周作人漢訳アリ・ババ「侠女奴」物語2完
――漢訳検討篇


樽本照雄


●3 周作人漢訳の検討

 周作人は、『女子世界』に漢訳を連載するとき、冒頭に物語全体の主題を説明する文章をかかげた。当然ながら、英文原作には存在しないものだ。

有曼綺那 Morgiana 者。波斯之一女奴也。機警有急智。其主人偶入盗穴為所殺。盗復跡至其家。曼綺那以計悉殲之。其英勇之気。頗与中国紅線女侠類。沈沈奴隷海。乃有此奇物。亟従欧文移訳之。以告世之奴骨天成者。(モルギアナという者は、ペルシアの女奴隷である。機敏で聡明だった。その主人は、盗賊の洞窟に入りこみ殺されてしまう。盗賊は跡を追ってその家にきたが、モルギアナは計略で皆殺しにした。その勇敢な精神は、中国唐代の女侠紅線に似ている。暗い奴隷の世界に、このような奇特な人物がいる。英文よりあわただしく翻訳し、世の根っからの奴隷根性の者にのべる)43頁/単行本1頁

 周作人が冒頭に書き加えた小文である。「序」ということにする。
 本文があることによって、訳者の周作人は、女奴隷モルギアナに焦点をあわせて「アリ・ババ物語」全体の方向付けを行なったことがわかる。まず、このことを念頭においておきたい。
 周作人の漢訳「アリ・ババ物語」を検討するにあたって、英文原作は、フォースター版を主として使用する。そのほかには、以下の版本も必要に応じて参照しよう。
 スコット版(1811)、†ダルケン版(1864,1865)ダルジール兄弟挿絵本、†ニモ社版(1865)、†サグデン版([1875])、タウンゼンド版(1877[1876])、ニュウンズ社版(1899)である。
 以上のうち、フォースター版をもとにして作成された版本をフォースター系(参考のため†印をつけておく)と私は称する。
 あらためて書いておくが、周作人が漢訳するさいによった英文版本、すなわち底本は、まだ、どの版本かを確定することができていない。フォースター系であろう、というところまではわかった。だが、上に示したもののなかには入っていない。それから先には進んでいない。上記の版本を使うのは応急措置だ。本文を比較対照して検討すれば、のちに述べるように異同が複数でてくる。それが、今後の底本確定の手掛かりとなるだろう。
 いくつかの段落にわけて説明する。原文、あるいは漢訳に章題がつけられているわけではない。私がつけた、あくまでも便宜的なものである。

◎1 人物設定――カシムとアリ・ババ
 周作人の漢訳冒頭にある「10世紀以前のころ(前十世紀之時)」は、英文原作のフォースター版にないことは、すでに触れた。また、語り手シャーラザッドが「陛下 sire」と呼びかける箇所が、漢訳では省略されていることにも言及している(異同4)。
 これは、いくつかある英文と漢訳の文章異同のひとつだ。周作人独自の判断で、つけくわえたり削除したりした可能性も考えられる。と同時に、漢訳の底本が、フォースター版ではないことを示唆しているかもしれない。
 それ以外は、カシムが金持ちの女性と結婚し、町1番の金持ちのひとりとなること、アリ・ババが貧乏な女性を娶って貧乏暮らしをすることなどは、フォースター版に忠実な漢訳となっている。だから、フォースター系の版本ではないかと推測している。
 たとえば、ダルケン版では、フォースター版の例の「陛下 sire」が「おお、偉大なる王様 O great monarch」にかわっただけで、あとは同文である。それほどの一致を見せている。
 また、念のためにニモ社版の冒頭もかかげておきたい。

【ニモ社】“THE STORY OF ALI BABA AND THE FORTY ROBBERS DESTROYED BY A SLAVE.”
IN a town in Persia, there lived two brothers, one named Cassim, the other Ali Baba. Their father left them no geat property; but as he had divided it equally between them, it should seem their fortune would have been equal; but chance directed otherwise./Cassim married a wife, who soon after their marriage, became heiress to a plentiful estate, and a good shop and warehouse full of rich merchandise; so that he all at once become one of the richest and most considerable merchants, and lived at his ease.464頁

 フォースター版には存在したシャーラザッドの語り部分をはぶいただけで、あとはよくにている。ニモ社版をフォースター系という理由のひとつである。

◎2 森の洞窟
 貧しいアリ・ババは、いつも通り森へでかけ、3匹のロバに薪を満載して帰ろうとしたときだった。盗賊の集団が近づいてきた。アリ・ババは、木の上に逃れて彼らの行動の一部始終を目撃することになる。

【フォースター】when he perceived a thick column of dust rising in the air, which appeared to come from the right of the spot where he was, and to be advancing towards him.(もうもうたる土煙が空中に昇るのに気がついたのですが、それは右の方から彼のいるところに近づいてくるらしいのです)414頁
【周作人】忽挙首見前山塵埃障天。如半天濃密乱雲。蓬蓬然直薄〓雨肖}漢。細察其起處。自右方向之地而前進(ふと頭をあげて前方の山を見ますと、土煙が空をさえぎって、まるで空の半分に濃い乱雲がまきあがり大空にせまるかのようです。その場所をよく見れば、右の方向から近づいてくるのです)2頁

 「右のほうから」と方角を明記しているところに着目する(異同5)。なぜなら、すべての英文原作が右方向を示しているとは限らないからだ。ダルケン版とサグデン版には、ある。だが、ニモ社版には、ない。フォースター系といっても、すべてが一致しているわけではなさそうだ。また、スコット版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版も「右」方向までは書き込んではいない。だから、各種版本の比較対照が必要なのだ。
 英文原作によって、書かれていたりいなかったりする語句がある。小さな部分だが、漢訳の底本を決定するばあいの手掛かりになる。そればかりか、その細かい箇所を周作人は無視をしないで、丹念に拾って漢訳をしていることがわかる。おおざっぱに翻訳したのか、それとも原文に忠実に漢訳をしたのか、それを判断するためには、このような小さな部分が意味をもってくる。
 木の上に身を隠したアリ・ババが数えると、盗賊たちは40人であった(異同6)。
 物語の題名である「アリ・ババと40人の盗賊」だから、なんでもないような箇所だ。
 だが、原文を比較してみれば、版本によって表現に微妙な違いがあることがわかる。
 タウンゼンド版は「その群は40人で The troop, who were to the nunmber of forty」(298頁)と記述する。ニュウンズ社版も「その群は40人の男から成っており The troop consisted of forty men」(203頁)というように、語り手が40人という数を説明する。
 だが、フォースター版は、アリ・ババ自身が人数をかぞえる。「アリ・ババは彼らが40人だと数えて Ali Baba counted forty of them」(414頁)という文章は、のちのスコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版ともに一字もたがえず同じだ。
 周作人の漢訳が「数えて40人である(数之得四十人)」(3頁)となっているのを見れば、フォースター版にもとづいているように見える。というよりも、漢訳の底本は、フォースター版に似ているのか。
 盗賊たちが馬からおりて、やったことは、まず、馬勒をはずし、大麦のはいった袋を馬の頭に掛けることだ。つまり、餌を与えている。それから雑嚢を運ぶ。アリ・ババは、その重そうな様子を見て、雑嚢には金銀がつまっていると推測する。
 「大麦のつまった袋」(異同7)と「雑嚢」(異同8)を諸版がどう表現しているか、かかげてみよう。

周作人訳 袋。其中似満実以粟類 旅行之革鞄
フォースター版 a bag, filled with barley travelling bags
スコット版 a bag of corn saddle wallet
ダルケン版 a bag filled with barley travelling bags
ニモ社版 a bag of corn portmanteau
サグデン版 a bag filled with barley travelling bags
タウンゼンド版 a bag of corn saddle-bag
ニュウンズ社版 and fed them saddle-bags

 corn にも穀物という意味はある。だが、周作人は、大麦 barley を「粟類」と漢訳した。しかも、穀物の袋だけではなくて「……のつまった(満実以……)」という表現である。フォースター版とダルケン版およびサグデン版そのままだ。
 「旅行之革鞄」も、フォースター版、ダルケン版とサグデン版の原文から来たと見える。ただし、サグデン版は、周作人の漢訳の底本ではないことについて、すでにのべている。ここでは、諸版の表現がすこしずつ異なっていることを見てもらうだけで十分だろう。
 アリ・ババの目前で、盗賊の頭が「開け、ゴマ OPEN, SESAME」という呪文をとなえると、洞窟の扉があくという場面である。
 漢訳では「西〓炎リ}姆(意訳為胡麻)啓戸」(3-4頁)と書き表わしている。「セサミ、扉よ開け」という意味であることは説明するまでもない。「ゴマ」を翻訳せず注をほどこしたのは、呪文だからという判断が周作人にはあったのかと考える。呪文ならば、意味不明のほうがそれにふさわしい。
 ニモ社版には、ゴマに注がついていて穀物の1種だという(“Sesame”is a sort of corn. 465頁)。タウンゼンド版も同じように注がある(“Sesame”is a small grain. 298頁)。穀物であるという認識が、のちに兄カシムが呪文を間違える伏線となる。

◎3 洞窟のなかに金銀財宝
 盗賊たちが去ったあと、アリ・ババは、呪文の効果を確かめたいという好奇心にかられた。耳にしたとおりに呪文をとなえると、洞窟の扉が開いた。
 想像していたほど暗くはない。岩をくりぬいた円天井の頂から光が入っているからだ。中は、人の背丈よりも高い。アリ・ババは、そこに盗賊たちが幾世紀にもわたって貯蔵し続けてきた金銀財宝の山を目にする。
 周作人の漢訳には、奇妙な文章がでてくる。英文原作には見られない語句なのだ。

