劉鉄雲は冤罪である・補


沢本香子


 私は、劉鉄雲は無実の罪で逮捕され新疆に流されたと主張した*1。汪叔子が、劉鉄雲逮捕の理由は塩の密売であり、彼は売国奴である*2、と主張したのに反論したのだ。
 ここに紹介する呉振清「劉鶚致禍原因考辨」(『南開学報』2001年第1期)は、汪叔子論文とほとんど同主旨である。
 すなわち、劉鉄雲逮捕の理由は、彼が日本人と一緒になって吉林および韓国国境附近で塩の密売を行なったためで、とくに韓国で塩運会社を設立したのが直接の、また真の原因であるとする。
 呉振清論文の特色は、韓国運塩会社についての資料を発掘したところにある。
 『清季中日韓関係史料』(台湾・中央研究院近代史研究所1972)から、関係する箇所を引用し、劉鉄雲が塩の密輸を行なっていた証拠とする。
 私の見ていない資料である。台湾から出版された刊行物だから、日本にないはずがない。さがしたが、あいにくと私のまわりには見つからなかった。
 呉振清が劉鉄雲有罪の証拠として引用する資料を、私なりに解読してみたい。

●1 韓国運塩会社をめぐって――呉振清論文から

 呉振清は、まず、時代状況を説明する。すなわち、当時、韓国には塩が不足しており、価格も高く、大部分を中国からの輸入に依頼していたことをいう(93頁)。
 そこで劉鉄雲は、鄭永昌と韓国塩運会社を設立した。光緒三十二(1906)年八月のことだ(93頁)。
 資金50万元を集め、韓国国王の弟宗順君を名誉総裁とし、鄭永昌が実権を握った。総局は、漢城ママに置く(93頁)。
 皇族を担いでの韓国運塩会社だ、と呉振清は書く。見たところ、正規の会社である。私にいわせれば、塩運会社を設立するのは、違法でもなんでもない。
 中国の塩は管理されているから、問題となるのは、いかに輸出の許可を得るかだ。この許可されるかされないか、が鍵である。許可されれば、その輸出は通常の商取引であり、許可なく運送すれば、密輸となる。あまりにも当たり前すぎる説明にしかならない。だが、この点をおろそかにすると、判断を誤ることになる。注意をしておきたい。(引用箇所は、呉振清論文に書かれているままを示す。一部句点の位置を変更した。(○頁)は呉振清論文のページ数)

○(1)光緒三十二(1906)年八月? 第十巻 第4449号 6482頁
“擬以中国遼東半島所産之塩,輸入韓国,平均価値発売”(93頁)
 韓国塩運会社設立の主旨である。遼東半島産の塩を韓国に輸入し、普通の値段で発売したい、という目的にどこに不審な箇所があるというのだろうか。あやしいところがないからこそ、該会社は、韓国で設立が認可されたと考えるべきだ。

○(2)光緒三十三(1907)年四月 第十巻 第4423号 6439頁
“據韓国塩運会社代表、副社長鄭永昌禀称:上年九月,即華歴八月間,禀経韓国政府特准設立韓国塩運会社,運遼東租借界内之塩輸入供韓人日用”。因遼東所産塩不敷用,“聞中国直隷長芦芦台場積塩甚多,懇請転商中国政府,毎年充借二三十万包,由弊会社備価購運,並行咨山東示禁私塩販韓”。函中又称:“査約章,内地食塩不准販運進出口,而直隷所産之塩,毎年運往俄境海参〓山威}者実属不少”,“則韓国事同一律,似可援例通融〓ban理”。(93頁)
 駐在北京公使林権助が、清国政府外務部へあてた文書だ。
 韓国と中国に関係する事柄にもかかわらず、ここになぜ日本の外務省が出てくるかといえば、それには理由がある。1905年の第2次日韓協約により韓国の外交事務が、日本外務省に移管したからである。また、林権助は、1899年に韓国公使をつとめていたから、韓国の事情にもくわしい。
 鄭永昌は、日本人だ。かつて日本の外交官であった。1902年、官を辞し、直隷総督袁世凱の嘱託になっていることは、前稿で述べた。直隷産出の塩も、袁世凱(総督在任1901-07)の許可を得ることができれば輸出の可能性もでてくる。
 昨年の旧暦八月に、韓国政府の許可を得て韓国塩運会社が設立されたことをいう。その設立主旨も、1で述べたそのままだ。
 呉振清の補足説明によると、遼東の産塩が不足しているという。直隷の長芦塩を購入したい、ならびに山東から韓国への密輸を禁止してほしい。規則では内地の食塩を輸出することはできないというが、しかし、毎年、ウラジオストックには運搬している、それと同じに扱ってほしい、ともある。
 林権助の外務部にむけての申し入れは、山東塩の韓国輸出禁止を要請する箇所など、筋の通った文章だと、私は判断する。
 外務部は、ただちに、度支部、すなわち財政部と、駐韓総領事馬廷亮に報告を求めた。

