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馮志傑『中国近代翻訳史・晩清巻』
北京・九州出版社2011.7
2011.12.27
 上記著作の目次は以下のとおりです。

 第1章中国近代翻訳興起的社会基礎
 第2章晩清翻訳活動発展的歴史演進
 第3章晩清時期科技著作翻訳
 第4章晩清時期社会科学著作的翻訳
 第5章晩清時期文学著作的翻訳
 第6章晩清時期訳介西学的重要期刊
 第7章晩清時期的翻訳機構
 第8章晩清時期的翻訳家
 第9章晩清翻訳活動与近代中国社会転型




劉宏照『林紓小説翻訳研究』
上海世紀出版股〓公司、上海訳文出版社2011.10
2011.12.15
 上記著作の目次は以下のとおりです。

 自序
 第1章 林紓小説翻訳研究述略
 第3章 林紓的翻訳思想
 第4章 林紓的翻訳策略
 第5章 操縦林訳的因素
 第6章 林訳成功的原因
 第7章 林訳的貢献
 第8章 林訳的不足
 第9章 結語
 附録1林紓年表附録2林紓訳作目録主要参考文献
 後記




2011.12.12
 墨者「稀見清末小説目」(『学術』第1輯 1940.2)という目録があります。『清末民初小説目録』を編集したときに利用しました。
 上の写真をごらんください。下段に『中国偵探』とたしかに書かれています。
 そこで樽目録には、「[墨者36]此書内為血〓、白玉環、枯井石三個故事」と記述しました。
 ところが、同じ作者呂侠で『中国女偵探(偵探小説)』(商務印書館 光緒33(1907))が阿英目録に収録されているのに気づきました。しかも、収録作品は、おなじです([阿英72]血〓、白玉環、枯井石)
 どちらかが誤記している。『中国偵探』か『中国女偵探』か。
 以前ご紹介しました付建舟、朱秀梅著『清末民初小説版本経眼録』に見えます。
 正しくは『中国女偵探』でした([付朱141]光緒三十三年(1907年)七月初版。作者呂侠,即著名史学家呂思勉)。
 そこで、樽目録の『中国偵探』については、つぎのように書き換えました。
 「『中国女偵探』が正しい書名。樽目録を含めて、すべて墨者の誤りを踏襲する」
 いっそのこと『中国偵探』を削除すればいい。そういうご意見もあるでしょう。
 しかし今では、『中国偵探』を間違って収録する目録がいくつも出まわっています。
 削除すればよけいに複雑化する、という判断です。



2011.11.27
 『清末小説から』第104号の予告です(2012.1.1公開予定)
===============
商務版「説部叢書」研究の昔と今2………樽本照雄
《社會小説 人壽保險》の原作………渡辺浩司
容懿美譯《人靈戰紀土話》考略………姚達兌
傅蘭雅"時新小説"征文獲奨作品序文鈔(下)………劉コ隆



2011.11.12
 本年開催されました「中国近代小説国際研討会」の追加情報です。
 蘇建新氏の報告です。→『2011年済南近代小説会談片(近代文学琴声第7期)』http://czjr.blog.hexun.com/69374565_d.html
 『近代文學琴聲第8期(2011.11.11)』も公開されました。
 ただし、試してみるとリンクが切れているようです。ということで蘇建新氏にいただいたファイルを掲げます。



2011.11.10
 前回、表紙と目次を紹介しました。
 張麗華『現代中国『短篇小説』的興起――以文類形構為視角』(北京大学出版社2011.4)です。
 ひとつ気になる箇所が目にとまりました。
 その72頁に樽目録に言及があります。樽目録によると『短篇小説叢刻(初編)』があって……、と続いているのです。
 ひとつは、樽目録が研究のお役に立っているようでよかった。
 もうひとつは、どうかなあ、と思うこと。
 注釈がつけられています。上記単行本には短篇小説36篇が収録されている。
 そこまではいいのです。しかし、樽目録は35篇といっており、それは誤りだ、と指摘します。
 1篇の違いですが間違いはまちがいにちがいありません。
 ただ、私が35篇と書いたのには根拠とする文献([通典637])がありました。たぶんそれが誤っているのでしょう。
 張麗華氏は、そこまでくわしくは見なかったようです。
 それよりも、正しい36篇がどういう作品なのか、紹介してもらいたかったですね。
 そうすれば、樽目録を補充できます。まあ、別の方法もありますが。
 ほんとうに小さなところです。ですが、すこしガッカリしました。



