中国におけるコナン・ドイル(4)



樽 本 照 雄


●9 周桂笙の漢訳「竊毀拿破侖遺像案」
 『新民叢報』掲載の漢訳ホームズ物語は、どういうわけか1篇しか存在しない。
 説明が必要だ。なぜこう書くかといえば、『新民叢報』を見れば、翻訳の連載を予定していて、それが中断したようにしか思えないからだ。
 冒頭に「歇洛克復生偵探案」と掲げている。今までは、これを作品名としてあつかい、実態は、「竊毀拿破侖遺像案」すなわち「六つのナポレオン The Adventure of the Six Napoleons」である、と説明してきた。この作品ひとつしか『新民叢報』には掲載されなかったから、そうせざるをえない。
 だが、考えてみれば、作品ひとつにふたつの題名というのは不自然である。もともとは、連載を予定していたのではないかと想像する。
 つまり、想像されるいきさつはこうだ。
 『シャーロック・ホームズの帰還』にあたる「復活シャーロック探偵事件(歇洛克復生偵探案)」がシリーズ全体の題名である。その翻訳第1作として「竊毀拿破侖遺像案」が登場した。その後も継続して漢訳を掲載する計画だったが、なにかの理由で中断した。結果として漢訳第1作だけが残った。
 訳者の周桂笙といえば、『新民叢報』に漢訳ホームズ物語を掲載したのと同じ頃、小説林社から出版されている『福爾摩斯再生案』シリーズの翻訳者のひとりだ。原物で確認できてはいないが、奚若との連名になっているらしい。『新民叢報』の掲載が1作のみで終わったことと『福爾摩斯再生案』の発行とは、なにか関係があるように思う。その事情を説明した文章を、今まで、見たことがない。不明とせざるをえない。
 阿英目録(151-152頁)に、つぎのような単行本が記録されている(傍線は省略。以下同じ)。

最新偵探案彙刊 新民叢報社訳印 光緒三十二(一九〇六)。収小説四種:
竊毀拿破侖遺像案 英陶高能著 知新子(周桂笙)訳
失女案 知新室主人(周桂笙)訳
毒薬案 無〓羨斎主訳
双公使 知新室主人(周桂笙)訳

 いずれもが『新小説』に掲載された漢訳だ。「歇洛克復生偵探案」シリーズが継続できなかったので、別の作品とあわせて単行本にしたものかと想像する。

○「ナポレオン像盗難破壊事件(竊毀拿破侖遺像案)」――「六つのナポレオン」
 (英)陶高能著、知新子(周桂笙)訳述。「歇洛克復生偵探案」シリーズ。『新民叢報』第3年第7号(原第55号)(光緒三十年九月十五日1904.10.23)掲載。
 162 The Adventure of the Six Napoleons | Colliers Weekly 1904.4.30: The Strand Magazine 1904.5

 原作がアメリカ、イギリスで発表されたのち、わずか半年ばかりで漢訳が掲載されている。ほとんど同時といってもいい。
 冒頭に「弁言」が掲げられていることは、紹介した。
 西洋人の名前を漢訳すると字数がふえて、わずらわしいという意見があった。周桂笙は、中国人が読むのになるべく気にならないように、翻訳に工夫をしている。人名は、字数を少なく漢訳するのだ。いくつか例をあげる。

Mr. Lestrade レストレイド 李師徳
Sherlock Holmes シャーロック・ホームズ 歇洛克(呵爾唔斯)
Dr. Watson ワトスン 滑震
Napoleon ナポレオン 拿破侖
Morse Hudson モース・ハドスン 毛四
Dr.Barnicot バーニコット 白尼谷
Devine ドゥヴィーヌ 田横
Harding Brothers ハーディング・ブラザーズ 哈廷兄弟
Mr.Josiah Brown ジョサイア・ブラウン 鮑老恩
Mr.Sandeford サンドフォード 桑得福
Pietro Venucci ピエトロ・ヴェヌッチ 玉〓・温
Lucretia Venucci リュクリーシア・ヴェヌッチ 玉仙・温

 慣用で短いものも含まれるが、ほとんど3文字以内に縮める努力をしていることがわかる。(もっとも、別の解決法はある。どんなに長い漢訳名になろうとも、全部を示すのは最初だけにして、つぎからは冒頭の1文字だけを使えばいい。周桂笙は、この方法も併用している)
 漢訳の最初のほうで、すこし、ひっかかるところがある。

Then he had fallen silent, puffing thoughtfully at his cigar.(それから黙り込んで、葉巻をふかすと、考えにふけっていた)279頁
無復他言。吸淡巴菰(それ以上は話さず、タバコを吸った)2頁

 「葉巻」は、漢語では「雪茄煙」といい、当時、すでに翻訳語として存在していた。それをわざわざ「タバコ」とする必要があるのか。
 事件をホームズに持ち込んだレストレイドがいうセリフのなかで、事件というよりも、病気かもしれないという意味で、つぎのようにいう。