○(3)光緒三十三(1907)年五月十九日 第十巻 第4434号 6463頁
“並無続准直隷之塩運銷海参〓山威}案據,ママ自応仍照約章〓ban理”。(93頁)
 度支部からの回答である。ウラジオストックにむけての塩の輸送販売は、続けては許可しない、というものだった。めんどうなことになるなら、いっそ不許可にしてしまえ、という意味だ。

○(4)光緒三十三(1907)年五月二十二日 第十巻 第4435号 6464頁
“査中国食塩照約不准販運進出口,且東塩運銷海参〓山威}一案業経議駁,今韓国借運芦塩,事同一律,碍難照准”。(93頁)
 外務部から日本公使館へ、不許可の回答である。
 1905年、日本政府が清国政府に塩の販売を申し込んだ時、清国政府はそれを許したばかりか、代金をとらず贈呈すると答えたことがあった。韓国へむけての塩は、その時とは、あつかいが異なっている。

○(5)光緒三十三(1907)年六月初九日 第十巻 第4439号 6733頁
“又據(鄭永昌)禀称,山東私塩運韓者毎年為数甚多,華商向不自居於私,現本会社奉韓国政府曁統監府特准設立,如非設法杜絶私塩之輸入,不能達其目的。……禀請照会転咨山東出示厳禁;並札飭中国駐韓総領事通諭在韓華商,毋再違禁,以致糾葛”。(93頁)
 日本の代理人阿部から外務部へあてた文書だ。
 韓国塩運会社が、韓国政府と統監府(のちの朝鮮総督府)の許可のもとに成立していることが、ここからもわかる。
 山東から韓国に塩を密輸しているものがかなりの数にのぼり、しかも中国人商人には密輸しているという意識がない。中国側に、山東塩の密輸を強く禁止するよう申し込む内容になっている。そればかりか、中国の駐韓総領事にも密輸の取り締まりを強化するよう要請する。
 塩を送りだす者がいて、受け取る側がいるから密輸が成立している。駐韓総領事に命じてほしいというのも、そのことを考えたのだろう。
 正規に設立した韓国運塩会社が、山東塩の密輸業者のために仕事ができない、という実態を訴えている。塩の密輸は厳重に禁止されているはずが、山東塩の韓国密輸は野放しになっているのは、誰が見ても奇妙なことである。
 ただ、この正論は、中国と韓国の関係者には受け入れにくかった。上の文章のやりとりを見ても、中国側には、密輸禁止に本腰を入れるつもりがないらしいとわかる。密輸のうらには、関係者の贈収賄があるのは常識だ。その常識に正論が打ち勝つのは、むつかしいだろう。