 
2 1
2011.10.23
 目次だけご紹介。

張麗華『現代中国『短篇小説』的興起――以文類形構為視角』北京大学出版社2011.4
 前言、第1章導論:文学革命与文類形構、第2章近代報刊与清末“新体”短篇小説――以《時報》為中心的考察、第3章文類如何翻訳?――晩清小説訳介中的《域外小説集》、第4章形式的意味――魯迅与現代中国短編小説的確立、第5章従“説部”到“文章”――新教育与“短篇小説”文類話語的建構、結語など。

呉礼権『清末民初筆記小説史』台湾商務印書館2011.8
 第1章引言、第2章国史派筆記小説、第3章軼事派筆記小説、第4章事類派筆記小説、第5章雑俎派筆記小説、参考文献など。



2011.10.23
 「中国近代小説国際研討会」が、2011年山東済南大学で開催されたそうです。
 参加した劉徳隆氏から以下のような通信をいただきました。転載いたします。

 済南成研究收藏《老残游記》中心……《済南日報》2011年10月18日
 済南応充分利用“老残”文化……《済南時報》2011年10月18日
 周汝昌与劉鶚世家……魯家用




2011.10.19
 『清末民初小説目録』について渡辺浩司氏よりご指摘をいただきました。資料提供も渡辺氏です。ありがとうございます。

ウムラウトは表示できません。

・B0216* 白衣女王(長篇小説)6章 (英)維廉勒@著
   蕭定安、王嘯圃合訳
   『説叢』1-2期 1917.3-4 WILLIAM TUFNELL LE QUEUX著
 *原作が判明した。原作は、William Tufnell Le Queux
  『The Great White Queen−A Tale of Treasure and Treason』(1896年)
  但し、漢訳は未完。

・H0249* 海中人(冒険小説) (法)威爾奴著 @@訳

   『礼拝六』48-56期 1915.5.1-6.26 JULES VERNE著
 *原作は、武田雅哉/林久之『中国科学幻想文学館(上)』(大修館書店,
  2001.12.1)162頁で指摘されている、
  Jules Verne『Vingt Mille Lieues sous les Mers』(1869?年)

・J0983 金丸縁(神怪小説) 愛廬
   『礼拝六』42期 1915.3.20
 *創作ではなく、翻訳。
  原作は、Bruder Grimm『Kinder- und Hausmarchen』(1857年)中の
  「1. Der Froschkonig oder der eiserne Heinrich」

・S0102 三金髪(神怪小説) 愛廬
   『礼拝六』41期 1915.3.13
 *創作ではなく、翻訳。
  原作は、Bruder Grimm『Kinder- und Hausmarchen』(1857年)中の
  「29. Der Teufel mit den drei goldenen Haaren」

・S1638* 説夢 (美)威廉孛洛著 鉄樵(ヲ樹@)訳
   『説薈』上海・商務印書館1917.8-9
 *もとは、『小説月報』5巻6号1914.10.25「雑俎」掲載の
  『説夢』訳海濱雑誌 美国威廉孛洛原著 鉄樵。
  原作が判明した。
  原作は、William Brown,M.A.,D.Sc.『Dreams:The Latest Views of Science』,
  『The Strand Magazine』45-265(1913.1)掲載
  (小説ではない)

