周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語1
――英文原作探索篇
樽 本 照 雄
周作人が英語を学習したのは、南京の江南水師学堂に入学してからのことだった。教科書は、インドの学生用に編集した読本を使用したという。当時の学生は、この教科書によって英語を学ぶことが多かった。
彼が、南京での学生時代にいくつかの外国作品を英語にもとづいて漢訳しているのは、周知の事実だ。英語の学習を兼ねていたと思われる。
それらのなかのひとつが、『アラビアン・ナイト』から選んだ「アリ・ババと40人の盗賊」(以下、「アリ・ババ物語」と称する)だった。
「侠女奴」と題して『女子世界』第8-12期(甲辰七月初一日(1904.8.11)-刊年不記))に連載する。萍雲女士という筆名を使った。のちに同名で単行本となり、小説林社(光緒乙巳(1905)初版未見/丙午(1906年)三月再版)より刊行されてもいる*1。
ポー、ドイルの作品にまじって「アリ・ババ物語」があるところに、奇妙な印象を受ける。
ポー作品の漢訳『玉虫縁』は暗号解読だし、ドイルの「荒磯」は男女の恋愛物語だ。それに加えて「アリ・ババ物語」だから、作品選択に一貫性がないという意味だ。
ただ、英語学習が目的であったというのであれば、話はちがう。たまたま入手した英文原本のなかから作品を適当に選んだということになる。また、女奴隷が活躍する箇所に注目すれば、『女子世界』という雑誌に連載された理由も理解できないことはない*2。
『アラビアン・ナイト』のなかの「アリ・ババ物語」で、間違いはないように見える。
『女子世界』第8-12期(甲辰七月初一日(1904.8.11)
もとの作品をいうだけならば、それほどの問題は発生しない。
だが、周作人が行なった漢訳を検討するのであれば、手続きが必要となる。まず、英文原本を特定しなければならない。そのとたんに、壁にぶつかる。簡単そうに思えて、やってみればそうではない。
周作人がよった英文原本は、どれなのか。
『アラビアン・ナイト』の英訳本といっても多種多様なものが発行されている。ひとつしかない、というわけではない。物語の大筋は一致していても、英訳者が異なれば文章もおのずから違ってくる。多数の中から周作人が使用したひとつの英文原作を探し出すのは、手間とヒマがかかりそうなのだ。
1 英文原本の探求1
周作人は、もとづいた英文『アラビアン・ナイト』について証言を残している。しかも、数回の証言内容には、ほとんどゆれがない。前後矛盾するところがなく、発言に自信をもっていることがわかる。
ニュウンズ Newnes 社の英文挿絵本だった、と断言している。これほど確実なことはない。
だから、研究者も周作人の言葉のままを引き写してすませている。本人が確信をこめてそう書いているのだから、疑いようがないと誰でもが考える。周作人の発言について、今まで疑問を提出した研究者はいない。
張菊香、張鉄栄『周作人年譜(1885-1967)』(天津人民出版社2000.4。57頁)は、周作人の回想録から引用して記述する。周作人が底本にしたと主張するニュウンズ社の版本を原物で確認しようという発想そのものが、彼らには存在しない*3。確認の必要を感じさせなかったほど、周作人の記述には迷いがないということだ。
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)は、翻訳文学の本格的な概論であり研究にさいしての基礎文献だといってもいい。周作人の漢訳「アリ・ババ物語」の内容にまでふみこんで解説をしているのは、さすがに詳細な著作だけのことはある。だが、残念ながら、英文原作までは手が回らなかったようだ。言及がない。
王友貴『翻訳家周作人』(成都・四川人民出版社2001.6)には、『天方夜譚』の名前は出てくるが、それだけのこと。「アリ・ババ物語」の英文原作については興味がないとわかる。銭理群『周作人伝』(北京十月文藝出版社1990.9)、劉全福「魯迅(1881-1936)和周作人(1885-1967)」(郭著章等編著『翻訳名家研究』漢口・湖北教育出版社1999.7)も同様だ。
周作人について書かれた中国の主要な著作は、いずれも漢訳「アリ・ババ物語」の英文原作には手つかずの状態であるといわざるをえない。
1-1 周作人の証言
くりかえしになろうとも、まず、周作人が残した複数の証言から、英文原本についての関係部分をとりだして、再度、確認しておきたい。
○その1
周作人は、「学校生活的一葉」(『雨天的書』香港・実用書局1967.11影印。據1933北新書局本)において、当時の情況を回想して「アリ・ババ物語」に言及する。
日本から入手した『天方夜談ママ』であること、ロンドンのニュウンズ社(紐恩士公司)の3シリング半(6ペンス)の挿絵本であること、アラジンが魔法のランプを持っている図とアリ・ババの女奴隷が短刀をもって踊っている図を覚えていることをいう*4。
日本から入手したというのであれば、兄周樹人(魯迅)が送ってくれた書物だろうと推測できる。
魯迅は、留学先の東京で購入した書籍を南京にいる周作人にあてて郵送した。あるいは、知人に託して届けた。日本で発行された『新小説』『浙江潮』『清議報』などの雑誌、加えていくつかの単行本である。それらのなかに英語学習書もまじっていた。ポー、ドイルなどの作品は、いずれも日本人用に出版された英語学習書、すなわち山縣五十雄訳註『英文学研究』シリーズに収録されている。周作人は、それにもとづいて漢訳した。
『アラビアン・ナイト』も同様の入手経路であっただろう。
周作人の書き方からすれば、英文原本は1冊本だった。
『天方夜談ママ(譚)』と書いているのは、中国では『アラビアン・ナイト』を翻訳して一般にこう称しているからだ。商務印書館が刊行した奚若訳『天方夜譚』4冊が、当時から有名だった。周作人の漢訳に先行して1903年より『繍像小説』誌上に連載されているのが知られる。
周作人の証言を続けよう。
○その2
周遐寿(作人)「二三天方夜談ママ」(附録二学堂生活『魯迅小説裏的人物』上海出版公司1954.4)では、彼がよった英文原本の版本以外について触れている。
学生のころ『アラビアン・ナイト』に出会ってよかったという意味のことをのべる。所有していた該本は失い、現代叢書本を友人にたのんで上海で購入してもらったこと、それがバートン Richard F.Burton 版によっていること、落丁があること、別に奚若の漢訳4冊があること、それらはレイン Edward William Lane 版によっている選集本だろう、などと書く*5。
奚若漢訳本は、実は、レイン版を底本にしているのではない。だが、該書の「序」にレイン版だと書いてある。その間違った記述を周作人は信じただけだ。
さて、つぎは周作人最後の証言である。
○その3
周作人『知堂回想録』(香港・聽涛出版社1970.7)では3ヵ所に言及がある。
偶然に入手した1冊本であること、ロンドン・ニュウンズ社の3シリング6ペンス挿絵本であること、子供用の贈呈本だから装訂が美しいこと、アラジンが魔法のランプを持っている図とアリ・ババの女奴隷が短刀をもって踊っている図を覚えていることをいう。以上は、『雨天的書』での記述をくりかえしたにすぎない。
古文で漢訳し、多くの誤訳と省略がある、とふたたびのべる。
さらに詳しくなっている箇所があるのが注目される。つまり、書き換えをふたつしたという。ひとつは、アリ・ババの死後、兄のカシムがアリ・ババの寡婦を娶るのは礼教に合わないから削除したこと。もうひとつは、女奴隷について、カシムが息子の嫁に迎えるところを「行方不明」に書き換えた*6。
以前は、日本から入手した、と周作人は書いていた。ところが、ここでは「偶然」入手したと書き換えている。「アリ・ババ物語」の細部にわたる周作人の説明は、とても明晰であるようにみうけられる。にもかかわらず日本を削除する。日本を無視した理由を知らない。