○(6)光緒三十三(1907)年六月二十九日 第十巻 第4449号 6482頁
“該会社固似為韓人所設也,然査該会社発起人則為日本人鄭永昌,曾在天津領事,而其合同内載有華人劉鉄雲、劉大章均為発起人”。
“緝私裕課,系内地官長之責,〓シンニョウ台}運至外洋,但使非彼国例禁進口之物,即無稽核禁阻之権”。同時強調指出:“塩運会社並非官立,不過為個人壟断之謀,安能禁止華商販運之理!”“且華商在韓独擅之利,如綢緞雑貨之類,均為日商夙所垂涎,若此端一開,又設運綢緞、運雑貨会社名目,遂欲禁阻華人販売,則華僑商務何堪設想!”(93-94頁)
 馬廷亮から外務部あての報告書だ。
 呉振清によると、その内容にはふたつある。
 ひとつは、韓国塩運会社が、日本人によって設立され、劉鉄雲らが発起人に名前を連ねている事実だ。
 2に示した文章であきらかなように、北京駐在公使林権助が、すでに登場している。韓国塩運会社に日本人が関係しているのは、秘密ではない。
 当時、日本は、韓国における支配力を強めていた。中国から塩を輸入するとなれば、日中韓に関係する事業にならざるをえない。韓国の皇族を前面に押し出し、日本人が実権を握り、中国人を発起人に加えて会社を設立するのは、当然のことだ。
 それをいかにも隠蔽しているかのように書く馬廷亮の意図は、はっきりしている。日本人が関係している会社そのものが、うさん臭いものであると言いたいのだ。
 これを引用する呉振清も、馬廷亮と同じ印象をいだいている。鄭永昌が、どこの誰なのか、従来の研究がそれを明らかにしていないという(94頁)。鄭永昌は、日本人だと指摘している日本語の文章が以前からあることを知らず、勝手に謎の人物に仕立てる。その結果は、つぎのような文章となる。
 「その実、鄭永昌は日本人であって、かつて駐天津領事をつとめたことがあり、中国の塩務状況については熟知していた。日本の外交界において、活動能力を持っていたから、日本の統監府、在中国公使館では手段をろうして悪事を働くことができたし、きわめて容易に外交組織を動員して外交手段を使用することにより、中国塩を輸送販売し、韓国における塩の輸入を思いのままに操るという目的を達しようとしたのである」(94頁)
 呉振清は、最初から鄭永昌を罪人だと決めつけている。塩の密輸を行なった劉鉄雲という思いこみがあるから、その関係で出てくる鄭永昌は、呉振清の目には、必然的に最初から犯罪人である。
 馬廷亮報告書のもうひとつの内容は、山東塩の韓国輸送に関係する。
 密輸を取り締まり税金をゆるめるなどは、内地の役人の責任である、いったん外国に出たものは、禁止の品物であっても、それを検査し阻止する権利はない、と馬廷亮はいう。中国で輸出禁止の塩であっても、いったん中国を出てしまったら、韓国でどうあつかおうが勝手であるといっている。おかしな論理だ。
 さらに論理は飛躍する。塩運会社は、(日本人の)個人が(韓国における塩を)独占するためおこしたものである。どうして中国商人が輸送販売することを禁止できようか。これを許せば、韓国でも日本商人にやられてしまいますぞ。
 中国人の便宜をはかるか、それとも日本人に商売を持っていかせるのか、と論点をすり替えるのだ。塩の密輸は、問題ではなくなる。
 呉振清の補足説明がある。馬廷亮は、山東塩の韓国への輸送状況を説明して、つぎのように報告しているという。
 仁川、甑南浦での中国塩は、税金を納入している。そのほかは、小売り、物々交換、自家用にすぎない。中国塩の多くは、漁民が魚を塩漬けにした残りである。
 馬廷亮は、山東塩の密輸を、税金を払っているから密輸ではないと報告しているらしい。税金を納めている場所が韓国なのだから、中国で輸出を認めたことにはならないではないか。また、中国の漁民が自家用の塩を韓国に持ち込んでいるだけならば、問題は大きくはならない。自家用と称して、大量の塩が動くから問題になっている。すぐにわかるウソを、馬廷亮は、なぜ書くのだろうか。
 大いにあやしい。以上のふたつの報告要旨を見れば、馬廷亮自身が山東塩の密輸に一枚かんでいるのが、あからさまである。
 呉振清は、馬廷亮の文書を検討しない。つまり、批判がないから呉振清は馬廷亮と意見を同じくすると考えられる。
 正規の塩売買を行なおうとする外国人(ここでは日本人)は、日本人であるという理由で、すでに犯罪者である。日本人に協力する劉鉄雲は、それだけで犯罪人となる。密輸を行なっている中国商人は、中国人だから免責されるべきである。韓国における塩は、密輸であろうとも、中国人が主体的に管理して当然なのだ。呉振清は、こう言っているのとかわらない。

