中国におけるコナン・ドイル(2)


樽本 照雄


◎1-4 『時務報』の漢訳ホームズ物語を検討して
 4篇の漢訳ホームズ物語すべては、その翻訳水準はとても高い。小さな誤訳はあるにしても、原文をそこなうほどではない。大意を述べるだけの豪傑訳とは無縁であるし、登場人物を中国化させることもない。筋の運びは、例外の1ヵ所を除いて、そのまま原文を尊重しており、訳者の勝手な加筆もまったく行なわれていない。タイプライタなど、中国の日常生活に普通あまり見かけない機械は、別のもので置き換えている場合がある。しかし、そういう例は、まれだ。西洋の風俗特有と思われるものについては、注釈をほどこす。これも原文に忠実であろうとする翻訳態度から出てきたものだ。翻訳は、原作のおもしろさを十分に伝えているということができる。
 最初の漢訳ホームズ物語として、誇るべき質の高さを示しているのは事実だ。これを賞賛することに私は躊躇を感じない。
 『時務報』掲載の漢訳ホームズ物語4篇を検討した結果、そこに通底する訳者の基本態度を認めることができる。
 つまり、英文原作を忠実に漢訳しようとする姿勢を訳者は保持している、と私は強く感じるのだ。これに尽きる。

◎1-5 ふたりの訳者――丁楊杜の謎
 だが、ふりかえって実際の漢訳を見れば、原文に忠実な翻訳という基本態度を裏切っている箇所があるのも事実だ。
 その1:「英国探偵の密約盗難探査事件(英包探勘盗密約案)」では、話の順序を入れ替えている箇所がある。
 不思議なのは、入れ替えがあるのが、最初の該当翻訳作品に限ることだ。それ以外の3篇では、同様の事例はない。ひとつの翻訳で順序の入れ替えがあれば、別の漢訳でくりかえしても不思議ではない。ところが、1篇のみにそれが発生している。厳密な翻訳態度を持っている訳者という視点から逆に見ると、入れ替えを実施している方が、かえって不自然に思える。
 ということは、翻訳者の考えに変化が生じたということだろうか。
 その2:原文が第一人称で書いているのを無視する。
 これもはじめの2篇に限った現象だ。それ以後は、原文のままに翻訳されている。短期間に翻訳者が方針を変更したと考えざるをえない。
 その3:翻訳題名は、原文を離れている。
 翻訳4篇ともに事件の内容を示唆する題名に変更されている事実をどう見るのか。
 原文を忠実に漢訳するという翻訳者の姿勢からすると、題名を書き換えていることには、違和感をおぼえる。
 前述のように翻訳本文において、同じ作品を別の題名で漢訳している事実がある。“The Naval Treaty”(日本語訳:海軍条約文書事件)を、漢訳本文では「獲水師条約案」としており、こちらの方が原文に近い。にもかかわらず、わざわざ「英包探勘盗密約案」とまわりくどい題名に変更する。
 まわりくどい題名と書いたが、頭に「英包探」を持ってくるところなど、『時務報』第1冊に掲載した「英国包探訪喀迭医生奇案」の影響――犯罪報道の枠組みを引きずっているとしか考えられない。
 では、なぜ、題名を変更したのか。
 可能性としては、題名の書き換えは、掲載欄が新聞記事を重訳するものであったことが理由のひとつではないか。犯罪報道だと考えたためのひとつの工夫だった、と私は判断するのだ。
 張坤徳は、時務報館の人物だ。『時務報』第3冊(光緒二十二年七月二十一日1896.8.29)に「本館〓ban事諸君名氏」がある。総理汪康年、撰述梁啓超に並んで「英文翻訳 桐郷張坤徳少塘」と名前があがっているところからわかる。短い英文記事を翻訳しながら「域外報訳」「英文報訳」欄の編集を担当していたと思われる。
 『時務報』に連載された5篇の漢訳を収録した単行本が、出版された。いわゆる『新訳包探案』(素隠書屋1899/文明書局1903)である。すこし横道にそれるが、訳者について問題があるので触れておく。

◎1-6 『包探案』(又名『新訳包探案』)の訳者
 該書は、ひとつの解決不能に見える問題を発生させた。原因は、阿英の目録である。
 阿英は、その目録において、いわゆる『新訳包探案』の訳者を、時務報館訳、丁楊杜訳と表示している(154頁)。おまけに、ドイル著とは書かれていないらしい。
 ここに、突然、出現した丁楊杜は、誰なのか。
 研究者は、『時務報』に見える張坤徳とこの丁楊杜には、悩まされどおしだ。なぜ同一の作品に二人の翻訳者が存在するのか解答を出せないでいる。
 阿英が記録しているのだから、間違っているはずがない、と研究者は考える。阿英は、研究の権威なのだ。
 中村忠行は、時務報館訳、丁楊杜訳と併記してあることを指して「何れが是か、或いは個々別々の訳出になるものか、詳細は審らかではない」*7と書いた。張坤徳、時務報館、丁楊杜の3者をならべて答えがでない。
 郭延礼は、「『時務報』で発表した時は、署名は張坤徳だったが、今(いわゆる『新訳包探案』が)なぜ「丁楊杜訳」と署名するのかわからない」*8と述べて、問題を放り出している。
 ふたりとも、よけいな推測をしないだけましだ。原物を見ることによってのみ解決できる。
 文明書局の1903年十二月初版、1905年七月再版本を見れば、『包探案』と表紙に書いてある。阿英が記録した「新訳包探案」は本文と奥付に見える。ひとつの単行本にふたつの書名がある。こういう例は、めずらしいことではない(後述)。素隠書屋1899本には、『新訳包探案』とあるのだろうか。そちらは見ていないから何ともいえない。
 『時務報』掲載の作品を集めて単行本にしたのだから、べつに「新訳」とうたう必要もない。ここは、表紙に書いてある通りに『包探案』と呼ぶことにする。
 その奥付を見れば、原著者のコナン・ドイルも訳者の名前も記載されていない。時務報館訳などは、どこにも存在しない。問題の丁楊杜は、なんと「発行者」として名前があがっているのである。どうやら阿英は、見間違えたらしい。
 ふたりの翻訳者など、もともと存在しなかったのだ。人騒がせな記述まちがいである。
 さて、ふたたび『時務報』にもどる。
 『時務報』にホームズ物語を掲載するにあたって、次のような経過があったのではないかと考える。
 張坤徳は、主編の梁啓超と相談のうえ、ホームズ物語を「域外報訳」欄に連載することにした。張坤徳は、ホームズ物語を、実在するホームズ探偵がてがけた犯罪事件だと考えていたのではないか。
 探偵小説を読んだこともない中国人読者を相手にしているのだ。いきなりホームズ物語を登場させる前に、新聞記事重訳欄のなかに犯罪報道の体裁をした「英国包探訪喀迭医生奇案」を掲載して読者の反応をさぐった。その他の新聞記事とのバランスも考慮して、分量もあまり多くはない。あくまでも犯罪報道を看板にする。
 記事の評判がいいのを手がかりにして、ホームズ物語連載に踏み切る。ホームズとワトスンの中国初登場である。
 その際、原稿に漢訳していた題名を「獲水師条約案」から「英包探勘盗密約案」へ変更した。『時務報』第1冊の「英国包探訪喀迭医生奇案」につながるように、犯罪報道風になるようにと考えたのだ。あつかいは、あくまでも犯罪報道である。さらに、読者が理解しないのではないかと危惧して、話の順序を時間の経過のままに変更してみた。いずれも張坤徳の判断であったろう。
 よけいな工夫をしなくても、読者の反応がすばらしいと判断すれば、次の段階に移る。すなわち、原作に手を加えることなく(部分的に訳文を省略するのは、話の筋には無関係だと判断したからだ)、そのままの漢訳を掲載する。
 だが、誌面の上では、あくまでも新聞記事重訳のワクをはずすつもりはない。コナン・ドイルの名前を出していないのが、その証拠のひとつだ。シャーロック・ホームズがかかわった事件をワトスンが記録した。それだけで充分だ。脚色したドイルの名前は必要ないという考えなのだろう。
 以上は、実録風「英国包探訪喀迭医生奇案」から、原作の順序を一部入替えた「英包探勘盗密約案」を経て、原作の忠実な漢訳となっている「記傴者復讐事」以下の翻訳を見ての、私の推測である。

◎1-7 犯罪報道と探偵小説
 私は、犯罪事件と探偵小説の間に、いくつかの段階、あるいは濃淡の差異を考えている。
 実際に発生するしない(つまり創作)にかかわらず、まず、犯罪事件がある。事件発生の経過を雑誌、新聞などに掲載する犯罪報道がある。犯罪報道が筋道だけの、いわゆる骨とすれば、それにいくらかの血肉を盛りこむ犯罪実話が出現する。ドキュメンタリ風の読物といってもいい。それが、さらに探偵小説に変形し、それは謎の発生→謎の追求→謎の解決によって構成される。有能な探偵がからむのは、必要条件である。
 この、犯罪事件−犯罪報道−犯罪実話−探偵小説という分類は厳密なものではない。その境界線も、アイマイである。また、順番に発生するわけでもない。それぞれを分類する根拠は、ただ、血肉部分が多いか少ないかの主観的な判断によるほかない。
 以上の分類、あるいは傾向を頭に置いて説明すれば、ホームズ物語は、『時務報』の編者にしてみれば、犯罪報道であった。もとの探偵小説を犯罪報道だと誤解するのだから、血肉部分が余計なものと思われてもしかたがない。話の本筋とは無関係、かつ余分だと判断すれば、当然のように削除する。話の順序を時間の経過のままに配列したくなる。
 漢訳ホームズ物語のいくつかには、省略があるという現象は、原作が探偵小説であるにもかかわらず、それを犯罪報道としてとらえていたという両者の意識のズレが主たる原因によって発生した。
 ホームズ物語は、中国人にとっては、犯罪報道、あるいは犯罪実話であったという認識は、『時務報』に最初のホームズ物語が掲載された1896年から1906年くらいまでの間、約10年間は持続したように思う。
 読者は、外国の翻訳探偵小説を犯罪報道として読んでいたのだから、ホームズもワトスンも実在の人物だと思うのは当然だ。
 『時務報』掲載の漢訳ホームズ物語は、作品そのもののできがいいことに加えて、真摯な漢訳であったこともあり、読者に大歓迎された。
 その評判を背景にしてホームズ物語は連載され、それが梁啓超の『時務報』主編辞職まで継続された。連載には、当然、梁啓超の後押しがあったはずだ。梁啓超が『時務報』の実務から離れると、それ以後、ホームズ物語の漢訳が誌上を飾ることはなかった。

●2 漢訳ホームズ物語の反響
 漢訳ホームズ物語は、『時務報』第30冊(光緒二十三年五月二十一日1897.6.20)で連載を終了した。単行本になったのは、その2年後だ。前出『包探案』(素隠書屋1899/文明書局1903)である。
 清末では、雑誌に掲載されはしたものの、単行本にまとめられることのない作品の方が多い。だが、漢訳ホームズ物語は、書店を替えて重版されてもいるから、大きな評判をとったとわかる。
 『時務報』掲載のホームズ物語は、翻訳の質が高かったことも原因のひとつだろう、知識人の記憶に強く残った。
 日本に亡命した梁啓超が、横浜で創刊したのが『清議報』である。日本の政治小説の漢訳「佳人奇遇」(該誌第1-35冊 1898.12.23-1900.2.10)と「経国美談」(該誌第36-69冊1900.2.20-1901.1.11)を連載したのが有名だ。ただし、探偵小説の翻訳掲載は行なわれていない。梁啓超は、上海の『時務報』で漢訳ホームズ物語を連載しているにもかかわらずだ。なぜなのか。横浜にいる梁啓超のまわりに英語のできる人材がいなかったとも考えられるが、詳しい事情はわからない。
 『清議報』に探偵小説は載らなかった。しかし、梁啓超が探偵小説についてまったく興味を失ったというわけではない。
 『清議報』停刊後、梁啓超が主宰する『新民叢報』の第14号(光緒二十八年七月十五日1902.8.18)に中国で最初の小説専門雑誌を創刊することが宣言されている。その『新小説』を広告する「中国唯一之文学報 新小説」において、創刊の主旨と内容を公表した。論説、歴史小説、政治小説など内容による分類があって、掲載予定の作品まで具体的に掲げられている。そのなかに、「探偵小説」の分野がある。「偵探」ではない。ここでは、日本語の「探偵」と同じであることに注意されたい。
 それを説明して、つぎのように書く。

 八探偵小説/探偵小説のその奇怪な思想は、しばしば人の意表外に出る。以前、『時務報』ではいくつか翻訳したことがあるが、ほんの試みにすぎなかった。本誌では、西洋の最新奇抜な書を採択し翻訳する(題未定)*9

 ここではじめて『時務報』掲載の文章が、探偵小説であったことが公にされた。『時務報』ではいかにも犯罪報道のように装っていたのだが、もうその必要はないと判断されたのだろう。『新民叢報』は、横浜で印刷発行されていたが、もともとが中国人を直接の対象にする雑誌である。中国国内に輸送されて読まれていた。当然、『新小説』の発行予告も知られたであろう。ところが、ホームズ物語が犯罪報道として受けとられていた情況は、この後も、続いていたように思われる。
 『時務報』に言及するその他の文献をまとめて見ておきたい。
 周桂笙訳述「歇洛克復生偵探案」(『新民叢報』第3年第7号(原第55号)光緒三十年九月十五日1904.10.23。作品名としては「竊毀拿破侖遺像案」とよぶのが正確。後述)には、訳者の「弁言」がついている。早い時期の探偵小説論のひとつだ。
 周桂笙は説明して、西洋の「写情小説」「科学小説」「理想小説」に並べて「偵探小説」を提出する。周桂笙が「偵探小説」を特に提出する理由は、それだけが中国にはなかったものだからだ。
 中国の刑法、裁判は、西洋とは異なっているため、探偵などは夢想だにしなかった。外国人が治外法権を租界にのばしてきており、警察を設立し警察官(包探)までもある。西洋各国は、人権を最も尊重する。訴訟になれば弁護をする。証拠が確実でなければみだりに人を罪に問うことはできない。そういう事情と探偵小説が無縁ではないことを指摘する。
 周桂笙の説明を逆から解釈すれば、確実な証拠もなく人を罪におとしいれるのが当時の中国の刑法、裁判であったということだ。人権を尊重しないから、探偵小説も生まれなかったと言っているのにほかならない。
 「英国のホームズ、シャーロック(呵爾唔斯歇洛克)は、最近の探偵の有名人である。各事件を解決し、しばしば人を驚かせ、目もくらんで心臓が動悸をうつ。その友人ワトスン(滑震)が、たまたま一二の事件を記録し、朝に脱稿すると、夕には欧米をかけ巡り、大いに洛陽の紙価を高めたのである。ゆえにその国の小説の大家であるドイル、コナン(陶高能)氏は、その説明にこじつけて探偵小説をつぎつぎと著わし、ワトスンの筆記として世に広めた。そうでなかったならば、実際に経験するようなすばらしさを生みだすことはできなかっただろう。わが国では時務報館の張氏が翻訳したものがふるく、華生包探案などがそれにつづいており、ワトスンの筆記である」
 周桂笙の説明は、とても興味深い。『時務報』に掲載された漢訳探偵小説1篇プラス漢訳ホームズ物語4篇を、そのままなぞって説明していると読めるからだ。
 『時務報』には、たしかに「訳歇洛克呵爾唔斯筆記」「滑震筆記」などと記してある。シャーロック・ホームズ筆記、ワトスン筆記だ。これを見て、周桂笙は、ホームズとワトスンを実在の人物だと考えた。ワトスンが、ホームズの手掛けた事件を記録したというドイルの創作を、本当にあったことだと思っている。犯罪事件をドイルが探偵小説に仕立てて発表したと信じている。周桂笙の書き方を見ると、そうとしか読めない(後述)。
 中村忠行は、「ホームズを実在する「近世之偵探名家也」と考へてゐるのは、愛敬であるが」*10という。だが、周桂笙個人の「愛敬」だけではすまない、より深い背景があったのだ。
 周桂笙が、ホームズとワトスンが英国に住む実在の人物だと考えたのには、「訳歇洛克呵爾唔斯筆記」「滑震筆記」と書かれていたことのほかにいくつかの根拠があった。
 ひとつには、上に述べたように『時務報』の掲載が、犯罪報道の形をとっていたことがある。新聞記事翻訳欄に掲載されているのだから、現実の犯罪事件であると考えるのは、当たり前といえば当然だ。
 もうひとつの資料は、『四名案』(文明書局1903。未見。原作は、“The Sign of Four”)である。
 寅半生「小説閑評」*11の紹介によると「[唯一偵探譚]四名案 原文医士華生筆記、英国愛考難陶列輯述、無錫呉栄鬯〓禾尤山}長康同訳 文明書局印行」と書いてある。
 顧燮光「小説経眼録」も該書について、「英愛考難陶列輯述、呉栄鬯意訳、〓長康作文。本書原文為医士華生筆記、凡十二章」*12とする。
 両者の記録は、同じだ。同一書なのだから、不思議ではない。つまり、原文は、医師ワトスンの筆記であって、A・コナン・ドイルがそれを編集記述したことになっている。
 周桂笙は、該書を読んでいたはずで、「原文医士華生筆記、英国愛考難陶列輯述」をそのまま信じこんでしまったと考えられる。だからこそ周桂笙の上の説明文になったのだ。
 もっとも、ホームズとワトスンが実在人物だと考えられていたのは、せいぜいが1906年あたりまでで、もうすこし時間が経過すれば、これが創作上の人物だとはわかってくる。
 『小説林』第3期(丁未1907年三月)に「小説林新書紹介」がある(影印本では削除)。「福爾摩斯最後之奇案」を紹介して、「ホームズは理想の探偵であって、実際にはそういう人物はいないことがわかるのである」と書いている。実際に存在しないとわざわざいうのは、ホームズが実在の人物だと信じられていることの裏返しだ。『福爾摩斯最後之奇案』そのものは、まったくの贋作ホームズ物語ではあるのだが。
 もうひとつ兪明震「觚〓クサ合}漫筆」(『小説林』第5期丁未1907年七月)において、「ある人が問うて、ホームズ事件は、贋作を作ってもかまわないのか、というので、私は笑って、ホームズという人物がいないのだから、贋作でないものはひとつもないのだ……と答える」と述べる。この記述からも、当時の中国では、ホームズが実在の人物であると広く信じられていたことがわかる。と同時に、贋作漢訳ホームズ物語が、大量に中国で生産される事実ともつながる証言であると理解することができよう。
 さて、周桂笙に筆をもどす。
 ドイルのホームズ物語を漢訳している周桂笙がだまされるくらいだ。読者の反響を得る、という視点から見れば、『時務報』が、犯罪報道風にしてホームズ物語を公開したのは、大成功だったことがわかる。
 周桂笙が「偵探」という単語を使っているところにも注目しておきたい。
 「包探」から『新小説』広告の「探偵」を経て、ここにいたってようやく「偵探」という言葉が表に出てくる。文中には、「包探案」が使用されてはいるが。もうひとつ「議探」という特別な訳語がある。これについては後述する。
 上海で創刊された小説専門雑誌『繍像小説』第4-10期(癸卯閏五月十五日1903.7.9-八月十五日10.5)に漢訳ホームズ物語6篇が連載された。
 『繍像小説』の紙型を利用して単行本になったものが『補訳華生包探案』(商務印書館 光緒二十九1903年。柯南道爾ドイルの名前は、ない)だ。説部叢書に組み込まれた。
 はじめは線装本だったが、あとで洋装本に形をかえる。中国商務印書館編訳所訳述『補訳華生包探案』(中国商務印書館 光緒32(1906)丙午孟夏月/光緒33丁未孟春月二版 説部叢書第一集第四編。柯南道爾の表示はない)
 これがさらに『(偵探小説)華生包探案』と改題され、説部叢書初集第4編に収められる(上海商務印書館 丙午1906年四月/1914.4再版)。
 「序」がついていて、つぎのような箇所がある。「最初に探偵事件(包探案)を翻訳したのは、上海時務報館である。すなわちいわゆるシャーロック・ホームズ筆記だ。呵爾唔斯は福爾摩斯であり、滑震は華生である」と説明する。ホームズの筆記だといっているところに注目されたい。ここでもホームズとワトスンは、実在する人物だと考えられている。
 人物の名称が呵爾唔斯から福爾摩斯へ、滑震から華生へと転換していく過程にある。
 また、「お茶や食後のうさばらしの助けになるにすぎず、学界になんの裨益するところがあろうか、なぜ翻訳するのだ、と言われるかもしれない。しかし、ここにはかの文明人の真実と虚偽があらわれているのだ。いつか交通が発達し、東西の往来が盛んになれば、用心するための鑑とすることができないこともない。また転じて、詳細に審査するよう当事者に学ばせ、粗暴で滅びる害を免れることができれば、また必ずしも無益というわけでもない」*13とも書く。
 当時、犯罪報道に対しても、社会改良、大衆教育などの効用を求める風潮があったことがわかる。だが、それはナイモノねだりだ。
 原作そのものが、効用を目的としてはいない。それを翻訳したところで、もともと存在しないものが出現するはずもない。だが、当時の中国では、一部の人は、犯罪報道(実は探偵小説)にも直接的な社会的効用を求めずにはいられなかったらしい。反発が出るくらい、大きな反響があったということだ。
 最後にひとつだけ、『時務報』に言及する例を示しておきたい。
 『月月小説』第1年第5号(丁未1907年正月)にある「紹介新書」欄に「福爾摩斯再生後之探案第十一二三」(小説林発行)を紹介して、「……わが国の訳本は、時務報の張氏が最初である。その後、翻訳がつづいた。たとえば包探案、続包探案などの類がみなそれである」(267頁)という。
 『時務報』掲載の漢訳ホームズ物語が、知識人にあたえた衝撃度がいかに強かったか、以上の例を見れば十分であろう。

