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2009.12.25
 『清末民初小説目録』について渡辺浩司氏よりご指摘をいただきました。ありがとうございます。

・s0493* 神龍片影 ((英)阿克西男爵夫人著) (周)痩鵑訳
 『小説月報』9巻2号 1918.2.25 BARONESS … ORCZY著
*原作が判明した。
 原作は"THE OLD SCARECROW"初出未詳,後に"THE LEAGUE OF THE SCARLET PIMPERNEL"(1919)収




黄ヲ『蠹痕散輯』上海正規出版股〓有限公司、遠東出版社2008.2


商務印書館『華英初階』1899年版

2009.11.28
 上の黄ヲ著作は、商務印書館の「説部叢書」について書いているというので購入しました。
 黄ヲは、『蘇州雑誌』の編集者で蔵書家ということです。
 私が興味を持ったのは、商務印書館が発行した英語学習書『華英初階』の初版本を紹介している部分です。
 掲げられた書影を見ると、確かに珍しい。初版本というのですから、そうでしょう。
 ただし、少し奇妙に思うこともあります。年月がまちまちなのですから。
 表紙は「宣統二年歳次庚戌/西歴一千九百零十年」です。しかし、扉には1899年とあって(下図)、「序」の記述は「宣統元年冬月」です。宣統元年は1909年ではありませんか。
 おまけに扉の挿し絵は、日本でいう七福神のうちの大黒天らしい。打ち出の小槌も米俵もありません。裃をつけて扇子を前に置いている。比較的新しい意匠のようです。
 そういう印刷用の絵図が上海でも入手できた。あるいは日本の修文書館が活版印刷用具を上海で販売していましたから、そこで購入したのかもしれません。1900年、商務印書館は、上海から撤退する修文書館の機材を大量に購入しました。



2009.11.12
 『明清小説研究』2009年第3期(総第93期)に以下の論文が収録されています。

龍文展「《遊戯世界》所見李伯元佚文」
付建舟「談談《説部叢書》」

 龍文展論文は、『遊戯世界』に李伯元の逸文が掲載されていることをいいます。
 新発見のように書いているので、ひとことのべましょう。
 李伯元の文章は、すでに影印で公表されているのです。
 沢本郁馬「李伯元研究の広がりと深化――王学鈞編『李伯元全集』第5巻の特色(附:『遊戯世界』「南亭亭長諧文」)」『清末小説』第21号1998.12.1
 11年も前のことですが、中国では新発見なのでしょう。
 付建舟論文は、商務印書館の「説部叢書」を解説するものです。
 こちらについても、神田一三「商務印書館版「説部叢書」の成立」『清末小説』第25号2002.12.1があります。



2009.10.24
 前に紹介しました汪家熔『中国出版通史』7清代巻(下)の続きです。
 商務印書館の社長である夏瑞芳は、1910年にゴム投機に手を出して巨額の損失を出しました。
 これは有名な話です。
 ところが、汪家熔氏は、損失どころか巨額の利益をあげた、と反対のことを書いています。
 どうしたんでしょう。
 私はもう一度関係資料に当りなおしました。当事者たちの証言、書信、商務印書館株主会での報告、どれを見ても夏瑞芳が欠損を出したのは間違いありません。
 中国ではすでに反論が公表されていました。さすがですね、
 柳和城「商務印書館“橡皮股票”風波豈容否認!――与汪家熔先生商〓」(『中華読書報』2009.8.15電字版 http://www.gmw.cn/CONTENT/2009-08/15/content_962857.htm)です。




『商務印書館100週年曁在台50週年』台湾商務印書館股〓有限公司1998.2.17

2009.10.17
 創設100周年を記念した刊行物が台湾商務印書館から出ているとは聞いていました。
 このたび入手しましたので上に掲げます。
 20cm×19cmという変型デザインを採用し、その内容はひとことで言えば写真入りの年表です。
 「非売品」と表示されています。関係者だけに配布されたとも考えられます。書店の販売目録に見かけなかったはずです。
 創設の1897年は、創設者のうち4名の肖像写真を掲げて2ページをとった以外は、1年に1ページをあてています。
 私の興味が商務印書館と金港堂の合弁時期にありますから、その視点で該書を見ることになります。
 「鍵語言及率」は、20%です。
 年表ですから詳細に述べることはできません。合弁時期は100年のうちの1割しか占めていないのですから。
 なによりも、台湾商務印書館からいえば日中合弁などまったく関係はありません。はるか昔の上海における出来事なのです。記述が冷淡になるのは、しかたがありません。
 ついでに、以前に示した蔡佩玲『商務印書館――中国図書館発展的推手』にも触れておきましょう。こちらの「鍵語言及率」は65%でした。かなりの好成績です。しかも、新しい視点を提示していますから私は注目しました。