興味深いのは、周作人が自らの判断によって書き換えた箇所があることだ。大きな問題だから、あとで論じる。
読者は周作人が行なった上の説明を見て、奇妙に感じられるに違いない。
アリ・ババの死後、と周作人はいっている。だが、死ぬのは兄のカシムの方である。周作人は、あまりにも昔のことだから、記憶違いをしたものか。周作人の回想に勘違いが混入しているとなると、やっかいなことだ。
さて、英文原作が贈呈用で装訂が美しいことをいう。ニュウンズ社の3シリング6ペンス本であったとくりかえし、ごく普通のレイン版であろうとつけくわえる。リチャード・バートンの完全な訳注本など夢想だにしなかったともいう。
周作人は、英文原作についてニュウンズ社のレイン版であると説明しているのが理解できる。
ところが、レイン版には、もともと「アラジンと魔法のランプ」も「アリ・ババ物語」も収録されてはいない。両篇ともに、知らない人はいないくらいの、『アラビアン・ナイト』を代表するといってもいい有名な物語ではある。しかし、出所不明だというので、レインは自分の翻訳に採用しなかった。
ゆえに、周作人が底本とした英文原本は、レイン版ではありえない。「アリ・ババ物語」を収録するレイン選集版はあるが、その発行は周作人が漢訳をした後である。
英文原本の版本系統について、周作人の知識はそれほど深いものではなかったことがわかる。奚若の漢訳がレイン版によっているのであれば(これが間違いなのだが)、自分の読んだニュウンズ社版もレインの英訳本ではないか、と単純に推測したのではなかろうか。
「アラジンと魔法のランプ」ではなく「アリ・ババ物語」のほうを選んで漢訳した理由ものべている。挿絵のアラジンが「支那人ママ」(周作人自身がこう書いている)で辮髪をたらしているのがイヤで、それを翻訳する気をうしなったという*7。
1-2 ニュウンズ社版
以上を見れば、周作人が漢訳するにさいして底本とした英文原本がはっきりする。
箇条書きにしてみよう。([ ]内は樽本の推測。周作人の原文も一部引用する)
1.日本から入手したもの。[兄魯迅が留学先の東京で購入したのを周作人あてに送ったのだろう]
2.ロンドン・ニュウンズ社発行の1冊本。価格は3シリング半。(倫敦紐恩士公司発行三先令半的)
3.挿絵本である。アラジンが魔法のランプを持っている、アリ・ババの女奴隷が短刀を持って踊る。(挿画本、其中有亜拉廷拿着神灯、和亜利巴巴的女奴拿了短刀跳舞的図)
4.原書の発行は、周作人が翻訳に着手した1904年以前になる。[英国・ロンドンから日本・東京へ、さらに中国・南京にもたらされた]
ロンドンのニュウンズ社だと確かに書いてある。
ジョージ・ニュウンズ George Newnes 社といえば、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ物語を掲載した『ストランド・マガジン』の発行元として有名だ。有名出版社の刊行物だから『アラビアン・ナイト』の原本をつきとめるのは、比較的簡単ではなかろうか、と私は気軽に考えた。
だが、実際にさがしはじめると、意外に手間取ることになる。
ニュウンズ社版には、一応たどりついた。最初は、ロンドンの英国図書館で閲覧したのだ*8。
「一応」と書くのは、原本であるはずなのに、周作人の使用した版本だと確認することができなかったからである。あらたな問題が、発生する。
私が見ているのは、ニュウンズ社が刊行した“The Arabian Nights Entertainment”1899の挿絵本1冊だ。
英訳者の名前は記されていない。一方で、画家たちの名前は明記されており、ロビンソン W.Heath Robinson、ストラットン Helen Stratton、マコーミック A.D.McCormick、デイビス A.L.Davis、ノーバリ A.E.Norbury だ。訳者名を出さず画家のみというところからも、挿絵を売り物にした書籍であることがわかる。全部で51話を収録する。
A4判のタテを約3cm縮めた大きさ(27×21cm)で、小型本ということはできない。大型といっていい。472頁もある。上質紙を使用しているからずっしりと重い。表紙にはなんの装飾もほどこされておらず、周作人が説明しているような子供への贈呈本には見えない。贈呈本といえば、普通、表紙には赤色、緑色などを使い、人物、動物、妖精などの絵をあしらっていることが多い。このニュウンズ社版は、表紙には絵を配置しておらず、かなり地味な装訂であるといえる(異装本については後述)。
表紙が地味なぶんといおうか、挿絵は豊富だ。挿絵を特徴とするだけあって、この「アリ・ババ物語」だけでも17枚もの白黒絵図が飾られている。しかし、普通の贈呈本に見られるような、彩色挿絵は、ない。
私が手に取っているのは、周作人が何度も断言しているニュウンズ社版そのものである。間違いはない。
まず、「アリ・ババ物語」の部分を開き、1ページずつめくりながら踊る女奴隷の挿絵をさがす。
だが、なんど見ても、捜しあてることができない。周作人がくりかえし証言している「アリ・ババの女奴隷が短刀を持って踊る」絵が、ない。奇妙なことだといわなければならないだろう。
女奴隷の名前は、モルギアナという。彼女が短刀をにぎって舞う場面は、見せ場にちがいない。画家にとっては、腕の振るい場所ではないのか。
ダルジール Dalziel 兄弟が描くところの2種類のモルギアナは、説明通りの様子を出現させている。スコット版では、上半身をあらわにしたモルギアナが、踊りに乗じて盗賊の首領を刺し殺した直後の場面をかかげている。レイン選集版も盗賊を前にして女奴隷が踊りのポーズをとっている挿絵をそえる。
だが、ニュウンズ社版では、モルギアナがカメに油を注いでいる図を示して、踊らない。動きが少ないから静的な印象を与える挿絵である。ここで、まず、私は首をかしげる。
一方の、周作人がいうところの、アラジンが魔法のランプを持っている挿絵はどうか。すわったアラジンの腰にランプがぶら下がっている絵をかろうじて認めることはできる。だが、手にしているわけではない。こちらも周作人の証言とは異なる。私は、ふたたび首をかしげる。
ニュウンズ社版には、周作人があれほど鮮明に記憶している挿絵と同じものが存在しない。
気をとりなおして、どういうことかと考える。
挿絵は、いかようにも変更できる。同じニュウンズ社版で、挿絵を差し換えて刊行するものがあるかもしれない。本文に組み込まれた挿絵は動かないにしても、差し込みにすればどんな絵でも飾ることができる。
私が英国図書館で見ている版本には、周作人がいうような挿絵がない。だからといって、漢訳の底本がニュウンズ社版でないとは限らない。挿絵だけなら、私の見
タウンゼンド版
スコット版
レイン選集版
ニュウンズ社版
ニュウンズ社版
た版本ではない別のニュウンズ社版に周作人が拠っている可能性があることを否定できないではないか。周作人の証言をあくまでも信頼すれば、そうとしか考えられない。
調べてみれば、ニュウンズ社の別版は、たしかに存在する。
インターネットの古本目録で、緑色の表紙を持つ版本を、まさに表紙だけだが見たことがある。漁夫が赤いカメの前にひざまづき、カメから白い煙が出ている。英国図書館所蔵のニュウンズ社版の表紙には、絵がない。ゆえに、別版ではないのか。だが、インターネットでは表紙だけがあって、内容を確かめようがない。
念のためと思ってさがした結果、3冊のニュウンズ社版を入手することができた。
だが、この3冊を手に取って見ると、装訂が異なっているだけで、本文と挿絵はまったく同じなのだ。差し込みの絵も、ない。別版ではなく、異装本とでも称するほうがいい。
1種は、発行年も同一の1899年発行だ。黄緑色の表紙を持つ大型本である。目録で注文したから、届いてみて3冊のうちの2冊が同じ版本であることがわかった。三方金で、豪華版だ。漁夫が土色のカメの前にひざまづいた絵柄は、インターネットで見たものと異ならない。ただ、電脳では、もうすこし緑色が鮮やかだった印象がある。色合いの違いはディスプレイで光を背後から受けているのが原因かと考えた。