・W0094* 万能医生(滑稽小説) (徳)克利姆原著 小草訳
   『礼拝六』44期 1915.4.3 GRIMM著
 *原作が判明した。
  原作は、Bruder Grimm『Kinder- und Hausmarchen』(1857年)中の
  「98. Doktor Allwissend」



 
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2011.9.30
 改組以前の『小説月報』について以下の研究書が刊行されました。
1柳 珊『在歴史縫隙間〓扎――1910-1930年間的《小説月報》研究』南昌・百花洲文藝出版社2004.12
2董麗敏『想像現代性:革新時期的《小説月報》研究』桂林・広西師範大学出版社2006.8
3謝暁霞『《小説月報》1910-1920:商業、文化与未完成的現代性』上海三聯書店2006.11
4邱培成『描絵近代上海都市的一種方法――《小説月報》(1910-1920)与清末民初上海都市文化研究』南京・鳳凰出版伝媒集団、鳳凰出版社2011.6



2011.9.29
 『清末民初小説目録』第4版について渡辺浩司氏よりご指摘がありました。ありがとうございます。
 →こちらへどうぞ




『翻訳史研究』第1輯(2011)
上海・復旦大学出版有限公司2011.6
2011.9.15
 収録論文は以下そのほかです。
哈葛徳少男文学(boy literature)与林紓少年文学(juvenile literature):殖民主義与晩清中国国族観念的建立………関詩珮
清末女性空間開拓:薛紹徽編訳《外国列女伝》的動機与目的………銭南秀
家与国的抉択:晩清Robinson Crusoe諸訳本中的論理困境………崔文東



2011.9.3
 『清末小説から』第102号および同第103号は、訂正版を掲げました。
 渡辺浩司氏のご指摘に感謝します。



2011.8.30
 

楊麗華『中国近代翻訳家研究』章艶『在規範和偏離之間――清末民初小説翻訳規範研究』
天津大学出版社2011.4北京・外語教学与研究社2011.3
上篇第1章翻訳家厳復第1章緒論
第2章翻訳家梁啓超第2章清末民初小説翻訳的縁起
第3章翻訳家林紓第3章清末民初小説翻訳規範透析
第4章翻訳家馬君武第4章清末民初小説訳者的身〓確定
第5章翻訳家魯迅第5章従訳序跋看清末民初小説訳者対翻訳規範的応対
下篇第6章翻訳目的論関照下近代翻訳家擬訳文本的現代取向第6章清末民初小説翻訳規範的多様性
第7章近代翻訳家翻訳策略選択第7章結語
第8章近代翻訳家的翻訳文体生成
第9章近代翻訳家与翻訳規範
第10章近代翻訳家与中国文学文化現代転型



2011.8.6
 福建の蘇建新氏が主宰する「林紓文化研究所」のウェブサイトがあります。「近代文学琴声」第6期を掲げます。「2010年世界林紓文化研究文献目録」です。
 ねんのため、もとのウエブサイトはこちらです→http://czjr.blog.hexun.com/66396995_d.html



2011.8.4
 『清末小説から』の予告です(2011.10.1公開予定)
===============
『清末小説から』第103号
商務版「説部叢書」研究の昔と今1………樽本照雄
《醫學小説 鑽祟》の原作………渡辺浩司
『清末民初小説目録』第4版問答(下)………樽本照雄
傅蘭雅“時新小説”徴文獲奨作品序文鈔(上)………劉徳隆




張人鳳、柳和城編著『張元済年譜長編』上海交通大学出版社2011.1

 
張人鳳編著 台湾商務印書館股〓有限公司1995.5 張樹年主編 北京・商務印書館1991.12

2011.7.12
 『張元済年譜』といえば、北京商務印書館本1991(下図右)と台湾商務印書館本1995(下図左)があります。
 このたび、上下巻の年譜長編(上図)が刊行されました。人名索引、後記を含めて全1,546頁という文字通りの巨冊です。