【周作人】満貯一種小金銭名西坤者(セキンという小金貨がたっぷり貯蔵されています)5頁

 とりあえずセキンと訳しておいた「西坤」とはなにか(異同9)。フォースター版を含めて、手元の英文原作には、どこにもそのような単語は存在しない。
 しいていえば、フランス語訳には、ディナール金貨として出現しているのに関係があるのかと思ったりもする*12。
 しかし、ディナール dinar を漢訳して「西坤」にはならない。原文は、別の物語にでてきたセキン sequin かと考える。周作人が、英文にない単語を、しかも日常で使用するような言葉ではないものを、わざわざ使うだろうか。疑問である。
 もうひとつ疑問がある。

【周作人】以一丸泥封穴口。閉開自守。不求取於人。如是亦足以供給四十人一生之用而有餘(泥で洞窟の扉をふさぎ、開閉はみずからが管理し、他人に盗まれないようにしました。こうして40人が一生使ってもあまるほどになったのです)5頁

 洞窟の金銀財宝について説明する(異同10)。だが、英文原作には、この文章は、ない。
 財宝の山を見たアリ・ババは、躊躇しなかった。金貨だけを3頭のロバに積めるだけ盗みだす。
 この部分は、フォースター版と漢訳のあいだには、齟齬が生じている。

【フォースター】Ali Baba did not hesitate long as to the plan he should pursue. He went into the cave, and as soon as he was there, the door shut; but as he knew the secret by which to open it, this gave him no sort of uneasiness.(アリ・ババは、彼がやるべきことを実行するのに長くはためらいませんでした。洞窟に入ったとたんに扉は閉まったのですが、それを開ける秘密を知っていましたから、不安は感じませんでした)415頁
【周作人】埃梨入此富麗之窟室。恍遊天上。傍徨良久。莫知所為。(アリ・ババは、この立派な洞窟の部屋に入りますと、天上にまうようにぼんやりとしてしまいました。長いあいだぐずぐずして、何をしていいのかわかりません)5頁

 英文原作にいるすばしこいアリ・ババは、漢訳では、ぼんやり者になってしまった(異同11)。盗賊の財宝を盗むほどのしたたかなアリ・ババである。それが、漢訳のぼんやり者では、読者にあたえる印象が違ってくるだろう。ただし、これを周作人の翻訳間違いだと考えるのは早計である。
 ここは、普通、誤訳するようなところではない。なにしろ正反対の描写なのだ。ゆえに、漢訳の底本がフォースター版そのものではないことを示しているのではないかと考える。
 一般の記述と違う翻訳を例にあげておこう。前嶋信次の日本語には、次のように訳出されている。「アリ・ババはこれらの財宝や珍貨の夥しさに茫然としてしまい、意識ももうろうとなり、心頭は混迷してしまいました。そうしてしばらくの間は驚きあきれ、我を忘れて立ちすくんでおりました」*13。
 前嶋訳のこの「アリ・ババ物語」*14に、周作人漢訳と同じような記述を見ることができる。同様の英文原作が存在しているのではないか、と考える理由となるのだ。
 周知のように「アリ・ババ物語」はガラン版にのみ収録されている。ガランの創作だと疑われてことがあった。しかし、1908年になってマクドナルド Duncan B.MacDonald がオックスフォード大学ボドレアン図書館のなかから原本を発見した。1910年に原文を雑誌に発表した、と前嶋は説明している。
 1908年でも1910年でもかまわないが、アラビア語原本が発見されたのは、周作人漢訳のあとである。ということは、「アリ・ババ物語」は、やはりガラン版をもとにして派生してきた英訳本だということになろう。
 ついでだから、ボドレアン図書館でみつかったあのアラビア語原本について後日談を書いておく。なんのことはない、フランス語のガラン版にもとづいてアラビア語に再度訳しなおしたものというのだ*15。
 もとが同じガラン版ならば、なぜ記述の異なる英訳本ができるのか不思議だが、そこが重訳者の腕のふるいどころ(あるいは、振るいまちがい?)で、だからこそ「三文文士版」というのだろう。
 扉を閉じる呪文は、すでに出ているから、漢訳では省略したのかとも思う。あるいは、底本にはなかったか。
 周作人の翻訳は、基本的にはほとんど原文のとおりなのだが、より簡潔に描写している場合もある。金貨をロバに積みこんで、薪で隠したあとのことだ。

【フォースター】When he had finished all this, he went up to the door, and had no sooner pronounced the words, “Shut, Sesame,”than it closed; for although it shut of itself every time he went in, it remained open on coming out, but by command.(これらのすべてをし終わったとき、彼は扉の前に行って、「閉じよ、セサミ」と口にするやいなや、それは閉まりました。彼が入るたびにひとりでに閉まるのですが、出ると開いたままですから、命令しなければ閉じないのです)415頁
【周作人】諸事已畢。乃復呼如前。門即閉。(すべてが終わり、また以前のように呪文をとなえると、扉は閉じました)5頁

 漢訳がこのように説明を省略するのは、間違いではない。しかし、あまりにも簡潔にすぎるのではないか(異同12)。
 洞窟の扉がどのように開閉するのか、その仕組みを説明しているのには、意味がある。のちにアリ・ババの兄カシムが洞窟に入り、出るのに失敗するときの伏線になっているのだ。
 アリ・ババは、注意深く家に帰ると、ソファに座っていた妻の前に(before his wife, who was sitting upon a sofa. 置於其妻之前。其妻方倚睡椅而坐)金貨のはいった袋をおいた。

◎4 アリ・ババの妻が金貨を数える
 驚きいぶかる妻に、アリ・ババは、ことの一部始終を説明して、口止めをする。興奮した妻が金貨を1枚1枚数えはじめたので、アリ・ババは思わず口をはさむ。

【フォースター】you are very foolish, wife; you would never have done ounting. I will immediately dig a pit to bury it in; we have no time to lose.(バカだな。数え切れるもんか。すぐに穴を掘ってそこに埋めるから。ぐずぐずしちゃいられんぞ)415頁
【周作人】汝何愚也。真可謂貪児暴富者矣。予将掘地為坎而埋之。則永遠可不失。数之何為。(バカだな。まるでにわか成金じゃないか。穴を掘って埋めれば、なくなりっこないんだから。数えてどうするんだよ)7頁

 「真可謂貪児暴富者矣。(まるでにわか成金じゃないか)」という箇所は、周作人が加筆したものだろう。また、「則永遠可不失。(なくなりっこないんだから)」は、英文の「we have no time to lose. (ぐずぐずしちゃいられんぞ)」を誤解したのだと思う(異同13)。誤解するような英文ではないのだが。それとも、ここも底本が違うということになるのか。
 アリ・ババの妻は、近くに住んでいる兄嫁から秤をかりてくる。全部の金貨をはかったところで返却したのだが、兄嫁が秤に塗りつけていた油に金貨がひとつくっついていることには気がつかない。いつも貧乏をしているアリ・ババが、何を量ろうとしているのか怪しんだ兄嫁の仕業なのであった。

◎5 カシムがアリ・ババを問い詰める
 というわけで、カシムは、アリ・ババが秤ではかるほどの大量の金貨をもっている、と妻に聞かされる。その証拠が、秤の底に1枚だけひっついていた金貨だ。
 漢訳と英訳原本の不一致が見られる。

【周作人】慨星視之。則乃古昔之金幣。上鐫古代帝王之名号。殆西坤之類。(カシムが見ると、昔の金貨で、表面には古代の帝王の名前が彫ってあります。おそらくセキンの類でありましょう)8頁
【フォースター】a coin so ancient, that the name of the prince, which was engraven on it, was unknown to her.(金貨はたいそう昔のものでしたから、その表面に彫ってある王様の名前は、彼女にはわかりませんでした)416頁

 漢訳では、コインに彫られた古代の王様の名前を見ているのはカシムだ(異同14)。しかし、フォースター版では、妻になっている。ダルケン版も同じだ。興味深い。
 各版本を見れば、バラバラである。たとえば、サグデン版には金貨というだけで、それ以上の説明をしない。
 カシムか、それとも妻か。どちらだとはっきりと書かず、その両者(they)とするのは、スコット版、ニモ社版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版である。
 周作人の漢訳は、カシムを前面に押し出している。今、私の手元にある英文原作のどれにも、そうするものは見あたらない。注目にあたいする。このような不一致こそが、底本をさがすばあいのヒントをあたえてくれると考えるからだ。
 漢訳には周作人訳と同じ記述するものがあることを知れば、別の版本の存在を示しているように思う。
 周作人も言及した奚若訳だ。奚若訳の『天方夜譚』が『繍像小説』に連載されはじめたのは、周作人の漢訳よりも以前だ。だが、「アリ・ババ物語」については、説部叢書に収録されてからだから、周作人訳よりも時間的には遅い*16。

【説部叢書】克雪聞言。並見金銭非近今物。(カシムはそれを聞いて金貨を見ると、最近のものではありません)73頁

 金貨に刻まれた模様までは言ってはいない。しかし、カシムが主体であるところは、一般の書き方と異なる。
 また、現代中国で刊行された翻訳書にも1種類ではあるが、同様の例をみることができる。1835年のブーラーク版によって全文を訳出したと言明する李唯中訳『一千零一夜』全8冊(石家庄・花山文藝出版社1998.6)だ。