本文、絵柄ともに英国図書館所蔵本と同一ではあるが、装訂が豪華という点が違う。それだけのこと。
もう1種は、これも本文、挿絵ともに前者2冊と同じだ。表紙の絵柄も寸分も違わないのだが、地の色が青色で、カメが土色ではなく、深い赤色に近い。
内容が同一で表紙の装訂だけが違うから、異装本である。
以上をまとめてどうなるかといえば、私が確認したかぎり(といってもわずかに4冊だが)、ニュウンズ社の挿絵本は、本文と挿絵についていうと1種類しか出ていないという結論が得られる。しかも、それは周作人が説明する英文原本ではないのだ。
底本特定のためのより確実な根拠を求めるとなると、英文と漢訳の本文を比較対照する以外に方法はない。挿絵問題には、すこしの間、触れないでおく。
1-3 ニュウンズ社版との比較対照
ニュウンズ社版1899
周作人の漢訳冒頭を先におき、ひきつづいてニュウンズ社版の英文“The Story of Ali Baba and the Forty Robbers.”をかかげる。
【周作人】前十世紀之時。波斯某街有兄弟二人。一名慨星 Cassim。一名埃梨?伯 Alibaqaママ。其父在時。家僅小康。死後平分以給二人。其所得産業各相等。析居而處。尚可拮据以度日。及後景遇不同。而二人生計上之状態。遂亦各異。慨星娶一少婦。当未婚之前。為一富賈之継女。承襲其産。有土地上之不動産甚多。且有倉庫一所。満貯商品。其値不貲。及帰慨。携之与倶。慨星以妻之花蔭。一洗昔日窮愁之景況。突然一躍。而為富家児。財名甲於一鎭。(10世紀以前のころ、ペルシアのある町にふたりの兄弟がおり、ひとりはカシムといい、ひとりはアリ・ババといいました。父親が生きていた時、家の暮らし向きはまずまずでした。死後、財産はふたりに平等に分けて、それぞれが得たものは同じだったのです。わかれて暮らし、貧乏ながら日を過ごしておりましたが、その後のめぐりあわせは同じではありません。ふたりの生計の状態は、それぞれ違ってしまったのです。カシムは若い婦人を娶ったのですが、彼女は結婚するまえはある裕福な商人の義理の娘でしたので、その財産を受け継いだのです。土地などの不動産はとても多く、しかも倉庫をもっており、商品で満ちあふれておりました。その値は計算することができないほどで、それがカシムのものになりました。それらを手に入れ、カシムは妻のおかげで昔の窮乏情況からぬけだし、突然、裕福になり、町一番の金持ちになったのです)1頁
【ニュウンズ社】IN a town in Persia, there lived two brothers, one named Cassim, the other Ali Baba. Their father left them scarcely anything; but Cassim married a wealthy wife and prospered in life, becoming a famous merchant.(ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババといいました。父親は、彼らにほとんどなにも残しませんでしたが、カシムは裕福な妻と結婚し人生に成功して有名な商人になったのです)203頁
周作人訳の「Alibaqa」は、Ali Baba の誤植であることはすぐにわかる*9。
英文と漢訳の本文をならべると、英文原本を捜し当てたはずの喜びが、一瞬にして落胆にかわる。周作人が説明する絵図が存在しないことにより生じた疑惑が、確信になってかたまる。
周作人の漢訳は、英文よりもはるかに詳しい。訳者が、原作に加筆して翻訳するということはやってできないことではない。だが、上のように内容を大幅に増量する必要は、基本的に、ない。こう考えるのが普通だ。単純に、周作人のよった英文原本はニュウンズ社版ではない、との結論になる。
くりかえして揺るがない周作人の証言であった。誰もがそう思った。それにもかかわらず、挿絵はおろか肝心の本文がニュウンズ社版ではない。原本探索をはじめからやり直さなくてはならないことを意味する。
2 英文原本の探求2――その方法
底本を特定することが、研究上避けることのできない手順のひとつである理由は、いうまでもない。よった底本が確定できなければ、周作人の手になる漢訳の水準を評価することができないからだ。当然すぎて説明するのも恥かしい。
彼が英文原作を漢訳するさい、どのような翻訳姿勢をとったのだろうか。原文に忠実に翻訳しようとしたのか。どの部分を削除し、どう加筆し、なにを誤訳したか。彼自身の証言があるにしても、それを原物で確認をする必要がある。英文原作を手元におかなければ、検討作業をはじめることができない。
その当たり前のことが、今までできていなかった。ゆえに、周作人の漢訳「アリ・ババ物語」を検討する研究者がいなかったと理解できる。
では、周作人漢訳「アリ・ババ物語」の底本をさがすことが、なぜむつかしいのか。
ひとつは、すでに見てきた。周作人自身がいっているニュウンズ社版そのものをさがそうという研究者がいなかった。確認ぬきだから、底本問題が存在することすら認識できていなかったということだ。
ところが、ニュウンズ社版を捜し当てて、はじめてこれが周作人漢訳の底本ではないことが判明する。ニュウンズ社版を手に取らなければ、これが該当するものではないとわからないのだから面倒なのだ。
いままで誰も疑うことのなかった、いわば定説が、英文原作の原本を前にして、いとも簡単に崩れさったのである。
こうして底本探求が、ふりだしにもどった。
『アラビアン・ナイト』が欧州に紹介されたのは、ガラン Antoine Galland のフランス語訳(1704-17)が最初だった。このガラン版をもとに、英語に重訳した作品群が生まれたのも自然の流れだろう。もとの好色部分を削除し書き換えた青少年版と称する翻訳も、数多く作られた。無署名の英訳書は、それを称して「三文文士版」とか、文士が多く住んでいた通りにちなんで「グラブ・ストリート版」とかいうのだそうだ。「グラブ・ストリート版」はべつにして、「三文文士版」とはいかにも見下した呼称である。
漢訳の底本問題が解決困難に見えるのは、『アラビアン・ナイト』の英語翻訳本が多数あるからだ。知っている人は、しっている。まるで密林に迷いこんだように感じるはずだ。
私は、いやおうなく、てさぐりで周作人の漢訳のもとになった英訳原本を追求することになった。
多種多彩に刊行された英語翻訳だから、追求するにしてもなんらかの方針をたてる必要がある。
周作人がよった英文原作を絞りこむにために、私は、ふたつの段階をふむことにした。
ひとつは、諸版のなかから英文翻訳者を特定する。つぎに、その翻訳者のどの刊本であるかを追求することにする。
2-1 諸版の比較対照
周作人が底本とした英訳を特定するために、英文翻訳の情況を考慮にいれて、翻訳の流れをおおまかに把握することにする。
対象を追求するには、筋道をあらかじめたてる必要がある。以下のような見当をつけた。
まず、ガラン版をどう考えるか。周作人がよったのは、英語版である。ゆえに、フランス語のガラン版が、探索の対象から自然にはずれる。
さらに、レイン版とバートン版も追求の対象外となる。
なぜなら、レイン版は、もともと「アリ・ババ物語」を収録していない。
もっとも、元版3冊本から作品を選択し、しかも元来はなかったアラジンとアリ・ババの2作品を追加収録した選集本1冊が、確かにある。EDWARD WILLIAM LANE, revised by STANLEY LANE-POOLE“STORIES FROM THE THOUSAND AND ONE NIGHTS(THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS)”P.F.Collier & Son,N.Y.1910 である。1910年という発行年からして、周作人漢訳の底本対象から脱落する。周作人は、1910年以前に漢訳をしているからだ。たとえ周作人が見ることのできる年代に出版された選集本があるとしても、本文を比較対照すれば、選集本の英文は記述が簡略化されており、漢訳とは似てもにつかない。