2011.7.5
 『清末小説』第34号の予告です。

翻訳家奚若 …………………………………樽本照雄
  ――附:奚若と謝洪賚の略年譜
Sam Briggsの中国語訳 ……………………渡辺浩司
曾孟樸の初期翻訳(下)……………………樽本照雄
書家としての呉檮・補遺2 ………………沢本香子
天涯処処有芳草 銭塘海陽是両家…………郭 長海
从《鉄雲詩存》看劉鶚人生"三游"及詩歌"太谷化"……伏  涛
貴重な出版史料のひとつ …………………樽本 照雄
  ――『繍像小説』主編を示す商務印書館の新聞広告
ほか




1907年10月12日付『時報』
貴重な出版史料のひとつ

2011.6.13
 【追加】
 汪家熔輯注『中国出版史料・近代部分』補巻下冊(477頁)に奇妙な説明があります。『繍像小説』に関する注釈です。
 汪家熔が自説をくりかえしていますから、私も同じことを書きましょう。
 小説専門雑誌『繍像小説』の主編は、誰か。
 討論がはじまったのは、1984年のことでした。
 従来は李伯元だと考えられてきた。汪家熔はそれに対して反論します。李伯元自身が、そうだとは書いていない。友人たちの証言もない。つまり、決定的な証拠がない、と主張する。
 では、誰か。
 彼が取り出したのは夏曾佑です。しかし、その確証はあるのか、と反論されるとすぐさま夏曾佑説を引っこめました。李伯元自身がそう述べていないのと同様に夏曾佑も何も残してはいないのです。
 決定的な資料は、商務印書館自身が掲げた広告です(上に掲げておきました)。
 版元の商務印書館は、『繍像小説』の編集には李伯元を招請したと公表している。よくご覧ください。
 私は、上海図書館で資料を閲覧しました。マイクロフィルムで確認した広告は、1907年10月9日、12日付『時報』、1907年10月9日付『中外日報』などです。同文の広告が掲載されています。(以上は、本研究会ウェブサイト2001.4.19付で公開した)
 私は、汪家熔へあてて新聞広告の複写を送りました。そうすると、彼は、自説が誤りだと認めた返答を私に送ってきた。事実ですからここに書いておきます。
 学術討論は、以上をもって終了した。私は、そう考えました。ところが、そうはならないのですね。
 汪家熔『中国出版通史』7清代巻(下)(北京・中国書籍出版社2008.12)は、『繍像小説』主編問題をむしかえしています。私信で誤りを認めたにもかかわらず、公の出版物では、汪家熔はあいかわらず主編不明説を記述する。あの新聞広告についても、信頼しがたいと奇妙なことを述べるしまつ。振り出しにもどすつもりらしい。
 私は、「『繍像小説』問題」と題して反論しておきました。(『清末小説から』第96号2010.1.1第99号2010.10.1)。  そうして今回の『中国出版史料・近代部分』補巻下冊です。
 編者問題について汪家熔は、李伯元の知人が証言していない、と以前と同じことを主張しています。
 阿英は李伯元だとするが、胡適がかつて調査したことがあって、郷里の親戚が上海にいる李伯元の具体的活動を知っていたかどうかは疑わしい。李伯元の親友である欧陽鉅源の文章にも『繍像小説』を編集したことがあるとは書いていない。当時商務印書館の編集者だった蒋維喬は、李伯元と同郷だがそのことを述べたことがない。最後は、ひとつの説明があって(つまり汪家熔の持論のこと)、該雑誌は夏曾佑の編輯だという。
 汪家熔の説明は、27年前の自説にもどってしまった。
 その間に行なわれた資料発掘を汪家熔は認めようとはしません。新聞広告については、まるで存在しないように振る舞っている。
 李伯元が主編だという知人たちの証言がない。汪家熔は、それだけに注目する。しかし、主編だという商務印書館の新聞広告は、彼は視野に入れない。奇妙なことだ、と私はいうのです。
 資料を無視しているのではないか、と指摘する『中国出版史料』の担当編集者はいないらしい。あるいは、上に示した新聞広告は、出版史料として重要だから補巻にも収録したらどうか、と意見を出す人もいない。いたとしても、該巻は汪家熔が「輯注」するのですから、自分の思うように書くだけなのでしょう。
 それにしても、何なんでしょうね。あきれました。