○(7)光緒三十三(1907)年十月初三日 第十巻 第4498号 6609頁
“嗣有華商高爾伊(高子衡字)同日本人鄭永昌来署,面称在韓国政府禀准設立塩運会社,擬招旅韓華商一並入股合〓ban。……迭次到署懇商,勢不容已”。同時称山東漁船〓月菴}剰塩,“不容載回中国,只有就近在韓報関銷售,歴有年所,並無異詞。今一旦権利為人攘奪,将使数千漁戸生計尽付東流”。因此,華商“合詞〓yu4}請,転求政府作主維持,以保生命等情”。(94-95頁)
 馬廷亮から外務部あての文書だ。
 鄭永昌と中国商人・高子衡は、なんども役所に来ては、塩運会社は、韓国政府が許可して設立されたこと、在韓の中国商人にも投資を呼びかけていることなどをしつこくくりかえす。
 鄭永昌らが、塩輸出の許可を出してほしいと駐韓総領事に日参していることがわかる。つまり、輸出の許可を求めているということは、あくまでも正規の手続きを踏んで塩を中国から韓国に輸送したいという態度をくずしてはいないのだ。密輸をするつもりなら、役所に足を運ぶなどの面倒なことをする必要はない。
 馬廷亮は、つづけておもしろいことを報告している。
 山東の漁民が魚を塩漬けにした残りを、近くの韓国で通関させて売っているだけだ。その権利が奪われたら、数千の漁民の生計は東に流れてしまう(日本にしてやられるという意味)。なんとか、現在のままを維持してほしい、というのだ。
 語るにおちたとはこのことだ。漁民が魚を漬けた残りの塩を、売っているだけ、といいながら、通関をしている。立派な商業行為である。しかも、その漁民の数が半端ではない。数千にのぼるのである。これでは、お目こぼしを要求するような事柄ではなかろう。塩が、山東から組織的に韓国に密輸されていることを、総領事の馬廷亮は認めたうえで、積極的に援護しているのにほかならない。だからこそ、馬廷亮は、塩の密輸に関わっていると私はいうのである。