バートン版の「アリ・ババ物語」は、ガラン版にもとづいて重訳している。ただ、翻訳全体の冊数が多く全16巻だという。周作人が拠った英文原本は1冊本だった。数があわない。ただし、1冊本に編集しなおしたバートン版もあるだろう。しかし、周作人自身がのちに「バートンの完全な訳注本など夢想だにしなかった」と証言している。漢訳の底本がバートン版であれば、そのような書き方をしないだろう。ゆえに、バートン版ではないと判断してもいいのではなかろうか。
こうして、それら以外の英文版本をいくつか手元に集めることになった。
収集した複数の英文原本を披露することは、私が底本探索に失敗ばかりしていることを意味する。『アラビアン・ナイト』の版本について知識が豊富であれば、一直線に目的のものに到達するはずだからだ。英文原本を入手する過程は、私が文字通り試行錯誤をくりかえした証拠でもある。
迷走ぶりを、簡単に紹介しておこう。
本稿であつかう周作人の漢訳「アリ・ババ物語」も研究の視野には、当然、入ってはいた。しかし、それよりも前に奚若訳の『天方夜譚』が存在していた事実をいわなくてはならない。
奚若訳の底本は、ラウトリッジ Routledge 社のレイン版だと明記されている。だから、レイン版が優先したのはあたりまえだった。最初は図書館で閲覧し、後に日本の書店で原本3冊1組みを入手した。本文を検討してみると、レイン版では用をなさないことがわかる。奚若の「序」にレイン版だと書かれているにもかかわらず、そうではない。奇妙なことだと思う。
日本語翻訳にはタウンゼンド Geo.Fyler Townsend 版が使われた、という文章を読んだ。しかも、周作人よりも先に発表された別の漢訳にはこのタウンゼンド版を底本にしたとある。こうして、タウンゼンド版が必要になる。いくつかを集めた。
その一方で、名前があがっていたラウトリッジ社版をさがすと、中身はサグデン版である。こちらも別版を求める。複数を入手しているのは、版によって本文、挿絵が異なっているのではないか、と疑っているからだ。
これらの版本を見ても、結局のところ奚若訳『天方夜譚』の底本問題を解決するには至らない。そこで、さらにさかのぼってフォースター版とスコット版を探索購
レイン版
入することになった。
多種類が存在する英文原本のなかから、数種類の漢訳底本候補をようやくさがしあてた。
刊年の古い順に並べなおせば、次のようになる。いずれもがガラン版を元本としているという。
まず、フォースター Rev.Edward Forster 版(1802)がくる。手元にあるのは、ロンドンのミラー William Miller 社の第3版4冊本、1810年発行だ(書名は、“THE ARABIAN NIGHTS.”。1802年初版の第5巻については後述)。収録している作品を見ると、初版の5冊を第3版では4冊に編成しなおして59話を収録する。
つづいて、ジョナサン・スコット Jonathan Scott 版4冊本(1811)、サグデン Mrs.Sugden 版1冊本([1875])、タウンゼンド版1冊本(1877[1876])、ニュウンズ社版1冊本(1899)である(サグデン版、タウンゼンド版は、刊年をしるしていない場合があり、目録で補う)。
そのほか、アンドリュー・ラング Andrew Lang 編集の新装版とか、重訳者の名前を出さないいくつかの版本もあるが、直接の関係がないのでここでは触れない。
「アリ・ババ物語」の冒頭部分を、諸版本がどのように記述しているか原文をかかげよう。念のために題名も示しておく。ニュウンズ社版は、すでに見たのでくりかえさない。
【フォースター】“[The] History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by one Slave.”
IN a certain town of Persia, sire, situated on the [very] confines of your majesty's dominions, there lived two brothers, one of whom was called Cassim, and the other Ali Baba. Their father, at his death, left them but a [very] moderate fortune, which they divided equally between them. It might therefore be naturally conjectured, that their riches would be the same; chance, however, ordered it otherwise. /Cassim married a woman, who very soon after her nuptials became heiress to a very well furnished shop, a warehouse filled with good merchandise, and some considerable property in land; and he thus found himself on a sudden quite at his ease, and thus became one of the richest merchants in the [whole] town.(ペルシアのある町に、陛下、まさに陛下の領土内に位置しておりましたが、ふたりの兄弟がおり、
タウンゼンド版
タウンゼンド版
サグデン版
サグデン版
フォースター第3版
ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババとよばれていました。彼らの父親は、死ぬとき適度な財産を残し、それらをふたりで平等に分けたのです。したがって当然のことながらふたりの財は同じだろうと思われました。しかし、偶然、別なふうになったのです。/カシムはある婦人と結婚しましたが、彼女は結婚式のすぐあとで、商品のつまった商店、すばらしい在庫品でいっぱいになった倉庫、そしてかなりの土地の所有権の継承者となりました。そういうわけで、彼は、突然に、まったく心配のない自分に気づきましたし、町一番の金持ち商人のひとりになったのです)414頁
[ ]内の単語は、初版に見られるが1849年の新版では削除されている。
英文原作と漢訳などの本文が異なるばあい、底本探索のてがかりとして(異同)と注記して数えることにしたい。
「陛下 sire」というのは、語り手シャーラザッドが相手をしているシャーリヤル王を指している。王様にむかって夜毎に物語る、というのが『アラビアン・ナイト』の基本構造だから、それがフォースター版には色濃く残っているわけだ。
漢訳にはある「前十世紀之時」が英文原本には見えない(異同1)。あるいは、「陛下」とよびかけている箇所が漢訳にはない(異同2)。それ以外は、英文と漢訳は、ほぼ一致するといっていいだろう。財産を平等に分けられた兄弟だから、それからも同じ暮らし向きになるだろうと考えられたが、偶然、別々の方向にむかった、という箇所は、漢訳にあって、英文ではフォースター版にしか存在しない。
スコット版の冒頭部分もかかげる。
【スコット】“The Story of Ali Baba and the Forty Robbers Destroyed by A Slave.”
