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2001.12.23
阿英「晩清小説目」がすぐれている点を、いくつかあげましょう。
まず、清末小説の専門目録で独立して編集刊行されています。
しかもそれが1950年代という早い時期であったのは、研究上に意義があることでした。
単行本は、原物に基づいて記述しているらしいのも信頼を高めた原因です。
現在にいたるまで「阿英の目録によれば……」と引用されるほど研究者に広く深く利用されているのも理解できます。
多くの研究に利用されたから発行数が多いのか、それともその逆かも知れません。
『晩清戯曲小説目』は、まず上海文藝聯合出版社(1954.8)から出版されました。初版は、2千部です。
私の所蔵するのは、香港経由で購入したものです。2冊ともに「叙記」部分5ページを切り取っています。当時の政治に言及する部分があるのが原因だと推測しています。
これに6ページを加えた増補版が上海・古典文学出版社(1957.9)から出ました。1千800部。
版権頁には、上海文藝聯合出版社が3千部だと書かれています。1千部を追加出版したのかもしれません。これで合計4千800部です。
驚いたことに、その後も増刷されています。
北京・中華書局(1959.5)から増補版のままに1千部が発行されているのがそれです。
私の知るかぎり、これで総計5千800部となります。
専門目録としては、かなり大きな発行部数ではないでしょうか。
阿英目録の編集方針について、私は、別の文章においてすでに指摘しています。ここではくりかえしません。
2001.12.12
あれほど有名だったのに、今では、研究者でも知らない。
本当に、ウソのようなはなしです。
陸〓日斤}「説《説部叢書》」(『蔵書家』第3輯 2001.6)が発表されています。
中国では、珍しい文章だと感じました。
あれれ、どこかで読んだような。たしかに、そのはず。すでに、該文には、触れているのでした。
べつの事に熱中しており、紹介したのをすっかり忘れているのですね。
もうしわけありません。
2001.11.28
『清末小説から』第64号の予告をします。
来年の話です。
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李伯元は死後も『繍像小説』を編集したか………樽本照雄
清末民初探偵小説管窺………大塚秀高
《新新小説》主編者新探………郭 浩帆
一九〇八年小説略説(下)………武 禧
民国初期の小説雑誌『好白相』……渡辺浩司
清末小説から
2001.11.19
渡辺浩司氏より『清末小説』第24号の誤植をご指摘いただきました。ありがとうございます。
つつしんで訂正いたします。
ホームページには、近日中に掲載する予定です。
『清末小説』第24号正誤表
7頁11行 明治39年1906年 → 明治38年1905年
7頁13行 関東都府 → 関東都督府
7頁-7行 1年 → 1、2年
7頁-6行 1年 → 1、2年
9頁15行 12時20分 → 11時20日
10頁-4行 没にされのを → 没にされたのを
30頁-7行 〓口尼}? → 〓口尼}?」
31頁-1行 『資料』 → 『老残遊記資料』
32頁2行 『資料』 → 『老残遊記資料』
45頁-7行 写作羽刊行 →写作与刊行
56頁2行 増書 → 贈書
64頁5行 この点が需要だ → この点が重要だ
64頁21行 していから → していたから
68頁12行 広言する → 公言する
68頁15行 界繁華報 → 世界繁華報
78頁-5行 四月二十一日 → 四月十一日
86頁15行 登場ドイル → 「登場」を削除
92頁注6 史稿」 → 史稿」(一)
101頁16行 4.21 → 4.11
裏表紙右端 第23号 → 第24号
2001.11.18
商務印書館の翻訳シリーズ、すなわち「説部叢書」について書かれた文章は、多くありません。
近代翻訳文学研究の基礎書物ともいうべき、あの郭延礼『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)にも説明はないのです。
それほど一般には目に触れない叢書らしい。
日本では、中村忠行が「商務版『説部叢書』について――書誌学的なアプローチ」(『野草』27号 1981.4.20)を書いています。詳細にしてほとんど唯一の論文です。
最近、陸〓日斤}「説《説部叢書》」(『蔵書家』第3輯 2001.6)を読みました。