But, in my opinion, it comes more in Dr. Watson's line than ours.(ただわたしの考えでは、これはわたしたちの専門というより、むしろワトスン先生の受け持ちかと思います)280頁
然今茲之事。吾恐雖滑震先生。亦無能為力也(しかし、これは、おそらくワトスン先生といえども、どうすることもできないでしょうよ)2頁

 原文の事件の性質からいえば、ワトスンの専門だ、というのと、漢訳のワトスンでもダメというのは、微妙に違ってくる。

This Dr. Barnicot is an enthusiastic admirer of Napoleon,(このバーニコット先生というのがナポレオンの熱烈な信奉者で)281頁
当法皇拿破侖在日。此医士頗蒙信用。屡邀奨錫(フランス皇帝ナポレオンが生きていたとき、この医者はとても信用されて、たびたび栄誉をあたえられた)3頁

 知らない人が読めば、なんでもなさそうな箇所だ。だが、漢訳は、原文から離れてしまっている。このナポレオン胸像事件は、1900年に発生したと考えられる。バーニコットが、ナポレオン(1769-1821)の最晩年に面識を得たとして、事件発生の時点ですでに79年の歳月が過ぎている。ナポレオンに信用されていたバーニコットが20歳のころと若く見積もっても、事件があった1900年には、99歳だ。ありえない。周桂笙は、なぜ、バーニコットを原文通りにただの信奉者にしておかなかったのか。おかしく感じる部分だ。
 フランスの彫刻家ドゥヴィーヌ作成のナポレオン胸像が、つぎつぎに壊されていくという不可解な事件である。
 これにイタリア人の殺人事件がからむ。マフィア(馬非亜)という言葉も登場する。レストレイドが誤った判断をするのは、定石通りだ。
 製造元が同じ6個のナポレオン胸像というのが、ヒントである。そのなかのひとつに、黒真珠が隠されているのが事件の真相なのだ。犯人は、胸像に黒真珠を埋め込み、取りだそうと壊してまわった。
 漢訳には、省略がある。
 記者のハーカ宅で殺人事件が起こった場面だ。記者だから記事を書かなくてはならないが、気持ちが動転してしまい文章を書く気にならない。昔、ドンカスターにおいて観客席がくずれた時、ハーカは現場に居合わせたにもかかわらず、唯一事件の載っていない新聞が、彼の社のものだった。つまり、目撃したが衝撃が強すぎて記事を書くことができなかったということ。この挿話を漢訳は省略する。
 すこしの加筆も行なう。
 6個作成されたナポレオン胸像の残る1個を買い取ったホームズは、それを白い布のうえでたたき壊す。
 加筆直前の英文原作は、以下のようになっている。

He began by taking a clean white cloth from a drawer and laying it over the table. Then he placed his newly acquired bust in the centre of the cloth. Finally, he picked up his hunting-crop and struck Napoleon a sharp blow on the top of the head. The figure broke into fragments,(彼はまず引き出しからきれいな白い布を取り出すと、テーブルの上に広げた。そしてかれが新たに手に入れた胸像を布の中心に置いたのである。その後で、狩猟用の乗馬むちを手にとり、ナポレオン像の頭上に鋭い一撃を加えた。像は粉々に砕けた)306頁
歇乃出白布尺幅。取像厳裹之。挙棒猛撃。則此瓦全者。又〓[齏]粉矣。(シャーロックは、1尺幅の白い布を取り出すと、胸像をそれできつく巻いた。棒で鋭くたたきつけると、この胸像は粉々にくだけた)18頁

 原文が、胸像を白い布のうえに置いているのに、漢訳では、それを布でくるんでしまった。その違いはあるが、あとは、ほぼ原文通りだといっていいだろう。
 ところが、つぎの加筆が漢訳にはある。

余及李師徳自旁観之。不覚愕然。此何故耶。豈其以此像之故。奔走一昼夜。往還数十里。無可洩其忿。故撃砕之。不使復有一像存於世間耶。果如是。毋乃〓乎。歇殊不然。既砕之。従容啓其布。(私はレストレイドとそばで見ていて、愕然とした。これは、どうしたことか。この胸像のために、一昼夜、奔走し、数十里を往復することになり、そのうっ憤を晴らすことができなくて破壊したのか。あるいは、世間に胸像を存在させたくないのか。もしそうなら、どうか錯乱しないでくれ。ところがどっこい、シャーロックは、それを粉砕すると、落着いて布をひろげたのだった)18頁

 原作が、ナポレオン像を打ち砕いたあと、すぐさま破片を点検するホームズを描写するのは、周桂笙にとってみれば、説明不足に感じられたのかもしれない。物語の最終部分ではあるが、事件の真相を知らないワトスンだから、いかにもいだきそうな感想を、周桂笙はドイルにかわって披露して見せた。
 漢訳者によるこの加筆部分は、あったほうが読者の理解を助けるかどうかは問題だろう。
 加筆があった方が、作品の理解を深める、というわけでもない。私の考えでは、この加筆はなくても、別にかまわない。
 それよりも、破片のなかから黒真珠を見つけ出し、誇らしげに居合わせた人々に紹介するときのホームズについて、重要な部分を漢訳は削除するのだ。こちらの方が、問題が大きい。