●3 『泰西説部叢書之一』と『議探案』
 『時務報』につづく漢訳ホームズ物語の発表は、阿英「晩清小説目」*14によれば、(英)柯南道而ママ著、黄鼎、張在新合訳『泰西説部叢書之一』(光緒辛丑1901)になる。
 (英)柯南道而ママ著と阿英が記しているから、ドイル原作だとわかる。
 該書の収録作品は、「毒蛇案」「宝石冠」「抜斯夸姆命案」「希臘詩人」「紅髪会」「紳士」ママ「海姆」ママなどであるという。大体の原作は中村忠行によって推測されているが、「海姆」については、題名を見ただけでは原作の見当は皆目つかない。また、妙なことに、阿英目録は出版社名を書いていない。
 該書の各作品は、『泰西説部叢書之一』としてまとめられる前に、成都『啓蒙通俗報』誌上を飾った。
 『啓蒙通俗報』も、『時務報』と同じく木刻雑誌である。
 日本に現存する『啓蒙通俗報』には、以下の2篇が見られる*15。

059「毒蛇案」((英)柯南道而著) 黄鼎、張在新訳、黄広潤ママ参校
  『啓蒙通俗報』第4-5期 [光緒28.6(1902.7)]-光緒28.7(1902.8)未完
  「まだらの紐 The Adventure of the Speckled Band」
051「抜斯夸姆命案」((英)柯南道而著 黄鼎、張在新合訳)
  『啓蒙通俗報』第12-15期 [光緒29.3(1903.4)]−光緒29.閏5(1903.7)未完
  「ボスコム谷の謎 The Boscombe Valley Mystery」

 カッコ内に示した柯南道而、あるいは原作については、私が補った。

◎3-1 奇妙な書名
 見ればみるほど奇妙な書名である。『泰西説部叢書』なら、まだ、わかる。しかし「之一」というのはどういうことか。「之二」も出版されたという意味だろうか。しかし、『泰西説部叢書之二』という書名は、見たことがない。
 『泰西説部叢書』から理解できるのは、それがシリーズ名であることだ。だから、奇妙な書名だというのである。
 もうひとつ不思議なことがある。阿英目録には発行年を光緒辛丑(1901)にしているにもかかわらず、『啓蒙通俗報』の掲載は、1902年、1903年であったりする。これでは雑誌掲載の前に単行本が出ていることになる。雑誌に掲載されたあとで単行本にまとめられるのが一般的である。だから、おかしい。
 『啓蒙通俗報』の目次に見えるのは、「泰西説部的毒蛇案」という題名だ。
 そうすると『啓蒙通俗報』第12期にある「抜斯夸姆命案」と並列される「泰西説部的宝石案子」も、ホームズ物語ではないのか。「小説経眼録」は、「宝石冠」を『啓蒙通俗報』掲載だと説明している。作品名が、よく似ているのが気になる。もしも「宝石案子」が「宝石冠」だとすれば、原作は、以下のように推測できる。

064「宝石案子」
  『啓蒙通俗報』第12期 [光緒29.3(1903.4)]未完
  「緑柱石宝冠事件 The Adventure of the Beryl Coronet」

 推測が正しいならば、その他の翻訳も、同誌に掲載された可能性が高い。
 中村忠行は、「「毒蛇案」と「宝ママ冠」には、成都啓蒙通俗報社から単行上梓された異版があつて」*16と考えた。「小説経眼録」には、「成都啓蒙通俗報本」と記述してあるところから、そう判断したのだろう。
 しかし、「異版」だろうか。おかしなことは、阿英目録には、出版社名がない、発行年にずれがある。くりかえすがどう見ても奇妙な書名だ。
 もうひとつ、『泰西説部叢書之一』に関係するらしい『議探案』という書物を阿英目録は記録している。

◎3-2 『議探案』のこと

『議探案』 黄鼎、張東ママ新合訳。光緒壬寅(1902)餘学斎木活字本[阿英169]*17

 黄鼎、張在新訳が『啓蒙通俗報』に見られるのだから、『泰西説部叢書之一』と『議探案』には、なにか共通したものがあるように思われる。たしかに、阿英目録だけからは、張在新と張東新のどちらが正しいのかは、判断がつかない。原作者名は、明示されていないらしい。
 郭延礼は、『議探案』について説明し、原本未見ながら、こちらもドイル作品だとする。さらに『議探案』は、『泰西説部叢書之一』の翻刻本あるいは増訂本ではないかと考えた*18。
 原本を見ることができないのだから、推測の域を出ない。
 私が考えるに、『泰西説部叢書之一』は、『啓蒙通俗報』に掲載された作品を抜き出して合冊装丁したものではなかろうか。のちの『繍像小説』に、同様の例を見ている。雑誌そのものが、線装本である。連載ものは、バラしてのちにまとめることができるように工夫印刷されている。『月月小説』は、活版印刷だが、これも連載を集めて1冊に仕立てている作品がある。出版社がそういう単行本を発行している例さえあるのだ。
 各作品名にかぶせられた「泰西説部」は、シリーズ名であろう。『啓蒙通俗報』に連載されたホームズ物語を合冊にしたもので、シリーズ名らしき「泰西説部叢書之一」を全体の書名として題簽を作るなりして、名前不明の出版社から発行された(後述)。
 私は、以上のように推量した。
 はたして、『啓蒙通俗報』第4期から連載が開始された「毒蛇案」の冒頭には、次のように記されている。

泰西説部叢書之一 同安黄鼎佐廷、上海張在新鉄民訳 上海黄慶瀾涵之参校

 「泰西説部叢書之一」は、ここではシリーズの名称であるように見える。シリーズ名が、書名になることは、十分にありうる。
 はじめに簡単な説明がなされ、「毒蛇案」がはじまる。
 掲載されている個々の作品には、訳者名が記載されていないから、冒頭の黄鼎、張在新のふたりが、シリーズ全体の漢訳者であるとわかる。原作者であるドイルの名前は、ない。
 「毒蛇案」の丁数は、「一」だ。ということは、「泰西説部叢書之一」は、「毒蛇案」から始まっていることを示している。「毒蛇案」が連載された『啓蒙通俗報』の発行は、1902年らしいから、阿英がその目録で『泰西説部叢書之一』の発行を「光緒辛丑(1901)」とするのは、誤りということになる。
 「英国の医師ワトスン(華生)とシャーロック・ホームズ(休洛克福而摩司)は、友人であり、かつて同じく探偵(議探)であった。ホームズは事件を解決するのがうまく、ワトスンはそのつど筆をとりあげて記録した。……」というのが、冒頭の説明である。ここには、ホームズとワトスンが、創作上の人物であると推測できる材料は示されていない。つまり、ホームズとワトスンは、実在の英国人なのである。
 「議探」とは、見慣れない単語だ。
 黄鼎ら漢訳者は、「包探」とは区別するために「議探」を特別に考えだして使用している。
 「包探」は、警察官(刑事を含む)を指し、民間の私立探偵を「議探」という名称で呼んでいるのだ。英文原文に「警視庁の警部 the official detective force」という箇所がある。これが、「包探」に当たる。残念ながら、該当部分の漢訳を見ることができない。だが、同じ漢訳者の別の作品「ボスコム殺人事件(抜斯夸姆命案)」には、ロンドン警視庁 Scotland Yard のレストレイド(漢訳では名前を出さない)を指して「包探」と訳している。どのみち、説明部分に「外国語の原意によってこれを「議探」と訳す」とあるから、区別していることに間違いはない。
 警察官を「包探」と訳し、民間の私立探偵を「議探」と別の単語をあてるのは、それぞれの違いを知った上での厳密な翻訳ということができよう。
 「議探」は、黄鼎らが特別に使用している訳語だ*19。ということは、前出『議探案』は、黄鼎と張在新が翻訳した『啓蒙通俗報』連載の「泰西説部叢書之一」にほかならないことになる。
 以上のことから、阿英が目録に記録した『泰西説部叢書之一』は、『啓蒙通俗報』掲載のドイル物語を抜き出して合冊したものだと理解できる。出版社名が、なぜ記載されていないのか、不明。出版社名があっても、採録しおとした可能性もあろう。一方の『議探案』も、同じく『啓蒙通俗報』掲載の抜き刷りながら、こちらは餘学斎という発行所が発売した出版物だ。
 『議探案』の発行年の1902年というのが正しいとすれば、漢訳作品の部分収録になる。『啓蒙通俗報』連載の作品全部は、収録していない可能性もあろう。原物を見ることができないので、断言はできないが、阿英の記録した発行年は、間違っているかもしれない。
 西洋の小説シリーズだと銘打っているのだから、小説だという認識はあるはずだ。しかし、原作者コナン・ドイルの名前を、なぜ、脱落させるのか。ことさらに、ホームズとワトスンのみを前面に押し出している箇所に、黄鼎、張在新らも、ホームズとワトスンが実在の人物であると考えている証拠を私は見る。少なくとも、『時務報』掲載の漢訳ホームズ物語の影響を強く受けている、ということができる。

○「毒蛇事件(毒蛇案)」1-8丁――「まだらの紐」
 059 The Adventure of the Speckled Band | The Strand Magazine 1892.2
 「毒蛇」と漢訳しただけで、原作の意外性は、少しばかり減じてしまった。日本語訳である南陽外史「毒蛇の秘密」((不思議の探偵)『中央新聞』1899.7.12-22)も同類といえば、そうだ。日本語の方が、漢訳より3年先行する。
 現在、『啓蒙通俗報』で読むことのできる「毒蛇案」は、該誌2期分にすぎない。女性の依頼者が、ベーカー街のホームズとワトスンを訪問してくる開始から、事件の概要を説明し、依頼者の双子の姉が怪死する部分までだ。作品全体の約4割くらいの分量だろうか。残りを目にできないのが残念だ。
 漢訳は、「ワトスンが言う(華生云)」と書き始められ、三人称に書き換えられている。
 英語原文の冒頭と漢訳を示そう。

IN glancing over my notes of the seventy odd cases in which I have during the last eight years studied the methods of my friend Sherlock Holmes, I find many tragic, some comic, a large number merely strange, but none commonplace ; for, working as he did rather for the love of his art than for the acquirement of wealth, he refused to associate himself with any investigation which did not tend towards the unusual, and even the fantastic.(この八年の間に、友人シャーロック・ホームズの探偵としての活躍について、わたしが記録した事件は七十余りにもなるが、それらに目を通してみると、その中には、多くの悲劇的な事件や、いくつかの喜劇的な事件、また、奇妙としか言えないようなものもたくさんあるが、ごく普通の事件というのは、一つもない。なぜならば、ホームズが探偵という仕事そのものを非常に愛していて、金儲けのことなど、全く考えず、珍しい事件や、非常に奇抜な事件でなければ、引き受けなかったからだ)*20
▲華生▲云 吾近八年中 記▲休洛克福而摩斯▲所緝奇案 多至七十件 大抵可歌可泣可驚可愕之事 ▲福▲(即福而摩斯省文以下〓人方}此)固好為此 非徒資以求利也 凡尋常案件 不費思索者 ▲福▲輒謝弗屑(ワトスンが言う。私がこの八年のあいだにシャーロック・ホームズのかかわった奇怪な事件を記録して七十件あまりになる。大抵はおもしろく悲しい驚愕の事件で、ホームズは、もとよりそれを好んでやったのであって、いたずらに利益を追求したのではなかった。普通の事件や考えなくてよいものは、ホームズはそのつど断わってきた)

 漢訳は、句読点のかわりに空白一字を入れている。固有名詞には傍線を引く。外国の地名、人の名前など、読者にとっては目新しい単語を理解させるための工夫だ。
 漢訳は、逐語訳ではない。しかし、必要なものはすべて翻訳している。文言だから、自然と簡潔になる。英文“many tragic, some comic”が「可歌可泣」のように、書きなれた表現になるらしい。
 英語原文は、時間設定を1883年4月にする。漢訳では、それを三月にしているのは、旧暦に換算したつもりだろうか。そうであれば、芸が細かい。ただし、それが妥当であるかどうかは別で、考えすぎのような気もする。
 女性の依頼者を観察したホームズが、彼女が汽車で来たこと、ぬかるみ道を馬車で走ったこと、馭者の左側に座ったことなどを言い当てる。ホームズ物語のきまり部分も、すべて漢訳されている。
 この作品の題名になっている「まだらの紐」が出現する箇所を見よう。
 “Oh, my God! Helen! It was the band! The speckled band!”は、漢訳では、「噫 ▲海倫▲ 一抜痕畳也 一司卑格而抜痕畳也(英語抜痕畳衆也又帯也司卑格而花紋也)」(ああ、ヘレン。バンドよ。スペクルド・バンドよ)となる。中国人読者には、「スペクルド・バンド」と英語のままを音訳しても理解できない。訳者は割注で「英語でバンドとは、人の群また帯である。スペクルドは、飾り模様である」と説明する。バンドに「人の群」と説明するのは、親切だ。なぜなら、ジプシーの一団(バンド)が屋敷の敷地内に住み着いていて、これが、ドイルによる意図的な誤誘導のひとつであるからだ。
 漢訳は、ホームズ物語のツボを押さえた見事なものだということができる。余分な加筆はしていない、人物、土地も中国風に書き換えない、話の順序も原文のままだ。適当な省略はあるにしても、物語全体の構成に影響を及ぼすものではない。ホームズ物語を簡潔な文言で、格調高く漢訳した翻訳者の力量は、たいしたものだ。作品の部分漢訳を見ただけでも、『時務報』の漢訳に勝るとも劣らないほどの高水準を示していると私は判断する。
 「毒蛇案」は、雑誌2期分で8丁、それで全体の約4割だから、1話で約20丁を必要とする計算になる。ページ数をざっと勘定すると、「毒蛇案」が終了するとそのまま「宝石冠」が続いて掲載されたとわかる。

○「宝石冠(宝石冠)」33-35丁――「緑柱石宝冠事件」
 064 The Adventure of the Beryl Coronet | The Strand Magazine 1892.5
 見ることができるのは、『啓蒙通俗報』第12期に掲載された、結末部分3丁のみである。目次では「宝石案子」となっているらしい。たぶん、目次と本文の記述が異なっているのだろう。今、一般に知られている「宝石冠」を使用する。
 こちらも、南陽外史「歴代の王冠」((不思議の探偵)『中央新聞』1899.9.28-10.1、21-26)が漢訳にさきがけて発表されている。
 漢訳は、盗まれた緑柱石宝冠のいきさつを、ホームズが説明する事件解明の部分だ。
 雪上に残された足跡、男の足跡が一方が深く片方が軽いのを見て木の義足であると推測すること、つま先だけが地面についていることから急いで走った様子、靴をはいた足跡に裸足の足跡、後者が前者を追いかけたと考えるなどなど、漢訳し忘れている箇所は、ひとつもない。