宋原放主編、汪家熔輯注『中国出版史料・近代部分』補巻上下冊
武漢・湖北教育出版社2011.2
2011.6.12
 2004年に刊行された『中国出版史料』近代部分の補巻2冊です。
 出版関係の法律、出版社の規則制度、また清末民初に刊行された出版社の目録などを収録しています。




王曉元『翻訳話語与意識形態――中国1898-1911年文学翻訳研究』
上海外語教育出版社2010.3
2011.6.8
 目次は、以下のとおりです。
導論
第1章研究方法与理論模式
第2章社会文化語境
第3章文学(翻訳)話語:従辺縁到中心
第4章帰化的転覆:林紓的翻訳
第5章偽訳:革命話語――《悲惨世界》的翻訳
第6章異化的萌芽:周氏兄弟的翻訳実践
結語
参考文献




2011.5.25
 武田雅哉代表『包天笑『釧影楼回憶録』訳注』第1冊(『釧影楼回憶録』訳注プロジェクト2011.3.20)が刊行されました。



  
陳清茹『光緒二十九年(1903)小説研究』   陳大康『中国近代小説編年』

2011.5.20
 樽本「小説目録に見る『繍像小説』の刊行年月日」を書きました。
 ここに表示するのには少し長いです。それで別にしました。



2011.5.1
 『清末小説から』の予告です(2011.7.1公開予定)
===============
『清末小説から』第102号
呉檮の漢訳ゴーリキー(下)………樽本照雄
《虎口餘生》の原作………渡辺浩司
晩清小説作者掃描(27)………武  禧
『清末民初小説目録』第4版問答(上)………樽本照雄




2011.4.12
 朱禧、劉徳平編『一簑煙雨任平生――厚沢文存』(私家版 刊年不記(2011.3))を劉徳隆氏よりいただきました。
 劉鉄雲の後裔である劉厚沢の文集です。正編と附録にわかれています。
 正編は、黄河治水に関する論文、『老残遊記』に関連する文章を収録し、附録は親族、関係者による回想録です。
 以前に紹介しました劉徳隆、朱禧編『也無風雨也無晴――滬榕書札』(2008.11)の姉妹編といえるでしょう。




2011.3.27
 劉徳隆氏より上記のファイルが送られてきました。
 中国で刊行された『清末時新小説集』について特集しています。
 このままでは不鮮明です。図像を点撃してください。読むことができるでしょう。



2011.3.18
 東日本震災 被災地、被災者の皆様に、心よりお見舞い申しあげます



2011.3.6
 『清末民初小説目録』第4版について渡辺浩司氏よりご指摘がありました。ありがとうございます。
 →こちらへどうぞ




袁進『中国近代文学史』台湾・人間出版社2010.9

2011.2.20
 袁進『中国近代文学史』(台湾・人間出版社2010.9)が出版されています。
 目次を以下に掲げます。

緒論、第1章伝播与市場、第2章語言与形式、第3章本体与範囲、第4章伝統与現代、第5章功利与審美、第6章作品与時代



2011.2.11
 渡辺浩司氏から『清末小説から』第101号(4月1日公開予定)の誤植をご指摘いただきました。ありがとうございます。
=======================
3頁左4行,右7行 フラシテンの中から → フラシテンの枠の中から
3頁左7行眉庇のルビ まひさし → まびさし
6頁右倒14行,3行,7頁左3行 アツちあん → アツちやん
=======================
 以上、訂正したうえで公開する予定です。



