どもッ!




宋莉華『伝教士漢文小説研究』






 宋莉華『伝教士漢文小説研究』(上海世紀出版股〓公司、上海古籍出版社2010.8 海外漢文小説研究叢書)が出版された。
 西洋の伝教士が中国で行なった創作翻訳小説の研究である。
 今まで研究が少なかった分野だといえるだろう。
 『清末民初小説目録』と対照しながら点検している。増補する作品もある。その意味で教えてくれる著作だ。
 宋莉華書を見ていると、先行研究がいやおうなしに目に入る。
 それは、(美)韓南 PATRICK HANAN 著、徐侠訳『中国近代小説的興起』(上海教育出版社2004.5)だ。
 以前に索引を作ったことがある。それが記憶にあったため小説目録に増補注記することを忘れていた。
 あらためてこちらと照らし合わせたのは、いうまでもない。
(2011,3.19)




商務印書館創業者の姻戚関係図






 浩然「商務籌創人的「聖徒相通」」(香港『基督教週報』第2263期2008.1.6 電字版)にうえの図が掲載されている。
 たしかに私が作成した。樽本『初期商務印書館研究(増補版)』(2004。21頁)にも収録してある。
 下部の説明文が中国語であるところから、わかる。その出所は、汪家熔「商務印書館創業諸君」(宋原放主編、汪家熔輯注『中国出版史料・近代部分』第3巻 武漢・湖北教育出版社2004.10。126頁)だ。
 これには、「商務印書館創業者的姻戚関係図」と表題がつけられている。
 私が作成したのは間違いない。だが、もともとが汪家熔氏の論文にもとづいている。一応図にしてみて、説明と一致しない部分が出た。汪氏に問い合わせ、訂正のうえで上のかたちになったのだ。
 そういういきさつがあったから『中国出版史料・近代部分』に収録されたのだろう。
 私が浩然論文に注目するのは、自分が書いた図が紹介されているからではない。郭秉文についての新しい情報が書き加えられているからだ。以下にまとめる。
 郭秉文は江蘇江浦の人。上海に生まれる。父親は、医者で長老会教会の長老だった。
 郭は、1896年清心書院を卒業し、そのままとどまって1年間教えたあと、1908年にアメリカに留学し、1914年コロンビア大学博士号を取得。のち帰国し商務印書館の総編集となり、英語辞典翻訳に協力した。1921年東南大学(のちの国立中央大学)が成立すると校長に任命され、1925年、商務印書館の総編集に転任となる。鮑哲才の三女を娶っていたがはやくに亡くなり、夏瑞芳の三女路徳と結婚した。
 郭の経歴については、私は知らなかった。浩然は教会関係者らしく、さすがに人事については詳しい。
 おなじ文章に、謝洪賚の肖像が掲げられていることをつけ加える。
(2008.7.27)




『侠女奴』について









 萍雲女士(周作人)訳『侠女奴』の表紙2種類については、すでに紹介した。
 異なる表紙があるのは、出版元が違うからかと思ったりもしたのだ。
 最近、おもしろい本を入手した。唐文一、沐定勝『消逝的風景』(済南・山東画報出版社2005.8)である。
 その18頁に「周作人最早的両本訳著」と題して『侠女奴』と『玉虫縁』をとりあげる。これには、表紙が掲げてある。彩色写真で美しい。汚れも折りもないもない。綺麗すぎるとことを見ると電脳で修正を加えたのだとわかる。
 20頁は奥付を掲げる。『侠女奴』には「乙巳五月初版/訳述者萍雲女士/潤辞者初我/発行者女子世界社/印刷所東京並木印刷所/発行所小説林」とある。『玉虫縁』と同年同月の発行だ。
 女子世界社は発行者で、小説林は発行所だとある。こういう場合、普通は小説林を採取するのだが、別の書目では女子世界社を記載したから混乱してしまった。つまり、小説林とは別に女子世界社の版本があるのではないか、と考えたからだ。
 原物そのものではないが、写真で見れば、そうとわかる。
 「山羊図」を表紙とする『侠女奴』は、再版本だからからか。それにしても、なぜ、再版で表紙を変えるのか。詳しい事情はわからない。
(2006.1.28)




『侠女奴』表紙が2種類



『侠女奴』表紙1



『侠女奴』表紙2



 萍雲女士(周作人)訳『侠女奴』は、“THE ARABIAN NIGHTS.”より“THE HISTORY OF ALI BABA, AND OF THE FORTY ROBBERS, KILLED BY ONE SLAVE.”を翻訳した有名な作品である。
 周作人は、アラン・ポー Edgar Allan Poe の小説『黄金虫 The Gold-Bug』を題名『山羊図』で漢訳していた。
 編集者の丁初我は、題名「山羊図」を訳者に相談なく「玉虫縁」に変更したらしい。山羊2匹の表紙は、その絵柄から「山羊図」のために用意していたと考えられる。それを内容とは関係のない「侠女奴」にくっつけた(上記『侠女奴』表紙1)。
 表紙からそのように私は推測したのだ。
 偶然、唐〓『晦庵書話』(北京・生活・読書・新知三聯書店1980.9)を見ると、「訳書過眼録」の章に「《孤児記》与《侠女奴》」が収録されている。出版されたとき入手して見たはずだが、今まですっかり忘れていた。
 周作人の翻訳3種を紹介してその表紙が上の下側に掲げたものだ。
 下側写真左の『玉虫縁』は、私は紹介したことがある。右の『孤児記』の原物は見たことがない。
 問題は、下側写真真ん中の『侠女奴』なのだ。絵柄からして『玉虫縁』と同じ人の筆になる。奇妙なのは、私が見た山羊図ではないことなのだ。
 小説林社の出版物だが、『侠女奴』だけ別に女子世界社(1905)からも出されている、と唐〓は説明する。のちの蔵書目録[唐〓平5177]にある女子世界社小説林1905.5に該当するのだろう。
 賈植芳、兪元桂主編『中国現代文学総書目』(1993)の898頁に見える女子世界社1905年初版と同一版本と思われる。
(2006.1.1)


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