○「ボスコム殺人事件(抜斯夸姆命案)」36、41-48丁――「ボスコム谷の謎」
 051 The Boscombe Valley Mystery | The Strand Magazine 1891.10
 同じく、南陽外史「親殺の疑獄」((不思議の探偵)『中央新聞』1899.8.21-29)が漢訳よりも早く発表されている。
 丁数が連続しているところからわかるように、「ボスコム殺人事件(抜斯夸姆命案)」は、上の「宝石冠」連載終了を受け継いで同じ『啓蒙通俗報』第12期から掲載され始める。
 過去における外国での生活が、目の前の事件の原因となったホームズ物語のひとつである。
 英文原作がワトスンの手記であるのを、漢訳は、無視する。上海の『時務報』では、すでに第一人称のままに漢訳しているにもかかわらずだ。「余」で書き始めるのは、中国人にとってはよほど抵抗感があると見える。

某日晨▲華生▲接▲福而摩斯▲電報 嘱同往▲抜斯夸姆▲ 査勘一案 ▲華生▲欣然詣▲福▲ 同乗火車行(ある朝、ワトスンはホームズから、事件を調査するためボスコムへ一緒に行ってくれという電報を受け取った。ワトスンは喜んでホームズを訪問し、一緒に汽車に乗って行った)

 これが漢訳の書き出しである。英文原作には、ワトスンが結婚していること、アフガニスタン戦役に従事した経験を持つことなどが書き込んであるのだが、漢訳者は、事件とは無関係だと考えたらしく、省略する。
 漢訳で、本来はイギリス人であるジョン・ターナーをオーストラリア人とするのは、誤訳である。
 欠落している37丁から40丁は、『啓蒙通俗報』第13期の掲載分にあたる。その内容は、ターナーの知人チャールズ・マッカーシーがボスコム沼で撲殺され、マッカーシーの息子ジェームズが犯人だとされる。そこにホームズとワトスンが、事件の調査に乗り出す。情況証拠からは息子が犯人はゆるがない、さらには新聞報道による息子の供述が明らかにされるというところまでだ。
 無罪を信じる女性の出現、息子の知られざる行為の暴露、無能な警官の行動、ボスコム沼でのホームズの実地調査、得られた資料による犯人の特定(読者には明らかにされない)、ワトスン相手のホームズの推理解説がはじまる部分で漢訳は途切れる。
 誤訳が、少しある。ターナーとマッカーシを鉱石商と漢訳するが、原作では鉱山で働いていたことになっている。被害者の左側後頭骨が砕かれているが、漢訳で「左側」を省略するのはマズい。犯人の手掛かりが原文のここで示してあるからだ。
 その他の部分は、私の見るかぎり、英文原作から大きくはずれた箇所は、ほとんどない。
 『啓蒙通俗報』に掲載された漢訳ホームズ物語3篇を見た私の結論は、漢訳には、省略部分とわずかな誤訳があるが、事件の記述を損なうものではなく、原文を忠実に漢訳している、ということだ。
 『啓蒙通俗報』は、四川省成都で出版されていた雑誌である。上海からはずいぶんと隔たった場所での発行だ。しかし、漢訳ホームズ物語は好評だった。好評だからこそ『議探案』という書名を与えられて単行本にまとめられたと考えられる。また、単行本になるだけ、漢訳の質は、高かった。
 漢訳者のひとりである黄鼎は、中村忠行の紹介によると、上海の聖約約翰大学を卒業後、1892年、アメリカのヴァージニア大学に学び、1897年に帰国、母校で教鞭をとっていたが、1901年に山西大学に迎えられ、1904年に上海のアメリカ領事館の通訳になった人だという*21。
 部分的ではあっても翻訳そのものを読んだだけで、ホームズ物語を正確な漢語に翻訳するのに十分な学識をそなえた人物であるとわかる。その経歴を示されると、一層、納得がいくのである。
 いまいちどまとめる。『啓蒙通俗報』に「泰西説部叢書之一」と題されたシリーズが、連載終了後、抜き刷りが出版された。それも2種類ある。ひとつは、『泰西説部叢書之一』と命名され、もうひとつは『議探案』と呼ばれた。抜き刷りだから両者ともに大判の木刻線装本であるはずだ。
 『泰西説部叢書之一』は、のちに小型活版線装本のかたちで再版されている。
 私が見たのは、表紙には、『泰西説部叢書之一』と印刷題簽がある。
 扉の右側に「啓明社訳本 毎本定価大洋二角」とあり、中央は、「泰西説部叢書之一」、左下に「上海|時事報館内/蘭陵社印行」と2行に分けて印刷される。扉裏に「宣統紀元仲春再版」と表示されるから1909年陰暦二月となろう。
 訳者、本文などは、『啓蒙通俗報』と同一だ。
 収録作品は、以下のようになる。くりかえしになる部分もあるが、原作と訳名をかかげておく。
059「毒蛇案」1-9丁
 「まだらの紐 The Adventure of the Speckled Band」
064「宝石冠」9-16丁
 「緑柱石宝冠事件 The Adventure of the Beryl Coronet」
051「抜斯夸姆命案」16-25丁
 「ボスコム谷の謎 The Boscombe Valley Mystery」
084「希臘訳人」25-30丁
 「ギリシア語通訳 The Adventure of the Greek Interpreter」
049「紅髪会」30-36丁
 「赤毛組合 The Red Headed League」
079「紳士克〓ni海姆」36-42丁
 「ライゲイトの地主 The Adventure of the Reigate Squire /The Reigate Puzzle」

 興味深いのは、扉に見える「啓明社訳本」という部分だ。
 上海・啓明社からホームズ物語6篇が漢訳出版されているということは、前から指摘されている*22。しかし、詳細は、いままで不明だった。
 だが、『泰西説部叢書之一』の扉に明示された「啓明社訳本」によって、ひとつの推測が可能となった。すなわち、阿英が記録している出版社不明の『泰西説部叢書之一』(光緒辛丑1901ママ)は、ほかならぬ啓明社によって発行されていたということだ。これは、『啓蒙通俗報』からの抜き刷りで木版線装本だったろう。それを再版したのが、蘭陵社の小型活版線装本ということになる。一方で、『啓蒙通俗報』の抜き刷りによる『議探案』(光緒壬寅(1902)ママ餘学斎木活字ママ本)があることは、すでに述べた。
 ここで誤りを指摘しておきたい。
 郭延礼は、その『中国近代翻訳文学概論』において、『泰西説部叢書之一』を紹介する。収録作品が7篇あると書く(147頁)。そのうちの「紳士」について「The Adventure of the Noble Bachelor,今訳《貴族単漢案》」と説明した。が、これは誤り。だいいち該書には、「紳士」という作品は収録されていない。たぶん、阿英の小説目を見たうえで、中村忠行の原作指摘をそのまま引用したものだろう。該書に収められた作品は、上に示したように「紳士克〓ni海姆」という。阿英が、目録作成時に、勘違いしてひとつの作品を「紳士」と「海姆」に書き誤ったものと思われる。原物を見なければ、阿英の小説目の誤りに気づかなかった。
 1896-97年の『時務報』に掲載された中国最初の漢訳ホームズ物語4篇、および1902-03年の『啓蒙通俗報』に連載された漢訳ホームズ物語のいずれもが、いくらかの省略はあるにしても、きわめて良質で厳格な翻訳であったことは誇るべきことである。
 つぎに述べる『続包探案』は、『議探案』よりも早くに出版されている可能性もある。ほぼ同時期の刊行物としてあつかう。
 この『続包探案』は、まず書名を決定しなければならないという手間のかかる問題をかかえている。

●4 『続包探案』(又名『続訳華生包探案』)
 『続包探案』と書いても、これを知る研究者は、少ないだろう。あの大部な郭延礼『中国近代翻訳文学概論』にも書名を見いだすことはできないのだ*23。
 しかし、『続包探案』は、まったくの未知の書籍ではない。なぜなら、もうひとつの書名『続訳華生包探案』の方で知られるからだ。
 阿英目録は、『続訳華生包探案』だけを収録しており、『続包探案』を記録していない。
 そればかりか、阿英目録には、複雑な記述がされている。

続訳華生包探案 英柯南道爾ママ著。警察学生訳。光緒二十八年(一九〇二)刊。収福爾摩斯探案三種:
  (一)親父囚女案(二)修機断指案(三)貴胄失妻案
 又同年文明書局刊本、除上三種外、増訳四種:
  (四)三K字五橘核案(五)跋海E王照相片(六)鵝腹藍宝石案(七)偽乞丐案*24

 このままに読めば、1902年に初版と再版を出版して、再版には、作品4種の追加があったと理解できる。
 だから、中村忠行も「当初は「親父囚女案」以下の三篇のみであつたが、更に「三K字五橘核案」以下の四篇を加へ、文明書局から再版された。書名に冠せられた「続訳」の文字は、再版本上梓の際に附されたものであらう」*25と推量した。中村は、原物を見ることができなかったのだから、阿英の記述を信用するよりしかたがない。
 書名を前にしてしばし佇む。それ以前に『華生包探案』も出ていないのに、いきなり『続訳華生包探案』が出版されているのは変だと感じる。だから「続訳」は再版本に追加されたと考えた。突然の『続訳華生包探案』は、不合理だからこその中村の推測だった。
 ところが、阿英目録には増補版があって、こちらには同一作品を収録して次のように書いている。

続訳華生包探案 警察学生訳。光緒二十八年(一九〇二)刊。文明書局刊。収探案七種:
  三K字五橘核案/跋海E王照相片/鵝腹藍宝石案/偽乞丐案/親父囚女案/修機断指案/貴胄失妻案*26

 前にはあった原作者である柯南道爾の名前を、ここでははずしている。作品の順序を入れ替えている。作品の追加については、文章を削除する。
 阿英目録の増補部分で同じ『続訳華生包探案』を重複収録したということは、原物でふたたび確認したからではなかろうか。つまり、以前の記述は、メモかなにかに拠っており、不十分だと阿英は考えたと思われる。
 ということは、はじめの3篇にあとから4篇を加えたという事実はなかったということだ。最初から、いわゆる『続訳華生包探案』1本のみが存在していた。
 いわゆる『続訳華生包探案』という書名には、謎があることを指摘したい。
 文明書局の『華生包探案』は、出版されるもされないも、もともとこの世に存在してはいない。商務印書館の『華生包探案』は、別物だし、だいいち1903年以降の発行だから、文明書局とは関係がない。
 前身であるはずの『華生包探案』が存在していないのに、なぜその続編を意味する『続訳華生包探案』が書名なのか。これが、書名の謎である。
 手元にある、いわゆる『続訳華生包探案』活版印刷洋装の原物を見れば、その謎は、解明できる。
 表紙、扉、目次1、本文108頁に加えて奥付がある。
 原著者名の「(英)柯南道爾」は、記されていない。『時務報』連載の時もそうだった。さらに、『啓蒙通俗報』連載でも、原作者のドイルは削除されていた。
 奥付には、「光緒二十八(1902)年十二月/光緒三十一(1905)年十一月再版、訳者 警察学生、印行者(上海)科学書局、総発行所(上海)文明書局、印刷所(上海)作新社印刷局」と書いてある。
 光緒二十八年十二月は、新暦に換算すれば1903年になるが、ここでは、光緒二十八年だけを指して1902年としておく。
 書名の問題は、複雑である。
 目録と本文冒頭にのみ『続訳華生包探案』と印刷されている。ところが、表紙、扉、奥付、柱は『続包探案』となっているのだ。表紙と扉は同一で、中央に縦書きで大きく『続包探案』とあり、左に添えて「総発行所文明書局」と印刷する。
 ひとつの書物に『続訳華生包探案』と『続包探案』のふたつの書名が、共存していることになる。
 書名不統一というべきだ。別に珍しい現象ではない。頭を悩ますのは、目録編集者くらいであって、作品を読むだけの場合は、なんの支障もない。
 阿英は、『続訳華生包探案』と『続包探案』のふたつの書名があるのを見て、前者を書名として選択し目録に記録した。その時、『続包探案』とも書かれている、と注記してくれたら、もっと親切だった。しかし、『続包探案』の方は無視したのだ。
 というよりも、阿英の目には、ふたつとも同じ書名に見えたのではなかろうか。
 『続訳華生包探案』と『続包探案』は、明らかに異なると考えるのは、私くらいのものかもしれない。
 現代の研究者に、二つの書名を示せば、即座に同一であると答える可能性がある。似た例をあげれば、郭延礼は、『新訳包探案』を指して、《新訳(華生)包探案》*27と解釈する。書かれていない「華生」を当然のようにして補っている。
 清末翻訳小説で『華生包探案』といえば、ホームズ物語を意味する。中国では誰でも承知の、あまりにも有名な翻訳作品である。だから、郭延礼が、実際には存在しない「華生」を付け足して《新訳(華生)包探案》と書くのは、なんの違和感もないだろう。
 これを適用すれば、『続包探案』は、『続(華生)包探案』となって『続訳華生包探案』と変わらなくなるのだ。
 だが、ここには「華生包探案」そのものが奇妙な題名だと考える発想が、存在しない。
 『華生包探案』という名称そのものが奇妙だ、と言われて、なんのことかと思われる人もいるだろう。
 今まで、この書名の奇妙さについて、研究者が疑問を提出したことがあるとは聞いたことがない。それくらい、当たり前のようにして言及される書名なのだ。
 なぜ奇妙かといえば、簡単なことだ。華生は、ワトスンを指す。ならば、『華生包探案』は、『ワトスン探偵事件』という意味にしかなりようがない。
 探偵は、シャーロック・ホームズなのだよ、ワトスン君。
 ワトスンが記録した探偵事件だと言いたいのであろうか。そうならば、『時務報』ですでに見られる『滑震筆記』にならえば、『華生筆記』で充分だろう。
 人名を用いたいのならば、ここは『福爾摩斯包探案』としなければならない。
 事実、のちの翻訳では、『福爾摩斯探案』とか『福爾摩斯偵探案』になっている。この時期にのみ、それも文明書局と商務印書館の書籍に限って『華生包探案』が出現しているのは、おかしなことだ。はっきり言って、間違いである。
 なにも誤っているものを正式な書名とすることはなかろう。もっとも、商務印書館の方は、間違った書名を正式なものとしたため、訂正のしようもない。
 あらためて言うが、『続訳華生包探案』と『続包探案』、ふたつの書名が最初から共存していた。
 では、どちらが適切か、という問題になる。
 私は、『続包探案』の方が、より適切だと考える。『続訳華生包探案』は誤訳だから、採らない。
 ふたつの書名があるのは、事実だ。しかし、表紙と扉に黒々と大書して『続包探案』とあれば、これが書名だと誰でも思う。逆にいえば、阿英は、『続包探案』ではなくて『続訳華生包探案』の方をなぜ選択したのか。そちらの方が不思議である。
 孫宝〓王宣}は、癸卯八月二十四日(1903.10.14)、北京において『続包探案』を読んでいる*28。
 当時、実際に読んでいた人物が、その書名を『続包探案』として日記に記録しているのだ。1903年のことだから、初版を指して『続包探案』と言っている。初版、再版ともに『続包探案』であって、『続訳華生包探案』を改題したものではないことがわかる。有力な証拠だということができよう。
 周作人は、東京に留学している兄・周樹人(魯迅)にいわれて、わざわざ『続包探案』を購入した。ただし、彼の日記では『華生包探案』と誤記しているが。

癸卯日記(1903)
四月十四日(5.10) ……夫子廟前の明達書荘までもどり『華生包探案』を一部購入する(購入して日本に送るよう長兄が手紙をよこした)洋四角……夜、『続包探案』を読む(……回至夫子廟前明達書荘買華生包探案一部(大哥来信令購並嘱寄往日本)洋四角……夜看続包探案……)*29

 「洋四角」は、『続包探案』の値段と一致する。周作人日記に見える『華生包探案』は、どうせ書くなら『続訳華生包探案』だろう。だが、それはいわば俗称であるから、夜に出てくる『続包探案』が正確だ。それにしても、日本にいる周樹人が読みたがるほどに、話題になっていた。
 もうひとつ、根拠がある。
 すでに触れた『包探案』(素隠書屋1899/文明書局1903)が、問題を解く鍵となる。
 『包探案』は、上海『時務報』に連載された中国最初の漢訳ホームズ物語をまとめた単行本である。以前に、充分説明した。
 重要なのは、文明書局が『包探案』の再版本を出そうとしていたほとんど同時期に、別の漢訳ホームズ物語を出版していることだ。この別の漢訳ホームズ物語こそが、阿英の記録するいわゆる『続訳華生包探案』、すなわち『続包探案』である。
 同じ版元であれば、シリーズである漢訳ホームズ物語は同じ書名にするだろう、という簡単な類推にすぎない。
 『包探案』を受け継いで『続包探案』と命名するのは、筋が通っており、なんの矛盾も飛躍もない。つけくわえる単語も必要なく、それだけできわめて理解しやすい書名である。
 『続訳華生包探案』を採用するとすれば、先行する書物に『新訳(華生)包探案』のように存在しない「華生」を補わなくては連続性が維持できない。それだけ余分だと思うのだ。
 『続包探案』とするのは、道理にかなった扱いだと考える。
 ひとつ資料をつけくわえる。
 文明書局自身が、『世界繁華報』(光緒二十九年正月十四日1903.2.11)紙上において出版広告を掲載し、書名を『続訳包探案』とする。該書に見える『続包探案』とも異なってはいるが、書店の意識としては、こちらに近いように見受けられる。
 以上のようなわけで、私は、『続包探案』という書名を使用する。
 なお、訳者について、中村忠行は、以下のように考えた。「訳者から推して犯罪捜査に資する為の参考といつた功利的観点からの翻訳といつた可能性が強いが、警察(★傍点ママ)学生といつた筆名が用ゐられてゐるところから推すと、訳者は、或いは前年北京警務学堂から宏文書院の速成警務科に送られて来た留日学生中に、求められるかも知れない」*30
 今、警察学生についての資料を持たない。