IN a town in Persia, there lived two brothers, one named Cassim, the other Ali Baba. Their father left them scarcely any thing; but as he had divided his little property equally between them, it should seem their fortune ought to have been equal; but chance determined otherwise. /Cassim married a wife who soon after became heiress to a large sum, and a warehouse full of rich goods; so that he all at once became one of the richest and most considerable merchants, and lived at his ease.(ペルシアの町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババという名前でした。彼らの父親は、彼らにほとんど何も残しませんでしたが、すこしの財産をふたりに平等に分けたのです。/カシムは結婚しましたが、彼女はそのあとすぐに大金と商品でつまった商店の相続人となりました。そういうわけで、彼は、突然に、一番の金持ち、また重要商人のひとりになり、安楽に暮したのです)523頁
ここでは、フォースター版とは異なり、シャーラザッドの姿がすでに消えてしまっている。フォースター版と比較すれば、全体的に、より簡潔な描写に変化していることがわかる。
サグデン版ではどうか。
【サグデン】“The History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by one Slave.”
IN a certain town of Persia, there lived two brothers, one of whom was called Cassim, and the other Ali Baba. Their father, at his death, left them but a very moderate fortune, which they divided between them. /Cassim married a woman who, very soon after her nuptials, became heiress to a well-furnished shop, a warehouse filled with merchandise, and considerable property in land; he thus found himself on a sudden quite at his ease, and became one of the richest merchants in the whole town.(ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババとよばれていました。彼らの父親は、死ぬとき適度な財産を残し、それらをふたりで分けたのです。/カシムは結婚しましたが、彼女は結婚式のすぐあとで、商品のつまった商店、在庫品でいっぱいになった倉庫、そしてかなりの土地の所有権の継承者となりました。そういうわけで、彼は、突然に、まったく心配のない自分に気づきましたし、町一番の金持ち商人のひとりになったのです)404頁
このサグデン版は、フォースター版によく似ている。土地を相続したことをいう箇所は、フォースター版から引き継いだものらしい。
だが、こまかい部分が、フォースター版とはおなじではない。
たとえば、フォースター版には存在する「したがって当然のことながらふたりの財は同じだろうと思われました。しかし、偶然、別なふうになったのです。It might therefore be naturally conjectured, that their riches would be the same; chance, however, ordered it otherwise.」という文章が、このサグデン版には、ない。
ところが、周作人の漢訳には、あるのだ。「析居而處。尚可拮据以度日。及後景遇不同。而二人生計上之状態。遂亦各異。(わかれて暮らし、貧乏ながら日を過ごしておりましたが、その後のめぐりあわせは同じではありません)」
これを見ただけで、漢訳の底本は、サグデン版ではないことがわかる。
タウンゼンド版はどうなっているか。
【タウンゼンド】“The History of Ali Baba, and of the Forty Robbers, Killed by one Slave.”
There once lived in a town of Persia two brothers, one named Cassim, and the other Ali Baba. Their father divided a small inheritance equally between them. Cassim married a very rich wife, and became a wealthy merchant. (昔、ペルシアのある町に、ふたりの兄弟がおり、ひとりはカシム、べつのひとりはアリ・ババという名前でした。父親は、すこしの財産を彼らに均等にわけました。カシムはとても金持ちの妻と結婚し、裕福な商人になったのです)298頁
情況説明がはぶかれており、ほとんど物語の骨格だけになっている。時間が経過するにしたがって、のちの版本では記述が簡略化されたということだ。
簡略化の理由は、簡単である。ガラン版を元本にして英訳が生まれたのであれば、記述を簡単にする方向に進むしかない。その逆に、加筆をくりかえして元本よりも詳しくなる、ということは普通ありえないからだ。元本を忠実に英訳して、同程度の密度を保つことができれば、まだいいほうだろう。
以上、各版本の本文冒頭を比較検討した結果からいえば、周作人が底本としたのは、フォースター版である可能性が高い。
ただし、本文の冒頭部分を見て得られた推測だ。部分にすぎないから、それでもってフォースター版だと断定するのは早すぎる。
残念なことに、私の見ているフォースター版は、第3版4冊小型本(日本の新書版をふたまわり小さくした大きさに近い)であって、しかも、挿絵が1枚もない。初版5冊本には24枚の挿絵がつけられているという。
のちに求めて初版5冊本の第5巻(1802)だけを手に入れた。表紙が取れた破損本だが、ちょうど「アリ・ババ物語」が収録されている。関係のある挿絵は、銅版画で1枚だけだ。スマーク R.Smirke による絵柄は、アリ・ババが盗賊の洞窟から盗みだした金貨を妻の前の床にばらまいでいる。派手さがなく、地味だといってもいい。しかも、女奴隷が短刀を手にして踊る場面は、ない。
冊数からいえば、周作人が拠ったのは1冊本であった。仮にフォースター版だとしても、私の見ているこの初版第5巻、あるいは第3版4冊本ではない。
フォースター初版挿絵
考えられるのは、フォースター版には、判型の大きさが異なる1冊本で別の挿絵を加えた異なる版があることだ。
実際に、それらが存在する。名前だけをあげれば、ロンドンのトマス Joseph Thomas 社1冊本(1839)だ。ただし、こちらは初版5冊本とおなじスマークの挿絵を収録しているというから、別の挿絵ということになはならないか。あるいは、ウイロゥビー Willoughby & Co. 社1冊本(1852-54)である。
出版社の名前をあげることはあげたが、それらが手に入るかどうかはわからない。日本でいえば、江戸時代の書籍だ。
こうして、つぎの段階にすすむことになる。すなわち、いくつか刊行されたフォースター版のなかから、周作人の底本を探索することにしたい。