It was at such moments that for an instant he ceased to be a reasoning machine, and betrayed his human love for admiration and applause. The same singularly proud and reserved nature which turned away with disdain from popular notoriety was capable of being moved to its depths by spontaneous wonder and praise from a friend.(彼がほんの短い間でも論理的な機械人間であることをやめ、賞賛や拍手を好む、人間らしさをうっかり表わすのはこういう瞬間だった。通俗的な評判を軽蔑して、そこから顔をそむける、非常に誇り高く、控え目な性格の人間でも、友人の自然な驚きや賞賛によって深く心を動かされることがあるのだ)307頁

 世俗の評判を意に介さない、超俗的にみえるホームズでも、私的な場面では、地のままの部分を表わすことがある。ホームズの人間的な表情が見られるめずらしい箇所なのだから、それを削除してしまっては、作品のふくらみを削ぐことになる。残念な周桂笙の判断であった。
 上に見てきたように、誤解と省略、あるいは加筆がすこしある。だが、これくらいですんでいるのは、問題が少ないほうだということはできる。決定的な間違いがない、というのがよろしい。

○周桂笙にとってのホームズ――実在の探偵
 どうしても問題になるのが、周桂笙がいだいているホームズ実在説である。
 周桂笙がシャーロック・ホームズは実在していたと考えていることについては、すでに述べた(本稿「2 漢訳ホームズ物語の反響」)。
 むしかえすようだが、もう少し補足説明しておきたい。
 「竊毀拿破侖遺像案」の前につけられた「弁言」において、つぎのように説明する。すなわち、ホームズが事件を解決し、ワトスンがそれをノートに記録、ドイルが小説に仕立てた。すなわち、ホームズは、近代探偵の名人なのである(英国呵爾唔斯歇洛克者。近世之偵探名家也)。
 現在からは、想像もつかないような珍説ではあるが、そう書かれているのだから、信じるほかない。
 同じく「弁言」に、その後につづけてこうも説明する。
 ホームズが逝去してのち、奇怪な事件はつぎつぎと発生したが、彼のように事件を解決できる人がいない。ドイルは、ほとんど筆を折りそうになったが、ホームズを復活させることにした。
 ホームズが死去しているのなら、それ以後の作品は、ドイルの創作である。周桂笙が、こう認識しているかというと、そうでもない。
 何事もとるに足りないということはない、細部に拘泥しろ、というのがホームズの探偵術の基本だ。
 上の「ナポレオン像盗難破壊事件(竊毀拿破侖遺像案)」のなかに、こうある。

You will remember, Watson, how the dreadful business of the Abernetty family was first brought to my notice by the depth which the parsley had sunk into the butter upon a hot day.(ワトスン、君は覚えているだろう、アバネッティ家のあの恐ろしい事件が、ぼくの注意をひいたのは、暑い日にパセリがバターの中に沈んだ深さだったのだからね)283-284頁
吾自〓某案後。従此不復敢軽於料事矣。滑震君想猶能憶及之。(僕がある事件を手掛けてのちは、二度と軽はずみに推測しないことにしたのだ。ワトスン、君は覚えているだろう)5頁

 漢訳には、パセリもバターも出てこない。「アバネッティ家のあの恐ろしい事件」は、「某案」に置き換えられた。すこしの省略があるということだ。問題は、この部分につけられた割注なのだ。

歇洛克死已久矣。作者乃託為復生。故挿此数言。以肖其口吻。以乱読者之目。固不必刻舟求剣。問為某案也。(シャーロックは、だいぶまえに死去している。作者は、復活したことにしているから、口ぶりをまねてこの言葉を挿入したのだ。読者の目をごまかそうとしているので、必ずしもこだわって某事件のことをたずねることはない)5頁

 ホームズ物語がドイルの創造であると周桂笙が考えているならば、上のような注釈は必要ない。死亡しようが復活しようが、自由自在だ。
 だが、ホームズが実在している人物だと考えているとすれば、どうなる。ホームズは、モリアーティ教授と格闘し、ライヘンバッハの滝壷に落ちて死んだ。この死亡したことだけは、事実だと周桂笙は考える。だから、「シャーロックは、だいぶまえに死去している」という注になる。
 過去の事件記録であれば、ホームズが活躍するのに不思議はない。しかし、ホームズを復活させたとわざわざ書くところから、事件は、過去のものではなく、現実に発生しているととらえている。つまり、ドイルは、生き返らせたホームズに現実の事件を推理解決させようとしている、と周桂笙は考えているのだ。奇妙というよりしかたがない。
 周桂笙は、ホームズ物語に関して、現実と創作の区別がついていないのではないか、と疑わせるのに十分である。
 つぎは、おなじ『シャーロック・ホームズの帰還』に収録された復活第1作「空き家の冒険」を検討する。これも周桂笙の翻訳だ。

