編集ノート


★「何をすんねン」知人の言葉である。出せば赤字に決まっている刊行物を、新しく、性懲りもなく出版することにたいして、経済的危惧を察知し、思わず口にしたというところだろう。おっしゃるとおりです。しかし、そうでもない
★「清末小説研究資料叢書」の刊行を開始した。第1集は、『日本清末小説研究文献目録』である。1901年から2001年までの100年間に、日本で発表された研究論文を1460点収録する。第2集は、『搨濠ッ場現形記』だ。失われた環ともいうべき世界繁華報館の搨獄{を、部分だが(部分しか入手できなかった)、影印した。中国での所蔵を聞かない。それくらい珍しいものだ。影印刊行は、資料を保存する意味でもある。第3集は、『樽本照雄著作目録1』という。樽本が約30年間に発表した文章の総目録だ。これには以前刊行した『清末小説きまぐれ通信』を復刻収録している
★ずっと前のこと、魏紹昌氏が私に問われたことがある。「『清末小説』を刊行するのは、赤字ではないか」「当然です」と答えるほかしかたなかった。事実だからだ。専門研究誌、ことに清末小説関係の雑誌を継続発行することの経済的困難について、中国でよくご存知だからこその魏紹昌氏の質問だ。その魏紹昌氏は、今は、ない
★年刊『清末小説』、季刊『清末小説から』だけでも経済的に収支はあっていない。『新編清末民初小説目録』は別として(出版助成があった)、加えて『清末民初小説年表』と『初期商務印書館研究』を出版した。さらに今度の「清末小説研究資料叢書」シリーズだ。経済の法則をまったく無視しているといわざるをえない。資金の回収を計算に入れず、出せばだすだけ赤字が増えるのだ。もし、中国だったら、このような赤字事業に対して実施の許可がおりるわけがない。許可を出す経営者がいるとすれば、それは経営者として失格の烙印を押されるのが関の山だ
★だから日本で私という個人が手掛けている。私に言わせれば、経済の法則ですべての物事が動くと考えるほうが間違っている。赤字であろうと、研究に必要であれば、行なわなくてはならない種類の事業がある。清末小説に関する研究出版活動は、まさにそれに属する
★「清末小説研究資料叢書」は、今後とも必要に応じて刊行する予定だ。印刷部数は、少なく設定している。今までの経験からいって、再版ということにはならないと考える。清末小説研究会の刊行物は、いずれも研究には不可欠ではあっても、一般読者が必要とするものではないからだ。機会を失うと、入手できなく恐れがある。おはやめにご注文ください
★『新編増補清末民初小説目録』(済南・斉魯書社2002.4)が出版された。郭延礼氏が、清末民初小説目録を中国で出版することの意義を強調されて、私と出版社の橋渡しをしてくださった。これも経済の法則とは無関係の出版だ。300部という印刷部数の少なさをみれば、理解できよう。2001年は、私にすこし時間の余裕があった。集中的に仕事をしたから、従来から蓄積していたデータを、比較的短期間に整理し、増補することができた。原稿を作成して、それをもとにあらためて中国で入力することも考えたことはある。しかし、いくら優秀な中国の技術者でも、1千ページの原稿を誤植なしで入力することは不可能だろう。さらに校正にかかる時間を考慮すれば、この種の工具書の出版は、ますますむつかしくなる。考えた結果、本文の版下は、私が作成して出版社に提供することにした。ゆえに本文は日本語のままである。序文、使い方、あとがきは、中国語に翻訳する。まさに、文字通りの日中共同作業である。せいぜいご利用ください。小説目録については、今まで、多くの研究者がご教示くださった。あらためてお礼を申し上げる。今後とも、増補訂正作業を継続していく
★本誌前号で触れたアラビアン・ナイトについては、『清末小説から』で論文を連載している。予想した通り、英語原本の特定には手こずる。先行論文が存在しない理由を再確認することになった。商務印書館発行の『天方夜譚』にレイン版のように書いてある。そのつもりで漢訳を英文原作と対照してみると、一致しない。レイン版には存在しない作品が漢訳には収録されている。おかしいじゃないの。というようなわけで、インターネットを活用し、タウンゼンド版をアメリカとイギリスから各1種類、レイン版を東京の書店で購入した。サグデン版を東北大学の漱石文庫から複写を取り寄せたり、手間がかかる。その過程が楽しいといえば