汪家熔『中国出版通史』7清代巻(下)北京・中国書籍出版社2008.12

2009.10.12
 汪家熔氏は2008年で「時年八十」と「後記」に記されています。
 お元気でなによりです。
 『繍像小説』の発行遅延については同意されています(343頁)。
 ところが、主編者が李伯元であった、という点についてはいまだに反対らしいです(344頁)。
 汪家熔氏みずからが提起をされた問題ですから、どうしても納得されない。
 商務印書館が新聞に出した自社広告には、『繍像小説』の編集に南亭亭長李君伯元を招いた、とあります。
 汪家熔氏は、それが信用できないという。かといって、李伯元ではない別人を指摘するわけでもない。
 資料があってもそれを認めない、自分の主張は絶対に引っこめない、というわけです。




2009.10.11
 『新編増補清末民初小説目録』について、渡辺浩司氏よりご指摘をいただきました。ありがとうございます。




奚若 1903年

2009.10.9
 アラビアン・ナイトの漢訳「天方夜譚」などで有名な奚若は、こんな人だった。
 翻訳を『繍像小説』に連載しはじめたころ、彼は蘇州にある東呉大学の学生でした。
 奚若についてネット上で話題になっていたようです。
 李凱「夜読《雁来紅》」をウェブサイト「江陰赤岸李氏」2007.8.28電字版で読んで知りました。上の肖像は、そこからの部分引用です。
 王国平『東呉大学簡史』(蘇州大学出版社2009.7。105頁)にも掲げられています。もとは同じもの。
 奚若の生没年をふくめた略歴については、李凱がアメリカの資料から発掘しているのが新しい。大きな発見です。
 現在、あちこちで奚若を紹介する文章を目にします。それらは陳応年「奚若,一位被人們遺忘的翻訳家」と李凱の関連文章がもとになっているのです。




范伯群『多元共生的中国文学的現代化歴程』上海・復旦大学出版社2009.8

2009.9.29
 范伯群氏の新著です。
 清末民初小説に関する論文を含んで23本を収録します。
 巻頭に掲げられるのは、陳思和「序:范伯群教授的新追求和新貢献」です。



2009.9.28
 ウェブ上で『近代文学琴声』第3期(2009.9.24「林紓文化研究所Blog福建工程学院 http://hexun.com/czjr/default.html」)が公開されています。
 内容は、蘇建新「2008年中外林紓研究綜述」です。
 アメリカの研究論文を含めて広く紹介しているところに特色があります。




『張元済全集』第4巻詩文 北京・商務印書館2008.12

2009.9.26
 第1-3巻書信、第4、5巻詩文、第7、8巻日記までが刊行されました。
 この第4巻には、張元済が商務印書館理事会で行なった報告、提案など、またその準備原稿が収録されていて珍しいです。
 たとえば、1910年のゴム投機についてです。商務印書館社長の夏瑞芳がゴム投機に失敗し大きな損害を出しました。その後処理についての張元済考えがのべられています。
 私の知る限り、いままで公表されたことはなかった文章です。
 そのほか、商務印書館と金港堂の合弁解約書が「商務印書館与日本金港堂終始合〓合同」という文書名で掲載されているのが目を引きます。明記してあるように『清末小説』第27号に収録されているものに基づいている。
 宋原放主編、汪家熔輯注『中国出版史料・近代部分』第3巻(2004.10)では「商務印書館清退日股合同」という文書名になっています。
 中身はみな同じ文書ですが、題名が異なる。それは、もとの文書に「立合同」としか書かれていないからです。



2009.9.21
 『清末小説』第32号の誤植をご指摘いただきました。渡辺浩司氏に感謝します。

8頁倒4行及2行 【改行が変です】
34頁倒2行 私の前の前が → 私の目の前が
38頁9行 ぼんやとして → ぼんやりとして

26頁5行 知道開場 → 知道他開場
26頁9行 二片 → 一片
26頁12行 一点燈火 → 一点燈光
26頁14行 時報鐘 → 報時鐘




蔡佩玲『商務印書館――中国図書館発展的推手』台湾商務印書館股〓有限公司2009.9

2009.9.16
 黒い表紙になってしまいました。
 そういうデザインです。
 商務印書館研究としては、最新の専門書というのがうれしい。
 しかも、台湾商務印書館から刊行されていますからお墨付きという意味です。
 日中合弁をどのように説明しているか興味深いです。
 とりあえず「鍵語言及率」から調査することにしましょう。