商務印書館「説部叢書」に関して、中国で発表された、めずらしい論文だと感じます。
表紙を4種かかげ、そのうちの1種は第4集のうちの1冊であるのには、驚くのです。入手が困難な部類に属すらしいですから。
著者が所蔵するのは、初集91種、2集87種、3集63種、4集4種の合計245種といいます。個人で所蔵するのは、相当な数だといっていいでしょう。
興味深いのは、著者は、4集は40種だと書いていることです。
私が知っているのは、4集22種にすぎません。はたして40種も出版されたのか、確認の方法はあるのか不思議です。
すこし調べてみようと思います。
2001.11.2
姜徳明といえば、近現代文学研究でも有名です。
自力で書物を収集しているその成果の一部が、『書衣百影――中国現代書籍装幀選1906-1949』(北京・生活・読書・新知三聯書店1999.12)において披露されています。
1ページに1作品の表紙を飾り、解説の短文が添えてある。そのすべてがカラーであるのがうれしいですね。
かかげられた表紙は、汚れたままであったりする。もとの所有者らしい印が押されているものもあります。
ですが、図書ラベルが貼られた、あるいは図書館の蔵書印が押された書物は、1冊もありません。なにを意味しているかといえば、勤務先の図書室にあるものを間に合わせに借り出してきて紹介しているのではないのです。
すべて、自らが書店あるいは露店で購入したものであることの証拠だといえます。
事実、姜徳明自身が、図書館は本を貸してくれない、撮影を許可しない、許可されたとしても資料費を出すことができない、と書いているのです。
図書館の資料費というのは、複写するにあたって、時代の古いものは保存を重視するから、特別の撮影料金を徴集するということです。
上海図書館では、近代文献室所蔵の図書は、複写代金(紙の大きさによって異なる)プラス1枚につき2元を必要とします。たとえば、1枚4毛の複写代金ならば、それプラス2元で合計2.40元を支払うことになるのです。
一般の人からいえば、かなりな負担になるでしょう。だから、筆写している人もいる。勉強のためには、かえってその方がいいかもしれません。
原物にこだわっている姜徳明だからこそ、その書物随筆には確実さが内包されており、読むのに安心感がただようのです。
書物についての随想を集めた『姜徳明書話』(北京出版社1998.1)に「林紓的《剣腥録》」が収録されています。
林琴南の創作小説です。この原本も、姜徳明は所蔵しているらしく次のように書いています。
「私が所蔵する『剣腥録』の初版本は、民国二年(1913年)十月に北京都門印書局から出版された。署名は冷紅生著、書名の全部は『庚辛剣腥録』という。十年後、商務印書館が重印したとき、『京華碧血録』と改名した」(281頁)。
姜徳明は、たしかに初版本を所有しているらしい。これに加えて活版線装本であることを書いてもらえば、より詳しくなるでしょう。
うーん、とうなったのです。
奇妙な箇所があります。出版社です。
該書は「北京都門印書局から出版された」とするのは、ほとんどの辞典、文学史、論文に共通して見られます。ただし、だからといって正しいとは限りません。
原物を所有している姜徳明にしてもか、という驚きです。
初版本の奥附には、つぎのように印刷してあります。
剣腥録
中華民国二年十月一日出版 定価大洋八角
著者冷紅生
印刷者北京都門印刷局
総発售處北京平報社
分発售處
天津及各處平報発行分所
発行所としては、北京平報社のほうをあげなければなりません。北京都門印刷局は、あきらかに印刷所なのですから。
姜徳明でも勘違いすることがあるのか、と不思議に思ったことです。
2001.10.27
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)は、なんども言うようですが、清末翻訳小説研究の出発点になる専門書です。強調しすぎることはありません。
中国では、権威あるものとして、今後、大いに利用されるはずです。
ただ、私がすこし心配することがあります。郭延礼は、実際に見ている作品と、見ていないものを区別していないのです。
実物を手にしていなければ書けないように詳しく説明してある箇所があります。原文を引用しているのならば、原著を見ていると誰でも思います。
例をあげましょう。該書356-360頁です。
『シャーロック・ホームズの帰還』の漢訳『福爾摩斯再生案』(小説林社1904-1906)を説明する箇所をごらんください。