【李唯中】〓ka}西姆拿過那枚金幣,翻過来調過去看了又看,発現那是一枚古金幣,認不出是〓口那}朝〓口那}年鋳造的。(カシムはその金貨を手に取るとくりかえし見まして、それが古い金貨であることはわかったのですが、どの王朝のいつの時代に鋳造されたものなのか、見わけることはできませんでした)第8巻403頁

 周作人の漢訳とすべてが一致するわけではない。しかし、ほかの英訳に比較すれば、こちらの方にかなり近い。
 前出の前嶋訳もこれによく似た表現になっている。「カーシムは妻の言うところを聞き、枡の底に粘りついていたディーナール金貨を目のあたりに見るに及んで、……」*17。
 金貨の種類については、洞窟の場面でディナール金貨とするフランス語の版本があることはすでにのべた。
 そのフランス語版は、ここでも同じく「女は夫の鼻の下に、例のディナール金貨を突きつけて、どなり立てました」*18とディナール金貨をもちだしている。ディナールとセキンでは、呼称がちがう。しかし、金貨の名称を出しているのが類似する。
 周作人がいくら学生だからといっても、カシムと妻を取り違えることはないだろう。さらに、原文にはないセキンをわざわざ漢訳に補うとも考えられない*19(異同15)。となれば、周作人が漢訳のさいに底本としたのは、フォースター版そのものではないという推測が有力になる。
 弟の幸運をよろこぶどころか、羨みと妬ましさだけを感じた兄のカシムは、弟を問い詰める。アリ・ババは、金貨を入手したいきさつをすべて白状してしまった。教えなければ警察に訴えてやるとまでカシムはいうのだ。

【周作人】汝拒絶予之命令。則予将告発於警察署。(おれの命令を断わるんだったら、警察署に訴えてやるぞ)9頁
【フォースター】I will go and inform the officer of the police of it.(警察の役人にそのことを訴えてやるぞ)416頁

 問題は「警察の役人 the officer of the police」だ(異同16)。周作人が「警察署」と漢訳したのはかまわない。サグデン版にも、おなじ語句が使われている。しかし、スコット版、ダルケン版、ニモ社版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版には、いずれも該当する語句がない。
 欲にかられたカシムが、ひとりで洞窟に向かったのはいうまでもない。

◎6 カシムが洞窟のなかで
 次の日の朝早く、カシムは10頭のラバをつれて、アリ・ババの教えた通りの道をたどり洞窟についた。呪文をとなえて入ると、できるかぎりの財宝をラバに積みこむ。さて、洞窟をでるときになって、カシムは呪文を忘れてしまう。「開け、大麦 Open, barley」と言って、扉はびくともしない。色々な穀物の名前をとなえるが、すべてに失敗する。とはいいながら、具体的に穀物の名称をあげているわけではない。各種英本版本ともに、それは共通している。周作人の漢訳は、それらともすこし異なる。

【周作人】不曰『西〓炎リ}姆』而誤呼曰『伯累(意即大麦)啓戸』。彼蓋錯記一種之穀名。以大麦為胡麻也。呼之良久。而門堅閉如故。(「セサミ」とはいわず、「閉じよ、バーリ(大麦の意味)」と誤って言ってしまいました。彼は、穀物の名前だと誤って覚えていて、大麦と胡麻と考えたのです。長い間となえましたが、扉はもとのまま堅く閉じたままです)10-11頁

 フォースター版の「「ゴマ」と発音するところを「開け、大麦」と言ってしまいました。instead of pronouncing“Sesame,”he said,“Open, barley.”*」(416頁)と比較すれば、周作人訳の後半が理由の説明になっていることがわかる(異同17)。
 フォースター版だけだが、*印をつけていて次のように説明している。すなわち「ゴマは穀物であり、主として牛の飼料に使われる。しかし、時には人間のものでもある。(中略)このことは、カシムがなぜそれを大麦と混同したのかの原因を説明するであろう」(416頁)。
 この欄外にほどこされた原文の注を周作人は漢訳に取り込んだ、という経緯であったならば興味深い。だが、漢訳の底本は、フォースター版そのものではなさそうだ。ゆえに、残念ながらこの魅力的な説明を採用することができない。
 ゴマという単語を思いだせないまま、カシムは洞窟のなかに閉じ込められてしまった。

◎7 カシムの死
 そこに盗賊たちが洞窟にやってくる。カシムはやぶれかぶれで、扉が開いたのに乗じて外にとびだす。先頭にいた首領にぶつかり地面に倒したが、ほかの盗賊の刀で切り刻まれた。
 盗賊たちは、カシムがどうして洞窟に入ることができたのか理解できない。アリ・ババの存在など想像外のことだった。とにかくカシムの死体を4つにわけて、扉の内側に片方ずつつりさげた。脅しのためである。
 死体の悪臭がなくなるまで(until the stench from the corpse should be subsided. 俟此死体之悪臭発盡)、盗賊たちは洞窟にはもどらないことにした。
 死体の悪臭が子供には刺激が強すぎると配慮したのか、ダルケン版および、サグデン版、タウンゼンド版、ニュウンズ社版は、いずれもこの部分を削除している(異同18)。

◎8 カシムの妻
 その夜、帰ってこない夫カシムを心配して、みずからの貪欲を後悔する妻だった。眠れぬ夜をすごした彼女は、アリ・ババに捜索を依頼する。アリ・ババは、ロバ3頭をつれてただちに森に向かった。
 洞窟のなかに入ったアリ・ババが見つけたのは、口にするのも恐ろしい。4つに切りわけられた兄の死体が吊り下げられているのだ。死体をふたつの包みにしてロバに積みこむ。
 諸版では、この描写に異同が生じている。死体の状態を詳しく書くのはうす気味悪い(異同19)。

【周作人】慨星之尸。赫然陳於戸左。不覚戦慄却歩。膚粟股慄。然終以同気之感。自思当盡此最後之義務。於是不復躊躇。於穴中取二匣。以装此支解之砕肢体。如二小包状。令一驢負之。遮以柴薪。(カシムの死体が、おどろいたことに扉の左にならべてあります。恐ろしさのあまりおもわずあとずさりして、鳥肌がたち足がふるえました。しかし、しまいには兄弟だという感情から、最後の義務をつくさなければならないと考えたのです。そこで躊躇することなく、洞窟のなかからふたつの箱をとってバラバラになった死体をつめ、ふたつの包みのようにして1頭のロバに背負わせ、柴で隠したのです)14頁

 兄カシムの四つ裂きにされた死体は、さきの周作人訳では、扉の両側に置かれていた(将慨星之尸。分為四片。投於穴内近門之處。分置両旁。13頁)。ところが、ここでは「扉の左」に変更してある。なぜなのかわからない。
 また、洞窟のなかからふたつの箱を取りだして、とあるが、これもほかの原文とは違う。ご注目いただきたい。

【フォースター】He was struck with horror, when he distinguished the body of his brother cut into four quarters; yet he did not hesitate on the course he was to pursue in rendering the last act of duty to his brother's remains, notwithstanding the small share of fraternal affection he had received from him during his life. He found materials in the cave to wrap up the body, and making two packets of the four quarters, he placed them on one of his asses, covering them with sticks, to conceal them.(四つ裂きにされれた兄の死体だとわかったとき、彼は恐怖におそわれました。ですが、彼の兄の遺体について最後のつとめをはたさなければならないところから少しも躊躇はしませんでした。兄が生きているあいだ、彼から兄弟の愛情はほんのすこししか受けはしなかったにもかかわらずです。死体を包むものを洞窟のなかでさがし、よっつの塊をふたつの包みにして、ロバの1頭において、隠すために柴でおおいました)417頁

 フォースター版は、周作人漢訳とかなりにかよっているということができる。
 ただ、少しの異同がある。死体を包むもの、というのが英文原作であって、周作人漢訳のようにふたつの箱ではないところがひっかかる。しかも、手元のその他の英文にも、箱だとしているものは、ない。漢訳だけに見える箱であることをいっておきたい。

【スコット】he was struck with horror at the dismal sight of his brother's quarters. He was not long in determining how he should pay the last dues to his brother, but without adverting to the little fraternal affection he had shown for him, went into the cave, to find something to enshroud his remains, and having loaded one of his asses with them, covered them over with wood.(彼の兄の四つ裂きという陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。兄が弟に示した兄弟愛はすこしもなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつとめをしようと決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むためのなにかをさがしに洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いました)535-536頁

 死体を包むのはいい。だが、ふたつの包みにわけたとまでは書いていない。四つ裂きの死体だけでも気味が悪いのに、ふたつの包みまでいえば、具体的であるぶん、かえって不気味さを増すという判断だろうか。省略化のひとつだということはできよう。

【ダルケン】He was sturck with horror when he discovered the body of his brother cut into four quarters: yet, notwithstanding the small share of fraternal affection he had received from Cassim during his life, he did not hesitate on the course he was to pursue in rendering the last act of duty to his brother's remains. He found materials in the cave wherein to wrap up the body, and making two packets of the four quarters, he placed them on one of his asses, covering them with sticks, to conceal them.(四つ裂きにされれた兄の死体だとわかったとき、かれは恐怖におそわれました。ですが、兄が生きているあいだ、彼から兄弟の愛情はほんのすこししか受けはしなかったにもかかわらず、彼の兄の遺体について最後のつとめをはたさなければならないところから少しも躊躇はしませんでした。死体を包むものを洞窟のなかでさがし、よっつの塊をふたつの包みにして、ロバの1頭において、隠すために柴でおおいました)696頁