2009.9.10
 『清末小説研究』1-4号をpdfファイルに変換しました。
 ただ、分量が多すぎて本ホームページに収録することができません(論文へのリンクが切れた状態です)。
 表紙だけでも掲げます。清末小説既刊号目次へどうぞ。




孫郁『魯迅与陳独秀』貴陽・貴州人民出版社2009.1

2009.8.30
 陳独秀が北京大学文科学長の職を失ったのは、なぜか。すなわち、陳独秀の北京大学罷免問題です。
 一般には「新旧思想の対立」がその理由とされています。しかし、諸資料をあわせて見れば、それが主因ではないのです。
 罷免の原因は、陳独秀の妓楼通いが主たるものでした。
 陳独秀の妓楼通いについては、周作人、胡適ら同時代人の証言が残されています。ところが、その発言はややもすれば無視される傾向にある。
 「あってはならない」事実、あるいは「あってほしくない」事実は、研究者の目には入らない。目にしても否定する。
 普通に見られる現象です。
 研究対象についての「評価」をあらかじめ定めておいて論文を書くからですね。しかも、その定められた「評価」は、それぞれの時代のものにすぎません。研究者自身が呪縛されているのです。呪縛されているという意識すらない。
 そのばあい、結論に合わない資料は使わないというだけ。
 資料の取捨選択を同じように実行していれば、でてくる論文も同じになる道理です。というよりも、結論が決まっていますから資料操作も同じになるということでしょう。ひとつの事柄の裏表を言っているにすぎません。
 上に掲げた書物の179頁には、陳独秀の妓楼通いが事実であると認めています。
 そこは従来の研究と比較すれば進歩なのでしょう。ただ、蔡元培が進めていた北京大学改組との関係、進徳会との関係についての説明がありません。
 ついでにいうならば、1919年3月26日の夜中に開かれた重要会議についても、深い考察がなされていないのが少し残念です。
 著者と私の関心のあり方が異なるのですからしかたがありません。



2009.8.25
お知らせ
 ホームページの容量制限に近づいています。
 過去のファイルを削除することになるでしょう。
 リンクが切れているという表示がでましたら、そういう事情だとご了解下さい。



2009.8.25
 以下の中村論文は、雑誌に3回連載しました。まとめて掲げます。
 中村忠行「清末探偵小説史稿(1-3)」 『清末小説研究』第2-4号
★おことわり★文章が長すぎて本ホームページには収録できませんでした。申し訳ありません。






2009.8.22
 オーストラリア国立大学名誉教授柳存仁氏のご逝去を8月15日付のメールで知りました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。






2009.8.11
 『清末小説から』次号の予告です。

『清末小説から』第95号(2009.10.1)
セルバンテス最初の漢訳小説………樽本照雄
《十月寒霜記》の原作………渡辺浩司
晩清小説作者掃描(20)………武  禧
清末小説から