あらかじめ言っておきます。私は、この漢訳をさがしていますが、いまだに見る機会をえません。
その第1作である「再生第一案」の原文の一部を引用しながら、その訳者・奚若の翻訳の質について検討しています。
その周辺を調べていて、奇妙なことに気づきました。
(英)柯南道爾著、周桂笙訳「阿羅南空屋被刺案」が、『中国近代文学大系』11集27巻翻訳文学集二(上海書店1991.4)に収録されています。これが、“THE ADVENTURE OF THE EMPTY HOUSE”1903であることは、「漢訳コナン・ドイル小説目録(初稿)」に書いてある通りです。
漢訳本文を対照してみれば、「阿羅南空屋被刺案」と郭延礼の引用するいわゆる「再生第一案」は、同文であることがわかりました。
どういうことかといえば、郭延礼は、阿英目録にある「再生第一案(英)柯南道爾著 奚若訳 『福爾摩斯再生案』第1冊 小説林 光緒30(1904)」(158頁)を信じてしまい、本当は周桂笙の漢訳であるにもかかわらず、奚若の翻訳として『中国近代文学大系』から原文を引用したということです。
漢訳題名も、阿英の書いているのは間違いで、本当は、「阿羅南空屋被刺案」らしいです。(原物で確認できることを希望します)
郭延礼は、つぎのように書いています。
「私は、上の訳文を原文と対照し、最新の漢訳本も参照してみて、奚若の翻訳が基本的に原著に忠実な直訳であることを発見した」(360頁)というのは、誤りだということになりますね。
奚若の翻訳ではなく、周桂笙の翻訳なのですから。
2001.10.15
劉鉄雲の逮捕事件について、その理由さがしが中国の学界で続いています。
専論として、汪叔子「近代史上一大疑獄――劉鶚被捕流放案試析」(『明清小説研究』2000年第4期(発行月日不記))が発表されました。
汪叔子論文の主旨は、劉鉄雲逮捕の理由は塩の密売であり、彼は売国奴であるというものです。最大級の罪名で劉鉄雲を断罪したわけですね。
それに反論して、沢本香子「劉鉄雲は冤罪である――逮捕の謎を解く」(『清末小説』第24号2001.12.1)は、劉鉄雲には塩密輸の事実はないこと、彼は無実の罪で逮捕され新疆に流されたと主張しています。
呉振清「劉鶚致禍原因考辨」(『南開学報』2001年第1期)を読みました。
呉振清論文も、汪叔子論文とほとんど同主旨です。ただ、韓国運塩会社についての資料を発掘したところが新しいといえます。
呉振清は、その『清季中日韓関係史料』(台湾・中央研究院近代史研究所1972)から、関係する文書を引用し、劉鉄雲が塩の密輸を行なっていたいたことを言うのです。これが逮捕の真の理由だと断定します。
驚きました。
資料の発掘も驚いたうちにはいりますが、それよりもっと吃驚したのは、上の資料には、どこにも劉鉄雲が塩を密輸した証拠を見いだすことはできないからです。
呉振清は、劉鉄雲が逮捕されたのには理由があるはずだ、という思いこみで資料をさがしています。ですから、関連する資料に遭遇すると、なにも考えず、なにも読まずにこれこそが逮捕の理由であると短絡したのです。
研究に思いこみはつきものです。
しかし、資料そのものを冷静に検討することなくして、歴史研究ができるものでしょうか。
劉鉄雲の逮捕に関連して、汪叔子と呉振清の似たような、根拠のない、思いこみだけで成立している論文を読んで、この人たちは、死者の人権など考慮しないのだなと思うと、気分が落ち込んでしまいました。
2001.10.6
●『清末小説』第24号を発行しました。
●コナン・ドイルの最初のホームズ物語は、『緋色の習作 A Study in Scarlet』であることは周知のことです。
清末に刊行された漢訳は、すくなくとも4種類あります。漢訳ホームズ物語に言及する論文は、ほとんどといっていいほど掲げるくらい有名な作品です。
あまりにも有名な漢訳ですから、私は、原物を目にすることについては、心配していませんでした。
商務印書館の「説部叢書」と「林訳小説叢書」を入手し、そのなかにあるべき林琴南、魏易訳『歇洛克奇案開場』が欠けていても、大陸のどこかの図書館に所蔵されていると考えていたのです。
ところが、意外なことに、林琴南ほか訳の『歇洛克奇案開場』を読むのには、手間と時間がかかったのです。
日本国内には、該書を所蔵する図書館はありません。故中村忠行先生からも、目にすることはできないか、と問われたことがあります。今から、ほとんど20年以上前のことです。その時も、不可能でした。