○(8)光緒三十三(1907)年 ? 第十巻 第4499号 6613頁
“初意専運遼塩,藉平全国(指韓国)食塩市価為詞,表面不在専利,固無力禁絶他国運塩入口。復又覬〓兪見}長芦之塩,因格於部議,未獲価其欲壑,乃更狡焉思〓辷呈},故運動阿部代理(日本駐中国使館代〓ban)請為禁止東塩来韓。……並屡欲要求各口領事代為緝拿懲究。……倚仗我国禁令,希図挟勢恫嚇,以快彼強攫狡謀。各口華商明知其奸,一経入股,必受牢篭,恐有後患,故始終堅執不允合〓ban。致高、鄭二人進退維谷,与各商有両不相下之勢,必致仍借力於日使出而干求”。
“風聞各該商公議抵制,有如果高、鄭二人必欲借勢相逼,計惟改領威海衛、膠州等處船牌,……且慮従此致生交渉而滋事端,〓ban理転多棘手”。
“俯念沿海漁戸生計,民食攸関,所有漁船酌帯漁塩,与専販塩斤出口者不同,応請照旧免査禁”。(95頁)
 駐韓総領事・馬廷亮から外務部あての秘密通信だという。
 呉振清がまとめる内容のひとつは、鄭永昌らの塩運会社が、韓国の塩を独占しようと意図していることを指摘する(95頁)。上の文面を見ると、(韓国塩運会社は)韓国の食塩価格を普通にするという理由で、遼東塩を運ぶことを考えており、長芦塩の韓国輸入が彼らの悲願であること、その願望を実現するために、日本の公使の力をかりているという。
 日本からの塩を韓国に輸入しようというのではない。日本では、当時、塩不足であった。長芦塩を購入して韓国に輸入することのどこが、いけないのか。長芦塩を販売すれば、清国政府の収入にもなるというものだ。馬廷亮が、韓国塩運会社の活動に反対するのは、韓国の塩市場が荒されるのを危惧しているからだと読める。ということは、馬廷亮にとっては、現状維持が好ましいということだ。塩市場が安値で落着くと困るのならば、密輸による高値によって馬廷亮自身のふところが豊かになるのだろう、と疑われてもしかたがなかろう。
 呉振清のまとめその2は、中国漁船はやむをえぬばあい、イギリス、ドイツなどの保護を求めるであろう、そうなると局面はさらに複雑となり、面倒なことになるという(95頁)。
 上の引用文でいえば、「威海衛、膠州」などの地名を出している部分がイギリス、ドイツに相当する。ここも馬廷亮が馬脚をあらわした部分だ。残り塩を処分しているだけの漁民が、外国に保護を求めるであろうか。それができるのは、組織された集団である。馬廷亮は、外務部が外国との交渉を好まないのを知って、脅かしているのである。
 みっつ目。馬廷亮は、提案する。沿海漁民の生活を考慮して、漁船の塩は輸出業者のものとは区別して今までどおり取り締まりの対象外とする。
 馬廷亮の提案は、巧妙である。いかにも筋が通っているように見える。漁民と業者は違うというのだ。業者が密輸をするのは禁じるが、漁民の塩はお目こぼしする。
 だが、どこでその区別をつけるのか。漁船に積んだ塩なら、すべて漁師が生活に使用していると判定するのか。区別のつかないことを区別したかのようにいうのは、サギである。できないことを提案するのは、欺瞞である。ここでも馬廷亮の立場がはっきり表われている。漁民を隠れみのに使った密輸を認めるという現状維持だ。日本人を、なにがなんでも韓国の塩市場には参入させないという固い決意表明なのである。
 外務部は、日本の公使館などの要求を受けて、山東巡撫、駐韓総領事に「禁令を公布」した。だが、十二月中旬、馬廷亮の意見をいれて漁民の塩は禁止せず、大口の密輸のみを禁止した(95頁)。一律禁止ではない。例外をもうけたのは、二重基準である。

○(9)光緒三十三(1907)年十二月十五日 第十巻 第4547号 6699頁
“現高、鄭二人亦久未来,似東塩既不克攘其権利,而遼東半島之塩又転運価昂,遠莫能致,遂爾計無施”。(95頁)
 馬廷亮の外務部あて手紙のなかで言及しているという。
 鄭永昌らは、山東塩の権利を得ることができず、遼東半島の塩も運送するには高値になるため、計画をあきらめたのか、馬廷亮のもとに姿を見せなくなった。

○(10)光緒三十四(1908)年正月二十二日 第十巻 第4552/4553/4554号 6706/6707頁
外務部答復日使“本部已将詳細情形函達山東巡撫,転飭出示暁諭,重申禁令矣”。並且又電令馬廷亮:“此事如何与商情、条約両不相背,応再妥籌〓ban法”。在咨山東巡撫出函内称:“聞鄭永昌已来京運動,日本使恐未肯就此作為罷論”。(95頁)
 外務部から日本公使への返答である。
 山東巡撫に命じて「禁止命令」を出した。中国側の回答は、明らかに日本側の要求とはズレている。日本側は、山東塩の韓国への密輸を全面的に禁止しろと要求している。中国側は、密輸はすでに禁止していると考えている。ただし、漁民の塩は禁止の対象外であることは、日本側に通知していないだろう。日本側は、その漁民のいわゆる「余剰塩」こそ密輸であると考えているのだ。議論がかみあうわけがない。外務部もそれがわかっているから、馬廷亮に相談したり、山東巡撫に手紙をやったりする。