2-2 フォースター版の特定
上に示した初版第5巻、第3版4冊小型本以外に、以下のものを入手した。周作人の漢訳とは直接関係のない英文原作も含まれている。私が試行錯誤をかさねている証拠である。
1冊本といっても2種類がある。判型をすこし大きくして全作品を収録するもの。もうひとつは、判型を小さくして、先行版からいくつかの物語を選びだした編集本だ。区別するために、後者を選集本とよぶことにする。
出版順にならべると以下のようになる。
@中型挿絵本 1849年 63話収録(実質59話) 出版地:ロンドン
A中型挿絵本 刊年不記(1850?)63話収録(実質59話) 出版地:ニューヨーク
B小型選集挿絵本 2種類 刊年不記(1910?)10話収録 出版地:ニューヨーク
@は、細長(24×15cm)の判型で本文は2段組みとなっている。だから、活字はかなり小さい。
ロンドンのヘンリー・ウォッシュボーン HENRY WASHBOURNE 社1849年版である。
扉に見える表示は、つぎのとおり。
THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS. TRANSLATED BY THE REVEREND EDWARD FORSTER. New Edition, CAREFULLY REVISED AND
フォースター版1849
フォースター版1849
CORRECTED. WITH AN EXPLANATORY AND HISTORICAL INTRODUCTION. BY G.MOIR BUSSEY./LONDON: PRINTED FOR HENRY WASHBOURNE, 18, NEW BRIDGE STREET, BLACKFRIARS. 1849
ブッセイの序は38頁、本文が490頁ある。
扉の前に置かれた絵図は、レイン版にかかげられた絵図と見間違うばかりに雰囲気がよく似ている。レイン版からそのまま流用したのではないかと3冊本でさがしたが、該当するものはなかった。別系統のオリジナル挿絵らしい。ペンストン I.J.Penstone およびウェイクフィールド J.Wakefield の署名をかろうじて読み取ることができるだけだ。画家と銅版画の彫り師の名前だろう。
新版 New Edition という意味は、前に示した原文冒頭を見てもらえばわかるように、初版とは語句にすこしの異同があり、さらに、スマークの挿絵を一新して別の画家のものにかえたということだろう。新版には、絵柄からして複数の画家が関与していることがわかる。
つぎに紹介する予定にしているAと見た目が異なるのは、こちらは革装となっていて、三方がマーブル模様であるところだ。マーブル模様が日にやけているように見えるのに比較して、皮革が新しく感じられる。装訂だけあとからやり直したものではないかと疑う。
扉、目次、ブッセイの序から本文という順序で排列されている。扉を含めて各ページ全部がケイ線で囲んである。
「63話収録」としたのは、表題がついているのが63話という意味だ。そのなかには「つづき continuation」と題するものが4話含まれているから、それを差し引けば実質59話に変わりはない。
「アリ・ババ物語」も、当然、収録されており2種類の挿絵がついている。しかし、女奴隷が短刀を持って踊る挿絵がない。参考までにつけくわえれば、アラジンが魔法のランプを手に持ち、その眼前に魔神が出現している挿絵はある。
Aは、@とまったく同じ判型である。
ただ、表紙が異なる。赤色の硬い表紙にコウモリの羽根をもつ悪魔が2匹、金箔で押してある。裏表紙は、金箔が黒色インクになる。
扉に見える表示は、出版社の部分を除けば、@と同一だ。出版社の表記は、NEW YORK: JAMES MILLER, PUBLISHER,647 BORADWAY. となっている。扉には発行年の記載はない(書店の目録では発行年は1850年)。扉の前にある絵に1849と
アラジン アリ・ババ
刻みこまれているのが読み取れる。@と同じ絵柄だから、その数字に違いがあるほうがおかしい。
本文は、行数字数ともに@とまったく同じだ。しかし、ケイ線が削除されているところだけが異なる。
ブッセイの序は38頁、本文が489頁ある。本文についていえば、Aのニューヨーク版は@のロンドン版とページ数が一致しない。
@には、最後部分の489頁から490頁にかけて、2段組みで全42行の文章が掲載されている。だから、本文が490頁なのだ。だが、Aのニューヨーク版の490頁は、空白に変化している。
つまり、本文についていうと、Aのニューヨーク版は、@にはある囲みケイと最後の42行を削除したということだ。
本文に削除があるところから、前に紹介した@ロンドン出版のものが先版で、Aは後版だと私は判断する。
挿絵そのものの絵柄、別ページにして挿入している形態は、@Aともに変わらない。
違うのは、その数と配置、および説明文だ。先版だと考える@の挿絵には、下辺に該当するページ数を明示する。しかし、Aでは、挿絵の位置を変更して、内容を文字で説明するのである。
掲載する挿絵の数にも違いがある。@が41種24頁(扉前に配置されている挿絵も数える)あるのに対して、Aでは29種16頁と少なくなっている。
以上@Aのフォースター版について、周作人の漢訳の底本であると考えてもいいだろうか。
まず、@Aともに女奴隷が踊る挿絵がない。さらに、Aはニューヨークの出版である。ふたつの理由で、Aは周作人の漢訳の底本候補からはずれてしまう。
本文は、参考にはなる。しかし、挿絵についていえば、周作人が見たものとは一致しないといわざるをえない。
Bは、2種類ともに日本の文庫本よりもほぼひとまわり大きい(16×11cm、16×11.5cm)。本文は、両者とも全部で142頁ある。
茶色の硬い表紙、一方は青色の硬い表紙という違いはあるが、書名は同じく“SELECT TALES FROM THE ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS”という。訳者名は、THE REV.EDWARD FORSTER と表示がある。
出版社についていえば、1冊は、ニューヨークのリーヴィットとアレン LEAVITT & ALLEN 社、別の1冊は、同じくリーヴィット GEO.A.LEAVITT, PUBLISHER 社である。双方ともに刊年を記していない。書店の目録には1910年と記載されている。
本文は、元本から冒頭の10話、黒島王までを選びだして収録する。
挿絵については、ILLUSTRATED WITH NUMEROUS ENGRAVINGS、すなわち、版画がたくさん、とうたい文句にしている。両者ともに同一版本だから、挿絵も同じだ。ただし、茶色表紙本には、貼り込んだ挿絵がある。青色表紙本には、それらがはがしてあって存在しない、という違いがあるにすぎない。日本の古書でも、貼り込みの挿絵は抜き取られて、売られることがよくある。自然にはがれてなくなる、というものではなかろう。
絵図は、各種版本から適当に抜き出してきているらしく、統一感はない。
ニューヨークでの出版というところで、すでに、漢訳の底本ではないように思われる。周作人は、ロンドンのニュウンズ社を強調していからだ。もっとも、そのニュウンズ社版が違うことが判明しているのだが。
決定的なのは、この選集小型本は、「アリ・ババ物語」を収録していないことだ。どのみち、周作人が見た版本では、ない。
周作人漢訳の底本は、本文はフォースター版だという推測が重みをましている。しかし、彼の証言している挿絵をもつ版本を見いだすことができない。まだ、断定をするのは早計だ。
2-3 フォースター「系」の版本
周作人の挿絵についての記憶証言があくまでも正しい、という前提であるならば、もうひとつの選択肢を考えてもいいかもしれない。
すなわち、周作人漢訳の底本が、フォースター版そのものではないかもしれないということだ。