2011.2.9
 藤元直樹氏より目録第4版について以下のご教示をいただきました。ありがとうございます。
=====================
Y1173*英徳未来戦争記 (軍事小説)
威維立克著
 は、ウイリアム・ル・キュ『英独戦争未来記』(博文館1908.8)と同一原作か
K0210*空中戦争未来記
(徳)魯徳耳虎馬爾金著
 ルードルフ・マーチン『破天荒』(小川尚栄堂1908.4)の元になった von Rudolf Martin“Berlin-Bagdad; das deutsche Weltreich im Zeitalter der Luftschiffahrt”1910-1931 か



2011.2.5
 『新編増補清末民初小説目録』[第3版]の間違いをお知らせします。

  j0906、j0907、j0908 井頭蓮 → 并頭蓮

 点検していて見つけました。まぎらわしいとはいえ、編者に知識が不足していたのが原因です。
 第4版(ではJ1139-1141)には間に合いませんでした。




『明清小説研究』2010年第4期

2011.2.4
 王〓[金3]「《晩清小説目録》指瑕」(『明清小説研究』2010年第4期(総第98期)2010発行月日不記)が掲載されています。
 題名のとおり。劉永文編『晩清小説目録』(2008.11)の新聞小説1,239篇および雑誌小説1,141篇を対象にして点検したもの。なぜだか単行本2,593篇(再版を含む)は対象になっていません。
 王は、正誤表をみっつに分けて掲げます。
 旧新暦の間違い(28件)、書名、人名の誤り、あるいは角書の不採録など(172件)。小説ではない作品についての指摘、つまり戯曲作品に注記して66件にのぼります。それらを単純に合計すれば、266件という数字が出てくるのです。
 王の本文では、採録していない作品にも言及します。それらの指摘の中には、上の正誤表といくつかの重複があったりする。
 私は王の指摘をもとにして劉目録を点検しました。全体で300件にのぼります。
 劉目録の新聞と雑誌の小説は、上の数字を合算して2,380件です。王の指摘はその約13%になります。それゆえに「指瑕」と名づけられたのでしょう。
 まとめてみれば、劉目録の編集方針の不統一、校正の不徹底ということだと理解しました。
 研究者がひとりで編集をした目録には、どうしても間違いがつきまとう。多人数で分担しても同じこと。しかたのないことです。
 目録という工具書をどう考えるかによって評価は変化するでしょう。私が見るところ、こまかな間違いはないにこしたことはない。しかし、目録の公表は、研究者に調査する手がかを与えてくれる。多くの研究者が目録を点検すれば、よりよい工具書になるだろう。それにつきるのです。
 あらためて王の指摘を見てみました。
 まず、単行本を点検の対象からはずしたワケがわかりません。なぜなのか?
 推測すれば、新聞と雑誌の小説が劉目録の特徴であると王は考えた。あるいは、劉目録の単行本部分は、樽目録の複写だからという理由かもしれません。
 もうひとつは、王が細かく誤りを指摘することができた理由です。王自身も新聞雑誌掲載の小説を研究しているからではないでしょうか。
 中国の研究界のひとつの流れが、最近は新聞小説の研究に向かっているという現実を反映しているのかもしれません。
 王の指摘には、これはどうかなと感じるものもわずかですが存在します。
 たとえば、劉目録71頁の「(短篇小説)劈棺」(『小説林』第11期)です。
 劉目録が10期と誤っていると指摘するのはよろしい。問題は、その原作者の名前です。[指瑕169]は、Hammonlが正しい、とわざわざ書いています。
 実物を手に取れば、Hammondは「d」の活字が不鮮明で、Hammonlに見えるだけのことにすぎません。
 王は実物を見ているから劉目録が間違えたと思いこんだのでしょう。しかし、印刷が原因の王の誤解です。実物を見ても、間違うときは間違う。
 おもしろく感じたのは、漢字の文字化けが生じていることです。
 [指瑕173]は、劉目録208頁にある「恩仇記」の作者がまったく別物であると指摘します。私が見れば、これは電脳でファイルをやりとりするときに生じた文字化けです。
 劉永文は電脳のファイルで原稿を出版社に渡したのでしょう。著者校正の段階で(著者校正の機会を与えられたかどうかは不明)でその文字化けを見逃してしまった。逆にいえば、目録の作成には電脳が欠かせない事実を教えてくれます。
 あるいは、劉目録が『図画日報』の刊行年月を記していないことについて王は何もいいません。
 点検の対象である劉永文の目録(192-197頁)は、『図画日報』の刊行年月日を記さない。王も同様だということは、彼も劉目録を追認しているからです。ことばを変えれば、王自身も該誌の刊行年月日を把握していない。
 ところが、樽目録はそれを明記している。以前に『図画日報』の刊行年月について文章を書いたことがあります(沢本郁馬名義で→こちらへどうぞ)。私は実物(ただし、一部分)にもとづいているのです。劉王各氏が見たのは影印本だったのかもしれません。
 中国人研究者は樽目録を参考にしているようで、見ていないとわかる。残念なことですね。