●10 『福爾摩斯再生案』の謎
 ここにも謎がある。探偵小説だから謎というわけではない。
 小説林社がシリーズで翻訳発行した『福爾摩斯再生案』に関する謎なのだ。ただし、私は該シリーズを見る機会をえていない。
 見ることができないから、阿英目録(158-159頁)から引用する(原作名を補う)。

福爾摩斯再生案 英柯南道爾著。小説林社刊。奚若訳。
 第一冊:光緒三十年(一九〇四)刊。収再生第一案 The Adventure of the Empty House。
 第二冊:光緒三十年(一九〇四)刊。収亜特克之焚屍案 The Adventure of the Norwood Builder,卻令登自転車案 The Adventure of the Solitary Cyclist。
 第三冊:光緒三十年(一九〇四)刊。収麦克来登之小学校奇案 The Adventure of the Priory School,〓爾逢登之被螯案 The Adventure of Charles Augustus Milverton。
 第四冊:光緒三十二年(一九〇六)刊。収毀拿破侖像案 The Adventure of the Six Napoleons,黒彼得被殺案 The Adventure of Black Peter,密碼被殺案 The Adventure of the Dancing Men,陸聖書院窃題案 The Adventure of the Three Students,虚無党案 The Adventure of the Golden Pince-Nez。按此五種,〓有分冊。

 今まで書かれた文章は、この阿英の記述を基本的に資料としている。これだけを見れば、すべてが奚若の翻訳になる。だが、これは正しくないようだ(後述)。
 そのほか、参照できる資料は、以下のようなものがある。
 ○1 『月月小説』第5号光緒丁未1907正月「紹介新書」
福爾摩斯再生後之探案第十一二三 小説林発行 定価四角
「吾国周君桂笙所訳福爾摩斯再来第一案。首先出版。頗受歓迎。而続訳者又踵起矣」「故自第八案以後。仍倩ママ周君桂笙。一手訳述。今最後之第十一二三三案。又已出版。共釘一冊」
 これによれば、第一案と第八案から第十三案までは、周桂笙の翻訳だ。

 ○2 『小説林』第9期 戊申1908年正月「小説林書目」
福爾摩斯再生一至五案 一 丙午五月五版 奚若、周桂森ママ ・四五
福爾摩斯再生六至十案 一 丙午十月六版 奚若、周桂森ママ ・四
福爾摩斯再生十一至十三案 一 丙午十月 周桂森ママ    ・四
 合本で重版、あるいは初版が発行されたことがわかる。ただし、最初から合本であったかどうかは、不明。

 ○3 賈植芳、兪元桂主編『中国現代文学総書目』福州・福建教育出版社1993.12。894頁
福爾摩斯再生案 小説。[英]柯南道爾著,華生筆記,周桂笙等訳。上海小説林社1904年2月第1冊初版;10月第2-5冊初版;1905年12月第6-8冊初版;1906年5月第9-10冊初版;1906年10月第11-13冊初版。収入小説林叢書。
 この記録は原物によって書かれているらしい。冊数から見ると、1作品を1冊で発行したことがわかる。

 ○4 『中国近代文学大系』第11集第27巻翻訳文学集2(施蟄存主編) 上海書店1991.4。写真版に書影あり。
 写真版の書影は、小さくて判別がむつかしい。見ると、そのうちの2冊が『福爾摩斯再生案』のようだ。表紙に目をこらせば、書名には「案」がついていない。表紙の書名と本文、奥付の表記が異なるばあいも普通に見られる。小さな写真だから本の厚さまでは、わからない。1作品1冊という形態だとすれば、ほとんど小冊子だろう。

