中村忠行先生略歴








『甲南国文』第33号(1986.3.15)初出。再録にあたり西暦を添え、一部分を手直しした。

1915 大正四年五月十日 台湾新竹街南門四十七番地生る。
1935 昭和十年三月   台北高等学校(文科甲類)を卒業。
1935 昭和十年四月   台北帝国大学文政学部(国語国文学専攻)に入学。
1938 昭和十三年三月  右卒業。上京して西東書房に入り、傍ら古典保存会の古典 複製事業に従ふ。
1938 昭和十三年九月  父の死去に一時帰台、その侭、台北帝国大学文政学部副手 (東洋哲文学研究室勤務)となる。
1939 昭和十四年四月  台北帝国大学図書館雇に転ず。
1941 昭和十六年四月  再び、台北帝国大学文政学部副手(国語学国文学研究室勤 務)となる。
1944 昭和十九年四月  現職の侭、私立台北女子専門学校教授となり、創立の業に 携る。副手の職は、翌年三月解任。
1945 昭和廿年三月   応召。
1946 昭和廿一年一月  敗戦により廃校。学校法人台北女子専門学校清算人となる。
1946 昭和廿一年一月  日僑として徴用され、中華民国台湾省立図書館採編部員 (目録係)となる。
1947 昭和廿二年四月  天理語学専門学校講師。
1948 昭和廿三年四月  右 教授。
1949 昭和廿四年四月  学制改革により、天理大学教授。
1962 昭和卅七年二月  大阪大学より、文学博士の学位を受く。
1973 昭和四十八年八月 インディアナ大学東アジア言語及文学科の客員教授として渡
−1974  四十九年六月 米。
1976 昭和五十一年三月 天理大学を定年退職、引続き教授に再任。
1977 昭和五十二年四月 甲南女子大学教授。
1982 昭和五十七年十二月天理大学名誉教授。
  この間、奈良女子大学・奈良文化女子短期大学・帝塚山学園女子短期大学・京都女子大学・近畿大学・関西大学大学院(中国文学)などに非常勤講師として出講。

 なお、中村先生の経歴については、『山辺道』第20号(中村忠行教授華甲紀念1976.3.25)に掲載された「書かでもの記」「論文目録」にご自身の筆により詳しく述べられている。

●朝日新聞1993.9.25朝刊
 中村忠行(なかむら・ただゆき=天理大学名誉教授・国文学)24日午前3時15分、急性心不全のため、奈良県大和郡山市城北町5の44の自宅で死去、78歳。葬儀・告別式は26日午後1時から同市九条町1051の清浄会館で。喪主は妻秀子(ひでこ)さん。

「清末」研究の国文学者……澤田瑞穂
中村忠行先生の思い出………樽本照雄


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