『周痩鵑文集』全4冊


2011.2.3
 范伯群先生より『周痩鵑文集』全4冊(上海・文匯出版社2011.1)をいただきました。
 ありがとうございます。
 1は小説巻、2は散文巻、3は翻訳巻、4雑俎巻となっています。
 1に范伯群「周痩鵑論(代前言)」が、4に范伯群、周全「周痩鵑年譜」と周全「後記」が掲載されています。
 王智毅編『周痩鵑研究資料』(天津人民出版社1993.2)からようやく、という感じです。
 多作だった周痩鵑の作品が4冊にまとめられたということをまずはめでたく思います。



2010.2.1
 蘇建新「2009年林紓研究述評」(『〓江学院学報』第31巻第6期 2010.11.25)が発表されました。
 この元原稿が林紓文化研究所のウェブサイトに掲載されています。
 蘇建新「中、日09’林紓研究述評」
 http://czjr.blog.hexun.com/60994381_d.html
 というのがそれです。



2011.1.29
 『清末小説から』の予告です(2011.4.1公開予定)
===============
『清末小説から』第101号
呉檮の漢訳ゴーリキー(上)………樽本照雄
《沙塲歸夢》の原作………渡辺浩司
从“文界上乘”人物“王晋庵”説起………劉 コ隆
晩清小説作者掃描(26)………武  禧
夏瑞芳暗殺事件の犯人………樽本照雄



2011.1.23
 昨日のつづきです。
 お知らせによると、その研究者は、フォクシット・リーダ−(Foxit Reader)を使用されていたそうです。
 該ソフトは漢字をサポートしていない。それなら『清末小説から』を読むことはできません。
 そういう電子工具があるとは知りませんでした。
 さっそくインターネットでさがすとあります。日本語版(Foxit J-Reader 4.2)を試しに使ってみました。
 ソフトの起動と検索はアドビより早そうな気がしないでもない。日本語も漢字も表示します。
 使用したPDFファイルは、もとがアドビ・アクロバットで作成しました。それをフォクシットで表示させるとカッコ類がすこしだけ不格好に見える。
 気にならない人は、どちらでもお好きな方をお使いください。