漢訳ホームズ物語を調べて『緋色の習作』に触れないわけにはいきません。
そこで、中国の研究者に調査の依頼をしました。
基本的に、資料について中国の研究者の手をわずらわせることを、私は、好みません。ただでさえ忙しい人たちですから、こちらの勝手を言うのは、気が重いからです。
あえてそれを実行したのは、その人の編纂する大部な文学史にも漢訳ホームズ物語に言及していますから、たぶん原物が手元にある、少なくとも図書館所蔵のものを見ていると思われたからです。
返事をもらって驚きました。6,7種類のホームズ物は、手元にない、というのです。主要図書館の所蔵を調べたが、ない、ともあります。
結局のところ、1ヵ所だけ該書を所蔵するところがあり、関係者の努力によってようやく読むことができたという次第です(感謝しています)。
別の研究者は、書名は異なっていてもすべて同じ『緋色の習作』である、とご自分の著書のなかで明確に述べています。ここまで断言しているからには、原物を見たにちがいないと思うではありませんか。そうでなければ、書けない文章です。
その研究者にも、お手紙をさしあげて、それらを見せてほしいとお願いしたのです。
いやぁ、おどろきましたね。まったくそれらを見ていない、というお返事だったのですから。
書目を見ただけで翻訳についての論文を書いてしまうほどの才能の持ち主らしいです。
ドイルが書いたものなど「二三流の作品」にすぎない、という評価が中国には1920年代からあります。だから、研究に値しない、という風潮が解放後も続いていても不思議ではありません。
翻訳の専門書を書く研究者が、その風潮から抜けきれていないとしたら、中国における翻訳文学研究は、なかなかにむつかしいものがあります。
2001.9.2
奚若について、すこしだけわかったことがあります。
奚若は英語が堪能だったところから、商務印書館の速成小学師範講習所教員に就任しています。その関係で編訳所の職員となり、民国後には理事に昇任しました。
どうやら商務印書館とは関係の深い人物であったようです。
2001.9.1
樽本照雄「漢訳ドイル「荒磯」物語――山縣五十雄、周作人、劉延陵らの訳業」(『大阪経大論集』第52巻第2号2001.7.15)を掲げます。
2001.8.26
さて、その漢訳『天方夜譚』です。
最初、『繍像小説』の第11-55期(癸卯9.1-[乙巳7.1](1903.10.20-[1905.8.1]))に連載され、のちに上海商務印書館から単行本として発行されました(丙午4(1906)/1913.12再版 説部叢書1=54)。
『繍像小説』連載時には、訳者の名前は明らかにされていませんでした。
単行本になって、元和奚若と明記されたことにより、はじめて訳者が誰か判明したのです。
しかし、この奚若が、誰なのか、いまもって不明のままであるのが不思議です。
翻訳辞典などには、奚若の項目そのものがありません。
ですから、誰かの筆名であろうという推測がなされています。
1)「訳者奚若,即張奚若」――伍国慶「(天方夜譚)前言」『天方夜譚』長沙・岳麓書社1987.1。
2)「訳者奚若原名伍光建」――北京図書館編『民国時期総書目(1911-1949)』外国文学(北京・書目文献出版社1987.4。番号0313)
3)「(周桂笙)又別署奚若(訳《福爾摩斯再生案》)」――陳玉堂編著『中国近現代人物名号大辞典』(杭州・浙江古籍出版社1993.5)
1)の張奚若は、実在しますが、陝西の人ですから、元和の奚若ではありません。
2)の伍光建には、「天方夜譚」の翻訳はありません。
3)の周桂笙説は、はるか以前から唱えられている誤解です。
私は、この周桂笙説が間違っていることについて、以下のように書いたことがあります。
『清末小説研究会通信』第42号「漢訳シャーロック・ホームズ物、呉趼人の『情魔』」
「中島利郎氏は、「周桂笙著訳目録初稿」(『〓唖』第20号1985.3.10)において、「奚若=周桂笙の筆名の可能性もある」とのべられるが、これは間違いだろう。阿英編『晩清戯曲小説目』に見える奚若訳の『福爾摩斯再生案』(シャーロック・ホームズの帰還 Return of Sherlock Holmes)4冊はあとで合本にされたらしい。『図書月報』第1冊(光緒三十二年五月十五日)に掲載された小説林広告によれば、『福爾摩斯再生後探案』一至五および同名書六至十の2種類が出版されている。前者は、元和奚若訳・武進蒋維喬潤辞と記され、後者には元和奚若訳・上海周桂笙訳と書かれる。奚若と周桂笙は、明らかに、別人である」(のち、樽本照雄『清末小説きまぐれ通信』清末小説研究会1986.8.1。43頁)