 フォースター版の一部を前後入れ替えただけで、ほとんど全文が一致している。同文だといってもいいだろう。

【ニモ】he was much more startled at the dismal sight of his brother's quarters. He was not long in determining how he should pay the last dues to his brother, and, without remembering the little brotherly friendship he had for him, went into the cave, to find something to wrap them in, and loaded one of his asses with them, and covered them over with wood.(兄の四つ裂きという陰気な光景にとてもびっくりしました。兄からのすこしの兄弟愛すらも記憶がなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつとめをしようと決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むためのなにかをさがしに洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いました)468頁

 ニモ社版は、文章がスコット版にそっくりだ。

【サグデン】He was struck with horror when he distinguished the body of his brother cut into four quarters. He found materials in the cave to wrap up the body; and making two packets of the four quarters, he placed them on one of his asses, covering them with sticks, to conceal them.(兄の身体がよっつに切りわけられているのに気がついたとき、彼は恐怖におそわれました。死体を包むために洞窟のなかで何かをさがして、四つ裂きをふたつの包みにまとめて、ロバの1頭におき、それを隠すために棒切れでおおいました)411頁

 より簡単になった。兄弟愛うんぬんを削除する。

【タウンゼンド】he was struck with horror at the dismal sight of his borther's body. He was not long in determining how he should pay the last dues to his brother; but without adverting to the little fraternal affection he had shown for him, went into the cave, to find something to enshroud his remains; and having loaded one of his asses with them, covered them over with wood.(兄の身体の陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。兄が弟に示した兄弟愛はすこしもなかったとはいえ、彼は兄にむけての最後のつとめをしようと決心するのに時間はかかりませんでした。遺体を包むなにかをさがすために洞窟へはいり、ロバの1頭にのせると木材でそれを覆いました)303頁

 スコット版、ニモ社版と同様ということができる。

【ニュウンズ】he was struck with horror at the dismal sight of his brother's quarters. He loaded one of his asses with them, and covered them over with wood.(兄の四つ裂きという陰気な光景に、彼は恐怖におそわれました。それをロバの1頭につむと、木材でそれを覆いました)207頁

 骨組みだけ残して、詳しい描写はほとんど削除してしまっている。周作人が、あれほどくりかえして証言していたこれがニュウンズ社版の本文である。周作人の漢訳とは、まるで違う。
 残る2頭のロバに金を積みこんで、これも柴で隠して、日が暮れてようやく家にもどった。金を積みこむのを忘れないアリ・ババも欲深かった。だが、兄よりも慎重なところがふたりの運命を分けたということだ。

◎9 女奴隷モルギアナ
 金を積んだロバ2頭は自分の家に置き、カシムの死体をのせたロバを兄嫁の家に引いて行く。
 モルギアナ(Morgiana 曼綺那)が登場する。兄カシムの家にいる女奴隷だ。
 本稿ではモルギアナと呼んでおく。周作人も冒頭の小序において英文綴りを示しており、底本が Morgiana であることがわかる。
 モルギアナ Morgiana を漢訳すれば、周作人が表現するように「曼綺那」となるのか。私は、疑問に感じる。
 現代では「馬爾基娜」と綴ったりする。李唯中は、「麦爾加娜」と表記しているが、こちらはアラビア語なのだろう。マルジャーナ Marja/}nah らしい。
 佐藤正彰の注によると、フランス語のマルドリュス版では、Morgane という。「ガランでは、Mongiane。バートンではカシムの女奴隷であり、Morgiana とあ」*20る。つまり、マルドリュス版では、アリ・ババの女奴隷だということになっている。兄か弟か、その所属がちがうのだ。
 周作人の「曼綺那」が、マンジャーナの漢訳であれば、ぴったりとくる。ガラン版の読み方と、偶然、一致したのだろうか。
 モルギアナについての説明文を各版本ごとに列挙するのも煩雑だ。周作人の漢訳と一番近いものだけをかかげておく。

【周作人】其為人機警有智。富於進取力。能従事於至困難之冒険事業。而終達其目的。以此故。其品性非常人所可及。平日亦素為埃黎所器重。(その人となりは機敏で聡明、進取の気概に富んでいました。困難な冒険的仕事に従事することができ、しかもしまいにはその目的に達するのです。それゆえに、その品性は普通の人の及ぶところではありませんでした。平素からアリ・ババが重宝がったものです)15頁
【フォースター】crafty, cunning, and fruitful in inventions to forward the success of the most difficult enterprise, in which character Ali Baba knew her well.(器用で抜け目がなく、もっとも困難な仕事を成功に導くのに豊富な工夫をするという彼女の性格をアリ・ババはよく知っていたのでした)417頁

 ダルケン版とニモ社版がフォースター版に近い。それ以外の英文版本は、これよりもより簡単な説明でしかない。
 ただ、フォースター版が漢訳に一番近いといっても、記述にすこし不足する部分がある。モルギアナの性格について、いま一歩踏み込んで詳細に説明する英文原作があるのかもしれない(異同20)。
 アリ・ババは、カシムの妻に事の顛末を告げることになる。話す前にふたつの条件がある。説明の途中で口をはさまないこと。もうひとつは、聞いたことはすべて秘密にするという条件だ。
 フォースター版で「最初に、私の話の最初から最後までじゃまをしないで聞く約束をしなければなりません。you will first promise to listen to me from the beginning to the end of my story without interruption.」(418頁)とある。周作人の漢訳は、「私が話をするのを、中断させてはなりません。勿中断予之談話」(16頁)となっていて一致する。
 ところが、英文原本にはつづきがある。「現状では、私よりもあなたにとっては、厳重に秘密にすることが重要なのです。あなたの平和と安全のために、絶対的に必要なのですよ。It is of no less importance to you than to me, under the present circumstances, to preserve the greatest secrecy; it is absolutely nesessary, for your repose and security.」(419頁)
 これを周作人の漢訳は、無視する(異同21)。英文の各種版本には、この部分の記載がないものもあるから、いちがいにはいうことができないかもしれない。しかし、漢訳の底本がフォースター系であれば、すくなくともスコット版、ダルケン版とニモ社版には、同様の文章がある。
 アリ・ババは、事のはじまりから兄の死体にたどりついたところまで話した。
 つづく部分は、フォースター版、スコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版がほぼ一致する。
 そのなかでとりわけ漢訳(16頁)に近いのは、フォースター版(418頁)なのである。

【フォースター】“Sister,”added he,“here is a new cause of affliction for you, the more distressing, as it was unexpected; (「姉さん」、彼はつづけていいました。「あなたにとっては、苦悩の新しい理由ですね。想像もしなかったことですからもっと悲惨かもしれません)
【周作人】復言曰。予思此悲惨事。実出於不意。然已過去。如已逝之水。不復可挽。而禍患之来。方将未已。(つづけていいました。この悲惨な事件は、実のところ想像もしなかったところに出てきました。しかし、すでにすんだことです。流れて行った水のように、ふたたびもどすことはできません。しかも禍はまさにこれからなのです)

 漢訳の後半「然已過去……」以下は、周作人による加筆となろう。流水のたとえを出してくるところは、水の豊富な土地に育った周作人だからこそ表現できる箇所だ、ということがいえる。
 サグデン版では、上にひきつづいてアリ・ババが兄嫁に結婚を申し込む記述になる。周作人は、英文の順序を入れ替えて、うしろにあるモルギアナに処理をまかせる部分を、前にひっぱりだす。

【周作人】予等〓病土}此尸体。當加謹慎。一如死於天然之病者。勿与人以疑竇。予思此事惟曼綺那能任之。予亦就力之所及以相助。(この死体を埋葬するのには、慎重でなければなりません。自然の病気で死んだようにして、人に疑惑をあたえてはならないのです。私は、これはモルギアナだけがうまくやってくれると思いますよ。力のおよぶかぎり助けますから)
【フォースター】we must contrive to bury my brother, as if he had died a natural death; and this is a trust, which I think, you may safely repose in Morgiana, and I will, on my part, contribute all in my power to assist her.”(私の兄は自然死したように埋葬するよう工夫しなければなりません。モルギアナを信用するのがよさそうだと私は思いますよ。力のおよぶかぎり彼女を助けますから」)

 問題は、つぎの場面だ。アリ・ババは、寡婦となった兄嫁を自分の妻にすると申し出る。周作人は、礼教にあわないという根拠で原文を削除した、と明確に証言している(異同22)。
 英文から示そう。

【フォースター】although the evil is without remedy, if, nevertheless, anything can afford you consolation, I offer to join the small property God has granted me, to yours by marrying you; I can assure you, my wife will not be jealous, and you will live comfortably together. If this proposal meets your approbation,……(救済なしの不運とはいっても、慰めることができるとすれば、あなたと結婚することによって、神が私に与えてくれた少しの財産をあなたのものに合わせるよう申しこむことにしましょう。私の妻は、嫉妬などしませんから、あなたが一緒に快適にすごすであろうと請け負いますよ。もしもこの申し出があなたの賛成を得ることができましたら、……)418頁