○(11)光緒三十四(1908)年三月 第十巻 第4579号 6771頁
“高爾伊、鄭永昌均久未来署,不知潜踪何處也”。(95頁)
 馬廷亮の外務部あて手紙という。
 鄭永昌らは、もう馬廷亮を訪問しなくなっていた。

 以上が、呉振清の発掘した韓国運塩会社に関する公文書である。日本、中国、在韓総領事のあいだに複雑な事情があることがわかる。

●2 資料の解読

 上の資料を見るかぎり、韓国塩運会社が最終的にどうなったのか、不明だ。日本側の文書では、統監府が反対して中国塩の韓国輸入は失敗したことになっている。そもそも、韓国塩運会社は、統監府の支持のもとに成立したといういきさつがある。これを考えにいれると、統監府が反対したのは不可解であるといわなくてはならない。より一層の資料探索が必要とされる。
 ただ、はっきりいうことができるのは、鄭永昌らの設立した韓国塩運会社は、普通の会社であることだ。普通の会社だから中国から塩を韓国に輸入するために、中国側の許可を求めている。それも公文書に記録されるくらいしつこく運動している。
 なんどでもいうが、密輸を目的としているのであれば、中国側に許可を求めることなどしない。
 しかも、韓国塩運会社は、ついに中国からの塩輸入に成功しなかった。大いに努力したにもかかわらず、駐韓総領事・馬廷亮の妨害活動によって敗北してしまったのだ。
 この資料のどこにも、鄭永昌、劉鉄雲らが塩の密輸に従事した証拠を見いだすことはできない。
 密輸の証拠などありはしない。あるのは、正規の手続きを踏んで、塩を中国から韓国に輸入したいと活動している鄭永昌らの涙ぐましいほどの行動記録だ。もうひとつは、駐韓総領事・馬廷亮の怪しい行動が浮かび上がってくるだけだ。
 呉振清は、鄭永昌と劉鉄雲の海北公司が、日本の塩不足という状況に関係している事実を知らない。日本国政府と清国政府の外交上の問題の一環として、海北公司が動いている。
 それとはまったく別の活動として韓国運塩会社が存在しているのだが、呉振清は、それと海北公司との区別をしないのだ。
 呉振清は、最初から、劉鉄雲には逮捕される理由があるはずだ、という思いこみで資料をさがしている。
 犯罪の証拠を集めているから、劉鉄雲の単なる観光目的である日本訪問も、呉振清の目には塩の密売に関係していると見える(94頁)。
 塩の密輸は、いうまでもなく国家的犯罪である。もし劉鉄雲がそれに関係していたならば、まっさきに逮捕の理由になったはずだ。外国資本で鉱山を開発したこと、庚子(1900年)の太倉米の放出、浦口の土地をめぐる争いなどなど、劉鉄雲の過去にさかのぼらなくてもよい。ほかの理由をさがすまでもないのだ。密輸それだけで逮捕処罰ができる。しかし、密輸を逮捕理由とした文書は、どこにも存在しないのである。塩密輸が逮捕理由にあげてなければ、それは劉鉄雲逮捕の真の理由ではない、という単純な論理を、呉振清も、なぜかしら理解しない。
 呉振清は、汪叔子たちと同じく、劉鉄雲が逮捕されたからには、逮捕された真の理由があるはずだ、との先入観をもつ。逮捕理由をさがして、韓国塩運会社に出会ったから、これこそが逮捕の理由だと早合点してしまったのだ。
 上の外交資料は、鄭永昌と劉鉄雲の塩運輸入活動が、密輸とは何の関係もないことを証明している。
 呉振清は、貴重で重要な資料を発掘した。だが、冷静な目で資料を分析することができなかった。
 彼は、劉鉄雲の無罪を証明する資料を目にしながら、最後までそのことに気づかなったのである。劉鉄雲は有罪だ、とする先入観があったからに違いない。

【注】
1)沢本香子「劉鉄雲は冤罪である――逮捕の謎を解く」『清末小説』第24号2001.12.1
2)汪叔子「近代史上一大疑獄――劉鶚被捕流放案試析」『明清小説研究』2000年第4期(発行月日不記)