「アラビアン・ナイト」は、周桂笙も「一千零一夜」と「漁者」の題名で翻訳しています(『新庵諧訳初編』1903)。
それと奚若の「天方夜譚」を対照すれば、まったく異なった漢訳であることがわかるのです。
奚若が周桂笙でないというのは、明らかですが、それ以上に調査がすすまないのが現状なのですね。
2001.8.16
永峯秀樹訳『(開巻驚奇)暴夜物語』(奎章閣1875。『明治文化全集』第13巻日本評論社1928.4.15所収)が、日本で最初の「アラビアン・ナイト」の翻訳です。
漢訳『天方夜譚』を調べていて、この日本語訳に目がとまりました。
永峯訳の底本は、多数ある英訳のうちのタウンゼンド版だというのが定説です。
柳田泉が、訳者の永峯を訪問して確認しています。
また、研究者がタウンゼンド版を探しだして、底本だと書いています。
しかし、実際に、永峯訳とタウンゼンド版の原文を比較対照したところ、新しい事実が出てきました。
永峯訳の底本は、タウンゼンド版だけではなかったのです。
永峯は、タウンゼンド版に基づきながら、これも英訳のうちのひとつであるレイン版を参照しつつ、必要があると判断すれば、このレイン版から引用して訳文に挿入しているのです。
ですから、今後、永峯訳の底本は、タウンゼンド版+レイン版という必要があるでしょう。
2001.8.7
中国における「千一夜物語(アラビアン・ナイト)」の翻訳紹介は、ほんの百年前にすぎません。
そのなかのひとつは、『繍像小説』に連載された「天方夜譚」(第11-55期 癸卯9.1-[乙巳7.1](1903.10.20-[1905.8.1]))です。これには、漢訳者の名前が書かれていません。
すでに中村忠行氏の指摘があるように、奚若の手になる漢訳です。
「(訳者奚若は)英語はかなり出来た様で、『繍像小説』第十一期(光緒二十九年九月一日刊)以下に『天方夜譚』(Arabian Nights' Entertainment.)を Richar Burton の英訳本によつて訳載してゐるのを始め……」(中村忠行「清末探偵小説史稿(一)」『清末小説研究』第2号1978.10.31。30頁)
私は、奚若がもとづいた原本も、中村氏が書いているように、バートン版だとばかり思っていました。ですから『新編清末民初小説目録』にもそのように注記しています。
ところが、よく調べてみると、どうやら漢訳の原本は、バートン版ではないようなのです。
では、なにか。
それは、Eeward William Lane“The Thousand and One Nights(The Arabian Nights' Entertaiment)”です。
「アラビアン・ナイト」あるいは「千一夜物語」の漢訳研究は、着手すれば、それだけ大変な仕事らしいと想像がつくのでした。
2001.7.2
樽本照雄「新しい商務印書館研究――呉相『従印刷作坊到出版重鎮』について」をかかげます。
本文を半分に圧縮したものが、『東方』第246号/2001年8月号(2001.8.5)に掲載されました。
2001.7.22
『清末小説から』第63号の予告です。
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●『清末小説から』第63号予定目次
贋作ホームズ失敗物語2………樽本照雄
介紹一種新發現的《小説月報》……郭 浩帆
呉趼人生於“分宜故第”考………裴 效維
陸士諤“三大祕密書”…………田 若虹
一九〇八年小説略説(上)………武 禧
中国人は、ホームズを乾し殺した!?…………樽本照雄
清末小説から
2001.7.8
樽本照雄「贋作ホームズ失敗物語――陳景韓、包天笑から劉半農、陳小蝶へ」(『大阪経大論集』第52巻第1号(通巻第261号)2001.5.15)をかかげます。
2001.6.29
魏紹昌氏のご家族からお手紙をいただきました。
魏紹昌氏は、2000年7月14日、心臓機能衰弱のため死去されたということです。享年78。
驚きました。
心臓病が快癒し、これから論文を書く準備をしていると魏紹昌氏よりお手紙をいただいたのが、ついこの間のことだった記憶があるからです。
ご家族からのお手紙には、死去のお知らせのほかは何も書かれておりませんでした。
『清末小説研究』第3号(1979)に氏を紹介した文章を書いたことがあります。