 書誌についてあれこれ予想することは、あまり意味がない。いくら合理的に考えたところで、実物が、すべての予想を簡単にくつがえすことがあるからだ。
 だが、小説林社の『福爾摩斯再生案』については、原物を見ていないにもかかわらずのべないわけにはいかない。今まで誰も疑義を提出していないが、おかしなところがあることに気がついた。第2次資料にもとづいて推測をのべる。
 阿英目録を除いて、いずれも細目を明示しない。だから、それぞれを補いながらの記述になる。
 郭延礼が『中国近代翻訳文学概論』の110、148、349、356頁において、『福爾摩斯再生案』が全部で13篇の探偵物語を収録し、前の10篇は奚若の翻訳、周桂笙が後ろの3篇を翻訳した、とくりかえして書くのは、上の資料によっている。
 ただし、郭延礼は、『月月小説』「紹介新書」の記事を見逃していない。この「紹介新書」には、福爾摩斯再来第一案は、周桂笙の翻訳だと説明する。奚若ではないらしい。だから、疑問として残した(郭延礼356頁注1を見よ)。
 郭延礼は、第2次資料によって説明をしているから、『福爾摩斯再生案』の原物は見ていないのだろうと考えられる。だが、彼は、不思議なことに、見ていないはずの奚若訳「再生第一案」の本文を『中国近代翻訳文学概論』の356-360頁に引用しているのだ。
 郭延礼は、漢訳を示したうえで、奚若の翻訳の質について検討してつぎのように書いている。
 「私は、上の訳文を原文と対照し、最新の漢訳本も参照してみて、奚若の翻訳が基本的に原著に忠実な直訳であることを発見した」(360頁)
 郭延礼のこの判断は、まず、翻訳者について間違っているのではないか、もうひとつ、本当に「翻訳が基本的に原著に忠実な直訳である」かどうか、あとで問題にする。
 私が気づいた奇妙なことについて説明しよう。
 そのひとつは、「再生第一案」だけが、そのほかの漢訳題名となじまない。
 各作品の漢訳題名が、事件の内容を表わすものになっていることは、見ればわかる。たとえば、「亜特克之焚屍案 The Adventure of the Norwood Builder」は、「オールデイカー死体焼却事件」となる。
 それらのなかに、「復活最初の事件(再生第一案)」を置いたとき、これだけが事件内容を示していないところに違和感がある。あっさりしすぎてほかのものとつりあわない。
 さらに、『月月小説』の「紹介新書」にある「吾国周君桂笙所訳福爾摩斯再来第一案(周桂笙氏の翻訳したホームズ復活最初の事件)」をどう考えたらいいのか。福爾摩斯再来第一案を周桂笙が翻訳したのであれば、奚若訳「再生第一案」と矛盾するではないか。
 もうひとつ、(英)柯南道爾著、周桂笙訳「阿羅南空屋被刺案」が、前出『中国近代文学大系』11集27巻翻訳文学集二に収録されている。これが、シャーロック・ホームズが復活する第1作“The Adventure of the Empty House”であることは、「漢訳コナン・ドイル小説目録(初稿)」に書いてある通りだ。しかも、大系本には、文末に出典を明記し、「選自《福爾摩斯再生案》第一集,《小説林》1904年版」(934頁)とする。
 漢訳本文を対照してみれば、「阿羅南空屋被刺案」と郭延礼の引用するいわゆる「再生第一案」は、同文であることがわかった。
 以上を総合して、どういうことかといえば、郭延礼は、阿英目録にある「福爾摩斯再生案 英柯南道爾著。小説林社刊。奚若訳。/第一冊:光緒三十年(一九〇四)刊。収再生第一案」(158頁)を信じてしまい、本当は周桂笙の漢訳であるにもかかわらず、奚若の翻訳として『中国近代文学大系』から原文を引用したということだ。
 推測すれば、阿英の書いている漢訳題名「再生第一案」は間違いだろう。本当は、「阿羅南空屋被刺案」であるらしい。翻訳者も、奚若ではなく、周桂笙である。
 こう考えてこそ『月月小説』の「紹介新書」に見える「吾国周君桂笙所訳福爾摩斯再来第一案」が矛盾なくおさまる。
 原物で確認できる機会がくることを願っている。
 周桂笙の翻訳であるというが言及のない原作は、以下の3作品だ。参考までにあげておく。
165 The Adventure of the Missing Three-Quarter | The Strand Magazine 1904.8
166 The Adventure of the Abbey Grange | The Strand Magazine 1904.9
167 The Adventure of the Second Stain | The Strand Magazine 1904.12

 というわけで『福爾摩斯再生案』のうち、現在、読むことができるのは、周桂笙漢訳の次の作品のみである。

○「アデア、ロナルド空き家殺人事件(阿羅南空屋被刺案)」――「空き家の冒険」
 (英)柯南道爾著、周桂笙訳 『中国近代文学大系』11集27巻翻訳文学集二 上海書店1991.4(選自《福爾摩斯再生案』第一集,《小説林》1904年版)
 155 The Adventure of the Empty House | Colliers Weekly 1903.9.26: The Strand Magazine 1903.10

 書き出しを見てみよう。

It was in the spring of the year 1894 that all London was interested, and the fashionable world dismayed. by the murder of the Honourable Ronald Adair under most unusual and inexplicable circumstances.(ロナルド・アデア閣下が異常極まる不可解な状況で殺害されて、ロンドン中が好奇の目を光らせ、社交界に動揺が走ったのは、一八九四年の春のことであった)15頁
約翰・華生曰:余自作緝案被〓記,輟筆已数年於茲矣(ジョン・ワトスンが言う。私が逮捕殺害記録をつけていたのをやめてすでに数年になる)921頁

