附記】
 藤元直樹、平山雄一、李慶国、劉徳隆各氏からは、資料の提供またはご教示をいただきました。お礼を申し上げます。