任淑坤『五四時期外国文学翻訳研究』北京・人民出版社2009.5

2009.8.9
 林琴南批判がはじまるのは、例の「なれあいの手紙[双簧信]」からです。
 銭玄同が(実在しない)王敬軒になりすまし林を絶賛する。この捏造論文、すなわち偽造手紙は『新青年』に掲載され、しめしあわせた劉半農が同号でそれを徹底的に批判する。林琴南を反対派の首領に指名し、劉半農が完全勝利するという筋書きです。打ち合わせ通りになりました。
 文学革命派による林琴南批判の出発点が、捏造論文である。この事実が、私に違和感を抱かせるのです。
 そればかりではありません。劉半農の反論そのものには、間違いもふくまれています。研究者はなぜ検討しないのか。
 しかし、そう考えるのは私だけらしい。中国の研究界では、違います。この偽手紙は、賞賛されるのが普通です。文学革命派がやらなくてはならなかった種類の行為なのですね。勝利のためには何をやってもいい。
 いうまでもなく「勝者の文学史」では、そうなります。また、いままでそれ以外の文学史が書かれたことはありません。林琴南は、文学史においてはいつも敗者の扱いです。(文学史では敗者であっても、林訳小説叢書は読者に歓迎されていた。文学史は必ずしも実際を反映しているとは限りません)
 任淑坤の上記著作も従来の見方から外れるはずもない。林琴南が悪役であることにかわりはないのです。先行文献を繰り返しているだけ。
 胡適が林琴南を批判して書いています。
 「たとえばシェイクスピアの戯曲を記述体の古文に翻訳している。これは本当にシェイクスピアにとっての大罪人であり、その罪は『圓室案』の訳者をうわまわる」
 林琴南はシェイクスピアの戯曲を小説体に翻訳した、と胡適は批判しました。胡適の間違いです。林が戯曲を小説体に翻訳した事実はありません。私が冤罪であるという理由です。任淑坤がその事実を知らないのはしかたがありません。学界の常識にはまだなっていませんから。
 しかし、任淑坤が『圓室案』を林琴南が翻訳したホームズ探偵小説と断定した(42頁)のは理解できません。
 胡適の文脈からいっても、林琴南と『圓室案』の訳者は別人でなければなりません。それよりも目録を調べれば、林琴南の翻訳には該書がないことなどすぐにわかることなのです。
 悪いのは林琴南にちがいない。こういう任淑坤の思い込みではないでしょうか。
 施蟄存も同じような思い込みをしています。ユゴーを囂俄と訳したのは林琴南である。間違いですから、これも施蟄存による林琴南冤罪事件です。
 文学史の敗者は、やってもいないことの犯人される。冤罪としかいいようがありません。
 「なれあいの手紙[双簧信]」について評価が変化する日が来るでしょうか。私は限りなく否定的ですが……



2009.8.6
 『清末小説』第32号 予告!
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曾孟樸の初期翻訳(上)……………………樽本照雄
林訳小説《紅篋記》などの原作(上) ……渡辺浩司
林紓與柯南・道爾其他小説的翻譯…………〓  嵐
書家としての呉檮…………………………沢本香子
嗣《瀛寰鎖記》之《屑玉叢談》…………田 若虹
《盛京時報》近代小説簡目……劉永芳 王金城 馮涛
李伯元遺稿(11)――李錫奇『南亭回憶録』より
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2009.7.26
 謝仁敏「晩清小説《亡国涙》考証及其他」(『明清小説研究』2009年第2期)が発表されています。
 簫史「亡国涙」についての考証です。
 簫史が胡顕伯であることを指摘しているのが新しい。私は知りませんでした。
 別の文章では、該作品は天津『大公報』に発表された、と説明があるのだそうです。
 樽本目録には、掲載が『図画日報』であり、その発行日まで明記しています。謝仁敏はそれらをならべて、どれが正しいのか、と疑問を提出するのですね。
 それはいいのです。ただし、結論がどうなのか、正確に書いているのはどれなのか、それがはっきりしないのはなぜでしょう。読めばわかる、ということでしょうか。
 もうひとつ、謝仁敏は、影印本が2種類も出版されていることには言及していません。説明があれば、より親切だと考えます。
 私は、『図画日報』について紹介したことがあります。以下の2本です。
 「『図画日報』影印版のこと――附:『図画日報』所載小説目録」『清末小説から』第57号2000.4.1
 「『図画日報』影印版のこと2」『清末小説から』第74号2004.7.1
 本ホームページの2003年11月9日付でも「『図画日報』の影印版」と題して写真を掲げておきました。
 研究者の注意を引かないホームページらしく、少しがっかりしました。




張仕英『清末小説研究――李伯元の小説を中心に』アジア文化総合研究所出版会2009.4.15

2009.7.24
 李伯元を中心にした論文集です。

 伊藤漱平「跋文――清末小説研究家の育成について」
 序
 第1章 清末社会と清末知識人
 第2章 李伯元の家系と青少年時代
 第3章 上海の新聞、出版界における活躍
 第4章 『官場現形記』について
 第5章 『文明小史』について
 第6章 『活地獄』について
 第7章 『中国現在記』について
 結語
 附録 李伯元年譜
 参考文献など