○「三個のKの字五個のオレンジの種事件(三K字五橘核案)」――「五つのオレンジの種」
 052 The Five Orange Pips | The Strand Magazine 1891.11
 第1行に「続訳華生包探案」と書いて、つづけて次のような語句がある。「華生は、滑震ともいう(華生一作滑震)」。漢訳7篇の冒頭において、これをくりかえす。
 ワトスンの漢訳が、滑震から華生に変更されたことを示している。前述『啓蒙通俗報』第4-5期([光緒28.6(1902.7)]-光緒28.7(1902.8))掲載の「毒蛇案」でも、すでに華生が使われていた。漢訳の趨勢が、そちらの方に向っていたらしい。
 原作は、アメリカでの過去の生活が、現在の殺人事件の原因をなしているものだ。ホームズが手掛けた事件のうち、数少ない失敗に属するもののひとつである。なぜ失敗かといえば、依頼人の命を救うことも、犯人を逮捕することもできなかったからだ。ただし、犯人たちは、遭難した船に乗っていたのだから、天罰が下ったということはできよう。
 漢訳について気づいたことを述べてみる。
 詳細が語られない事件のひとつに“Amateur Mendicant Society 素人乞食協会”がある。その Mendicant が理解できなかったためか、「▲阿美透煤笛懇▲会」と固有名詞扱いで音訳してすませている*31。
 英文原作にある“none of them present such singular features as the strange train of circumstances which I have now taken up my pen to describe.今ここで書こうとしている事件のように、奇怪な状況が続発するという異常な様相を示すものはないのである”を「今姑述其尤浅近易明之一案(今、そのもっとも簡単で分りやすい事件について述べよう)」と漢訳して、原文とは正反対にしてしまった。
 事件の依頼人ジョン・オープンショウの父親を説明して、“He was the patentee of the Openshaw unbreakable tire.彼はオープンショウ印耐久タイヤの特許権所有者だった”という。自転車が発明されたころ、パンクしないタイヤを開発し、自らの姓を商標にして、それにより財をなしたことを言っているのだ。それを漢訳では、「我父且在▲(二重下線)唖犇旭▲地。領有印票。得専售首飾。其貿易既如此順利(私の父は、オープンショウにおいて許可書を持っておりましたので、首飾りを専ら売ることができ、その商売は順調でした)」とする。オープンショウを人名から地名に変化させた。自転車とタイヤの関係に気づかず、首飾りを出すのは、奇妙に思われるだろう。確かに奇妙なのだが、当時の英漢字典に tire を装身具の首飾りの意味にしているものがあり、そのままに適用したらしい。どのみち誤訳である。
 秘密結社K.K.K.を「開。開。開」とするのは、Kの字を音訳したものだ。中国人読者は、これを見れば、何を開けるのかと訝しく思うに違いない。だから、「英語の11番目の字母である(英文第十一字母也)」と注釈をつけた。漢訳題名の「三K字」は、このことをいう。題名で使える「K」の字ならば、本文中にも埋めこめるだろうに、と思う。案の定、本文のうしろの方で「三K字」と組み込んでいるではないか。不統一である。もう1ヵ所、英文原作で“H Division H署”とあるのを「哀去」と漢字で音訳するのも「開」と同じ発想による。
 末尾に少しの加筆があるのが、注目される。
 英文原作では、ホームズが逆襲のために威しの手紙を犯人たちに送った。ところが、犯人たちが乗っていた船が遭難したという説明で終わっている。
 犯人たちが死亡したので、ホームズの逆襲は成功しなかった、と書いてしまえば、これは蛇足である。船は遭難したと示すだけで筆を止めたところに、ドイルの小説作法の冴えがある。読者に解読の楽しみを残しているからだ。
 ところが、漢訳者は、ドイルの書き方が不十分に思われ、気にくわなかったようだ。
 「オープンショウ親子兄弟の仇を、海があたかも先に報復したかのようであった。人事のこまやかさは、しょせん天網の粗さにかなわないのである」
 漢訳者の手による、まるで因果応報といわんばかりの説明は、付け加えて書かずにはいられなかったのだろう。現実の犯罪事件だ、との意識がそうさせたものか。
 漢訳は、細かな誤りはあるが、作品そのものから見れば、原文に、ほぼ、忠実だということはできる。

○「ボヘミア王の写真(跋海E王照相片)」――「ボヘミアの醜聞」
 046 A Scandal in Bohemia | The Strand Magazine 1891.7
 冒頭から、省略がある。アイリーン・アドラーについて、ワトスンの結婚、ホームズのコカインと犯罪探求について。そのすべてをきれいさっぱり削りおとし、「華生云」でいきなり1888年の事件がはじまる。さらには、ワトスンが開業医を再開したことを彼の様子を観察するだけで言い当てる、というホームズ物語の特徴のひとつを無視する結果となった。
 いわゆるホームズとワトスンの生活史は、余分な描写だ、と漢訳者の目には映ったのかもしれない。だが、ホームズ物語が多くの読者を引きつけたのは、事件の怪奇さのほかに、ひとつひとつの物語が相互に、かつ緊密に関連して全体を構成している点にもある。だから、一見むだなように見える部分も、全体にとっては重要な役割をはたしている。それが漢訳者には、理解できていない。ホームズは、ワトスンにむかって「ボズウェルがいないと心細いよ。 I am lost without my Boswell」と発言する。ジョンソン博士伝を書いた人物の名前を出すことによって、ワトスンにホームズの伝記作家の地位をあたえたわけだ。漢訳のように、ここを削除すると、ホームズとワトスンの役割分担の妙がわからなくなる。
 奇妙な点は、まだ、ある。事件解明の依頼を記した便箋を、漢訳では、なんと「新聞紙」にしてしまった。原文の notepaper を newspaper に取り違えたらしい。秘密の訪問を新聞で公表するなど、考えればおかしいと気づかなければならない種類の間違いであろう。ゆえに、便箋の紙質と透かし文字の詮索をする部分を削除することになったし、英語の組み立て方がドイツ人らしいという推測も、なしだ。もっとも、ドイツ語、英語のまじる箇所を漢訳するのは、骨が折れる。それを回避したとも考えられる。
 漢訳者は、どうやらややこしい箇所は、無視するつもりらしい。
 ボヘミア王の名前 Wilhelm Gottsreich Sigismond von Ormstein, Grand Duke of Cassel-Felstein, and hereditary King of Bohemia を、無視する。
 ホームズの人物ファイルにもとづくアイリーンの人物紹介も、なし。
 ボヘミア王が、アイリーンと撮った写真をとりもどそうと、人を雇ってことごとく失敗したことは、順序を入れ替える。
 という具合に、大幅に省略した結果、ページ数も少なく、事件の粗筋をたどるだけになってしまった。肉の部分が、削がれたというわけだ。漢訳者は、肉をけずって犯罪の骨格だけを取りだしたかったのか、と思わざるをえない。そうであるならば、この時点においても、訳者はホームズ物語を犯罪報道として受けとっていたのではないか、という私の推測が正しいことになる。原作者の名前を出さないのも、その証拠のひとつになるのだ。
 かろうじて事件の筋を追うだけだから、漢訳としては、優良可のうちの可の部類に属する。

○「ガチョウの腹に青い宝石事件(鵝腹藍宝石案)」――「青いガーネット」
 057 The Adventure of the Blue Carbuncle | The Strand Magazine 1892.1
 原題のガーネット carbuncle は、漢語でいえば、紅玉、紅宝石である。青いガーネットは、もともと存在しないものという。漢語題名の「藍宝石」には、サファイアという意味があるが、ここでは、単に「青い宝石」としておく。
 前訳「ボヘミア王の写真(跋海E王照相片)」が、あまりにも省略が多いので、こちらの翻訳はいかがかと見れば、前翻訳とは大いに異なり、省略はほとんど、ない。
 残された帽子を観察するだけで、持ち主の過去から現在の生活状況、はては妻に愛想をつかされていることまで推理する部分など、ホームズ物語のおもしろさを英文原作のままに、削除することなく漢訳している。
 ただし、妙な箇所がまったくない、というわけではない。
 たとえば、人口400万を、漢訳では40万に変更する。
 原作で「ピータースンという守衛を知っているかね? You know Peterson, the commissionaire?」というのを、「ピータースンという委員を知っているかね?(爾識委員▲彼得森乎▲)」と守衛が委員になっている。commissionaire が収録されていない当時の英漢字典を見たらしい。「commissioner 委員」の方は載っていたから、何も考えずに「委員」という訳語にしてしまった。
 英文原作では、ガチョウを担いだ人と数人の与太者の喧嘩になっているのを、漢訳では、ふたりだけの、つまり背の高い男と背の低い男の喧嘩に変更している。
 ホームズの住所ベーカー街221番Bを「▲▲培克▲▲街六百二十一号」に番地変更したのは、なぜだか不明。培克街は、別の箇所では盤克街と表示される。不統一だ。
 鵞鳥の出所をさがしてホームズとワトスンは、アルファという居酒屋に行く。主人は男だが、漢訳では女性(店主婦)に変更する。英語原作では、landlord であり he と書いているにもかかわらずだ。英漢字典の1行上に landlady(酒店女主人)とあるのと取り違えたものか。そうだとすれば、うかつなことだ。
 鵞鳥の仲買人が扱った数は、2ダースなのだが、漢訳では、2ダース20羽としたり、12対だったり、12羽にしてみたり、と一定しないのはなぜだか知らない。
 細かな思い違い、誤訳はあるが、比較的少ないといってもいいだろう。漢訳としては、いい方に属する。
 前出孫宝〓王宣}は、癸卯(1903)八月二十四日の日記において、「鵝腹藍宝石案」の感想を次のように記した。
 「西洋人は、文字と話し言葉を分けない。その話し言葉を聞けば、その教養の程度をうかがうことができる。たとえば「ガチョウの腹に青い宝石事件(鵝腹藍宝石案)」で、ヘンリー・ベイカーがホームズに面会したとき、「しゃべりかたは風雅で、言葉使いは慎重であり、学識にとむ人物であることを十分に証明している(呑吐風雅,用字猶謹,足証為飽学之士)」というのがそれである。わが国の人間は多くは小学校も卒業しておらず、文字使いは慎重でなく、話し言葉はいうまでもない。/私が西洋人の探偵筆記を読んでもっとも好きなのは、その内容が往々にして奇抜にして不思議であって、人にあれこれ考えさせないところだ。探偵家の追求する能力には予想外のところがあるが、解明されるや、情理にかなっているのが常で、人が気づかなかっただけなのだ」*32
 注意しなければならないのは、日記に見える「呑吐風雅,用字猶謹,足証為飽学之士」という部分は、孫宝〓王宣}自身の感想ではないことだ。漢訳ホームズ物語の中で使われている語句を、そのまま引用したにすぎない。
 ちなみに英文原作の該当箇所は、“He spoke in a slow staccato fashion, choosing his words with care, and gave the impression generally of a man of learning and letters. 彼の、一語一語注意深く言葉を選びながら、低い声でポツリポツリと話す態度は、全体として教育と学問のある人物という印象をあたえた”となっている。
 孫宝〓王宣}は、探偵筆記のおもしろさを、謎解きに求めていることが理解できよう。ごく当たり前の反応だと考えていい。また、漢訳ホームズ物語が、中国の知識人に好まれた理由が、ここにある。もうひとついえば、孫宝〓王宣}は、「包探筆記」と書いて、「包探小説」とはしていない。彼も、ホームズ物語が創作であるとは気づいていないらしい。
 以上は、漢訳ホームズ物語を読んだ同時代知識人の率直な感想として、貴重な証言だということができる。さらに、読者層を考える場合のひとつの資料ともなるだろう。

○「偽乞食事件(偽乞丐案)」――「唇のねじれた男」
 054 The Man with the Twisted Lip | The Strand Magazine 1891.12
 ジョン・ワトスンの妻が夫のことを「ジェームズ」と呼んだのは、なぜか。
 ホームズ研究者が話題にする箇所だ。ドイルの書き間違い、植字工の誤植、夫人の健忘症、はては犬の名前などなど、現在では、多種多様な説がとなえられている。
 漢訳者は、「▲及姆斯▲(華生之字)」(42頁)と割注で説明した。つまり、ワトスンの名がジェームズだというのだ。ジョンであることなど念頭にない。
 ジェームズが字(あざな)で、ジョンが本名、というような複雑な考えを漢訳者が持っているわけではなさそうだ*33。それほど深くはワトスンのことを知らない。というよりも、ここは、原文のままを漢訳しただけのことなのだろう。
 本作品にも床の「リノリュウム linoleum」が出てくる。当時の英漢字典には、収録されていない単語だ。漢訳では、『時務報』掲載の「曲がった男復讐事件(記傴者復讐事)」と同じく「絨毯(地毯)」をあてている。漢訳者は、『時務報』を参考にしている可能性もあるのではないか。
 本事件の主人公ネヴィル・セントクレア(Neville St.Clair ▲乃維而▲聖▲克来而▲)をアヘン窟で目撃した夫人が、探しもとめて2階(実質3階)へ駆けあがろうとする。水夫あがりのインド人 Lascar が夫人を上がらせまいと阻止するのだが、漢訳ではそれを雷斯揩と固有名詞にしている。Lascar は、これより前の部分にも出て来ており、漢訳者は同じく人名だと考えている。
 英漢字典を見れば「水手(東印度人水手之称)」と説明されているにもかかわらず、なぜ人名だと受け取ったのか。それは、『ストランド・マガジン』あるいは後の単行本では、Lascar と大文字のLで綴っているからだ。漢訳者が人名だと考えたとしても無理はない。
 以上の小さな誤り、あるいは漢訳者の誤解はあるが、原文にほぼ忠実な漢訳だということができる*34。

○「実父の娘拘禁事件(親父囚女案)」――「ぶな屋敷」
 066 The Adventure of the Copper Beeches | The Strand Magazine 1892.6
 本漢訳は、「ボヘミア王の写真(跋海E王照相片)」と同様に冒頭から大きな省略がある。
 だから、原作の、ホームズがワトスンの書いた事件報告書について、文句をつける箇所も省略する。
 「君が間違っているとすれば、おそらく、書くものに色をつけたり、肉をつけたりしようとすることだよ。原因から結果を厳格に推理するという、事件の中で唯一注目に価することだけを記録することを仕事にする代りにね」*35
 そのあとで出てくるホームズがかかわった事件は、その題名でいえば「ボヘミアの醜聞 A Scandal in Bohemia」、「花婿失踪事件 A Case of Identity」、「唇のねじれた男 The Man with the Twisted Lip」、「独身貴族 The Adventure of the Noble Bachelor」なども、当然のように省略する。いきなり事件が発生するのだ。
 つまり、ワトスンが説明によって血をかよわせ肉をつける、あるいは色彩をほどこす部分――例の生活史を、漢訳者は余分なものだと判断し、勝手に削り落としたのである。ホームズが文中で要求するままに、従ったことになる。ここにも、翻訳者が、創作を犯罪報道と混同している証拠を、私は見る。
 事件の依頼人であるヴァイオレット・ハンターは、女性家庭教師 governess であるが、漢訳では家政婦「襄理家政」、乳母「乳母」にされてしまった。
 ハンターをぶな屋敷に迎える時、馬車 dogcart で、とあるのを漢訳では文字通り「犬車」にしてしまう。アラスカではあるまいに。
 ホームズたちに来てほしいと要請するハンターからの電報は、夜遅く late one night 届いたのだが、漢訳は、翌朝「翌晨」に変更する。なぜだか知らない。
 ぶな屋敷の主人は、姓をルーカッスル(Rucastle 羅開色而)、名をジェフロ Jephro という。ある場所では傑勿洛(65頁)とし、別のところでは傑弗洛(70頁)と1字を違える。
 冒頭の省略のほかに、あと細かい違いはあるにしても、それ以外は、原文のままの漢訳となっている。

○「技師の指切断事件(修機断指案)」――「技師の親指」
 060 The Adventure of the Engineer's Thumb | The Strand Magazine 1892.3
 漢訳では、ワトスンがホームズとつきあいはじめてから、ホームズが関わった事件が千百件にのぼる、とする。
 原文は、“OF all the problems which have been submitted to my friend Mr. Sherlock Holmes for solution during the years of our intimacy, …… 私の友人シャーロック・ホームズとの数年におよぶ親しいつきあいのあいだに、解決するよう持ち込まれた多くの問題のうち、……”だ。どこにも事件数が千百件だとは書いてない。どこから来た数字なのだろうか。
 1874年から引退するまでの間に、ホームズは、約1,700件の事件を扱っただろう、という研究があるそうだ*36。
 数の上では、違いがあるようなそれほど外れていないような、どのみち多数の事件であることには変わりがない。
 ワトスンが結婚したとも訳さない。患者の中にパディントン駅の駅員がいた、という箇所を、「内有一官。住▲▲拍定登司対興▲▲(そのうちの一人は、パディントン・ステイションに住んでいた)」と訳す。これでは駅舎に住んでいることになる。駅名を地名に取り違えている。
 親指を切断された男性の年齢は25歳を出ていないと観察されるが、漢訳では「年約三十」と5歳も年取る。
 以上のようにこまかく指摘しはじめると、いくら紙幅があっても不足する。つまり、忠実な翻訳ではないのだ。漢訳が、原文を適当に省略して粗筋をたどるからページ数も少ない。ほぼ11頁だ。やり方は、該書所収の「ボヘミア王の写真(跋海E王照相片)」(約7頁)に似ている。
 話の展開に重要な役割をはたしている単語が、ひとつある。水力圧搾機 a hydraulic stamping machine だ。水力を利用して圧力をかける装置だとわかる。この機械を修理したために、技師は親指を失うことになったし、事件そのものが関係する重要機械である。話をバラしてしまえば、ニセ銀貨製造に必要な装置なのだ。それを、「打印水機」(82頁)と漢訳する。印刷機と誤解したと思われるかもしれない。別の場所では、a hydraulic press と表現されるのを、漢訳では「水気機」にして、同一機械であることはわかっているはずだが、訳語を統一しようとはしない。「打印水機」としたのは、別に漢訳者にしてみれば誤訳ではない。種明かしの箇所で、ニセ「銅貨」に文様を印するのに使ったと説明して強引に首尾一貫させる。ただし、「銅貨」は、銀貨の誤りだ。手間隙かけてニセ「銅貨」では割りが合わない。
 というようなわけで、この漢訳は、可と評価する。