 比較するもなにも、出だし部分の漢訳は、英文原作とはまったく異なっている。
 漢訳者周桂笙が、この作品の冒頭で行なったのは、ワトスンにそれまでの経緯を説明させることだった。
 それまでの経緯といっても、なんと、ワトスンがホームズと知り合ってベーカー街に同居するところからはじめて、ホームズの死去までをいう。ただし、ごく簡単な説明ですませている。
 ホームズの漢訳に変更がある。「ナポレオン像盗難破壊事件(竊毀拿破侖遺像案)」では、ホームズに呵爾唔斯という漢字をあたえていたが、本漢訳では、福爾摩斯とする。シリーズ名が「福爾摩斯再生案」だから、文中のホームズもそれに統一する必要からであろう。
 ホームズとの同居によって、ワトスンが犯罪に興味を抱くようになった、という一部の原文を漢訳に取り入れながら、1894年のロナルド・アデア殺害事件に筆を運ぶ。
 原文の順序を入れ替え、10年近くまえの事件であって、ようやく先月の3日に発表が解禁されたこともいう。
 そこに訳者の注として「この作品は1903年10月に発表されたから、先月3日というのは、すなわち9月3日なのである」(922頁)と書く。この注釈は、なにか。わざわざほどこさなくてはならないほどの注であろうか。
 この奇妙な注釈を見るにつけ、周桂笙は、作品を実際に起こった事件をそのまま記録している、と考えているのではないかと推測する。
 おなじ周桂笙の漢訳「ナポレオン像盗難破壊事件(竊毀拿破侖遺像案)」につけられた「弁言」において、周桂笙はホームズの実在を説明していた。それと同じ態度である。
 翻訳冒頭の、1行27字で22行分、つまり約600字を原作とは異なった形で提出していることになる。
 原作を書き換える必要があるのか、大いに疑問を感じる箇所だ。周桂笙にしてみれば、ホームズが死去したのだから、それからのことを説明しなければ読者に理解されない、あるいは不親切だと思ったのかもしれない。だが、これは、やりすぎではないのか。
 人名を字数少なく漢訳する例を、ここでもあげておこう。前述のように中国の読者に読みやすいように、という配慮である。ただし、マイクロフト(麦闊労博〓)のように、例外はある。

the Honourable Ronald Adair ロナルド・アデア閣下
阿羅南(中国風に姓のアデアを先において、名前のロナルドを後にする)
the Earl of Maynooth メイヌース伯爵 梅奴伯爵
Hilda ヒルダ 希達
the Baldwin ボールドウィン 抱雲
the Cavendish キャヴェンディッシュ 開文
the Bagatelle バガテル 倍加
Mr.Murray マリ氏 麦来
Sir John Hardy サー・ジョン・ハーディー 哈田
Colonel Moran モラン大佐 馬倫
Godfrey Milner ゴッドフリ・ミルナー 弥南
Lord Balmoral バルモラル卿 鮑爾睦
Professor Moriarty モリアーティ教授 莫掌教(掌教は教授)、莫立亜堆
brother Mycroft 兄マイクロフト 弟ママ麦闊労博〓
Mrs.Hudson ハドスン夫人 女僕ママ赫震
Meunier ムニエ 満尼愛

 英文原作と漢訳が重なる部分を示しておく。

The Honourable Ronald Adair was the second son of the Earl of Maynooth, at that time governor of one of the Australian Colonies.(ロナルド・アデア閣下は、当時オーストラリア植民地のうちの一つの州の総督の一人であったメイヌース伯爵の次男だった)16頁
阿羅南者,梅奴伯爵之仲子也。伯時任英国澳大利亜洲殖民地総督(アデア、ロナルドは、メイヌース伯爵の次男だった。伯爵は、その時、イギリスのオーストラリア州植民地の総督だった)922頁

 ここから、原文に沿った翻訳になる。見れば、漢訳が原文に忠実であることがわかる。
 ロナルドは、カード cards が好きだった。漢訳は、樗蒲(サイコロばくち)に置き換えるが、その方が読者には理解しやすいという判断だろう。これも、余計な気配りのような気がする。
 誤解がある。
 ロナルドが殺害された夜のことだ。賭けカードから帰宅したロナルドが、三階 the second floor(漢訳は二層楼とする)の部屋に入っていく。そこの窓は開けてあった。

She had lit a fire there, and as it smoked she had opened the window.(彼女はそこの暖炉に火をつけたのだが、煙が出たために窓を開けていた)17頁
女僕聞少主人入二層楼書房中,遂亦随入,為之上灯火。復以吸煙故,又為之啓窗焉(女使用人は、若主人が2階の書斎に入るの聞いたので、ついて入り、灯火に火をつけた。また、タバコを吸うというので窓を開けたのだった)922頁

 上海の租界では、実質3階を2階というから、「二層楼」は、かまわない。だが、暖炉に火を入れるのと灯火、煙とタバコなど、こまかなところで誤解をしている。
 そのロナルドが殺害され、銃弾も見つかっているのにピストルの音を聞いた者がいない。これは、伏線のひとつだ。さらに、原文は、銃弾の形状を説明する。

bullet, which had mushroomed out, as soft-nosed bullets will, and so inflicted a wound which must have caused instantaneous death.(先の柔らかい弾丸らしく、弾頭はキノコ状につぶれていて、その傷による即死だったに違いなかった)18頁