 英文の最後部分の「もしもこの申し出があなたの賛成を得ることができましたら、……」以下は、上の「私の兄は自然死したように……」に続いている。
 周作人の証言では、アリ・ババと兄嫁の結婚は削除したことになっていた。はたして、どうか。

【周作人】既復建議同居之利便。而陳分立之不可。因同居則非但患難可以相顧。且亦可以慰離索之感。(そこで同居することの便利を申しでて、分立のよろしくないことをのべました。同居すれば憂いと苦しみをわかつことができるばかりか、寂しく暮す感情を慰めることができます)16頁

 周作人がおこなった証言を考慮しながら目にしている漢訳を見れば、私にいわせれば、なにやら肩すかしをくらわされたように感じる。
 英文と漢訳が異なる箇所といえば、英文が「あなたと結婚することによって by marrying you」とあるのを漢訳はそこだけを書き換えている。そのほかの部分は、表現を改めているのだから、周作人のいうような削除ではない。しかも、肝心の部分の小さいことに、私はかえって驚く。周作人の証言では、関連する全部を削除したように読めた。
 ここでは、結婚を「同居」に書き換えている事実のみを指摘しておく。アリ・ババと兄嫁の結婚については、後にもう1ヵ所出現する。その意味については、本稿の末尾でまとめて論じる。

◎10 ババ・ムスタファとカシムの葬儀――モルギアナの知恵1
 兄カシムの死体は、よつ裂きにされている。それを自然死に装わなくてはならない。賢いモルギアナが考えたというのが、これまた奇想天外なやりかたであった。モルギアナの聡明さが、今後、幾度も紹介されることになる。「モルギアナの知恵」として番号をつけておく。
 その知恵1は、2段階に分かれる。
 まず、急病で死亡したと見せかける。そのためには、薬屋で薬を買い、店主にカシムが重病だと印象づける。
 翌朝も同じ薬屋に行き、涙ながらに危篤の病人用の薬を求める。

【周作人】来求買一種『安笙思』此剤之性。係専用之於危険極端。已将絶望之病夫。(ある「エッセンス」を買い求めました。これは危篤でもう絶望の病人にもっぱらほどこすものなのです)17頁
【フォースター】enquired for an essence, which it was customary only to administer, when the patient was reduced to the last extremity, and when no hopes were entertained of life,(エッセンスを求めました。それは、患者が危篤のとき、生存の希望がもはやなくなったときにのみ、普通、与えるものでした)418頁

 周作人の漢訳がすぐれていると考えるのは、“essence”に「安笙思」という音訳にもとづいた訳語をあたえているところだ。これをむりやり翻訳して「質、精」としたところで、原文の意味は伝わらない。「エッセンス」と日本語になおすのと同じで、かえって何かありがたい効能のある薬の1種だと読者には理解できる。それに加えて、周作人は、文中に「おそらく朝鮮人参、茯苓の類(殆参苓*21之類)」と注をつける工夫をした。これで十分だ。
 第2段階は、靴職人ババ・ムスタファを連れてくる。
 周作人漢訳では「靴直しをなりわいとする(補靴為業)」(17頁)とする。フォースター版では、“cobler”と書かれている。初版からのちの新版も同じだ。ところが、これが誤植なのである。“cobbler”が正しい。ほかの英文原作は、いずれも正しく綴っている。
 フォースター版がムスタファの性格を規定して陽気である、とする部分(Baba Mustapha, known to all the world by this name, was naturally of a gay turn, and had always something laughable to say;)を周作人訳では省略している(異同23)。
 目隠しをしたムスタファをカシムの家に連れて来て、死体を縫いあわさせた。目隠しは用心のためだ。仕事がすめばほうびとして、さらに金1枚(another piece of gold. 一金/金銭一枚)をあたえた。
 準備を整えて順序通りに葬式を取り行なう。モスクから僧侶がくる。
 漢訳では、「モスクの祭司と僧侶(墨思克之祭司及僧侶)」(19頁)となっているが、英文原作の各版のなかに、すこし異なるものがある(異同24)。一覧しよう。

周作人 祭司 僧侶 墨思克
フォースター Imaun × ×
スコット imaun ministers mosque
ダルケン† Iman ministers mosque
ニモ社† iman ministers mosque
サグデン† iman ministers mosque
タウンゼンド imaun ministers mosque
ニュウンズ社 × × ×

 †印をつけたのは、前述のとおりフォースター系であるという意味だ。ところが、もともとのフォースター版が、のちの系列本とは異なっている。奇妙な事実だ。元版が簡略で、のちの改訳本がなぜ詳しくなっているのか、その理由は、私にはわからない。枝葉からさらに枝葉が生える途中に単語が増えたということだろうか。
 漢訳との関係でいえば、上にあげたフォースター系以外の版本に底本を求めるしかない、という推測がでてくる。
 アリ・ババと兄嫁の結婚問題がふたたび出てくる。
 カシムの死の真相について知るものは、アリ・ババ夫婦、寡婦となった兄嫁、モルギアナしかいない。葬式の3、4日後、家具などと一緒に洞窟で得た金をあわせてカシムの家に運びこんだ。そうして兄嫁との結婚を宣言する。

【フォースター】Ali Baba, removed the few goods he was possessed of, together with the money he had taken from the robber's store, wich he only conveyed by night, into the house of the widow of Cassim, in order to establish himself there, wich proclaimed his recent marriage with his sister-in-law: and as such marriages are by no means extraordinary, in our religion, no one showed any marks of surprise on the occasion.(アリ・ババは、自分が所有していたいくつかの荷物を、盗賊の貯蔵所から持ち出した金と一緒に、こちらは夜中にかぎって、カシムの未亡人の家に運びました。そこに彼自身が住むためです。そこで義理の姉との結婚を宣言したのですが、そのような結婚は、すこしも異常なものではなく、私たちの宗教ではこのようなばあいは誰も驚きなどしないのです)419頁

 見られてもいい荷物は昼間に、隠しておきたい金は夜間に運んだ。
 前半はまだしも、アリ・ババと兄嫁との結婚については、上の説明は、奇妙である。英文原作そのものの不可解な部分だといってもいい。
 「私たちの宗教では in our religion」とわざわざいうのは、なぜか。語り手であるシャーラザッドの言葉とも思えない。自分とは異なる宗教をもつ他人に対する解説になっているからだ。シャーラザッドが王様に説明する事柄ではないことは、すこし注意して読めば誰でも理解する。英文翻訳者が、独自の判断で当時の読者にむかって加筆した説明文であることがわかる。欧米の読者にとっては、兄嫁を妻にすることは、やはり、特別に説明を必要とすることであったと想像できる。

【周作人】埃黎乃於夜中暗運其家之動産。至慨星之家。如金帛類之得之盗穴者。不数日。已畢。遂宣告同居。棄其昔日之破屋。而遷居於美宅。牛馬満野。金玉盈〓タケ瀛}。埃黎此後遂享受此順遂生涯矣。(アリ・ババは夜中に家の荷物をカシムの家に運びました。金と絹の類で盗賊の洞窟から得たものは、数日ならず、すべて終わりました。そこで同居を宣言し、昔のぼろ家は捨てて、美しい邸宅に引っ越したのです。牛馬は野に満ち、金玉はあふれ、アリ・ババはその後、この順調な生涯を享受したのでした)20頁

 漢訳では、引っ越しは夜中に行なわれたことになっている。誤解ではなかろうか。
 さらに、原文の結婚を「同居」に書き換えた。この例は、すでに出てきた。それのくりかえし、あるいはつじつま合わせにすぎない。周作人は、意図的にそう改変したのである。結婚ではなく「同居」だから、宗教の違いによるうんぬん、の説明は必要ではなくなる。ゆえに、削除したとわかる。
 さらに、周作人の筆によって文章を追加する。「順調な生涯を享受したのでした」とは、まるで、これで物語が終わるかのような書き方ではないか。ここは、余計だった。
 漢訳は、英文原作にあるもうひとつ重要な部分を削除している。アリ・ババには息子がいるという箇所だ。カシムの店があるのだから、これをまかせるのに息子が登場するというわけ。アリ・ババの息子ではなく、カシムの息子だとする版本もあるらしい。しかし、手元にある英文諸版は、すべてアリ・ババの息子になっている。
 なぜ、息子がカシムの店を継いだ部分を削除したのか、周作人はその理由を説明していない。回想録では、こまかいところは忘れたのかもしれない。
 アリ・ババがなしたその行為は、兄の財産を横領することになる、という当時の礼教の考えでもあったものか。周作人には、倫理上、そのような行為が許せなかった。そう考えれば、納得しないわけではない。アリ・ババと兄嫁の結婚を同居と書き換えたくらいだから、都合の悪い部分は別の形に書き換える手もあったはずだ。兄の息子だとすれば(そうする版本もある)、亡き父親の店を継承するのはなんの問題もない。だが、なぜか、周作人は書き換えることはせず、あっさり削除してしまった。
 それでは、物語の最後までアリ・ババの息子は出てこないのかといえば、そうではない。必要な箇所には出現している(後述)。なんのために、ここで削除したのか、わからなくなる。

◎11 盗賊のたくらみ1(白印)――モルギアナの知恵2
 盗賊たちが洞窟にもどってくると、あったはずの死体がない。財宝も大幅に減っている。侵入者がいるに違いない。追求することにした。
 まず、町に行って殺された人間がいないかを探る。その居場所をつきとめなければならない。盗賊の財宝全体の運命に関わることだから慎重に行動することが要求される。
 ひとりの志願者が町に探りを入れに行った。
 朝早くだから道行く人はいない。ババ・ムスタファの店が開いているのを見つけた。細かいところが漢訳と英文原作が違う(異同25)。