周作人の漢訳は、本文はフォースター版によっているのは、明らかだろう。断言は、まだしないが、ほとんどそうだという気持ちになっている。いくつかの版本を比較対照しての考えだ。しかし、私が悩むのは、周作人がいっているような挿絵がフォースター版にはないという点なのだ。
ならば、フォースター版にもとづいて書かれた別版ではないかと考えてみる。
ガラン版から多種類の英訳本が生まれている。枝葉から、さらに枝葉が生じても不思議ではない。いわゆる「三文文士版」のことを念頭においている。無署名版だと私は理解する。ガラン版と同じく、フォースター版をもとにして重訳、改訳された別版、つまりフォースター「系」の版本が出てきても驚くにはあたらない。事実、そういう版本が存在する。無署名ではないが、すでに紹介してきたサグデン版など、フォースター版に似ている。
サグデン版がフォースター系だとしても、これが周作人の漢訳の底本になっているわけではない。
ここにつけくわえたい2種類の版本がある。
ひとつは、ニモ William P.Nimmo 社(1865初版未見。1870)から発行された挿絵本1冊である。
杉田英明氏は、このニモ社版が井上勤訳『全世界一大奇書』の底本であろうという指摘されている*10。
その根拠は、本文の一致が主たるものであり、挿絵の一部も共通しているからである。
そもそも、柳田泉によってその底本はタウンゼンド版であるといわれてきた。杉田氏によって柳田の間違いが訂正されたことになる。
「井上訳五三〇頁に「亜婆西(ルビ:アバツス)家第七の王波剌温亜良志土(ハラヲンアラシド)」とあるが、実際にはハールーンは第五代カリフであり、この誤記はガラン仏訳にもスコット版にもない、この英訳書(p.78)独自の特徴である」*11
原文を示せば次のようになる。「私は、アッバス家の第7代カリフ、ハルゥン・アルラシッドである。I am Haroun Alraschid, the seventh caliph of the house of Abbas」(異同3。フォースター版@の59頁。ニモ社版78頁。サグデン版119頁)
ニモ社版にあるこの誤記こそ、さかのぼればフォースター版に見られることを指摘しておきたい。
ニモ社版には、訳者名は掲載されていない。ガラン版、スコット版に見えない上の誤記を共有している。発行年の違いを見れば、後発のニモ社版は、いわばフォースター系の英訳本といってもいいだろう。前述のようにサグデン版もこの系列につらなる1種だ。
Cニモ社版 1870年 出版地:エディンバラ
細長(24×15cm)の判型で緑色の装訂だ。児童むけの贈答用としては、すこし地味な印象を受ける。
本文は2段組みとなっているところは、フォースターそのままだ。
扉には、以下のように表示してある。
THE Arabian Nights' Entertainments. TRANSLATED FROM THE ARABIC. A NEW AND COMPLETE EDITION. With UPWARDS OF A HUNDRED ILLUSTRATIONS ON WOOD DRAWN BY S.J.GROVES. /EDINBURGH:WILLIAM P.NIMMO.1870
本文全540ページをケイ線で囲んでいる。第236夜まで数えて物語名は柱に示す。それ以後は、夜を数えず、物語題名を文中と柱にかかげる。
挿絵は、2種類ある。本文に組み込んだ比較的小さいものが多数と、ページとは無関係に差し込まれた大きいもの3枚(扉前を含む)だ。
周作人の記憶に焼きついているあの挿絵はどうか。アラジンの魔法のランプは、ない。女奴隷が短刀で盗賊の頭を刺し殺している瞬間を描いている。踊っているわけではないが、関連しているといえば、そうだ。
挿絵についていえば、周作人の証言とはことなる。とりあえず、ニモ社版“THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY ROBBERS DESTROYED BY A SLAVE.”も周作人漢訳の底本候補としておこう。
Dダルケン版 刊年不記(目録によると[1864,1865]) 59話収録 出版地:ロンドン
大型(27×19cm)でマーブル模様の装訂だ。背には革を使い重厚な感じがする。
扉には、以下のように表示してある。
DALZIELS' ILLUSTRATED ARABIAN NIGHTS' ENTERTAINMENTS. The Text Revised and Emendanted throughout by H.W.DULCKEN, Ph.D. WITH UPWARDS
OF TWO HUNDRED ILLUSTRATIONS BY EMINENT ARTISTS. ENGRAVED BY THE BROTHERS DALZIEL./LONDON:WARD, LOCK, AND TYLER, 158 FLEET STREET, AND 107 DORSET STREET, SALISBURY SQUARE.
序、目次、挿絵目次とつづき、本文は822ページもある。挿絵は別ページにはせず、本文に組み込んである。1段組の本文を花ケイ線で囲む。本文に引用符を使うのは、シャーラザッドが物語っていることを示すためである。ほかの版本には見ら
ニモ社版
ニモ社版
ダルケン版 扉
ダルケン版 アラジン
ダルケン版 アリ・ババ
れない表記方法だといっていい。
この挿絵本の特徴は、扉でうたっているようにダルジール兄弟の挿絵なのだ。銅版画は、人物を主体として光と影を大胆に配置する。一度見れば脳裏の深い場所に残像となって定着するだろう。
本文は、フォースター版に酷似している。ゆえに、フォースター系とする。こちらには、周作人の証言にぴったりの挿絵がある。辮髪をたらしたアラジンが手にランプを持って穴から出かかっている。アフリカの魔術師がそれに左手を伸ばしている。右手に短剣をつまみ、踊る女奴隷モルギアナがいる。頭髪は舞い上がり、スカートははね、裸足の両足は宙に舞う。躍動感にあふれた挿絵は、読者に強い印象をあたえたに違いない。それでは、このダルケン版“THE HISSTORY OF ALI BABA, AND OF THE FORTY ROBBERS WHO WERE KILLED BY ONE SLAVE.”が周作人漢訳の底本なのか。有力な候補としておこう。
今まで、周作人の証言を尊重し、それに合致するような版本をさがしてきている。
それでは、周作人が挿絵について勘違いをしていたとするならばどうなるか。その可能性を考えるのもムダではなかろう。
周作人の証言のなかのニュウンズ社そのものが、間違っていた。彼の証言を全面的に信用することができないということもできる。事実がそれを証明している。
周作人の挿絵についての証言も、ニュウンズ社と同じく彼の勘違いではないのか。アリ・ババの女奴隷が短刀を握って踊る挿絵は、別の版本のものだった。たとえば、ダルジールの挿絵の印象が周作人の記憶に紛れ込んでしまい、どこから出てきたのかはっきりしないニュウンズ社と結びついて周作人の証言になった、という意味だ。
周作人の勘違いならば、はなしは簡単だ。
結局のところ、本文のみを比較対照することが、底本問題を解決する道につうじる。
周作人の漢訳「アリ・ババ物語」の底本候補としては、フォースター版、あるいはフォースター系の版本が有力である。今の段階では、それ以上、確実なことをいうことができない。フォースター版そのものであると断言するには、証拠がそろわない。
多種類が底本候補として存在している。そのなかのフォースター版およびそのほかをとりあえず、漢訳検討の底本として使用することにしたい。英文と漢訳を比較対照することによって、より具体的な材料がでてくるだろう。それから最終的な判断を下すことにしても遅くはない。
★本稿は、大阪経済大学2002、2003年度特別研究費による研究成果の一部である。
【注】
1)萍雲女士(周作人)述文「侠女奴」の『女子世界』連載情況は、以下の通り。
○『女子世界』連載
第8期 甲辰七月朔日(1904.8.11) 1-10頁
第9期 甲辰八月朔日(1904.9.10) 11-20頁
第11期 刊年不記 21-28頁