 漢訳は、これを省略する。死体があれば十分で、それ以上の説明は詳細にすぎるという判断かもしれない。
 だが、音のしない銃で、しかも殺傷力のある種類のもの、となれば、銃そのものとの関係で弾丸が重要な意味をもつ。殺人を確実なものにするためには、人間の肉体を貫通するほどの固い弾丸では不適当だ。柔らかい弾丸であれば、あたったときの衝撃で弾頭が変形し、肉体の柔らかい部分にめがけて迷走し殺傷力を高める効果がある。それを計算にいれてのドイルの記述である。それを無視して勝手に省略するのは、いかがなものか。
 事件の手掛かりを求めても得られないワトスンである。通りですれ違った愛書家が、訪問してくる。抱えた書物というのが、『英国の鳥類 British Birds』『カタラス詩集 Catullus』『神聖戦争 The Holy War』だ。周桂笙は、なんと英語の書名のままを示して、漢訳していない。これは読者にたいして不親切だといわなくてはならない。
 書棚を見て、振り返れば、死んだとばかり思っていたホームズが、そこに立ってほほえみかけている。ホームズの復活である。
 感動の場面を引用しよう。

When I turned again, Sherlock Holmes was standing smiling at me across my study table. I rose to my feet, stared at him for some seconds in utter amazement, and then it appears that I must have fainted for the first and the last time in my life.(もう一回向き直ると、なんとシャーロック・ホームズが、書斎机越しに私に笑いかけているではないか、わたしは立ち上がり、びっくり仰天して、しばらく彼を見つめていた。それから、一生で最初で最後のことがだ、気を失ってしまったらしいのだ)21頁
比余再回首,則能令余脳筋紊乱,驚喜之余,尚不知人事。是何為,見立余書案前者,非白髪翁,而為余響[嚮]者夢寐不忘、朝夕思念之我友歇洛克・福爾摩斯也。睨余而笑,不発一言。余駭極,急起立,諦視良久,但覚儚儚然不復知如何(もう一度振り返ると、私の頭は混乱させられ、驚きと喜びのあまり意識がなくなった。なんと、見れば、私の机の前に立っているのは、白髪の老人ではなく、私が夢にも忘れない、朝夕、思っていた我が友シャーロック・ホームズなのである。私を見てほほえみ、一言もしゃべらない。私はびっくりして、急いで立ち上がると、じっと見つめていたが、ぼんやりとしてきてどうなったかもわからない)924頁

 周桂笙の漢訳は、原文の雰囲気をよくとらえているといってよい箇所だ。
 ホームズが変装していたのは、事件の調査のためであった。出かける前に、ライヘンバッハの滝で、どのように窮地を脱出したかの説明がある。
 モリアーティに追い詰められたホームズは、ワトスンあてに遺書を書いた。内容は、ワトスンへのわかれの言葉、犯罪者を有罪にする資料があること、財産は兄のマイクロフトに渡してきた、などなどだ。この手紙について、ホームズは、次のようにいう。

My note to you was absolutely genuine.(君に書いた手紙はまぎれもない本物だよ)23頁
我所書之字条中語,皆杜撰者也(僕が書いた手紙の中身は、全部がでたらめだよ)925頁

 漢訳は、どうしたことか原文とは正反対の内容にしている。「本物」が「でたらめ」に変身するのだ。死んだはずのホームズが生きているのだから、死に面して書いた手紙は「でたらめだ」と周桂笙は考えたのだろうか。もしそうならば、考えすぎである。なぜ、原文通りに翻訳できないのか。書きなおすことが翻訳の重要な役割のひとつだ、と周桂笙が考えているとすれば、これは問題である。
 ホームズが、日本の柔術バリツを修得していたという有名な箇所を下に示す。

I have some knowledge, however, of baritsu, or the Japanese system of wrestling, which has more than once been very useful to me.(ぼくは日本の格闘技であるバリツに通じていて、今までにもそれが一度ならず役立っていた)23頁
我固略解日本角力之技者,此術有益於我,亦非一次矣(僕は日本の格闘技をすこし知っていて、これが一度といわず役に立っていたのだ)925頁

 漢訳は、「バリツ」をぬかしているとはいえ、ほぼ原文に忠実だといえよう。ホームズは、バリツを使って窮地を切り抜けた。モリアーティは滝壷に落ち、ホームズは崖を登って姿を消した、という次第だ。
 どうしてこんな単語を、別の漢訳にするのか、というような箇所もある。
 モリアーティの仲間が落とす岩石を避けて、ホームズが、岩場から小道にはい降りる場面だ。

It was a hundred times more difficult than getting up.(登るより百倍も大変だった)25頁
然而,華生,下嶺之難,有較上山三十倍者(だが、ワトスン、降りるむつかしさは、登るよりも30倍は大変だった)927頁

 原文の百倍が、なぜ漢訳ではその3分の1以下になるのだろうか。おかしなことだ。
 自分の無事を兄マイクロフトだけには知らせておいた。

I had only one confidant − my brother Mycroft.(ただ一人、兄のマイクロフトにだけは、このことを知らせておいた)26頁
有之惟吾弟麦闊労博〓一人而已(ただ、弟のマイクロフトひとりだけは知っていた)927頁