【周作人】忽見左側有一小店。戸已大啓。(ふと見れば左側に小さな店があり、扉はすでに開いています)22頁
【フォースター】He went towards the square, where he saw only one shop open,(広場にむかって行くと、ひとつの店が開いているのをみつけました)419頁

 英文には、「左側」という単語はない。スコット版、ダルケン版、ニモ社版、サグデン版、タウンゼンド、ニュウンズ社版などにも、見えない。
 なぜ周作人の漢訳にだけ「左側」があるのか。わざわざつけくわえる必要があるとも思えない。ならば、どこかに存在している底本にそう書いてあると考えざるをえないではないか。
 盗賊は、ババ・ムスタファが死体を縫いあわせたと口をすべらしたのを聞いて、金貨を握らせる。握らせるといえば、普通、手に、だろう。だが、漢訳では異なる(異同26)。

【周作人】急以一金置几上。(急いで金1枚を机のうえに置きました)23頁

 手と机では、あきらかに違う。念のために英文を示す。

【フォースター】He drew out a piece of gold, and putting it into Baba Mustapha's hand,……(金1個を取りだすと、ババ・ムスタファの手に握らせて……)420頁

 ニュウンズ社版は、「彼は金1個をやりました。He gave him a piece of gold」(209頁)と手を出さない。というように、英文原作にはどこにも「机」はないのである。
 まことに細かい箇所だ。物語の筋とは、なんの関係もない。しかし、翻訳するさいに間違うような場所ではないことが理解できるだろう。そういう箇所を違う漢訳にしているということは、別の底本がある可能性を示しているように思うのである。
 目隠しされていたので死体を縫った家に連れては行けない、と答える。盗賊は、同じように目隠しすればできるだろう、とさらに金を握らせる。ここの漢訳は、「そこでさらに金1枚をその手のなかに置きました(乃復以一枚金銭置其掌中)」(23頁)であって、英文原作の「もう1枚の金を彼の手のなかに置きました(he put another piece of money into his hand.)」(420頁)と重なる。
 盗賊はババ・ムスタファの手引きで、ある家の前に到着した。昔のカシムの家、今はアリ・ババの家である。そこで盗賊は扉にチョーク(chalk 堊筆)でしるしをつけた。
 家にもどってきたモルギアナは、扉につけられたチョークに気づく。いぶかった彼女は、近所の家にも同じようにしるしをつけておいた。これがモルギアナの知恵の2である。知恵というより機知といったほうがいいかもしれない。
 首領を先頭にして盗賊たちは目印の家にやってきたが、別の家にもしるしがついている。盗賊のたくらみは失敗した。読者にはおなじみの話であろう。

◎12 盗賊のたくらみ2(赤印)――モルギアナの知恵3
 失敗した原因となった盗賊は、全体の幸福のために死刑に処せられる。盗賊は、39人になった。
 周作人は、ここに英文原作にない語句を挿入する。
 すなわち、盗賊たちの行なう死刑について、「無頼漢の挙動は、野蛮の習俗を脱していないとはいえ(斯蓋雖暴客之挙動未脱野蛮之習俗)」(27頁)集団の安全のためにやむをえない、という箇所だ。盗賊についての説明としては、なにやら奇妙な弁護に思える。
 もうひとりの盗賊が、もっとうまくやりますといってでてきた。皆の賛同をえてやったというのが、白いチョークにかえて赤色で小さくしるしをつけることだった。同じようにモルギアナに気づかれ、同じように失敗する。同じように処刑され、盗賊は、全部で38人になる。
 民話のおもしろさのいくらかは、こういうくりかえし場面にある。

◎13 盗賊のたくらみ3(油商人)――モルギアナの知恵4
 いよいよ盗賊たちが沸騰する油で殺される場面だ。「アリ・ババ物語」で語られる山場のなかのひとつである。誰でもが知っている。
 頭の弱い手下にまかせることができないから、しまいには、首領がでてくる。自分でアリ・ババの居場所を確認し、数回、前を通り過ぎた。しるしをつけないで、その家を覚えこんだのだ。
 首領が考えだしたのが、油袋に手下を隠してアリ・ババを襲うという策略だった。19頭のラバを買い、革製の大きな油袋(large leathern jars)38個に37名の手下を潜ませる。周作人は、「皮製極大之油甕」と漢訳している。英語の表現そのままだ。残る油袋1個には、本物の油を満たしておく。首領がラバを引くから、油袋にひそんだ手下の数が一致する。
 子供のころの私の記憶では、油をいれる容器は土製の大きな壷だった*22。英文では、革製のカメだと明記してある(日本語ではカメと革製が一致しない気がするので、油袋と訳しておく)。しかし、添えられた幾種類かの挿絵を見ると、土器にしか見えない。
 油商人に扮装した盗賊の首領は、アリ・ババの家に到着し歓待される。ラバの世話をするように命じられる男奴隷が登場し、周作人は、「名前はアブダラといいます(名藹代拉者)」(31頁)と翻訳する。しかし、英文原作には、そのような記述はない。単に「アリ・ババは奴隷を呼んで Ali Baba called a slave he had」(422頁)としか書かれていない。これは、英文のあとのほうに出てくる「アブダラ(奴隷の名前です) Abdalla,(this was the name of his slave)」(422頁)をひっぱりだして前に移動したにすぎない*23。あとで説明するなら、最初に登場したときに言ってしまおうと判断したのだろう。周作人が、こまかく工夫をしていることがわかる。
 記述の順序が異なるものがある。アリ・ババが油商人を歓待したあとのことだ。
 フォースター版では、アリ・ババは、油商人と席をたち、アリ・ババは明日の準備をモルギアナに命じる。それにつづいて油商人(首領)が、庭に置いてある油袋のなかの手下に、合図をしたら袋を切り裂いて出てくるよう指示をだしている。
 モルギアナの場面があって、それから首領の手下への指示、という順序だ。スコット版、ダルケン版、ニモ社版、タウンゼンド版も同様である。サグデン版には、モルギアナの場面が省略してある。また、ニュウンズ社版も、もともと簡略化しているから首領の手下への指示部分だけで、モルギアナの場面はない。
 問題なのは、周作人が、上のふたつの場面を入れ替えていることだ(異同27)。入れ替えなければ話の流れが理解しにくい、とでも周作人は考えたのか。それほど複雑な箇所ではないから、私は、納得がいかない。納得がいかないばあいは、底本が手元のものではない可能性を考えておくほうがいいだろう。
 主人であるアリ・ババのいいつけで、モルギアナがスープを煮ているとランプの油がきれた。アブダラが、油商人のものをもらえばいいと教える(サグデン版には、アブダラによる示唆がない)。
 油袋に近づくと「時間ですかい。Is it time? 此其時乎」という声がする。たくらみに気づいたモルギアナは、沸騰した油をそそいて盗賊全員を殺してしまった。要約すれば、こうなる。周知の箇所だから簡単にすませたい。
 周作人の漢訳は、フォースター版とほぼ一致している。ただし、小さな部分で違うからやっかいなのだ。
 たとえば、モルギアナが油袋のなかの盗賊に答えて「まだだ」をくりかえし、最後の油の入った袋に到達する、という箇所だ(異同28)。

【フォースター】making the same answer to the same question, till she came to the last, which was full of oil.(油でいっぱいになった最後の袋にくるまで、同じ質問に同じ回答をしたのです)423頁
【周作人】曼均以此語答之。至終過三十七甕。而至末貯油之一甕。(モルギアナはすべて同じ言葉でそれに答えると、37のカメを過ぎて、最後の油のカメにたどりつきました)34頁

 漢訳は、英文原作をほとんど忠実になぞっている。だたし、油袋が37と書いている原作は、ない。ここは、周作人の工夫なのか、それとも別の英文版本にそうあるのか、判断がつかない。
 盗賊の人数を出すのは、もう1ヵ所、その直後にある。主人アリ・ババは油商人を泊めたつもりで盗賊を引き入れた、とモルギアナにはわかってしまった。

【周作人】埃黎偶留油商一宿。不意隠蔵三十七甕之盗。(アリ・ババは油商人を、偶然、泊まらせたのに、37のカメに盗賊が隠れていようとは)34頁
【フォースター】her master, who supposed he was giving a night's lodging to an oil merchant only, had afforded shelter to thirty-eight robbers,(彼女の主人は、油商人に一晩の宿を与えたつもりが、38人の盗賊に避難所を提供してしまいました)423頁

 英文原作の38という人数を、漢訳だからといって37に間違うわけがない(異同29)。ここも、ほかの異同箇所と同じように、37とする別の英文版本が存在すると考えたほうがよさそうだ。
 手下の37人を全員殺された首領は、ひとりで命からがら逃げ帰っていった。