○「貴族の妻失踪事件(貴胄失妻案)」――「独身貴族」
 063 The Adventure of the Noble Bachelor | The Strand Magazine 1892.4
 本作品は、別名「花嫁失踪事件」でも知られる。
 原作冒頭にある、セント・サイモン卿の結婚とその破局への言及、およびワトスンのアフガン戦争従軍記念の古傷を省略して、いきなり「華生曰」ではじまる。ワトスンの血肉――生活史を削るのだ。
 ホームズあてに届いていた手紙のひとつは魚屋 a fishmonger から、もうひとつは a tide waiter からだった。a tide waiter とは、満潮によって港に入ってくる船を待つ人、すなわち税関の監視官を意味する*37。ところが、漢訳では「弄潮児」となっている。波乗りをする子供、という意味にもとれる。英漢字典には、「海関差役」すなわち税関吏と載っているのだが、気づかなかったらしい。
 Scotland Yard 警視庁を「▲▲蘇格蘭▲▲場」と漢訳しているのを見ると、漢訳者の有する英国についての知識に、やや不安を覚える。間違いでは、確かに、ない。だが、地名風に訳すなら、本来の意味がわかるように注釈が必要だと考える。
 セント・サイモン卿と多額の持参金をもつハティ・ドーラン嬢の結婚は、花嫁が失踪していても、すでに成立している。だから、持参金はセント・サイモン卿のものになっている。それを確認してホームズは、“the marriage is a ▲fait accompli▲斜体”とフランス語で既成事実と言ったのだ。それを漢訳して「今婚事雖不成(今、結婚は成立しませんでしたが)」とするのは、フランス語が理解できなかったためだと想像できる。
 その一方で、うまく漢訳している部分もある。
 事件の依頼者である Lord Robert Walsingham de Vere St. Simon を、「羅勃脱為斯海姆第維耳聖西門」と正確に音訳している。さらに、役職の Under-Secretary for the Colonies 植民次官を「理藩院侍郎」とし、父親のこれも役職であるSecretary for Foreign Affairs 外務大臣を「外務部尚書」とするのも妥当である。
 アメリカ俗語で jumping a claim または claim-jumping という言葉が使用されている。鉱山の採掘権を横領するという意味で、口にしたドーラン嬢の育ちと事件の真相の両方を示す重要語彙なのだ。こういう箇所は、もともと翻訳しにくい。それを「往跳一礦」「跳一礦」と漢訳するのは、字面だけの翻訳とはいえ、許容範囲内だろう。
 アルファベットの署名F.H.M.を「哀夫、哀去、袁姆」と音訳するのは、前に例があった。「三個のKの字五個のオレンジの種事件(三K字五橘核案)」のやり方と同様だ。
 少しの省略と、細かな誤りはいくつかあるが、おおむね原作に沿った翻訳である。漢訳としては、できのよい部類にはいる、というのが私の判断だ。
 『続包探案』収録作品7篇のうち特に2篇について省略が多い。それ以外は、英文原作にほぼ忠実な漢訳となっていることを強調しておきたい。

 漢訳が、原作者コナン・ドイルの名前を出さない。その理由は、漢訳者がホームズ物語を犯罪報道、すなわち実在したホームズとワトスンがかかわった事件だと考えていたからではないか、と述べた。事実、前出周桂笙は、そう考えていた。
 犯罪報道だととらえていたと考える根拠を、くりかえし挙げれば、漢訳題名が、いずれも犯罪の内容をさし示すものになっていることがある。『時務報』からはじまり『啓蒙通俗報』を経て、『続包探案』にいたるまで、それは続いている。
 つぎの『繍像小説』所載漢訳を見ても、原著者を明示しない。翻訳題名が事件の内容を表わしているものもあり、いくらか名残が見える。

●5「華生包探案」――『繍像小説』掲載のホームズ物語6篇
 「華生包探案」と題して、『繍像小説』第4-10期(癸卯閏五月十五日1903.7.9-八月十五日10.5)に合計6篇が連載された。“THE MEMOIRS OF SHERLOCK HOLMES”1894から選んでの漢訳だ。目次には、「(新訳)華生包探案」とある。ここの「新訳」は、書名を構成しない。編集者による注釈だ。
 詳細は、以下の通り。

「華生包探案」
『繍像小説』に連載。活版線装本。原著者、訳者名なし。柱の下に「商務印書館印行」と印刷。
第4期 癸卯閏五月十五日 哥利亜司考得船案 1-8 “THE GLORIA SCOTT”1893.4
第6期 癸卯六月十五日 銀光馬案 1-10 “SILVER BLAZE”1892.12
第7期 癸卯七月初一日 孀婦匿女案 1-7 “THE YELLOW FACE”1893.2
第8期 癸卯七月十五日 墨斯格力夫礼典案 1-3 “THE MUSGRAVE RITUAL”1893.5
第9期 癸卯八月初一日 墨斯格力夫礼典案 4-9 柱下裏に「第八期」と印刷される。
書記被騙案 1-9 “THE STOCKBROKER'S CLERK”1893.3(注:目次は「書記被騙案」のみ。「墨斯格力夫礼典案」は、第8期に掲載しきれなかったものが第9期にずれ込んで掲載された。『繍像小説』原本2種類で確認した)
第10期 癸卯八月十五日 旅居病夫案 1-10 “THE RESIDENT PATIENT”1893.8

 くりかえすが、原著者、訳者の名前は、明示されていない。『繍像小説』に掲載された翻訳小説のすべてがそうだ、というわけではない。別の翻訳小説には、原著者が書かれているばあいもある。たとえば「夢遊二十一世紀」には、「荷蘭達愛斯克洛提斯著」と明示されている。だが、「華生包探案」には、ドイルの名前がない。
 中国では、「華生包探案」といえば、ホームズ物語に決まっている。しかし、「華生包探案」というのは、直訳すれば「ワトスン探偵事件」となる。これではホームズではなく、ワトスンが主人公のように見える。
 後の話だが、あまりにも有名になりすぎた華生であるためか、奇妙な漢訳も出てくる。華生の探偵事件というなら、華生が主人公だ、そうならば、華生は、ホームズである、ということに無理矢理にしてしまった翻訳がある。信じられないような本当の話である。(英)各南特伊爾原著、〓尚邦}直訳「(長篇偵探小説)采〓糸+恒}」(『七襄』第2-4期 1914.11.17-12.7。 The Adventure of the Speckled Band)がそれで、ホームズを華生、ワトスンを滑太と翻訳している*38。
 翻訳にまつわって一種の混乱状態を呈している、ということができよう。
 さて、『繍像小説』の「華生包探案」シリーズの6篇である。
 すでに述べたように、これが単行本になって出版されたものが(柯南道爾著)中国商務印書館編訳所訳述『補訳華生包探案』(中国商務印書館 光緒32(1906)丙午孟夏月/光緒33丁未孟春月二版 説部叢書第一集第四編)であり、さらに『(偵探小説)華生包探案』と改題される(説部叢書初集第4編 上海商務印書館 丙午1906年四月/1914.4再版)。
 「序」によると、“The Memoirs of Sherlock Holmes”*39、つまり『シャーロック・ホームズの思い出』(1894)から選択したと書いてある。『繍像小説』掲載の漢訳のひとつから見ても、初出雑誌からの翻訳ではないことは明らかだ(後述)。
 英文原作について、雑誌初出と単行本で作品名が異なっている点は、初出にある頭の The Adventure of が、単行本でははずれることだ。初出の題名と発表年月を参考までに示すことにする。

○「グロリア・スコット号事件(哥利亜司考得船案)」――「グロリア・スコット号」
 077 The Adventure of the“Gloria Scott”| The Strand Magazine 1893.4
 『繍像小説』第4-5期(癸卯閏五月十五日1903.7.9−六月初一日7.24)に掲載された。
 日本では、上村左川「(青年の探偵談)海上の惨劇」(『中学世界』6(10)-(13) 1903.8.10-10.10)がある。日付からすれば、『繍像小説』の方がわずかに早い。日中両国の翻訳は、同時に発表されたといってもいい。
 本件は、ホームズが最初にあつかった事件として名高い。
 『時務報』では、「歇洛克呵爾唔斯シャーロック・ホームズ」と「滑震ワトスン」だったが、こちらの『繍像小説』では「福而摩司」と「華生」に変更されている。
 ワトスンの筆記だから、漢文も「余」で始まる。
 冒頭に出てくる文章は、翻訳するのがむつかしい。英語原文は、以下のとおり。

“The supply of game for London is going steadily up,”“Head-keeper Hudson, we believe, has been now told to receive all orders for fly-paper, and for preservation of your hen pheasant's life.”

 これだけを読んでも、内容がはっきりしない。それは当たり前で、暗号文だから、わからないようになっている。ある法則に従えば、別の文面が出現するように考えられているわけだ。
 日本語翻訳では、ふたとおりの訳し方がある。ひとつは、原文の意図をくんで、暗号になるよう工夫する。

万 雉の 静穏なる 事 ロンドン 市の 休 日の 如く ハドスン 河の 上流は 凡て 雌雉 住むと 語れり 蝿取紙の 保存は 生命 ある ものを 危険 なる 状態より 直ちに 救いて よく 脱出せよ。*40

 苦心の翻訳であることがわかる。分かち書きする英文の法則を、日本語には適用できないが、それでは暗号文を解読できない。だから、不自然であることをわかったうえで日本語を分かち書きにした。英文の解読方法と一致させるための工夫だ。
 もうひとつは、文章の大意を翻訳するもの。暗号文にはならないが、翻訳だからしかたがないと割り切る。

 ロンドン向け鳥肉の供給は着実に上昇中です。猟場主任ハドスンは、すでに蝿取紙の注文に応じ、ならびに貴下の雌雉の生命を保存することの命令を受けるべく告げられたと思います。*41

 漢訳でも、同じことがいえる。次を見れば、文章の大意を翻訳していることがわかるだろう。

倫敦野味供応正穏歩上昇。我們相信総保管赫徳森現已奉命接受一切粘蝿紙的訂貨単並保存〓ni}的雌雉的生命。*42

 では、『繍像小説』では、この困難な問題を、どう解決したか。
 なんと、英文のままを掲載する。翻訳する努力を放棄してしまったとわかる。
 これもひとつの方法だとは思うが、当時の中国では英語を理解する読者は、限られるだろう。それを敢て実行したということは、『繍像小説』の読者を相当高い水準に想定していたということだろうか。それとも、原文はもともと理解できないように暗号化されているから、わざわざ漢訳するまでもない、という判断なのかもしれない。
 ホームズがカレッジにいたころ、ブルテリアにくるぶしを咬まれた(his bull-terrier freezing on to my ankle)ことがあった。漢訳で「私の足のところで凍え死にしてしまった(凍斃於余足旁)」(1丁裏)と奇妙な表現になったのは、freezing on という口語表現の意味が、漢訳者の知識の範囲外にあったためであろう。
 それにしても、犬がなぜ凍え死にしてしまうのか、変に思わなかったのだろうか。論理的に考えれば、ありえないと気づくはずだと思うが、おかしなことだ。
 中村忠行に、「訳者には、英文法の初歩的な知識にすら闕けるところがあつたのではないか」*43とまで書かれることになった箇所を見てみよう。

Mr. Trevor stood slowly up, fixed his large blue eyes upon me with a strange, wild stare, and then pitched forward with his face among the nutshells which strewed the cloth, in a dead faint.(トレヴァー氏は、ゆっくりと立ち上がり、大きな青い目を私のほうに向け奇妙な荒々しい目つきで見据えていたが、テーブルクロスの上に散らばったクルミの殻のなかに顔をばったりと埋めて気絶してしまった)
時屈父正立門旁。緩歩而前。張目睨余。忽〓人+免}首視其衣上之花。面色惨敗。(その時、トレヴァーの父親は、ちょうど入り口の傍らに立ち、ゆっくりと前に歩むと目を見開いて私をにらんだ。ふと俯くとその服の模様を見て、顔色はみじめである)

 中村は、「珍無類の解釈」という。たしかに、漢訳者は、テーブルクロス cloth を clothes と見誤り、in a dead faint が理解できなかった。だが、ブルテリアを凍死させてしまう人だから、ここの間違いは、それほど驚くというほどのものでもない。
 トレヴァー老人を観察しただけで、彼の過去を言い当てたホームズに対して、トレヴァーは、探偵が仕事になることを示唆した。ホームズも、また、職業にしてもいいと考えるようになった、とワトスンに語っている。原作ではそうなっているが、漢訳は、この部分をバッサリと削除する。ホームズが探偵を職業にすることを意識し始めたことを明言しているだけに、読者には興味深いと思うのだが、漢訳者は、そのようには考えなかったようだ。
 細かな誤りは、いくつもある。
 トレヴァー老人を訪ねてきたハドスンが、塩漬け肉を食べていると表現して、今も水夫をしていることをいう。漢訳では、塩漬け肉を売って生活している(余仍以販鹹肉為生)ことに変更した。
 トレヴァー老人の息子が、ホームズに助けを求め、2ヵ月ぶりに会ったとき、そのやつれ様を見て、つらい時をすごした(I saw at a glance that the last two months had been very trying ones for him)ことを知る。漢訳では、「二ヵ月前の訪問は、私の友人(トレヴァーのこと)にとってとても有益だったと思った(余念前二月之行。頗有益於吾友)」とは、また、なんという誤解であろうか。
 冒頭に示された暗号文は、途中で、ふたたび登場する。このばあいは、種明かしだ。漢訳は、2度も英語原文を出すのはムダと考えたものか、ここでは省略してしまった。
 問題がここでも発生する。ホームズが、暗号文を解読していく過程を述べて、「単語のこの奇妙な配列のなかに、きっと別な意味が隠されているのだ some second meaning must lie buried in this strange combination of words」という。それを「私はそれには徒党を組むという意味が隠されていると思った(余思其必寓有結党之意)」と漢訳する。意味が不明だ。英漢字典の combination の訳に、「結党、結約、聯会」などとあるのを見て、そのまま当てはめたと思われる。
 前後の文脈を無視して、字典の訳語によりかかって奇妙な翻訳をでっちあげるのは、外国語学習の初心者がやることだ。
 「トレヴァー老人を絶望においやるに十分な文章 a message which might well drive old Trevor to despair」を「どうりでトレヴァーの父親は理解できなかったのだ(無怪屈父不得其解)」と漢訳するのは、中村忠行が「言語道断である」というように、私も、驚く。文面の意味が理解できたから、死に至るほどの恐怖を味わったのだ。それを、理解できなかったと漢訳したのでは、なんのための暗号であったのか、作品それ自体が成立しなくなる。
 漢訳者の英語能力に問題があったのは、以上の誤りを見ればあきらかだろう。
 だが、問題は、漢訳者だけにあったのではなかった。漢訳を誰も点検しなかったのか、という当然すぎる疑問が湧き上がる。『繍像小説』の編集者は、何も気づかなかったのか。このばあい、英語が堪能である必要は、必ずしも、ない。漢語だけを読んでも、話のつじつまがあわない不思議な文章だ、と普通は思うはずなのだ。

○「白銀号事件(銀光馬案)」――「シルヴァー・ブレイズ」
 071 The Adventure of the Silver Blaze | The Strand Magazine 1892.12
 『繍像小説』第6期(癸卯六月十五日1903.8.7)掲載。日本の三津木春影「名馬の犯罪」(『探偵奇譚呉田博士 第三篇』中興館書店1912.11。未見)より、9年も漢訳の方が早い。
 名馬・白銀号の盗難と調教師殺害事件である。
 物語は、ふたたび第三者によって語られる。それまでの漢訳は、君を意味する代名詞に「爾」を使っていた。この漢訳は、「子」を使用しているのが他と異なる。別の箇所では、「君」「汝」とあり不統一である。
 細かな誤りは、いくつもある。
 ホームズとワトスンが、汽車でダートムアへ向う車中において、ホームズが、速度を暗算する部分がある。時速53マイル半だ、とホームズはいう。ワトスンが、計算の根拠になったであろう「四分の一マイル標 the quarter-mile posts」は見えなかったと答える。漢訳は、「駅舎は見なかったよ(吾未見駅棧)」とする。また、ホームズが、「この線の電柱は60ヤードごとに立っているのだから the telegraph posts upon this line are sixty yards apart」と根拠を明かすのを、漢訳では「電報局は、この線から60ヤードは離れている(且電報局距此路亦遠至六十碼)」とわけのわからぬことにしている。わけがわからなければ、省略してもいいようなものの、それもしない。
 かと思えば、英語原文でわざわざ斜体と大文字で示した新聞名の「テレグラフ紙 the ▲Telegraph▲斜体」を「電報」と普通名詞に漢訳する。漢訳者は、英語の基本的規則が理解できていないのではないか、と疑う。
 馬主の「ロス大佐 Colonel Ross」を「コロネル・ロス(克羅烈爾羅斯)」と全部を人名にしていながら、つづく「グレゴリ警部 Inspector Gregory」は「警部グレゴリ(捕頭穀里郭勒)」と正しく漢訳する。
 白銀号が「ウェセックス杯レースの本命で、賭け率は3対1だった he was the first favourite for the Wessex Cup, the betting being three to one on」という箇所を、「ウェセックス・カップ(競馬会の名前)に最初に参加した時、3回のうち2回勝利した(其初与維瑟客斯客泊(賽馬会名)会時。三次中得勝者再)」と漢訳したのを見れば、翻訳者は、競馬の仕組みを知らないことになろう。
 いよいよレースの当日、競馬の賭け率をいう場面で、15対1だったものが3対1に下がったというのを、漢訳ではあっさり省略する。ホームズが、「競馬規則(賽馬章程)」をたずねることに書き換える。ついでに、出走馬掲示板に見える6頭の名前のうち白銀号以外も省略する。
 重要な箇所を省略することもある。
 殺されたストレイカーの持ち物の中に、その友人ダービシャー宛の領収書があった。1着22ギニーという相当高価な衣裳を購入したことがわかる。重要な手掛かりだからこそ、金額までかかげている。だが、ドイルは、調べることもない、と読者の注意を、わざとそらす。すると、漢訳者も、それにつられたのか、「ウィリアム・ダービシャーは、富豪なのだね。莫大な金を使っているようだ(恵霊徳彼県亜亦豪富哉。似此即所費不貲矣)」と簡単にすませた。ここは、ドイルの工夫のしどころだから、具体的に衣裳の金額までを漢訳しておかなければならない箇所だ。犯人に結びつく証拠のひとつだから、なおさらだろう。簡略化してしまったのは、漢訳者にその認識がないからだ。
 現場検証の場面でも同様の省略がある。ホームズは、窪地で蝋マッチの燃えさしを見つける。これも、犯行の際の重要物件であるが、漢訳では無視するから、証拠としての説得力が低下してしまった。漢訳者の不注意である。
 ホームズが事件の種明かしをする場面で、「粉末アヘンは決して無味ではありません Powdered opium is by no means tasteless」を「粉末アヘンは、無臭です(鴉片粉無気味)」などと勝手に変更する。粉末アヘンの混入をごまかすために、わざわざカレー料理を出したドイルの工夫も、これではだいなしだ。
 前作「哥利亜司考得船案」同様、大きな誤りはないものの、いくつかの省略と小さな誤訳が多く、翻訳の質としては、せいぜいが可どまりだと判断する。