2011.1.22
 『清末小説から』第100号を電脳で読むことができない。中国の研究者からメールをいただいたことをお知らせしました(1.4付)。
 その方は、電脳に日本の漢字を導入することによって問題は解決したようです。
 電脳に関連する問題のひとつに漢字があることは周知の事実でしょう。
 『清末小説から』は基本的に日本語を使用しています。最近では、論文により中国語簡体字も使うようになりました。
 紙媒体に印刷するばあい、漢字の違いは問題になりません。印刷して表示できればいいからです。
 それをウェブサイトに掲載すると問題が発生する。もとの漢字情報をむきだしにしている。受け手の電脳がその漢字情報に適合する字体を所蔵しなければ、正しく表示しない。むつかしい問題のひとつです。
 私の経験から説明しましょう。アドビ・リーダ−(Adobe Reader)のばあい、個々の電脳が持たない字体は、ウェブサイトにつながっている状態で「フォントがありません。ダウンロード(複写)しますか?」という意味のことを表示します。
 そのまま「はい」を押せば、該当の字体利用できるようになりました。
 アルファベットを使用する国々において電脳が発達した。これが問題の発生する原因です。彼らにしてみれば、漢字を扱う必要がなかった。
 先人が漢字を表示する工夫をしたから、今の情況にまでたどりついた。
 各国の電脳基盤がバラバラです。漢字問題はつづくでしょう。それでもMS Windowsによってかろうじてつながっている?ここらあたりは、私は知りません。
 『清末小説から』は、従来通りウェブサイトに掲載します。




帯付き表紙

  
表紙4    表紙1


2011.1.21
 陳建功主編『唐〓蔵書・図書総録』(北京・文化藝術出版社 2010.10 中国現代文学館館蔵珍品大系)が出版されました。
 現代文学館に所蔵された唐〓の旧蔵書の図書総録(新聞、雑誌を除く)です。1899年以前をひとまとめにし、あとは10年ごとに区切って並べています。1990年代は1997年まで。出版時期不明の書籍も巻末に集めています。前半に多数の単行本表紙をカラーでかかげているのが珍しい。
 以前、中国現代文学館編『唐〓蔵書目録』(刊年不記(2003)を紹介しました。それは「内部交流資料」でしたから上述の目録が正式な刊行物なのでしょう。



2011.1.4
 『清末小説から』第100号の文字が表示されない、というお知らせを受けました。
 PDFファイルの作成方法を少し変更しています。漢字表示を適切に行なうためです。それが原因でしょうか。私の電脳では正しく表示しています。中国語版Windowsの問題であるかもしれません。
 とりあえず、以前の方法で作り直したものを置いておきます。こちらへどうぞ→『清末小説から』第100号B版







2011.1.1
 本年もよろしくお願いいたします。

 『清末小説から』第100号を掲げました。




はじめに

 中国の清末小説(しんまつ しょうせつ)を専門に研究している会です。清末とは、清朝末期のことを指します。厳密にいえば、「中国の」と付ける必要はありません。清末は、中国にしか存在しませんから。まあ、丁寧に言っております、くらいのことですのでご了承ください。
 年代でいえば1900年代から1911年の辛亥革命をへて五四文学前です。
 日本ならば、明治30年代から大正初期にあたります。
 というわけで、清末小説を専門にしているといっても、中華民国初期の小説も含んでおりますので、誤解のないようにお願いいたします。
 それならば、いっそのこと「清末民初小説研究」と称してもいいようなものの、長くなるでしょう。
 研究会と称していますが、組織はありません。
 定期刊行物として年刊の『清末小説(しんまつしょうせつ)』と季刊の『清末小説から』を発行することが研究会の目的です。
 『清末小説』『清末小説から』の最新号所収の論文は、いくつかを本ホームページで読むことができます。
 なお、『清末小説』のバックナンバーは、中国書籍専門店で購入することができるかもしれません。『清末小説から』は、本ホームページのものを印刷してください。紙媒体では、基本的に発行しておりません。どうしても、という人は、国立国会図書館で読むことが可能です。
 清末小説研究会の出版物は、中国書籍専門店(東方書店、燎原書店、福岡中国書店など)で購入できます。ご注文ください。
 これまでの研究会活動を紹介するかわりに雑誌『清末小説(研究)』の編集ノートをあつめた編集ノート集をかかげます。おおよその活動が理解できるでしょう。
 研究をめざす人を対象に『清末小説研究ガイド2008』を発行しています。清末小説研究資料叢書は、該ガイドを含めて11まで発行したことになります。発行部数そのものが少ないので、短期間で在庫がなくなる可能性が高いのです。