劉g、趙利民、侯運華著『西方文化与中国近代小説』長春・吉林出版社2008.6

2009.7.13
 上記書籍の目次は以下のとおりです。
 緒論
 上編:第1章 近代悲劇意識及其在小説戯劇中的表現
    第2章 近代作家社会参与意識的強化
    第3章 中国近代小説観念変革与日本明治政治小説
    第4章 域外小説翻訳対中国近代小説観念変革的影響
    第5章 従《<紅楼夢>評論》看王国維悲劇観的実質
    第6章 《新小説》雑誌与晩清小説理論
    第7章 《新小説》雑誌与小説翻訳。
 下編:第1章 西方文化与晩清譴責小説
    第2章 西方文化与晩清狭邪小説
    第3章 西方文化与民初小説創作
    第4章 西方文化与鴛鴦蝴蝶派小説
    第5章 西方文化影響下的中国近代女権小説
    後記



2009.6.29
 『中国近代文学研究 留得』が第28期で休刊となりました。
 上海の劉徳隆氏が個人で刊行されていたものです。
 以上、お知らせします。




葉立生主編『五味雑陳話劉鶚』北京・中国文史出版社2009.3

2009.6.12
 表紙には「紀念劉鶚逝世一百周年(1909-2009年)」とあります。
 淮安の関係者が劉鉄雲を記念して刊行した書物のようです。「生平考証」「劉鶚与淮安」「学術思想」「附録」などに分類し文章が収録されています。




小川平二『秋蘋先生』私家版50部のうちの1冊。1979.8.10

2009.5.31
 以前、曾孟樸との関係で秋蘋金井雄について簡単に紹介したことがあります(「「曾孟樸先生年譜」に見える日本人・金井雄」『樽本照雄著作目録1』所収。また「金井雄の手紙」『清末小説研究論』所収)。
 上記の私家版は、金井秋蘋の親戚筋にあたる小川平二が刊行したもの。小川は国会議員。国務大臣などを歴任しました。該書には、神田喜一郎「金井秋蘋と潘蘭史」のほか、詩と注解、写真を収録しています。秋蘋の功績を顕彰するための刊行物です。
 ただし、曾孟樸への言及がありません。その理由はわからないです。



2009.5.23
 「女は弱し、されど母は強し」
 ヴィクトル・ユゴー Victor Hugo のことばとして有名です。梁啓超が自分の文章に引用してもいます。
 その出典は、『九十三年』(1874)なのですが、梁啓超が英文で示しているのが興味深い。



2009.5.11
 必要があって中村忠行先生の論文を引っぱり出しました。
 中村忠行「呉梼訳『売国奴』その他」(『中国文芸研究会会報』24号1980.7.28)
 30年近くが経過していますが、不明なものはそのままということです。



2009.4.27
 樽本「清末小説目録の最新成果――劉永文編『晩清小説目録』について」(『東方』2009年5月号2009.5.5)を掲げます。
 内容が同じというだけで、『東方』の誌面そのままではありません。ご説明まで。




呉笛等『浙江翻訳文学史』杭州出版社2008.1

2009.4.24
 浙江関係者が翻訳した文学の歴史(1873-2007年)です。
 「第1編 清末民初浙江翻訳文学」で魏易と「林訳小説」、沈祖芬と英国文学、呉梼とロシア文学などを解説しています。
 「第2編 五四運動時期的浙江翻訳文学」では魯迅、周作人などの翻訳を説明します。



2009.4.5
 中国近代文学研究『留得』第27期(2009.1)をいただきました。
 停刊前1号と称しています。つまり28期で停刊という意味らしい。
 いくつかの話題を紹介します。
 2010年に『南社大辞典』が刊行される予定。また、王学鈞『李伯元伝』も近刊だとか。
 昨年6月には劉gほか著『西方文化与中国近代小説』吉林人民出版社が刊行されているとあります。



2009.4.4
 『清末小説から』次号の予告です。

『清末小説から』第94号(2009.7.1)
「老残遊記」執筆経過の謎2完――書簡集『滬榕書札』に見る………樽本照雄
《蔓陀羅克》の原作………渡辺浩司
従 MS.FOUND IN A BOTTLE 到《冰洋双鯉》………呉  燕
晩清小説作者掃描(19)………武  禧
そのほか



2009.4.3
 ウェブ上で『近代文学琴声』第1期(2009.3.31)が公開されています。
 その場所は、「林紓文化研究所Blog福建工程学院 http://hexun.com/czjr/default.html」です。
 林琴南に関する情報を収集して簡潔にまとめて発信する。そのように見えます。