第12期 刊年不記 29-42頁
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社1998.3。455頁。「……未刊完,1905年由小説林社出版……」とする。『女子世界』の第11、12期の発行年月日が記載されていないから、その連載完結が単行本の前なのかどうかは、確定することができない。
○単行本
萍雲(周作人)訳述、初我(丁祖蔭)潤辞『侠女奴』小説林総発行所 光緒乙巳(1905)初版未見/丙午(1906)年三月再版。47頁(48頁は空白)。私の見ているのは初版ではない。ゆえに初版の発行月を確認することができない。郭著章等著『翻訳名家研究』(武漢・湖北教育出版社1999.7。18頁)は、単行本の発行を1905年6月(6月はたぶん旧暦)とする。
○関連文献
会稽碧羅女士「題侠女奴原本」『女子世界』第12期(刊年不記)。原文は、馬祖毅『中国翻訳史』上巻 (漢口・湖北教育出版社1999.9。720-722頁)および張菊香、張鉄栄『周作人年譜(1885-1967)』(天津人民出版社2000.4。57-58頁)にも収録してある。
参考:松岡俊裕「周作人詩話四」信州大学人文学部『人文科学論集』文化コミュニケーション学科編第31号1997.3.25
2)女奴隷を「烈女」ととらえる矢野竜渓『(波斯新説)烈女之名誉』の紹介がある。杉田英明「『アラビアン・ナイト』翻訳事始――明治前期日本への移入とその影響――」(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部『外国語研究紀要』第4号1999)
3)「荒磯」について、同じく張菊香、張鉄栄『周作人年譜(1885-1967)』は、ドイルの『ホームズ全集』のなかの1篇だと書いている(63頁)。誤り。「荒磯」は、ホームズとは何の関係もない。
4)我在印度読本以外所看見的新書、第一種是從日本得来的一本天方夜談。這是倫敦紐恩士公司発行三先令半的挿画本、其中有亜拉廷拿着神灯、和亜利巴巴的女奴拿了短刀跳舞的図、我還約略記得。当時這一本書不但在我是一種驚異、便是?掉了字典在船上供職的老同学見了也以為得未曾有、借去伝観、後来不知落在什麼人手裏、没有法追尋、想来即使不失落也當看破了。但是在這本書消滅之前、我便利用了?、做了我的「初出手」。天方夜談裏的亜利巴巴与四十個強盗是世界上有名的故事、我看了覚得很有趣味、陸続把?訳了出来、――当然是用古文而且帯著許多誤訳与刪節。当時我一個同班的朋友陳君定閲蘇州出版的女子世界、我就把訳文寄到那里去、題上一個「萍雲」的女子名字、不久居然登出、而且後来又印成単行本、書名是侠女奴。48-49頁
5)天方夜談是我在学堂裏看到的唯一的新書,如読本所説我想我該喜歓它的。……天方夜談的時間却是很長,正如普通常説的、従八歳至八十歳的老小孩子大概都不会忘記它,只要読過它的幾篇。在本国這類的東西並不是没有,如西遊記、封神伝,民間伝説……但是比起天方夜談来総還有点不如。……天方夜談原是這一類質料,但従市場上経過了来,由多年説話人的安排与聴衆的取捨,使它更是豊富純熟,要拿以前茶館裏的聊斎演義相比,多少近似,不過它並無蒲留仙那様的原本,所以可以説是真正的民間文学了。我認識了這一本書,覚得在学堂裏混過的幾年也還不算白費,雖然那時的書早已遺失了,前幾年託友人在上海買了一冊現代叢書本,根拠白敦訳文最為可靠,可惜中間一畳十六頁錯訂缺少。中文有奚若訳四冊,大抵係依拠雷恩訳文選本,因為是古文,所以没有細読。323-324頁
6)四一「老師(一)」
……我是偶然得到了一冊英文本的「天方夜譚」,引起了対於外国文的興趣,做了我的無言的老師,仮如没有它,大概是出了学堂,我也把那些洋文書一股脳児的?掉了罷。有些在兵船上的老前輩,照例是没有書了,看見了我的這本「天方夜譚」,也都愛好起来,雖然這一冊書被展転借看而終於遺失了,但這也是還是愉快的事情,因為它能?教給我們好些人読書的趣味。
我的這一冊「天方夜譚」乃是倫敦紐恩士公司発行的三先令六便士的挿画本、原本是贈送小孩的書,所以装訂是華麗,其中有阿拉廷拿着神燈,和阿利巴巴的女奴揮着短刀跳舞的図,我都還約略記得。其中的故事都非常怪異可喜,正如普通常説的,從八歳至八十歳的老小孩子,大概都不會忘記,只要読過它的幾篇。中間篇幅頂長的有水手辛八自講的故事,其大蛇呑人,纏身樹上,把人骨頭絞砕和那海辺的怪老人,騎在頸頂上,両手?着諂子,説得很是怕人,中国最早有了訳本,記得叫作「航海述奇」的便是。我看了不禁覚得「技癢」,便拿了「阿利巴巴和四十個強盗」来做試験,這是世界上有名的故事,我看了覚得很有趣味,陸続把它訳了出来。雖説是訳,当然是古文,而且帯着許多誤訳与刪節。第一是阿利巴巴死後,他的兄弟凱辛娶了他的寡婦,這本是古代伝下来的閃姆族的習慣,却認為不合礼教,所以把它刪除了。其次是那個女奴,本来凱辛将?作為児?,訳文裏却故意的改変得行踪奇異,説是「不知所終」。当時我的一個同班朋友陳作恭君,定閲蘇州出版的「女子世界」,我就将訳文寄到那裏去,題上一個「萍雲」的女子名字,不久居然分期登出,而且後来又印成単行本,書名是「侠女奴」。訳本雖然不成東西,但這乃是我最初的翻訳的嘗試,時為乙巳(一九〇五)年的初頭,是很有意義的事,而這却是由於「天方夜譚」所引起,換句話説,也就是我在学堂裏学了英文的成績,這就很値得紀念的了。106-107頁
7)五一「我的新書(一)」
我們的英語読本「英文初階」的第一課第一句説:「這裏是我的一本新書,我想我将喜歓它。」我的第一本新書,使我喜歓看的,在上辺已経説過,乃是英国紐恩斯(Newnes)公司的送礼用本「天方夜談」,装訂的頗精美,価値却只是三先令六便士。我有了這部書,有事情做了,就安定了下来,有如阿利巴巴聽来的「胡麻開門」的一句咒語,得以進入四十個強盗的宝庫,不再見異思遷了。……
……我弄雑学雖然有種種方面的師傅,但這「天方夜談」総要算是第一個了。我得到它之後,似乎満足一部?的欲望了;対於学堂功課的麻胡,学業的無成就,似乎也没有煩悩,一心只想把那夜談裏有趣的幾篇故事翻訳了出来。那時我所得到的恐怕只是極普通的雷恩的訳本罷了,但也儘?使得我們響往,?裏夢想到理査白敦勳爵的完全訳註本??就是現在我們也只得暫且以美国的現代叢書裏的選本為満足,世間尚有不少篤信天主教的白敦夫人,白敦本就不見得会流行?。這阿利巴巴与四十個強盗是誰也知道的有名的故事,但是有名的不只是阿利巴巴;此外還有那水夫辛八和得着神灯的阿拉廷,可是辛八的旅行述異既有訳本,阿拉廷的故事也着実奇怪可喜,我願意訳它出来,却被一幅画弄壊了。這画裏阿拉廷拿着神灯,神気活現,但是不幸在他的脳突瓜児上?着一根小辮子,故事裏説他是支那人,那麼豈能没有辮子?,況且有了它也很好玩,小時候看那変把戯的人,在開始以前説白道:「在家靠父母。出家靠朋友。」説話未了,只把頭一揺,那条辮髪便像活的蛇一様,已蟠在額上,辮梢頭恰好塞在圏内。這怎能怪得画家,要利用作材料了,但是在当時看了,也怪不得我得発生反感,不願意来翻訳它了。還有一層,阿利巴巴故事的主人公是個女奴,所以訳了送登「女子世界」,後来由「小説林」単行出版,巻頭有説明道;
「有曼綺那者波斯之一女奴也、機警有急智,其主人偶入盗穴為所殺,盗復跡至其家,曼綺那以計悉殲之。其英勇之気頗与中国紅線女侠類,沈沈奴隷海,乃有此奇物,亟従欧文移訳之,以告世之奴骨天成者。」?若是訳出阿拉廷的故事為「神灯記」,当然就不能出這様的風頭了。135-138頁
五二「我的新書(二)」
「侠女奴」単行本是在光緒己ママ[乙]巳,我所有的一冊破書,已是丙午(一九〇六)年三月再板。「玉虫縁」刊在於「侠女奴」之後,初板的年月是乙巳年五月,這是書本的紀録。再査日記,可惜這不完全了,甲辰年只有十二月一個月,乙巳年至三月為止,但在這寥寥一百二十天的記載裏辺,却還有点可以査考,今抄録於後。(後略)138頁
8)樽本照雄「周作人漢訳アリ・ババの原本を求めて」『中国近現代文化研究』第5号 2002.12.25
9)『女子世界』第8期43頁では「Ali Baqa」と表記する。
10)杉田英明「『アラビアン・ナイト』翻訳事始」。10頁
11)杉田英明「『アラビアン・ナイト』翻訳事始」。48頁注30
(たるもと てるお)