◎14 盗賊のたくらみ4(首領の死)――モルギアナの知恵5
 あくる朝、目覚めたアリ・ババは、モルギアナより事の次第をすべて聞かされた。英文原作では、昨夜おこったことの一部始終をふたたび繰り返す。さらに、2、3日前の白印、赤印についてもくりかえす。それらの繰り返しはムダだ、と周作人は考えたか、この部分を削除している(37頁)。
 盗賊のうち37人は、死んだ。ふたりはすでにいない。残るはひとりだけだ。アリ・ババは、命の恩人である奴隷モルギアナを自由の身にする。盗賊の死体は庭に埋め、ラバは市場で売却した。
 首領がアリ・ババに復讐するのもなりゆきだろう。町に様子をさぐりに行く。多くの死者がでたのだから、それ相応の話題になっていると考えたからだ。
 首領は、町のなかに宿(a khan)をとった。周作人は、「旅館」と翻訳している。当時の小さな英漢辞典には、収録されていなさそうな単語だが、周作人はよく漢訳している。彼が使っていた辞書は、日本語の英和辞典だったというから、それに拠ったのかもしれない。日本語はできなくても、漢字をひろえば意味は理解できる。
 首領は、商人になりすましアリ・ババに近づこうとする。アリ・ババの息子が橋渡しだ。
 すなわち、兄カシムの店をアリ・ババの息子が相続したことにつながる。
 ただし、本稿の10で、漢訳では、アリ・ババの息子が削除されていることを述べた。ところが、今になって息子が出現する。それも英文原作そのままなのである。

【フォースター】The shop that was exactly opposite to his, was that which had belonged to Cassim, and was now occupied by the son of Ali Baba.(彼(首領)の真向かいにある店は、カシムのものでしたが、いまではアリ・ババの息子の占有になっていました)425頁
【周作人】其店之主人。即埃黎之子。襲慨星之遺産者。(その店の主人は、アリ・ババの息子でカシムの遺産を引き継いでいました)40頁

 くりかえすが、なんのために以前は削除したのかわからない。底本がそうなっていたというのだろうか。
 首領は、名前をコギア・フゥサイン Cogia Houssain と変えていた。漢訳は、「苛h亜 Gogiaママ」とする。英文は誤植だ。ただし、初出の『女子世界』では正しく綴っている。
 スコット版は、ホージャ・フゥサイン Khaujeh Houssain(562頁)として他の英文版本と異なる。
 首領は、アリ・ババの息子に連れられて家での食事に招待されることになった。その時、彼は、奇妙な申し出をするのだ。料理には塩を使わないでくれ、という。

【フォースター】I never eat of any dish, that has salt in it;(塩の入ったどんな料理も食べないのです)426頁
【周作人】予有癖。生平雅不願食塩味之食品。(私には癖がありまして、平生、塩味の食品はまったく食べないのです)42頁

 イスラム教では、塩を食べるということは友好関係を結ぶという意味である、とフォースター版には、塩に関する注釈がついている。周作人が、もしこのフォースター版によっているのであれば、なんらかの注釈を漢訳にほどこしていてもいいはずだ。それが、ない。漢訳の底本がフォースター版そのものではない、という傍証となろうか。
 商人に扮装しているのが盗賊の首領であることを見破ったモルギアナは、計略を思いつく。あの有名な、踊りにまぎれて短刀で首領を刺し殺す場面をむかえる。
 食後の酒がしつらえられる。フォースター版などは、「ブドウ酒 wine」とする(スコット版、ニモ社版、ニュウンズ社版は、酒についていわない)。ところが、漢訳は「ビール(〓口卑}酒)」とするのはなぜか(異同30)。
 仮面をつけたモルギアナは、短刀を手にして踊り終わると、投げ銭を求めるしぐさで首領に近づき、胸を刺しつらぬいた。盗賊の首領は、こうして死んだ。
 驚くアリ・ババ親子に、モルギアナは説明をする。塩を食べないという奇妙な申しでを聞いて怪しく感じた、首領のたくらみがあることを疑った、と(427頁)。周作人は、それらを逐語訳するのではなく、まとめて「その挙動が多くは疑わしかったのです(其挙動多可疑)」(46頁)とだけに簡略化した。


◎15 結末――原文から逸脱した漢訳
 アリ・ババは、何度もモルギアナに命を助けられた。その恩義にむくうために、アリ・ババは、息子の嫁になるように彼女に申し入れる。

【フォースター】I present you to my son, as his wife.(妻として私の息子にお前を贈ることにする)427頁
【周作人】将以汝為吾子婦。(お前を私の息子の妻とする)46頁

 ふたつの文章を並べたのは、ここは漢訳が英文に忠実であることを示すためである。
 しかし、そのあとが大いに異なる。
 英文原作では、アリ・ババが息子にむかって、命の恩人であるモルギアナを妻にすることに不満があるわけではあるまい、と説得する言葉がつづく。また、息子としても彼女が嫌いではないから、すでに結婚する気になっている。
 以上、英文で約21行が、つぎのような漢訳に変身するのである。

【周作人】曼夷然曰。除患。吾分也。吾不敢邀非分之福。且予自行心之所安。富家婦何足算。吾勿願也。卒不許。(モルギアナは、平然と、災いを除くのが私の役目です、というのでした。分不相応の福を求めるつもりはありません。また、私は心のやすまることを行ないますから、裕福な家の嫁になることなど思いもしません。私は、願ったりしません。とうとうそうなることを許しはしませんでした)46頁

 漢訳は、原作を大きくはずれている。まるで反対なのだ。幸福な結婚話をモルギアナに拒絶させているのである。聡明で機敏な奴隷が、なんの目的があって結婚話を断わるのか。中国人読者も狐につままれた思いをしたのではないか。周作人のこの改変については、あとで問題にする。
 モルギアナが結婚を断わるから、周作人の漢訳では、盛大な結婚場面(英文で10行)を削除しなければならなくなる。
 アリ・ババは、ほとぼりが冷めてから馬にのってふたたび洞窟をおとずれた。盗賊の全員が死亡したことを確かめて、後には息子にも洞窟の秘密を教え、裕福にくらしました。おしまい。
 これが原作なのだが、周作人は、息子に秘密を教えたところまでは翻訳していない。
 最後に、周作人は、英文原作にない1文をつけくわえた。

【周作人】曼綺那其後不知所終。(モルギアナはその後どうなったのかわかりません)47頁

 奴隷の身分から解放されたモルギアナは、どこに行ったというのだろう。
 周作人は、独自に考えて、民話の終わりかたではない方法を採用したということになろう。

●4 漢訳底本の確定にむけて
 周作人の改変を問題にするまえに、底本探索について今後の方針を述べておこう。
 本稿を書く目的のひとつは、周作人が漢訳するさいに使用した英文原作の版本を明らかにすることだった。
 私の力の及ぶ限りで各種版本を収集し、フォースター版、フォースター系およびその他のいくつかの版本を見てきた。その結果は、周作人の漢訳底本は、フォースター版にきわめて近い、というものだ。ゆえに、私の見るところ、底本は、フォースター版そのものではないにしろ、フォースター系のなかの1種類である。
 漢訳をいくつかの版本と比較対照した結果、複数の異同点がえられた。それらを列挙しておいた。今後は、この異同点を手掛かりにすることができる。しかも、上にあげた版本を除外してかまわない。捜索範囲をいくらかせばめることが可能だ。
 いま少しの版本を収集することができれば、底本問題は解決できると確信している。

●5 周作人の改作部分について
 底本が確定できていない、という制限が、現在のところある。
 しかし、底本に近い版本には到達している。また、以上、漢訳と複数の英文原作の文章をこまかく見てきたように、語句の異同とはいえ大部分が小さい範囲内のものにすぎない。
 周作人の翻訳態度は、基本的に英文原作に忠実であろうとしている。これは、たしかだろう。
 ただし、注目すべきいくつかの箇所が、周作人独自の判断によって書き換えられているのも事実だ。周作人自身が、書き換えたことを認めている。
 周作人によって行なわれた比較的大きい削除、あるいは小さいけれども重要な書き換えである。それらは、物語の主題と密接な関係をもつ部分だということができる。
 漢訳底本は確認できていないことをくりかえすが、しかし、現在手元にある版本でも、その書き換え部分は、十分にみわけがつく。制限があることを承知で、周作人によって行なわれた、女性についてのふたつの書き換え問題を考える。

○アリ・ババと兄嫁の結婚問題
 英文原作では、アリ・ババは、寡婦となった兄嫁と結婚することになっている。
 周作人は、結婚を「同居」に書き換えた。その理由は、当時の中国の礼教にあわないからという判断だった。
 英文の結婚は、漢訳の「同居」とそれほど違うものなのか、といえば角がたつ。重要なのは兄嫁のほうなのだ。礼教は、兄嫁との結婚は許さないが、同居は大目にみるのであろう。だからこそ周作人は、そのように変更した。
 当時の中国でそれほどやっかいな礼教であるならば、漢訳ではいっそのことこの部分を削除するのも選択肢のひとつではなかったか。
 英文原作でも、タウンゼンド版およびニュウンズ社版は、アリ・ババが、寡婦となった兄嫁を妻にする部分を削除している。
 別の方面からいえば、この部分にこそ周作人の翻訳姿勢を見ることもできる。
 すなわち、原文に忠実であろうとする翻訳姿勢が周作人にはあったことが理解できるのだ。原文に忠実であろうとするあまり、関連部分を削除することができなかった。少しの書き換えをすることによって、礼教と折り合いをつけ、なんとか困難を切り抜けようとしたとわかる。
 つまり、結婚を「同居」に書き換えたということは、当時、周作人は、礼教に反対していたのではなく、礼教の影響を強く受けていた証拠ともなる*24。
 だが、ここには矛盾があることに周作人は気がついていない。
 もともとは外国の作品である。そこに述べられている文化が、中国の当時の倫理にあわないからといって変更を加えることは、翻訳というものの本質を周作人が理解していなかった証拠ともなろう。改変ではなく、注をほどこすことによって文化の違いを説明する方法を考えつかなかったものだろうか。以前、ゴマを説明するところで、注を利用していた。周作人は、知らないわけがない。だが、兄嫁との結婚については、注を使うことは考えつかなかった。事実が明らかにしている。だからこそ、根が深いということも可能だ。