2009.3.20
 しつこいようですが、劉永文『晩清小説目録』の続報です。
 亜東書店から『図書案内』3月号が送られてきました。
 5頁に書影をかかげて説明があります。関係部分のみをご紹介しましょう。
 「各図書館の原本やマイクロを利用し、前人の目録を補充。そのうち、期刊小説目録は1141篇、日報小説目録は1239篇、計2380篇。単行本小説目録掲載の2593部は新聞広告に基づき補充」
 記録するために引用しました。



2009.3.1
 劉永文『晩清小説目録』の刊行を予告する文章があります。私が入手したのは2008年6月中旬でした。中国国内の書店に向けた宣伝用刊行物です。
 短文ですから次に全文を翻訳します。
 「本書は復旦大学「光華文史文献研究叢書」の第1種である。現存する晩清の新聞小説、雑誌小説および単行本小説についてまったく全面的に収集集成したものだ。雑誌小説は1,141種、新聞小説は1,239種あり各大学図書館の原物を利用し、単行本小説の2,593種は先人の成果を多く利用した。これは日本の学者樽本照雄の『新編増補清末民初小説目録』に対してのとてもよい補充となる。1次資料を採用したから、晩清小説領域の基本工具として本書は詳細で確かであり、晩清新聞小説作家およびその創作状況を全体的に研究するとき、また晩清新聞文学の全体像を全面的に評価するばあいに、最も豊富で信頼できる文献的根拠を提供する」
 要点をくりかえせば「先人の成果を多く利用し」「樽本照雄の『新編増補清末民初小説目録』に対してのとてもよい補充となる」。
 私が予約しないはずがありません。2冊をそれぞれ別の書店に注文したのは、書店によって入荷が早かったり遅かったりするからです。少しでも早く手にしたかった。それだけ期待したということです。
 私が点検した結果は、その宣伝文句を裏切るものでした。単行本について「『新編増補清末民初小説目録』に対してのとてもよい補充となる」という説明はウソだった。
 新聞小説はさておき、単行本に関しては補充になりませんでした。
 日本にある中国書籍専門書店のホームページにも『晩清小説目録』について簡単な説明がされています。
 その一部分を抜き出すと、「樽本照雄著「新編増補清末民初小説目録」(斉魯書社,2002)からも補充した」とあります。
 先の宣伝文句と逆ですね。
 そのふたつともに、単行本の部は私の『清末民初小説目録』よりも収録作品が多いとしか読むことができません。ところが、出てきた実物の『晩清小説目録』にその事実がないのですから、私はいぶかるのです。



2009.2.24
 そうそう。劉永文目録について追加です。
 『繍像小説』の終刊についてあいかわらず誤った定説に従っています。これで思い出しました。
 夏曉虹「晩清報刊広告的文学史意義」(『南京師範大学文学院学報』2008年第4期)をファイルでもらっていたのです。
 さすがに知っている研究者は知っています。自分で経験しているからでしょう。
 ご覧ください。



2009.2.23
 過日お知らせしました劉永文編『晩清小説目録』です。
 劉自身の説明によりますと該目録に収録したのは、新聞小説1,239篇、雑誌小説1,141篇、単行本小説2,593部だとあります。
 新聞小説部分には、本当に驚きました。さすがに新聞小説を中心にして研究してきた劉だけのことはあります。文句なく充実しています。
 ところが私の『清末民初小説目録』は誤りが多い、と劉から名指しで批判されてしまいました。悲しいですね。
 気を取りなおして該目録の点検を開始し、このたびようやく終了した次第です。
 点検総数は5,067件になりました。以前に追加した作品を除くと、劉目録からは691件の増補ができたことは嬉しいことです。
 その点検過程で判明した事実があります。
 劉永文目録にある「単行本小説」の部全174頁は、私の『清末民初小説目録』から写しただけのものにすぎません。私が参照して追加すべき作品がないのです。
 「前言」において「多くの誤りがある」と批判した目録からまるまる複写するのはいかがなものでしょう。なんですかねえ。
 書評を書きましたから詳しくはそちらをどうぞ。




有明山樵『(探偵小説)伯爵と美人』春江堂1909.9.5

2009.2.17
 上はご覧の通り日本の探偵小説です。
 劉永文編『晩清小説目録』を点検していましたら『時報』の広告に載っていました(405頁)。
 日本小説の傑作を翻訳して『侠恋記』が成ったというのです。
 たしかに原作に間違いありません。ところが、「侠恋記」の『時報』連載は1904.6.12-1905.1.31となっています。
 しかも、単行本は上海時報館記者(陳景韓)訳述『(多情之偵探)侠恋記』46回(上海・時報館 光緒30.11.18(1904.12.24))です。
 『時報』連載途中で単行本になったようです。そういうことはあるでしょう。
 それにしても、原作の日本作品が翻訳に遅れること5年後とはいかがでしょう。
 ということは、日本語原作のほうに原因がありそうです。