○「寡婦の娘隠匿事件(孀婦匿女案)」――「黄色い顔」
 075 The Adventure of the Yellow Face | The Strand Magazine 1893.2
 『繍像小説』第7期(癸卯七月初一日 1903.8.23)掲載。日本語訳の上村左川「再婚」(『太陽』第7巻第13号1901.11.5)が、漢訳よりも2年前に発表されている。
 ホームズ物語には、冒頭にホームズとワトスンの関わり、あるいは事件について、ワトスンの手になるメモ風の文章が綴られることがある。つまり、ふたりの生活史である。本作品では、ワトスンが事件の記録者として存在していることが語られ――だからこそホームズとワトスンが実在していると信じる中国人がいたのだが、ホームズの携わった事件がすべて成功したものではないこと、しかし、失敗談のなかにも事件の真相を掴んでいたことをいう。さらに、ホームズが、運動のための運動はしなかったが、すぐれた拳闘選手であり、食事は質素で、ときどきコカインをやる、などとホームズの日常生活を紹介して、読者の興味を引きつける。
 ところが、漢訳者は、この興味深いと思われる部分には、まったく関心を示さない。全部を削除する。
 ホームズとワトスンの生活史部分を漢訳しないのは、物語を犯罪報道だと誤解しているのではないか、という例の見方を適用したくなる。
 さて、ワトスンとホームズが、公園を散歩する場面に2行を費やすだけで、すぐさま事件の記述がはじまる。おまけに、ワトスンの筆記を第三者の筆に変更する。
 依頼主が置き忘れたブライヤ(a nice old briar)のパイプを見て、ホームズは、持ち主の人物を推理する。本物の琥珀の吸い口をつけたもので、大事に使っている。持ち主は、屈強で、左利き、歯並びがそろっており、性格は無頓着で、金に苦労のない男(with no need to practise economy)である。漢訳では、その順序を入れ替えて、「客は、金持ちにちがいない(客必富有)」を冒頭に置く。原文と比較したら、ほんのちいさな違いである。
 こまかな違いといえば、こんな例もある。物語の解決部分で、依頼人の妻が、真相を明らかにする場面だ。
 英語原文では、「「そのわけを申し上げましょう」夫人は、威厳のある落ち着いた顔で部屋に入ってきて叫んだ。“I will tell you the meaning of it,”cried the lady, sweeping into the room with a proud, set face.」となっている。漢訳では、「その妻は、悲しみで泣きながらやってくると、言うのだった。私はまことに不運で、思いどおりにいかないことばかりでした(其妻涕泣而至。語曰。妾誠薄命。事多逆意)」と変更する。
 ドイル原作の文章は、考えぬかれて表現されている。夫人が、自分の過去に対して後悔しない、自信の強さを表わした、つまり開き直った態度が読者にわかるように工夫した文章になっている。「威厳のある落ち着いた顔」がそれを表わしている。だが、漢訳のように泣いてしまっては、人生の困難に振り回される女性にしかならない。漢訳者は、そのように変更した方が、中国では自然であると考えたのだろう。いささか、強引な変更であるような印象を受ける。
 小さくない違いもある。パイプを見て、その所有者が金持ちだとホームズが考えた理由は、漢訳のばあい、原文とはズレている。英文原作は、タバコが、1オンス8ペンスのグロウヴナー・ミクスチュアだからだ(This is Grosvenor mixture at eightpence an ounce)とある。高級タバコを吸うのは、金に困らない男だという理由だ。漢訳者は、Grosvenor mixture が何を意味するのか理解しなかったためか、それとも、読者には、理解できないと判断したためか、その部分を琥珀にしてしまった。「琥珀のパイプには本物と偽物がある。偽物は、値段がかなり安いが、見栄えはいい。客は、その偽であるのを好まずに本物を購入した。金持ちでなかったらできないことだよ(琥珀煙斗有真偽。偽者価較賎而美麗亦可入目。客不喜其偽而購其真。非富有莫〓ban矣)」
 英語原文は、ブライヤのパイプである。いうまでもなく、ブライヤの根で作ったパイプで、物語では、それに琥珀の吸い口を継いでいる。ところが、漢訳では、ただ、琥珀で飾ったパイプと訳す。原文にでてくるパイプの構造を、漢訳者は理解していない。漢訳者が創作して挿入したパイプは、全体が琥珀でできているように読めるからだ。
 いくつか簡略化した部分がある。そのひとつを示せば、つぎのようになる。

“Now there is one thing I want to impress upon you before I go any further, Mr. Holmes: Effie loves me. Don't let there be any mistake about that. She loves me with her whole heart and soul, and never more than now. I know it, I feel it. I don't want to argue about that. A man can tell easily enough when a woman loves him. But there's this secret between us, and we can never be the same until it is cleared.”(「はい、ホームズさん、話を先に進める前に、一つだけはっきり申し上げておきたいことがあります。エフィはわたしを愛しています。このことを誤解なさらないようにお願いします。心底、彼女はわたしを愛しています。現在以上に愛したことは、これまでなかったのです。わたしにはそれがわかりますし、また感じとれます。この点については、論じる必要はありません。男というものは、女性に愛されている時には、たやすくそれを感じとれるものです。しかし、わたしたちの間にこの秘密があるうちは、それが解決するまで、以前と同じようにはなれないのです」)*44

 事件の依頼主が、妻エフィの行動に疑惑を感じ、ホームズに調査を申し込む際に語る言葉だ。原文で8行ある。それが、漢訳では、つぎのように凝縮する。

先是妻待我恩愛周至。倍極〓糸遣}〓糸巻}。余初不料有此変也。使余不知所以隔膜之故。則余二人不得和好如旧矣。(以前、妻は、私に愛情深くしてくれ、まことに情緒纏綿としたものでした。私は、はじめこのように変わろうとは考えもつきませんでした。なぜ離れてしまったのか、どうしてもわからないのです。ですから私たち二人はもう昔のように睦まじくすることができません)

 圧縮して、わずかに1行半、42字だ。「はい Now」にはじまる前置きが、ない。ホームズおよび妻の名前を省略する。
 ほとんど、原文の2箇所のみ、すなわち、“She loves me with her whole heart and soul”と“But there's this secret between us, and we can never be the same”だけを引き抜いて漢訳したように見える。妻に裏切られたのではないかと疑う夫の、迷いにまよう心の切なさを表現した、せつせつとした言葉の羅列は、漢訳者にとっては、どうでもよい部分と感じられたらしい。ここにも、事件の粗筋を追うのに性急な訳者の姿勢を見てしまう。物語の血肉が、痩せ細ることに気づいていない。
 彼女を「彼」、男性を「伊」、女性が私というのを「妾」と訳す。第二人称あなたは、男性のばあい「君」、女性は「卿」とする。また、男女に関係なく「汝」を使用するばあいもある。つまり、一定していない。人称代名詞がひとつのものに定着する以前の、過渡期に見える現象かもしれない。だが、ひとつの作品の中で、これほどまでに変化するのは、いかがか。読む過程で取り違えることはないが、繁雑である印象をぬぐえない。
 題名の漢訳は、いただけない。「寡婦の娘隠匿事件(孀婦匿女案)」では、タネをばらしているのと変わらないからだ。
 この「黄色い顔」は、すこしあとで別人によって再び漢訳されている。
 「(短篇)黄面(滑震筆記之一)」全6回(『時報』 光緒30.6.23-28(1904.8.4-9))という。口語訳である。漢訳が「黄面(黄色い顔)」だから、原文のままだ。こちらでは、ホームズは呼爾我斯、ワトスンは滑震と表記される。ドイルの名前、翻訳者名は、その記載がない。連載完結後に後記がついていて、それには、英文と前出上村左川訳「再婚」(『太陽』第7巻第13号1901.11.5)を参照して漢訳した、と明かされている。そう書くところからもわかるように、『繍像小説』の漢訳とは比べ物にならないほど、英文原作にほぼ忠実な漢訳だ。
 あの小説冒頭の、ワトスンの事件記録者としての役割、コカイン(漢訳は瑪琲とする。モルヒネと理解したようだ)使用を含んだホームズの日常生活も漢訳している。ただし、この部分は、ワトスンの「前書き」扱いにして「滑震記」と署名するのが、英文原作と異なる。また、ホームズの関わった事件のひとつをあげる。初出『ストランド・マガジン』では、「マスグレイヴ家の儀式 The Adventure of the Musgrave Ritual」であり、単行本ではそれが変更されて「第二の汚点 the second stain」であるのは周知のことだ。残念ながら、漢訳ではこの事件名を省略するから、拠ったのが単行本かどうかの判断がつかない。
 事件の依頼主が、ホームズに調査を申し込む際に、その妻エフィについて語る言葉を上に引用した。『繍像小説』では、夫の愛情表現を簡略化していた。こちらのばあいも、書き換えている。

呼爾我斯君。我心中煩悩的便是這事。我要請〓ni解脱解脱。説後忙又続説道。愛伊我暁得他決不是負我的人。忙又解説道。這愛伊就是荊妻的名氏。我暁得他是個最愛我的人。従動的恩愛決不改変(ホームズさん、私が心中気をもんでいるのは、まさにこのことなのです。なんとか抜けださせてください。言い終わると急いで続ける。エフィが私にそむく人間ではありえないことを、私は分っています。このエフィというのは、私の妻の名前ですが、私を最も愛している人だと私には分っているのです。愛情は決して変わりません)

 せっかく上村左川の日訳を参照したといいながら、この部分だけは、原文とも上村日訳とも違う簡略化を実行している。これは、外国語の問題ではなく、愛情表現をどう考えるかの問題になるのかもしれない。
 もうひとつ、ことの成り行きを説明するエフィの態度が堂々としている箇所は、どうか。「威厳のある落ち着いた顔で with a proud, set face」。自らの過去に自信をもち、なんら恥じていないという姿勢を表現した部分だ。
 上村左川は、「『其訳を話しませう』と横柄な、落着きすました顔をして妻は室内へツカツカ歩み込んだ」とする。「横柄な」では、ふて腐れた感じとなって、適当とは思われない。
 漢訳では、「其妻一見這様情形便俯首語道(その妻は、このありさまを見ると、うつむいて語った)」とある。ここでも、漢訳者は、女性に「うつむ」かせ、恥じ入らせなくては気がすまない。原作の堂々とした態度では、中国では共感を得られないと考えているらしいのだ。これも、語学の問題ではなくて、当時の中国における考え方の問題であるとしかいいようがない。

○「マスグレイヴ儀式事件(墨斯格力夫礼典案)」――「マスグレイヴ家の儀式」
 078 The Adventure of the Musgrave Ritual | The Strand Magazine 1893.5
 『繍像小説』第8、9期(癸卯七月十五日1903.9.6、八月初一日9.21)掲載*45。日本の山崎貞『水底の王冠』(建文館1909.3.25)より、漢訳の方が6年も早い。
 題名の漢訳からして、英語原文に近い。原文に忠実な翻訳ではないかと、期待させる。
 ところが、これまた冒頭のホームズとワトスンの生活史が、省略されるのである。
 ホームズは、思考方法が体系的であるのにもかかわらず、個人的な習慣は、だらしない。室内で拳銃を発射し、ヴィクトリア女王の頭文字を壁に飾ったことは、ことに有名な事柄に属する。漢訳では、これらをすべて削除する。執筆者も、ワトスンから第三者に変更してしまった。
 続く部分は、かろうじて、部屋が、ホームズの大事にする事件の関係書類で埋まってしまったことを要約する。ホームズがそれらを始末せず、整理整頓にも精をださないからだ。
 保存書類のうち、最初にあげられる名前だけの事件は、5件ある。タールトン殺人事件 the Tarleton murders(偸勒呑命案録)、ぶどう酒商ヴァムベリ事件 the case of Vamberry, the wine merchant(酒商案録)、ロシアの老夫人の冒険 the adventure of the old Russian woman(俄国婦人案録)、アルミニウムの松葉杖という奇妙な事件 the singular affair of the aluminium crutch、ワニ足リコレッティと彼の憎むべき細君の事件 Ricoletti of the club foot and his abominable wife。
 5件のうち、カッコに示したように漢訳では3件しか取り上げて翻訳していない。なぜ、省略したがるのか。事件とは、直接関係がないという判断だろう。
 もうひとつ、事件を回顧する箇所がある。「グロリア・スコット号 The“Gloria Scott”」だ。

You may remember how the affair of the ▲斜体Gloria Scott▲, and my conversation with the unhappy man, whose fate I told you of, first turned my attention in the diretion of the profession which has become my life's work.(君にも話したことのある、《グロリア・スコット号》の事件で、不幸な人物と交わした会話がきっかけで、ぼくは現在では天職と思っているこの仕事のほうに初めて注意を向けるころになった、と話したのを憶えているだろう)*46

 漢訳では、この箇所が、次のようになる。

余自勘革羅力亜斯喀特案後。始立意為包探。(私は、グロリア・スコット事件を調査した後、はじめて探偵になろうと決めたのだった)

 簡略化した翻訳だ。骨だけを残したものになっている。
 『繍像小説』に連載を始めた第1作が、この「グロリア・スコット号事件(哥利亜司考得船案)」だった。しかし、まず、題名の漢訳が異なる。「哥利亜司考得船案」と「革羅力亜斯喀特案」。同じ雑誌に掲載されているにもかかわらず、同じではない漢字表記にしている。『時務報』にも同様の例があった。
 ホームズが探偵を職業とするきっかけとなった老人との会話が、前に漢訳掲載された「グロリア・スコット号事件(哥利亜司考得船案)」では、削除されていたのを思いだしてほしい。これは、ひとつの手掛かりではなかろうか。
 老人の示唆部分が削除されていなければ、この「マスグレイヴ儀式事件(墨斯格力夫礼典案)」と呼応しあって、ホームズ物語が全体で一つのものになるよう構成されていることがわかる。片方では省略し、一方ではそのまま漢訳する。そこからは、ホームズ物語全体の仕組みに、漢訳者が気づいていないのではなかろうかとの疑念を生じさせる。というよりも、漢訳者がひとりではない、複数の人間が関係したのではないかという推測を導きだす。ひとりではないから、翻訳の姿勢がぶれる、統一されていない。
 先に簡略化の1例を披露した。こまかいところならば、いくつもある。
 たとえば、「そのうえ、私は、狩猟場の管理をするし、キジ狩りの季節には、いつも招待客がくるので人手が足りなくなるとまずいんだ。 I preserve, too, and in the pheasant months I usually have a house party, so that it would not do to be short-handed.」という箇所がある。
 漢訳では、土地のまわりが荒野であることを述べて、「昔は遊民がおり、いつも盗賊に悩まされていた(在昔為遊民所居。常患盗賊)」と書き換える。a house party(招待客)の意味がわからなかったので、勝手な想像をしたに違いない。こうなると、簡略化というよりも勝手な書き換えの部類に属するだろう。
 つぎのような例は、どうだろうか。執事のブラントンを説明する箇所だ。

He is a bit of a Don Juan, and you can imagine that for a man like him it is not a very difficult part to play in a quiet country district.(彼はちょっとドン・ファンでありまして、あなたもご想像できましょうが、彼のような男には、のんびりとした田舎では、そんなことはそれほど困難ではありませんでした)

 ドン・ファンという名前を引きあいに出して、ブラントンが女たらしであったことを解説するのである。
 漢訳では、「ブラントン(泊露呑)は、めかし込んで遊ぶのが好きで、才能と容貌をかさにきて、色里に遊ぶようなことをするのが常だった(泊好修飾。喜遊玩。常挟其才貌。作北里遊)」とする。ドン・ファンという固有名詞こそ出さないが、それらしく漢訳している。だが、原文に書いてあるのは、田舎だからこそ、ブラントンは色男で通用することだ。だから、田舎という部分を省略してしまうと、作品自体の舞台設定が崩壊することになる。漢訳は、おおよそを意訳したとはいえても、原文に正確な翻訳ではありえない。
 細かいことをいえば、マスグレイブ家の儀式書は、17世紀中葉のものだが、漢訳では、勝手に16世紀に変更する。
 漢訳の質は、全体として「可」というのがせいぜいだろう。

