編集ノート     
                                                   
★昨2000年の7月14日、父魏紹昌は病気のため亡くなった、とご家族からお手紙をもらった。驚いた。それらしい消息をどこからも聞いていなかったからだ★本誌と魏氏との関係は、第3号に原稿執筆を依頼したのにはじまる。1978年のことだ。「文化大革命」終結後まだ間もないころで、中国から原稿が送られてくることは、半分、期待していなかった。それ以前、研究者との交流が10年間も途絶えていたのだから、その後も同じ情況が続くものだと思っていた。魏氏から原稿が送られてきたことによって、中国の研究情況が決定的に変化したことを知ったのだ★長年にわたり本誌に関心をよせてくださったことに対してお礼をのべたい。ご冥福をお祈りいたします★新世紀を迎えたのを記念したわけではないが、大増ページになってしまった。コナン・ドイルの漢訳目録が、思ったよりも紙幅を占めたのが増ページの理由のひとつでもある。こういう資料は、分載すれば利用する場合、不便である。一挙掲載したら50ページを越えた。小さな活字にしてもページを節約することは、できなかった★中国で近代翻訳小説の研究が進んでいる。関連する研究書も出版されて、この分野が、まさに注目を集めていることが肌身に感じられる。だが、概説的な文章が多く、より一歩の深化を求めようとすると、すぐに立ち往生する。考えなくてもその理由は、わかる。基礎資料がないのだ★あるべき個別の翻訳目録が、作成されていない。ドイルのホームズ物語について、どの研究論文も書名だけは掲げる。だが、内容に立ち入った研究は、ほとんどない。自分で体験して、その理由が、わかった★本号に掲載した私のドイル原稿は、準備したものの4分の1である。漢訳目録が増えたので、掲載する分量を縮小するしかなかった。原稿執筆の過程で、できるだけ原本を探したが、原物がない。驚くべきことだ。上海図書館では、それでもいくつかを見ることができたのは、さすが蔵書量の豊富さを誇るだけのことはある★いくつかの重要な翻訳書をさがして、中国の研究者に捜査を依頼した。煩わせるのはいやだったがしかたがない。日本には、まったく所蔵されていない書籍である。私は、楽観していた。どんな研究書、論文でも、必ずといっていいほど言及している超有名翻訳書だ。簡単に結果がでるものとばかり思っていた。しばらくして回答をもらう。その返答は、私を吃驚させるのに十分であった。中国国内の主要図書館にまで手をのばして調査したが、原物を見つけることはできなかった、というのである。あれれ、研究書に言及されているあれらの翻訳書は、それでは、どこにあるのだろうか。個人で所蔵していて、それで論文が書かれているというのか。翻訳小説研究の概説書では、未見既見の区別までは書き込まないことが多いから、判断がつかない。謎は深まるのである★結果として私が理解するのは、翻訳文献の整理、目録作成といった地道な作業は、むつかしい、ということだ。中国においても、長年にわたり指摘されてきている。今さら、くりかえしてもしかたがない。資料を整理した結果を公表して共同で利用できるように工夫する時間があれば、自分で論文を書く方が楽しいに決まっている★一般の資料整理でさえ、困難がともなう。翻訳小説の場合は、これに外国語がからんでくるからやっかいだ。ドイルなら英語だから、まだなんとかなる。資料についても、ドイルの著作は、復刻を含めて、今でも大量に出版されている。研究書も多い。しかも、最近のインターネットの発達は、とても心強い。専門サイトがあって、ホームズ物語の初版を入手しようと希望すれば、価格さえ度外視すれば手に入れることは可能である。便利になったものだ★ホームズ物語は、まだ、いい方だ。これがアラビアン・ナイトになると、大変。なにしろ英訳版は、あの有名なバートン版だけではないからだ。タウンゼンド、レインその他多くの版本が存在する。そのほかに書き換え版が作成されていたりする。漢訳がいずれの原典に依拠したのかを確定することが、まず、むつかしい。なるほど、今までアラビアン・ナイトの漢訳について専門論文が書かれない理由がわかったような気がした。漢訳の原本が入手しにくいのに加えて、英文原典の種類の多様さを目の前にすれば、研究者は、まず二の足を踏む。躊躇して当然だ。膨大な熱量と時間をかけて研究しても、評価されるとは限らない。そうだろうな。誰も着手しないならば、私が……と思