夏曉虹『晩清上海片影』
上海世紀出版股〓有限公司、上海古籍出版社2009.1

2009.2.14
 夏曉虹の上記書籍に収録された「呉趼人与梁啓超関係鈎沈」は、呉趼人と梁啓超の関係を追求して興味深いです。



 
クイラー=クーチ版日訳2種

2009.2.5
 シェイクスピアの歴史劇を小説化したクイラー=クーチの日本語訳本です。
 左は、クヰラ・クウチ氏原著、通俗図書刊行会著『シェークスピア史劇物語』(大盛堂書店1927.10.15。表紙は「全訳シェクスピア物語」)です。『林紓研究論集』381頁にかかげておきました。
 右は、最近入手したものです。左よりももっと以前の発行になっています。日訳の方が林訳よりも早かった。
 小松武治編『沙翁史劇物語』(北文館1914.6.23)と表示があるのみ。原著者の名前は序文に見えます。「著者の名前はクイラー・カウチとある」。
 では、該書にクイラー・カウチ著と表示していない理由はなにか。
 それは、小松が独自に小説化した「アントニーとクレオパトラ」と「ヘンリー八世」を収録したからでしょう。



2009.1.31
 1月7日付の説明が不足しているというご指摘です。
 ユゴー「探偵ユーベル」の漢訳がどうしたのか。
 周作人が魯迅の学生時代を回想した文章に林紓(琴南)の翻訳がでてきます。
 『巴黎茶花女遺事』が出版された後、多くを購入して、最後はドイル『黒太子南征録』だった。ほかに「冷血」の『仙女縁』『白雲塔』、あるいはユゴーの「探偵談みたいな短篇小説で『ユーベル[尤皮]』とか何とかいふのがあつた」
 松枝茂夫は、周作人の文章を日本語訳するにあたり、原書について作人に質問したのです。ところが、「尤皮」についてのみ返答がありました。「“尤皮”,日本訳作ユーベル,原文未詳」というもの。
 「冷血」は、陳景韓の筆名です。林琴南とは関係がありません。
 ですから、うえにあがっている作品は、当然林訳ではなく陳景韓の翻訳です。陳景韓は日本語から漢訳しているばあいが多いので「探偵ユーベル」もそのなかのひとつかと推測されます。
 以前は、「探偵ユーベル」が漢訳されているとは知りませんでした(樽本「周作人が魯迅を回想して林紓に言及する」(『林紓研究論集』所収。351頁)
 ところが、韓一宇の著作に見つけたのがつぎの箇所です(305,360頁)。もう一度、まとめてかかげます。

(法)西余谷著 冷血訳「遊皮」『偵探譚』第1冊 時中書局 光緒癸卯(1903)

 周作人が表記した「尤皮」は、「遊皮」がもとの漢訳題名だったとわかります。作人は、この冷血訳を読んでいたというわけです。
 ご理解いただけたでしょうか。




イプセン『幽霊』小説化本のデル版

2009.1.26
 手元に届いてからデルの署名本であることを知りました。
 To my dearest wife with all my love.
 Draycot M.. Dell November 1917
 該書に刊行年は記載されていません。しかし、著者の書き入れにより、少なくとも1917年11月には刊行されていたことがわかります。




劉永文編『晩清小説目録』上海世紀出版股〓有限公司、上海古籍出版社2008.11

2009.1.11
 劉永文編『晩清小説目録』は、1840-1911年に発表された小説の目録です。
 内容は、以下のとおり。
 前言。説明。1期刊小説目録、2日報小説目録、3単行本小説目録、4報刊所登広告、5登載小説的報刊、6以小説命名的出版社(表)、7晩清小説年表、8期刊小説索引、9日報小説索引、10登載小説報刊索引、11単行本小説索引。後記。
 最大の特徴は、2の新聞掲載小説を収録した点です。日本では調査ができない分野ですから。
 該書によって『清末民初小説目録』を補充すれば、清末についてはほぼ終了することになりましょうか。
 劉氏は、民初小説目録の刊行も準備中であると書いています。実現することを祈っています。