 周桂笙は、兄を弟と取り違える。英語の実力よりも、ホームズ物語を知っているかどうかが、問題になる箇所といえる。
 こまかいことをいえば、こういう例もある。
 ホームズがワトスンに説明して、ここ3年、手紙を書こうとしたが、秘密が漏れるのではないかと心配し実現しなかったことをいう。「ここ3年 the last three years」を漢訳は、「2年間 二年之中」とする。なぜ、2年に縮める必要があるのか。2、3年とおおよその時間にしたかったともとれる。しかし、原文通り3年でよさそうな箇所だ。
 ひそかにベーカー街の自分の部屋にもどってきたホームズは、ハドスン夫人 Mrs. Hudson を驚かせた。ハドスン夫人は、いうまでもなくホームズらが下宿している部屋の家主である。
 漢訳は、彼女のことを「女中」すなわち漢語で「女僕」だと表現している。名前すら翻訳しない。ここも、マイクロフトを弟とするのと同じで、ホームズ物語についての知識の有無が決め手になる。周桂笙は英語はできるし、漢訳ホームズ物語もいちおうは読んではいた。しかし、それほど熱心な読者ではなかったのかもしれない。
 もうひとつ例をあげよう。ハドスン夫人をびっくりさせたと言ったあとのホームズのセリフだ。

and found that Mycroft had preserved my rooms and my papers exactly as they had always been.(ぼくの部屋と書類は、マイクロフトがまったく昔のままに保存しておいてくれていた)27頁

 「最後の事件」において、モリアーティの一味がホームズの部屋に火をつけたことがあった。ただし、その被害はたいしたことはない。だから、上のセリフのように、部屋と書類が昔のままに保存してあるのだ。
 この箇所の漢訳を見てみよう。

時房屋器具,倶已尽復旧観,即一紙之微,亦与曩日無異。此皆余未返前,嘱吾弟之布置,故得如是(據福爾摩斯緝案《ママ被〓記》,倍克街故屋已為莫掌教使人放火焚焼燼浄,故云然也)(部屋と器具は、ともに昔のままに復旧されていた。すなわち紙の1枚にいたるまで昔と同じなのだ。これは皆、僕が帰ってくるまでに、弟にいってやらせたことなんだ。だからこのようになっている(「ホームズ殺害事件」によれば、ベーカー街の昔の家は、モリアーティが人に放火させてきれいに焼けてしまった。だからこう言っている))927-928頁

 「ママ」とした箇所は、《福爾摩斯緝案被〓記》のようにカッコを移動させるのが適当だ。原文には、もともとカッコ類は、使用されていないはずだから、中国近代文学大系の編集者がつけ間違ったのだろう。周桂笙がウロ覚えの題名を正確に書くとすれば、「ホームズ殺害事件(呵爾唔斯緝案被〓)」(張坤徳訳『時務報』第27-30冊 光緒二十三年四月二十一日1897.5.22−五月二十一日6.20)だ。『時務報』を見れば、「やつらは、昨晩、僕の部屋に放火したんだ。若輩昨晩。将我房放火」(『時務報』第29冊)となっている。これを読んだ周桂笙は、部屋が全焼してしまったと勘違いしたらしい。周桂笙の漢訳では、マイクロフトが、すべてを元通りに復元してくれたことになる。そうではなくて、すぐに消火できるくらいの火勢だったから、紙の1枚までも元のままなのだ。漢訳は、大げさにすぎる。
 もとの部屋に、なんとホームズの影が見える。ロウ細工の半身像をつくらせたのを置いているのだ。漢訳では、ロウ細工であることを省略する。関連して、モリアーティの部下に見張られている、影が動くのはロウ人形をハドスン夫人に動かしてもらっているというホームズの説明も、周桂笙はすべて削除する。「あとで詳しく説明するよ。事後当詳告君也」(929頁)ということばで処理した。
 ホームズとワトスンが潜んでいる空き家に、別の人間がはいってきて、銃らしきもの(空気銃 air-gun 気銃)でホームズの影を撃った(銃の組み立て過程は、漢訳では省略する)。そこを襲って、犯人であるモラン大佐をつかまえる。
 昔の部屋にもどると、ホームズによって事件のあらましが解説される段取りだ。定型である。
 だが、ここで、漢訳は、原文の記述を入れ替えている。先に「あとで詳しく説明するよ。(事後当詳告君也)」といった箇所が漢訳にあることをいった。モリアーティの手下に見張られているとか、特別のロウ人形を注文したとかが、ホームズの部屋での説明に使用される(932頁)。
 この作品についていえば、漢訳は原文のままではないし、忠実なものでもない。こまかな勘違い、誤訳がある。さらに、冒頭の書き換えと、ある部分における記述の順序を変えているのは見てきたとおりだ。郭延礼がのべたように「翻訳が基本的に原著に忠実な直訳である」とは思わない。
 それでは、漢訳としての水準が低いかといえば、そうではない。当時の中国人読者が受けた全体の印象は、矛盾も感じないし上出来の漢訳であったのではなかろうか。ただし、これには条件がつく。原文を知らなければ、だ。原文との比較対照をすれば、やや甘くして良というところだろう。

(たるもと てるお)