○「書記が騙された事件(書記被騙案)」――「株式仲買人」
 076 The Adventure of the Stockbroker's Clerk | The Strand Magazine 1893.3
 『繍像小説』第9期(癸卯八月初一日1903.9.21)掲載。日本では、上村左川「(探偵小説)会社の書記」(『中学世界』4(14)、(16) 1901.11.10、12.10)が、漢訳よりも約2年前に発表されている。
 ワトスンは、結婚してからパディントン地区に医者の開業権を購入した。権利を売ったファークァ老は、……という風に、いつものように物語が始まる。ワトスンは、開業の3ヵ月は大忙しで、ホームズと会うひまはなかった。ホームズはといえば、仕事以外には外出をしない男だったから、なおさらのことだ。
 英文原書で約20行分の文章を、漢訳では、「ワトスンは新婚後、医者稼業が忙しく、ホームズを訪ねるひまはなかった。ホームズもまた探偵事件で忙しく、ワトスンの家を訪ねて旧交をあたためるということもできなかった(華生新婚後。医事旁午。無暇訪福而摩斯。福而摩斯亦以探案忙碌。未得過華生廬敍旧歓)」にまとめてしまう。ワトスンの執筆を、第三者に変更するのも、あいかわらずだ。
 パディントン地区も、舞踏病の持病をもつファークァ老もなくなった。またしても、血肉が、削がれる。
 ホームズも忙しいことにしてしまったのでは、思索を深める原作のホームズではなくなる。なによりも、事件の記録者であるワトスンをさしおいて探偵稼業に精をだしては、ホームズ物語そのものが成立しない。漢訳者は、その点にかんして無頓着である。
 ホームズが、ワトスンの妻を気遣い、「四つの署名」で受けた衝撃から立ち直っているのだろう(I trust that Mrs. Watson has entirely recovered from all the little excitements connected with our adventure of the‘Sign of Four’?)、と言葉を続ける。事件名を掲げて、ホームズとワトスンの生活史を示唆している。
 ところが、漢訳者は、それを無視する。削除する。
 その他にもこまかな削除、誤解は、いくつかある。
 ワトスンが買った開業権の医院は、隣よりもよい。なぜなら、玄関の階段が3インチもすり減っているから(客が多いという意味だ)という箇所を削る。
 依頼人ホール・パイクロフトが、前の会社がつぶれて、それよりも大きな商会に再就職できたとき、給料は以前よりも1ポンド多い(The screw was a pound a week rise)、という部分を「給料は、はじめ毎週1ポンドです(薪資初毎一礼拝金一〓金旁})」と間違う。 screw という俗語が理解できているにもかかわらず、 rise を見落としたらしい。
 パイクロフトを訪ねてきた男が、相場についてエアシャーはどれくらい、ニュージーランド整理公債はいくらか、と具体的に問うのに対して、パイクロフトも細かな数字をあげて答える。漢訳では、単に「その客は、それぞれの会社の交易の多寡の数字を私に質問し、私も具体的にそれに答えた(客乃以各行交易多寡之数詢余。余具答之)」にまとめる。事件とは直接の関係はない、と判断したのだろうが、それは訳者の勝手な判断である。詳しい数字をあげることには、なにか意味があるのではないか、と読者に思わせるために著者がほどこした一つの技術にほかならない。こういう細部を無視しては探偵小説は成立しないだろう。
 パイクロフトに与えられた仕事は、パリの人名録を持ち帰り、それから金物業者の名前と住所を書き抜くというもの(I want you to take it home with you, and to mark off all the hardware sellers with their addresses.)だった。ところが、漢訳では、パリの金物工場と金物商の名簿にする。それを突き合わせ調査しろ(査閲)に変更した。to mark off の意味が分らなかったらしい。抜き書きするから時間がかかった。突き合わせ調査といえば、だいいち、何をもとにして調査するというのか。漢訳者は、おかしいとは思わなかったようだから、その程度の翻訳だといわれると、そうだ。
 モースン・アンド・ウィリアムズ商会に保管してあるのは、総額百万ポンドの有価証券(have been the guardians of securities which amount in the aggregate to a sum of considerably over a million sterling)だが、漢訳では、現金で百万ポンドだと誤解する。このばあい、漢訳者がはたして「誤解」したかどうかは定かではない。原作では、有価証券を盗み出したことになっている。だが、盗難有価証券を現金に換えることが可能だろうか。ここはドイル原作の不可解なところで、それに気づいた漢訳者は、有価証券を現金に変更したのかもしれない。そう考えるのは、深読みにすぎず、単に「誤解」したというばあいもあろう。
 表記上の変化で注目にあたいするのは、ホームズの言葉が途切れた箇所の処理である。「それとも、もしかして――」彼は爪を噛みはじめ or is it possible that――”he began biting his nails 」を漢訳して「君はもしかして、、、、問い終わらないうちに、ふと爪を噛み(豈君能。ヽヽヽヽヽヽ問未終。忽以歯囓指甲)」とする。原文の記号「――」に対応させて「ヽヽ」を使用する。漢訳における新しい試みだということができる。
 この漢訳にはちいさな新しい試みもあるにはあるが、翻訳の質は、やはり「可」どまりである。

○「入院患者事件(旅居病夫案)」――「入院患者」
 083 The Adventure of the Resident Patient | The Strand Magazine 1893.8
 『繍像小説』第10期(癸卯八月十五日 1903.10.5)掲載。日本では、漢訳より約4年遅れて、天馬桃太(本間久四郎)「妙な患者」(『神通力』祐文社1907.12.15)がある。
 原作はワトスンの筆記だが、漢訳は、第三者の視点に変更している。
 漢訳冒頭の「ある年の十月某日、雨だった(某年十月某日天雨)」から始まっているのを見て、悪い予感がする。例によって、ホームズとワトスンの生活史を削除している。「緋色の習作」と「グロリア・スコット号」の2件が挙げられているのを含んで、原作の冒頭をバッサリと削除している。
 英文原作は、雑誌初出と単行本所収の本文には違いがある。あまりにも有名な話だ。
 『シャーロック・ホームズの思い出』に収録しなかった「ボール函 The Adventure of the Cardboard Box」から、文章のはじめの一部分を流用したのである。当然、中村忠行もそれに触れている*47。
 『繍像小説』収録の漢訳は、英文原作の単行本によっているから、「ボール函」からの流用文章を翻訳することになった。英文とその漢訳を比較対照してみよう。

It had been a close, rainy day in October. Our blinds were half-drawn, and Holmes lay curled upon the sofa, reading and re-reading a letter which he had received by the morning post.(十月のうっとうしい雨の日だった。鎧戸を半分だけおろして、ホームズはソファの上に身体を丸くして、午前中の郵便できた一通の手紙をくりかえし読んでいた)*48
某年十月某日天雨。薄暮時。華生与福而摩斯共坐斎中。明窗半啓。暮景蒼茫。福而摩斯蜷臥椅上。閲清晨郵局送来之信不止。(ある年の十月某日、雨だった。夕方、ワトスンとホームズは、ともに部屋にいた。窓を半分開け、日暮れて暗くなる。ホームズは、椅子に身体を丸めて、朝に郵便で来た手紙をくりかえし読んでいた)

 漢訳は、原作をほぼ忠実に追っているということができる。ただし、1ヵ所だけ、奇妙なところがある。原文の「鎧戸を半分だけおろして」が、「窓を半分開け」に解釈された。blind は、英漢字典にも収録されているにもかかわらず、漢訳者は、気づかなかったようだ。10月のロンドンは、すでに寒いだろう。おまけに雨の日だから、窓を開けるのは理屈に合わない。ひきつづいて、更におかしな表現がでてくる。

For myself, my term of service in India had trained me to stand heat better than cold, and a thermometer of 90 was no hardship.(私としては、インドで軍務に服してきたえられていたので、寒さよりも暑さのほうがしのぎやすく、九十度ぐらいの温度は、べつにつらいとも思わなかった)229頁
天頗燥熱。寒暑表升至九十度。華生曾行医於印度。経其山川風土。体気変遷。性不畏熱。故以気候之不斉而初冬如夏。亦覚安適。(とても暑くて温度計は90度にまであがっている。ワトスンはかつてインドで医者をしたことがあり、その気候風土を経験して体質が変化してしまった。暑いのは平気で、だから天候不順で初冬が夏のようであっても、気楽に感じていた)

 英文原作は、10月だ。10月であるにもかかわらず、華氏90度(摂氏約32.2度)というのは、異常である。本来は、「ボール函」で8月のやけつくように暑い日という設定で説明されていたのを、無理矢理「入院患者」に移植したことにより発生した原作の不整合なのである。ドイルは、手を入れて訂正しなかった。その不都合に気づいた漢訳者が、苦心の末に天候不順にしてしまったというわけだ。原作の不都合をそのままに放置しなかった。この点だけを見れば、親切な翻訳者といってもいい。
 新聞はおもしろくなく、議会は閉会している。みんなロンドンを離れており、ニュー・フォレストかサウスシーへ行きたくとも金がない。おまけにホームズは、景色よりも未解決の事件の方が好みである。ワトスンは、物思いにふけった。
 この部分は、漢訳は、ナタを振いながら大意を述べるにとどまる。ただ、地名であるニュー・フォレスト New Forest を「新林」に、サウスシー Southsea を「南海」に漢訳したのは、やりすぎだと思わないでもない。

Suddenly my companion's voice broke in upon my thoughts.
“You are right, Watson,”said he.“It does seem a very preposterous way of settling a dispute.”(とつぜんホームズが声をかけたので、私の思索はさまたげられた。/「君のいうとおりさ」彼はいう。「ワトスン君。論争を解決する方法としては、まったく不条理きわまるようだね」)229頁
忽為福而摩斯一声驚断。/福曰。華生。君之思想。正応如此。判案如君。可免乖謬之譏矣。(とつぜんホームズの一声によって驚かされ、考えが断ち切られた。/ホームズは、いう。「ワトスン君。君の考えは、まさにそうでなくちゃね。君のように判断すれば、偏屈であるという謗りを免れることができるんだ」)

 漢訳は、英文とまったく同じということはできないにしても、雰囲気はこれによって伝わっているとしよう。

“Most preposterous!”I exclaimed, and then suddenly realizing how he had echoed the inmost thought of my soul, I sat up in my chair and stared at him in blank amazement.
“What is this, Holmes?”I cried.“This is beyond anything which I could have imagined.”(「不合理きわまるって!」と私はさけんだが、急に彼が私の心の奥底にある考えに呼応したのだと感づいたので、椅子の中で居ずまいをただし、おどろいて彼の顔を見つめた。/「どうしたのだ、ホームズ君?」私はさけんだ。「想像もしてみなかったことだ」)229頁
華生曰。否。恐難如君言。然不知福而摩斯何以知其心中之底蘊。忽有所驚觸。目視福而摩斯。問曰。福君。君何以知余有所思乎。是誠出人意表矣。(「いや。おそらく君の言うようにするのはむつかしいよ」とワトスンは言った。だが、ホームズがなぜ心の中の詳細までを知って、突然、ふれてきたのかがわからない。ホームズを見つめてたずねた。「ホームズ君。なぜ私の考えがわかったのかね。本当に予想外のことだ」)

 ホームズは、ワトスンの表情を観察して彼の思考の動きを推理した、という場面だ。ホームズは、推理してワトスンの考えに賛同した。ワトスンも、思わず、それに同意した、というのが原文に見られる二人のやりとりだ。だが、漢訳では、ワトスンは、ホームズに反対する。これでは、せっかくのホームズの推理がムダになろうというものだ。漢訳者は、なにか勘違いしている。

He laughed heartily at my perplexity.
“You remember,”said he,“that some little time ago when I read you a passage in one of Poe's sketches, in which a close reasoner follows the unspoken thoughts of his companion, you were inclined to treat the matter as a mere ▲tour-de-force▲斜体 of the author. On my remarking that I was constantly in the habit of doing the same thing you expressed incredulity.”(私がまごついているのを見て、彼は心から笑った。/「おぼえているだろうが、いつかポオの短篇の一つの中の文章を読んできかせたことがあるだろう。あの中で、精緻な推理家が、友人の口には出さない考えをぴたりといいあてるところがあったが、あの時、君はそれを作者の単なる▲見せ場▲(傍点ママ)/として片づけたい口ぶりだったね。ぼくが、自分もしじゅう同じようなことをやってるというと、君は信用しなかった」)229頁
福笑而応之曰。余前日非以波也小説之汗漫遊一篇語子耶。其中謂有某理想家於推度中得知其友之隠念。君憶之否。君向以此為不不ママ足信。故余今日見君心中有所疑。亦踵彼之後塵。一試吾技。使君知個中至理也。(ホームズは、笑ってこたえた。「僕は、以前、ポーの小説「ガリバー旅行記」を君に話したことがなかったかな。その中で、ある理想家がその友人の隠している考えをぴたりと言い当てることを述べていたが、君はおぼえていないか。君は、つねづねそれを信用できないと考えていた。だから、今日、僕は君の心に疑いがあるのを見て、彼のまねをしたというわけさ。私の技をちょっと試して、そのなかにもっともなところがあることを君にわからせようとしたのだよ」)

 ▲tour-de-force▲は、フランス語で「離れ業」という意味だ。引用した日本語訳では、「見せ場」としてある。漢訳者にフランス語まで要求するのは、無理だろう。翻訳していない。
 ポーの短篇のひとつといっているだけだから、わざわざ小説の題名をあげることもない。ゆえに、ポーとは関係のない「ガリバー旅行記」などという間違った作品をここに引っ張りだしてくるのは、根本的に間違っている。
 「ガリバー旅行記」の漢訳は、最初「〓人焦}僥国」と題して『繍像小説』第5期より連載がはじまり、第8期から「汗漫遊」に改題したことを上の記述は反映している。だが、いくら同じ『繍像小説』に連載されていたといっても、わざわざここに引用する必要は、まったくない。漢訳者の翻訳感覚というのは、この程度のものだったと言われてもしかたがない。
 おかしなところは、いくつもある。
 ホームズとワトスンは、部屋をでて町へ散歩にでかける。ところが漢訳は、海辺に出かけて夜の潮の打ち寄せる様子を見物する(携手同行出歩海濱。覩晩潮之澎湃)ことにする。ロンドンの地理的位置を理解していないことが、わかる。
 散歩からもどったホームズは、部屋に来ていた客に、それほど待たせなかったことをいう。客は、てっきり御者に聞いたと思った。しかし、ホームズの答えは、「いいえ、教えてくれたのは、そのサイドテーブルのろうそくです。No, it was the candle on the side-table that told me.」だった。このセリフから、読者は、ロウソクの減り具合が少ないから、客が部屋に入ってからほとんど時間が経過していないと推理したとわかる仕組みになっている。それを漢訳では、「ホームズは、いう。「いいえ。私は、馬車のあかりが少ししか燃えていないのを見てわかったのですよ」(福曰。否。僕見車中之灯燭。僅燃去少許。是以知之)」にする。「馬車のあかり」では何のことかわからない。table が見えるのだから、せめて、「机のあかり」とでもすれば、まだ、ましだったのにと思う。翻訳不足があると同時に、そのうしろの推理の根拠を述べるのは、訳しすぎになる。読者が想像する楽しみを奪う結果になっているのに気づかない。
 依頼客が自分の経歴を紹介するなかで、専門医として成功するためには、資金が必要で、その資金の欠乏に苦しんでいたことをいう。

As you will readily understand, a specialist who aims high is compelled to start in one of a dozen streets in the Cavendish Square quarter, all of which entail enormous rents and furnishing expenses.(容易にお察しいただけると思いますが、専門医として成功しようと思えば、キャヴェンディッシュ広場界隈の十二、三の通のどこかで開業しなければならず、それにはまた莫大な額の家賃や設備費がかかります)283頁

 具体的な場所の名前までだして説明しているにもかかわらず、漢訳では、「医師になるには、医師の体裁がなければなりません(蓋既為医師。則必有医師之体制)」と省略してまとめてしまう。中国の読者に「キャヴェンディッシュ広場」がどうのと翻訳したところで理解されず、事件とは無関係であると判断したのかもしれないが、それにしても、翻訳の質が、不均衡なのである。
 奇妙な漢訳といえば、次のような例もある。
 依頼客の名前は、医者のパーシ・トレヴェリヤン Percy Trevelyan という。漢訳では、波西屈力裴令と表記する。奇妙だというのは、原文の Doctor をわざわざ道克〓心弋}と訳していることだ。Doctor Percy Trevelyan となっていない箇所でも、道克〓心弋}波西屈力裴令としたりする。 Doctor を人名と誤解しているとは思わないが、わざわざ道克〓心弋}とする必要もないではないか。この漢訳者は、上に見たようにいくつかの誤訳を犯しているから、あらぬ疑いをいだくことになる。地名であるニュー・フォレストを「新林」に、サウスシーを「南海」に漢訳した逆をここで行なっているのではないか、と。
 ロンドン警視庁 Scotland Yard をそのままスコットランド(蘇格蘭)にしてしまう。それくらいの英語力だとしかいいようがない。漢訳の質は、これもせいぜいが「可」である。
 以上、『繍像小説』連載の漢訳ホームズ物語6篇を見てきた。
 ホームズ物語の語り手は、ワトスンだ。それを第三者に変更する。例外は、「グロリア・スコット号事件(哥利亜司考得船案)」のみ。一人称の発話というのは、それほどまでに見慣れないものらしい。
 ホームズとワトスンの生活史を無視する。誤訳がかなりある。適当に文章を省略する。
 その翻訳の質は、残念ながら、『時務報』連載、『啓蒙通俗報』連載、『続包探案』所収の漢訳ホームズ物語に比較すれば、一段も二段も劣る。
 『繍像小説』連載のホームズ物語に関する中村論文(22頁)のなかで、注釈を必要とする箇所があるので説明しておきたい。
 すでに述べているように『繍像小説』に掲載されたホームズ物語は、6篇だ。それを中村は5篇とし、「マスグレイヴ儀式事件(墨斯格力夫礼典案)」をはずす。単行本発行時に、該作品を追加収録したと考えた。これには、理由があった。
 『繍像小説』は、今でこそ上海書店が影印した「晩清小説期刊」シリーズによって容易に読むことができる(香港・商務印書館1980.12。ほかの影印は、『新小説』『月月小説』『小説林』『新新小説』)。しかし、それ以前は、『繍像小説』の全冊といっても日本国内に所蔵する公共機関は、なかった。ゆえに、『繍像小説』に言及する研究者のなかで、その実物を手にした人はほとんどいなかったのである。日本における清末小説関係資料は、これくらいにお寒い情況にあることは、今でもかわらない。
 例外は、いつのばあいにもある。ごく少数の人が利用できていた。
 竹内好が『繍像小説』を所蔵していた。ただし、1冊のみが欠けており、全冊揃いではない(その由のハガキを本人からもらった)。中村忠行が拠ったのは、この竹内蔵書である。自分で写真撮影した、と中村から私は、直接、聞いたことがある。ただし、雑誌そのままではなく、いったん雑誌をばらして、作品ごとにまとめて撮影した。その方が利用しやすいと、当時は考えたらしい。だが、そうしたために雑誌の第何号に掲載されたのかわからなくなった。大きな失敗であった、とのちに私に語ったものだ。
 日本では、『繍像小説』全揃いは、当時、澤田瑞穂の手元にあるだけだった。私は、それにもとづいて「繍像小説総目録」(『大阪経大論集』第93号1973.5.15)を作成して公表した。別刷りを贈呈すると、中村忠行から、この総目録をいちばん利用するのは私(中村)であろう、という手紙をもらったくらい喜んでもらえた。というのも、目録があればこそ、中村が写真撮影していた『繍像小説』の作品を資料として利用できるからだ。
 こうして中村の「清末探偵小説史稿」が書かれた。
 さて、中村論文が、なぜ「マスグレイヴ儀式事件(墨斯格力夫礼典案)」をはずしたかというと、私の「繍像小説総目録」にその題名を見ることができないからだ。
 あとから判明したことだが、澤田所蔵本には、たまたま落丁というか乱丁があって、「墨斯格力夫礼典案」でなければならない冒頭1丁が「銀光馬案」に入れ替わっていた。総目録作成時に、私はその事実に気づかず、「銀光馬案」のままに記述した。中村は、この総目録の記述によったから「墨斯格力夫礼典案」は、雑誌連載終了後に単行本が発行された際に加えられた、と考えた。
 ついでに述べれば、郭延礼は、前出『中国近代翻訳文学概論』において、『補訳華生包探案』を説明し6篇の作品に言及する。そのうちの「墨斯格力夫礼典案」に特に注をほどこして次のように書く。