○モルギアナ問題
 冒頭にかかげた「序」において、周作人の「アリ・ババ物語」に対する読みが明らかにされていると書いた。女奴隷、すなわちモルギアナの知恵と勇気を讃えている。漢訳の最後部分に出現したモルギアナに関する部分を周作人が書き換えたのも、その主張に沿ったものだと考えるべきだろう。
 書き換えのひとつは、モルギアナは、アリ・ババの息子との結婚を拒否する。
 周作人は、その理由をモルギアナに言わせて「分不相応の福を求めるつもりはありません」とした。なんとも卑屈な言辞である。奴隷の身分から解放されても、精神は奴隷のままである、といっているのとかわりはない。
 周作人は、「序」においてわざわざのべたように、モルギアナを称賛して、かえす刀で根っからの奴隷根性者を批判するつもりだった。
 だが、物語の結末にいたって、モルギアナは結局のところ根っからの奴隷根性者と同じ類の奴隷でしかないということになった。しかも、モルギアナ自身が思想的に目覚めていないことになるのだから、この改変は逆効果だった。それどころか、最悪の結果につらなる改変であるというべきだ。
 奴隷出身の女性の英雄は、幸福な結婚をしてはならないのか。周作人の書き換えには、大いに疑問を感じる。
 書き換えのふたつは、モルギアナの末路が不明だとする点だ。
 アリ・ババの息子との結婚を拒否したそのあげく、その後がどうなったのか不明だとして物語が終わる。
 息子が女奴隷と結婚することに抵抗を周作人は感じたのかと推測する。そうならば、ここでも当時の礼教の影響を強く受けていた証拠となる。つまり、周作人自身が女奴隷に対して差別の感情を抱いていることを意味する。
 さすらい者であるならば、義侠の精神を発して貧乏人、正直者を助けたあとどこかへ去っていく、ということもあろう。しかし、モルギアナは住み込みの奴隷である。周作人は、彼女に金銭も与えず(その記述がない)、追い出してどうしたかったのか。
 「侠女奴」と題して女奴隷が主人公だと認識している。また、冒頭の「序」においてもモルギアナが機敏聡明だともちあげて賞賛している。しかし、周作人の改変によって、女奴隷の末路は、その働きに応じた名誉あるものではなくなった。
 英文原作は、奴隷であっても自らの才覚によって幸福を得られるという大団円を迎えるのだ。原作のままに漢訳すれば、自然とモルギアナの英雄的行動がそのまま表現され、読者もそれを理解することになる。手を加える必要なのはじめからなかったのだ。
 これほどまでにモルギアナを侮辱する書き換えはないのではなかろうか。
 「アラビアン・ナイト」の世界をぶちこわす改変であるといわなければならない。私が最悪という理由である。
 賛美するつもりで行なった改変が、その逆の効果しかもたらさなかったのは、周作人にとっては皮肉であった。また、長年を経たあとにもそれに気づかなかったらしく思える。周作人が複数回にわたって述べた回想録を読んで、そう感じる。どこにも反省らしき言葉がない。
 幸福な結末を設定した英文原作を裏切ってまで、独自に書き換えなければならなかった理由はなにか。
 周作人が漢訳「アリ・ババ物語」の改変部分で見せた女性差別の考えは、どこから出たものか、まことに不思議なのである。
 周作人をとりかこむ当時の環境を考えれば、私はひとつの前例があることに思い至る。
 周作人の兄周樹人(魯迅)が、留学先の日本で創造した英雄的女性像である。
 その女性の名前は、セレナという。魯迅が「斯巴達之魂」のなかで創造した女性だ。
 魯迅の「斯巴達之魂」は、日本で発行されていた『浙江潮』第5期(癸卯五月二十日 1903.6.15)および第9期(癸卯九月二十日 1903.11.8)の小説欄に合計2回掲載された。
 戦場から逃げもどった夫を自殺をもって諌めたのがセレナである。賞賛すべきスパルタの魂、尚武精神をもつ女性というわけだ。
 セレナは魯迅が創作した人物だ、となぜわかるのかといえば、スパルタの歴史を知っている人ならば作りえない、矛盾だらけの、スパルタにはそもそも存在しえない種類の女性であるからだ。
 魯迅が頭のなかで勝手に考えたスパルタ人であって、彼の書いているセレナは、本質は中国人なのである*25。古代ギリシア世界に中国人を登場させるという奇妙きわまりない作品が魯迅の「斯巴達之魂」だ。
 「斯巴達之魂」の公表は、周作人が「侠女奴」を漢訳する前である。周作人は、兄の作品を読んでいたはずだ。英雄セレナを見て、周作人が影響を受けたとしても不思議ではない。
 『アラビアン・ナイト』のなかから「アリ・ババ物語」を選択したのも、主要人物のひとりが女奴隷であることが理由のひとつになったと考える。セレナにならって、この女奴隷をより英雄的な人物にすることを思いつくのも自然であろう。題名を「侠女奴」と変更して、ますますそれらしくなる。
 魯迅のセレナが自殺するという悲劇の色調を帯びているから、モルギアナにも同じような運命に泣いてもらおう。アリ・ババの息子との結婚を断わり、行方知れずに書き換えたというわけだ。あくまでも周作人が考える英雄的女奴隷の行動なのである。
 魯迅は、存在しえないセレナを創造することによって古代ギリシアの世界を破壊した。
 それとおなじく、周作人は、モルギアナを賞賛するつもりで文章を改変し、実のところモルギアナにひどい仕打ちを加えることによって「アラビアン・ナイト」の世界を破滅に導いた。
 周兄弟がふたりともに、生涯にわたり自分のやったことを意識しなかったところに、問題の深刻さがある。



★本稿は、大阪経済大学2002、2003年度特別研究費による研究成果の一部である。

【注】
12)佐藤正彰訳『千一夜物語』W「世界古典文学全集」第34巻 筑摩書房1970.3.30/1983.12.20第2刷。136頁
13)前嶋信次訳「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」『アラビアン・ナイト別巻』平凡社1985.3.8/1994.4.20第3刷。204頁
14)原本について保坂修司の言及がある。「これには依拠したテキストが記されていないが、おそらく前者(樽本注:アラジン)はゾータンベール、後者(注:アリ・ババ)はマクドナルドではないかと思われる」(「千夜一夜物語翻訳事始――前嶋信次訳『アラビアン・ナイト』の歴史的意義について――」『日本中東学会年報』第1号1986.3.31。375頁)
15)ロバート・アーウィン著、西尾哲夫訳『必携 アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ』平凡社1998.1.14。83-84頁
16)奚若翻訳、金石校訂「記瑪奇亜那殺盗事」(『天方夜譚(述異小説)』第4冊 上海商務印書館 丙午4(1906)/1913.12再版 説部叢書1=54)
17)前嶋信次訳「アリ・ババと四十人の盗賊の物語」209頁
18)佐藤正彰訳『千一夜物語』W。140頁
19)ただし、イスラム史の知識をもつ英訳者ならば、セキンを古代の金貨とすることはありえないという(杉田英明氏のご教示による)。この部分は、周作人の判断による書き加えの可能性もある。
20)佐藤正彰訳『千一夜物語』W。145頁注2
21)単行本では、「〓クサ今}」に誤る。17頁
22)マルドリュス訳では土器になっている。「内側に釉薬をなけた素焼きの大甕で、首が広く腹のふくらんだやつ」佐藤正彰訳『千一夜物語』W。150頁
23)スコット版は、Abdoollah とする(552頁)
24)郭延礼の指摘がある。郭延礼『中国近代翻訳文学概論』漢口・湖北教育出版社1998.3。「《侠女奴》的翻訳較之原作《阿里巴巴和四十大盗》略有出入。第一,《天方夜譚》中的這個故事,阿里巴巴的哥哥〓ka西姆(Cassim)死後,阿里巴巴娶了寡嫂,這本是当地回教的習俗。《侠女奴》故意用“同居”(原兄弟二人不在一處住)来掩飾“弟取寡嫂”這一情節。周氏訳文於此描述得比較含糊,文云:“…………”此可見周作人思想中所受封建礼教的影響。第二,突出了曼綺那的形象並把故事命名為《侠女奴》,既符合原作的本意,也強化了故事的反抗意識」455頁
25)魯迅の創作したセレナは中国人だったからこそ同級生たちに歓迎された。松陵女子潘子〓王黄}「中国女剣侠紅線聶隠娘伝」(『女子世界』第4、5、7期1904)の結論部分につぎのような興味深い記述がある。目を閉じて会いたいと思う若くて剣を身につけた女性といえば、私の前に立つのはスパルタの女子の魂(斯巴達女子之魂)ではないのか。ああ、もしも九天の上、九地の下で紅(線)聶(隠娘)らに会わせたならば、必ずや意気投合するだろう。ここでいう「斯巴達女子之魂」は、魯迅のセレナにほかならない。しかも、周作人は「侠女奴」の序において紅線の名前をだしている。紅線を共通項にして、魯迅の創作したセレナと周作人が改変したモルギアナが文字通り結びつくのだ。


(たるもと てるお)