2009.1.7
 ユゴー VICTOR HUGO の作品です。英訳で示せば“HUBERT,THE SPY”となります(“THINGS SEEN”原題CHOSES VUES所収)。
 日本語では、森田思軒訳「探偵ユーベル」が知られています。
 私は、該作品の漢訳はない、と思っていました。ところが、あの冷血(陳景韓)によって漢訳されていたのです。
 ヒントは、先日ご紹介しました韓一宇『清末民初漢訳法国文学研究(1897-1916)』です。
 その360頁にユゴー作品として「遊皮」が収録されています。韓一宇は、その原作について説明してはいません。しかし、この題名を見て、すくにわかりました。
 あらためて示しましょう。

(法)西余谷著 冷血訳「遊皮」『偵探譚』第1冊 時中書局 光緒癸卯(1903)

 今、該書を見ることはできません。
 陳景韓は、日本語によって漢訳したのでしょう。ユーゴー原作、思軒居士訳「探偵ユーベル」(『国民之友』第37号附録-第43号1889)は、のちに森田思軒重訳『ユーゴー小品』(民友社1898.6.4)に収録されました。
 なるほど、「遊皮」がもとの漢訳題名ですから、周作人が「尤皮」と書いた理由がわかります。
 それにしても、「西余谷」とは。日本語表示「ユーゴー」を忠実に音訳したようです。




韓一宇『清末民初漢訳法国文学研究(1897-1916)』

2009.1.2
 清末民初時期におけるフランス文学の漢訳を研究した専門書が刊行されました。
 珍しい。以下に目次をかかげます。

韓一宇『清末民初漢訳法国文学研究(1897-1916)』北京・中国社会科学出版社2008.6
孟華「序」
第1章清末民初法国文学翻訳概況
第2章法国文学的中国閲読:作家作品翻訳接受個案
第3章訳者研究
第4章“訳述”時代:翻訳“策略”与文本現実
結語
主要参考文献
附録1「漢訳法国文学作品年表(1897-1918)」
2「1897-1918年訳入法国作家一覧表」
3「1897-1918訳入作品列前十位的法国作家訳本簡表」
4「訳本《鳴不平》略考」






2009.1.1
 本年もよろしくお願いいたします。

 『清末小説から』次号の予告です。

『清末小説から』第93号(2009.4.1)
「老残遊記」執筆経過の謎――書簡集『滬榕書札』に見る………樽本照雄
《還珠》の原作………渡辺浩司
晩清小説作者掃描(18)………武  禧
そのほか



はじめに

 中国の清末小説(しんまつ しょうせつ)を専門に研究している会です。清末とは、清朝末期のことを指します。厳密にいえば、「中国の」と付ける必要はありません。清末は、中国にしか存在しませんから。まあ、丁寧に言っております、くらいのことですのでご了承ください。
 年代でいえば1900年代から1911年の辛亥革命をへて五四文学前です。
 日本ならば、明治30年代から大正初期にあたります。
 というわけで、清末小説を専門にしているといっても、中華民国初期の小説も含んでおりますので、誤解のないようにお願いいたします。
 それならば、いっそのこと「清末民初小説研究」と称してもいいようなものの、長くなるでしょう。
 研究会と称していますが、組織はありません。
 定期刊行物として年刊の『清末小説(しんまつしょうせつ)』と季刊の『清末小説から』を発行することが研究会の目的です。
 『清末小説』『清末小説から』の最新号所収の論文は、いくつかを本ホームページで読むことができます。
 なお、『清末小説』のバックナンバーは、中国書籍専門店で購入することができるかもしれません。『清末小説から』は、本ホームページのものを印刷してください。紙媒体では、基本的に発行しておりません。どうしても、という人は、国立国会図書館で読むことが可能です。
 清末小説研究会の出版物は、中国書籍専門店(東方書店、燎原書店、福岡中国書店など)で購入できます。ご注文ください。
 これまでの研究会活動を紹介するかわりに雑誌『清末小説(研究)』の編集ノートをあつめた編集ノート集をかかげます。おおよその活動が理解できるでしょう。
 研究をめざす人を対象に『清末小説研究ガイド2008』を発行しています。清末小説研究資料叢書は、該ガイドを含めて11まで発行したことになります。発行部数そのものが少ないので、短期間で在庫がなくなる可能性が高いのです。