これら6篇の探偵小説は、「墨斯格力夫礼典案」を除いて、その他の5篇はすべて『繍像小説』第5ママ期から第10期に掲載されている。(148頁)

 上に説明したように、「墨斯格力夫礼典案」は、『繍像小説』第8、9期に掲載されている。郭延礼の上の注釈は、中村忠行の誤った記述に拠って書かれていることがわかる。『繍像小説』の影印本で確認する機会がなかったようだ。
 さて、『繍像小説』連載終了後、まとめられて単行本の姿で世に出た。これが、『補訳華生包探案』だ。「華生包探案」に「補訳」をつけた書名となる。

●6 書名の謎――「華生包探案」から『補訳華生包探案』をへて、再び『華生包探案』へ
 『繍像小説』に連載された「華生包探案」は、単行本化されたとき『補訳華生包探案』と『華生包探案』の2種類の書名があたえられた。「補訳」があるか、ないかだ。まぎらわしい。
 中村忠行は、書いている。「又、同じく説部叢書本で、体裁は全く同じでありながら、「▲初集▲傍点)第四編」とし、「補訳」の文字を削つて、単に『華生包探案』と題するものがある。これは後刷である」*49。
 明快に説明されているといえる。
 たしかに、『補訳華生包探案』から『華生包探案』に改題されている。そのあたりをもう少し説明しておきたい。
 賈植芳、兪元桂主編『中国現代文学総書目』(福州・福建教育出版社1993.12)の「附録二 1882-1916年間翻訳文学書目」には、該書について以下のように記す。

補訳華生包探案 小説。[英]柯南道爾著,上海商務印書館訳印。商務印書館光緒29年(1903年)版。(894頁)

 該書に「説部叢書」の表示がないとすれば、私には未見の版本だ。しかし、「[英]柯南道爾著」という表示があるかどうか、はなはだ疑わしいと考えている。別の版本を見ての判断でもあるが、該書には、たぶん原著者名はない。『繍像小説』連載時に表示されなかった著者名であるからだ。
 「入院患者事件(旅居病夫案)」が『繍像小説』第10期に掲載されたのが、癸卯八月十五日(1903.10.5)のことだった。単行本の1903年を見れば、連載終了後にあわただしく1冊にまとめられたということになる。それだけ読者から歓迎されたと理解できる。
 阿英「晩清小説目」(151頁)にも『補訳華生包探案』という書名で、しかも重複して収録される。

補訳華生包探案 光緒二十九年(一九〇三)商務印書館訳印。
補訳華生包探案 柯南道爾著。光緒二十九年(一九〇三)商務印書館訳印。収福爾摩斯探案六種:
  (一)哥利亜司考得船案 (二)銀光馬〔案〕
  (三)孀婦匿女〔案〕 (四)墨斯格力夫礼典〔案〕
  (五)書記被騙〔案〕 (六)旅居病夫〔案〕

 同じ単行本だと思われるのに、なぜ、重複しているのか。しかも、記述が異なっており、その理由がわからない。「柯南道爾著」と書かれている版本とそうでないものが、並列されているではないか。はたして、単行本に「柯南道爾著」と記されているかどうか、あやしいと思う。阿英の小説目は、誤記が多くあることは周知の事実だ。ドイルの作品でもないのに「柯南道爾著」と平気で記入している例がある。ここも、阿英の判断で原著者名を補ったのではなかろうか。『繍像小説』に連載されていた時にはあった〔案〕を、参考までにつけておいた。
 阿英目録に見える1903年発行のふたつの『補訳華生包探案』に「説部叢書」と明示してなければ、私は未見だ*50。
 以上の目録には、注記がないから、「説部叢書」ではないと考えていいのだろう。
 私が該書に「説部叢書」の表示があるかないのか注目するのには、理由がある。
 つまり、『補訳華生包探案』には、可能性として表紙あるいは扉の異なる2種類がある、と私は考えている。
 ひとつは、ただの単行本として出たもの。「ただの」という修飾語をつけたのは、商務印書館がシリーズものとして「説部叢書」を計画していたことが背景にあるからだ。外国小説の漢訳を単独で発行しながら、のちにそれを大きなシリーズのひとつとして収録する、という手順をとるばあいがある。
 『補訳華生包探案』が、最初から「説部叢書」第一集第四編とすることを計画されていたのかどうかは、わからない。ただの単行本として発行したのち、表紙を取り替えて「説部叢書」シリーズに組み込んだとも考えられるからだ。だから、1903年版を広く見れば、それに「説部叢書」と印刷されているかどうかを確認することができる。その機会がくることを願っている。
 私の手元に、「説部叢書第一集第四編」と印刷した『補訳華生包探案』がある。日本の古書店から入手した。

『補訳華生包探案』1冊
活版線装本。表紙は、印刷題簽で「補訳華生包探案」とある。原著者、訳者名なし。扉に、説部叢書第一集第四編 上海商務印書館印行とある。光緒二十九年癸卯仲冬上海商務印書館主人序。奥付なし。価格表示なし。
哥利亜司考得船案 1-8
銀光馬 1-10 (案がない)
孀婦匿女 11-17 (案がない)
墨斯格力夫礼典 18-26 (案がない)
書記被騙 27-35 (案がない)
旅居病夫 36-45 (案がない)

 この本が学術的に価値があるのは、活版線装本であるところだ。
 活版線装本といえば、『繍像小説』が採用している形態である。つまり、該書は、『繍像小説』連載と同じ版下を利用して印刷製本されている。
 そもそも『繍像小説』そのものが、連載作品をあとで製本をバラし、作品ごとにまとめることができるように工夫して制作されていた。ページが終われば、文章の途中でも打ち切ってしまう。読者の都合よりも、連載終了後のことを優先する製本だ。まさに該書が具体例である。同じ形態の単行本を、そのほかいくつか原物で見たことがある。
 ただし、単行本化するにあたり、一部手直しがなされている。「説部叢書」をうたう扉をつけた。序、目録を追加する。さらに、作品名から「案」を削除した(6作品のうち5作品)。丁数は、途中から通し番号にする。
 扉は、あとからいくらでも付け替えることができる。最初は、「説部叢書」と銘打たない扉をつけて製本する。そののち、「説部叢書」の構想が出てくれば、それに応じて「第一集第四編」と印刷した扉に変更すれば、よろしい。どちみち奥付がないのだから、発行年月日が違っていようが、なんの問題もない。
 冒頭をかざった上海商務印書館主人の「序」には、「光緒二十九年癸卯仲冬(十一月)」の日付が見えている。1903年だから、『繍像小説』連載終了後の序だと考えれば、その発行年月と矛盾するものではない。1903年の発行だと考えていいだろう。
 「説部叢書」の表示がないものとあるもの、この2種類が存在する可能性がある。違いはそれだけで、体裁などは同じだと推測される。
 三年後、活版線装本を活版洋装本に変更して、出版した。こちらには、発行年月が明記されている。
 上海図書館所蔵の版本には、たしかに「説部叢書第一集第四編」の表示がある。

『補訳華生包探案』1冊
活版洋装本。扉に、説部叢書第一集第四編 中国商務印書館印行とある。光緒二十九年癸卯仲冬上海商務印書館主人序。目次は「華生包探案」。
奥付:原著者名なし。中国商務印書館編訳所訳述/中国商務印書館/光緒三十二年歳次丙午孟夏初版/光緒三十三年歳次丁未孟春二版
哥利亜司考得船案、銀光馬案、孀婦匿女案、墨斯格力夫礼典案、書記被騙案、旅居病夫案

 「案」をつけているのは、『繍像小説』連載時の形にもどしたのだ。
 表紙、扉に見える題名には「補訳」がついており、目次本文には「華生包探案」とだけある。柯南道爾の名前はない。
 『補訳華生包探案』という書名も、考えてみれば、おかしなものだ。なぜなら『繍像小説』に連載していた時の統一題名は、「華生包探案」であったからだ。単行本にするとき、なぜ「補訳」をつける必要があるのか。だいいち、「華生」を書名に使った翻訳が、それ以前に商務印書館から単行本で発行された事実は、ない。商務印書館が最初に出版するホームズ物語の漢訳に「補訳」をつけることの方が、奇妙だろう。また、「補訳」をつけると、「新訳」とか「続訳」の後塵を拝するような印象を与えるのではなかろうか。そのような議論が、商務印書館編訳所内部で行なわれたとしてもおかしくはない。
 書名をもとの『華生包探案』に改めた本が出版されることになった。
 表紙を張り替えるだけで、本文は『補訳華生包探案』と同じだからそのままでよい。この発行は、奥付の表示を見る限り1906年だ。
 私が、今、見ているのは、以下の版本だ。

『華生包探案』1冊 120頁
活版洋装本。表紙に説部叢書初集第四編、偵探小説、上海商務印書館発行と印刷。
奥付:商務印書館編訳所訳述、商務印書館。丙午年四月(1906)初版/中華民国三年四月(1914)再版。
光緒二十九年癸卯仲冬上海商務印書館主人序
哥利亜司考得船案、銀光馬案、孀婦匿女案、墨斯格力夫礼典案、書記被騙案、旅居病夫案

 「説部叢書 初集第四編」というのは、「第一集」の書き誤りであると思われるかもしれない。いや、これで正しい。なぜかといえば「説部叢書」は、途中で改編が実施されるのである。それまでの第一集から第十集まで各10篇で合計100篇を「初集」と呼びなおし、第一編から第一百編に変更し、作品も一部分を入れ替えた。すなわち「第一集第四編」が「初集第四編」に変わったというわけだ。こちらも表紙だけを付け替える。これが奥付の表示通り1914年のことだと理解できる。
 さて、該書を見ても「柯南道爾著」と書かれていない。コナン・ドイルの名前を出さないのは、なぜか。「序」の内容からしても、ホームズとワトスンを実在の人物だと考えているようだ、とくりかえしておく。そう考えているのは、誰か、という問題になるが、「商務印書館主人」という署名だから、その人だろう。さて、商務印書館主人とは、何者かについては、今、断定する資料が、ない。
 阿英「晩清小説目」(150頁)に収録されている『華生包探案』には、「柯南道爾著」とある。たぶん、これは間違いだと思う。ただし、賈植芳、兪元桂主編『中国現代文学総書目』(899頁)に収録された上海商務印書館1911年4月初版/1920年11月五版の小本小説については、見ていないのではたして原作者名があるのかどうかは知らない。
 『華生包探案』という書名は、誤訳であることを強調しておきたい。加えて、英文原作に忠実ではないという意味で、質的に劣った漢訳であった。
 しかし、原文を知らないならば、それでもいくらかのおもしろさを感じる人が出てくる。評判をとったとわかるのは、商務印書館が発行する『繍像小説』に連載されたのち、「説部叢書」にも収録されているからだ。重版をくりかえすほどに売れた。ひろく普及したために、『華生包探案』という誤った書名の方で伝えられることになったのは、皮肉なことだった。誰も、これが奇妙な書名であると気がつかないほどなのだ。

【注】
7)中村忠行「清末探偵小説史稿」(一)11頁
8)郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社1998.3。142頁
9)葉凱蔕「関於晩清時代小説類別及《新小説》雑誌広告二則」『清末小説』第12号(1989.12.1)には、該当広告の影印が掲載されており貴重だ。陳平原、夏暁虹編『二十世紀中国小説理論資料』(1897年-1916年)北京大学出版社1989.3。45頁
10)中村忠行「清末探偵小説史稿」(一)29頁
11)「小説閑評」は、連載もの。『四名案』を紹介する『遊戯世界』第1期(刊年不記)は、「小説閑評」の扉に「丙午夏孟」と記してある。孟夏ならば、1906年の旧暦四月となる。
12)阿英編「晩清文学叢鈔」小説戯曲研究巻 北京・中華書局1960.3上海第1次印刷。535頁
13)また、陳平原、夏暁虹編『二十世紀中国小説理論資料』にも収録。201頁
14)阿英『晩清戯曲小説目』上海文芸聯合出版社1954.8/増補版 上海・古典文学出版社1957.9
15)李慶国「《啓蒙通俗報》篇目匯録」『清末小説』第23号2000.12.1
16)中村忠行「清末探偵小説史稿」(一)16頁
17)阿英「晩清小説目」169頁という意味。
18)郭延礼『中国近代翻訳文学概論』147頁
19)「議探」の使用例は、ほかに上海知新室主人(周桂笙)訳「(偵探小説)失女案」(『新小説』2年4号(16号) 光緒三十一年四月1905.5)がある。
20)小林司、東山あかね訳「まだらの紐」シャーロック・ホームズ全集第3巻『シャーロック・ホームズの冒険』 河出書房新社1998.2.25。287頁
21)中村忠行「清末探偵小説史稿」(一)17頁。郭延礼は、『中国近代翻訳文学概論』の147頁注1で、中村の文章をそのまま注釈に使用している。
22)商務印書館編訳所訳『(偵探小説)華生包探案』(上海商務印書館 丙午1906年四月/1914.4再版 説部叢書1=4)の「序」に見える。また、冷血(陳景韓)戯作「(短篇小説)歇洛克来遊上海第一案」(『時報』1904.12.18)に啓文ママ社と記述されている。啓明社なのか、それとも啓文社なのか、どちらが正しいのか不明だった。しかし、今、啓明社が正しいと判明した。啓文社は、教科書出版社である。『中外日報』(1906.4.21付)にその広告が掲載されている。
23)さきばしってついでにいえば、郭延礼もいわゆる『続訳華生包探案』すなわち『続包探案』の原物を見ていないらしい。収録作品の順序が違うし、なによりも『続包探案』という書名を挙げていないから、そうと知れる。郭延礼も目にできないくらい珍しい翻訳本なのだろう。
24)阿英「晩清小説目」171頁
25)中村「清末探偵小説史稿(一)」17頁
26)阿英「晩清小説目」177頁
27)郭延礼『中国近代翻訳文学概論』147頁の注2
28)孫宝〓王宣}『忘山廬日記』上下 上海古籍出版社1983.4。742頁
29)魯迅博物館蔵『周作人日記(影印本)』鄭州・大衆出版社1996.12。392頁/「周作人日記(1903-1904)」北京魯迅博物館魯迅研究室編『魯迅研究資料』(12)天津人民出版社1983.5。131-132頁
30)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」17頁
31)『商務書館華英字典』(上海・商務印書館 光緒壬寅1902三次重印)に、amateur 専嗜一藝者、mendicant 乞児、丐食人と載ってはいる。しかし、素人と乞食が結びつかなかったのかもしれない。だからこそ事件になるのだが。
32)孫宝〓王宣}『忘山廬日記』742-743頁。鄒振環『影響中国近代社会的一百種訳作』(北京・中国対外翻訳出版公司1996.1。249頁)に指摘がある。
33)「字」を単純に名前だと判断する根拠は、別の作品(ぶな屋敷)でジェフロ・ルーカッスルの名前を出して「傑弗洛(羅之字)」(70頁)と書いているからだ。
34)樽本照雄「コナン・ドイル作「唇のねじれた男」の日訳と漢訳」『大阪経大論集』第51巻第6号(通巻第260号)2001.3.31
35)小林司、東山あかね訳「ぶな屋敷」シャーロック・ホームズ全集第3巻『シャーロック・ホームズの冒険』443頁
36)コナン・ドイル著、小池滋監訳『詳注版シャーロック・ホームズ全集』2 ちくま文庫1997.5.22。398頁注1
37)コナン・ドイル著、小池滋監訳『詳注版シャーロック・ホームズ全集』2。547頁注5
38)樽本照雄「『華生包探案』は誤訳である――漢訳ホームズ物語「采〓糸恒}」について」『清末小説から』第61号 2001.4.1
39)「序」の原文には、誤植がある。そのままを示せば、The memoirs of Skerlock Holmes となる。
40)延原謙訳「グロリア・スコット号」『シャーロック・ホームズの思い出』新潮文庫1953.3.10/1973.1.20三十八刷。104頁
41)阿部知二訳「グロリア・スコット号」『シャーロック・ホームズ全集』第1巻。233頁
42)A・柯南道爾著 李家雲訳「“格洛里亜斯科特”号三〓木+危}帆船」『福爾摩斯探案集』3 北京・群衆出版社1980.9。78頁
43)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」22頁
44)小林司、東山あかね訳「黄色い顔」シャーロック・ホームズ全集第4巻『シャーロック・ホームズの思い出』河出書房新社1999.2.25。100頁
45)上海書店影印版の『繍像小説』では、掲載は第8期のみになっている。しかし、原本2種類(初版と後刷り)を見る限りでは、第8期と第9期の連載だ。ただし、第9期掲載(4-9丁)の柱に「第八期」とある。想像するに、『繍像小説』原本では、なんらかの原因で第8、9期の連載であったのを、上海書店は影印する時、原本とは違えて第8期に移動させたと思われる。
46)小林司、東山あかね訳「マスグレーヴ家の儀式」シャーロック・ホームズ全集第4巻『シャーロック・ホームズの思い出』河出書房新社1999.2.25。195頁
47)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」24頁
48)作品は、「入院患者」だが、「ボール函」から流用している。ゆえに、この部分は、阿部知二訳「ボール函」(『シャーロック・ホームズ全集』第2巻 河出書房新社1958.8.31/1959.5.20再版。229頁)から引用する。
49)中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」9頁
50)陳平原、夏暁虹編『二十世紀中国小説理論資料』は、201頁に「《補訳華生包探案》序」を収録する。ただし、発行年は、1906年になっている。


【参考文献】前号と同じ。
【附記】さらに、范伯群氏、張元卿氏のお世話になりました。感謝します。ほかは前号と同じ。