魏紹昌氏の研究範囲は、清末小説に限ったものではありません。私の興味の関係で清末小説研究に限れば、阿英を継ぐ研究者であったことは確かでしょう。
心よりご冥福をお祈りいたします。

2001s1

2001s2
2001.6.28
『清末小説』の目次を予告します。
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●『清末小説』第24号予定目次
劉鉄雲は冤罪である――逮捕の謎を解く…………沢本 香子
内輪話はどこまで読み込んでよいのか
――「「老残遊記」の「虎」問題」再商〓――
………大塚 秀高
『官場現形記』の版本をめぐって………樽本 照雄
中国におけるコナン・ドイル(1)
――附:コナン・ドイル漢訳小説目録(初稿)
………樽本 照雄
『何典』のテキストについて……………周 力
晩清「擬舊小説」新論……………………黄 錦珠
中國大陸通俗文學的復蘇與重建…………范 伯羣
李伯元遺稿(3)…………………………後ろから
そのほか劉徳隆論文を予定しています
2001.6.16
今、書き忘れに気がつきました。下の訂正をご指摘くださったのは渡辺浩司さんです。
失礼いたしました。あらためてお礼を申し上げます。
『清末小説』第24号は、本年10月発行を目標にして鋭意編集中です。
コナン・ドイル、「官場現形記」の版本、劉鉄雲の冤罪、「老残遊記」、「擬旧小説」、『何典』などについて論文が集まっています。ご期待ください。
2001.6.6
『清末小説から』第62号の訂正です。
3頁左20行 樽本照雄と汪家熔は、……討論を行なったのがそれだ。
→ 樽本照雄と汪家熔が、……討論を行なったのがそれだ。
6頁左11行 現已出七十二期 → 現已出至七十二期
以上です。該号は、7月1日の発行ではないのか、と思われる人もいるかもしれません。
いえ、すでに発行しました。本ホームページに掲載する時には、上の誤りは正しておきます。
2001.6.1
中国で発表された贋作ホームズ物語は、想像したよりも多くあるように思います。
意外に思われるかもしれません。真作ホームズ物語の研究は、中国においてほとんど手付かずの状態ですから、贋作研究までは、まだとてもトテモ。しかたのないことです。
煮夢生『(滑稽小説 絵図)滑稽偵探』(上海・改良小説社 宣統三(1911)年正月)も贋作ホームズ物語のひとつであることが判明しました。ホームズが中国で失敗を重ねるという一連の失敗物語のひとつです。中国の作家と読者は、ホームズと一緒に大いに楽しんでいることがわかります。
2001.5.3
小林司、東山あかね編『シャーロック・ホームズ大事典』(東京堂出版2001.3.20)をながめているとなかなかに興味深いものがあります。
現在、“Round the Red Lamp”1894の漢訳「紅灯談屑」(『小説大観』連載1917-1919)を調べていて、収録されたなかに梅毒が主題となっている物語があったり、部分的にその病気が出現していることに気づくのです。ですから、この大事典の「病気(梅毒)」という項目に詳しく説明してあるのが面白いというわけです。中国での評価を紹介した部分について短文を書きました。
2001.4.24
樽本照雄「コナン・ドイル作「唇のねじれた男」の日訳と漢訳」(『大阪経大論集』第51巻第6号2001.3.31)を掲げます。
2001.4.21
先日、掲げました商務印書館の『繍像小説』広告は、あまりにも専門に深入りしています。
『繍像小説』の主編が誰だろうと小さい問題でしょ、それがどうしたの、という一般の反応でもあれば、まだ、まし。無視されるだろうな、というのが私の予想でした。
いやいや、私の不明を恥じるばかりです。
ごく少数の方から「快挙である」とお言葉をいただきました。「長年の論争に決着がついたということですね」ともあります。
『繍像小説』の主編が李伯元であることが、さらに「老残遊記」と「文明小史」の盗用問題に影を落します。発行遅延の事実が、「文明小史」の著者といわれている李伯元説の一部を否定するのです。1980年代から私は、そう主張しているのですが、研究者の関心を引かないようです。

1907年10月12日付『時報』
2001.4.19
ここに掲げた広告は、長年行なわれていました『繍像小説』編者論争に決着をつけるものです。『清末小説』第62号に詳しく紹介します。ご期待ください。短文もどうぞ。
2001.4.18
『清末小説から』第62号(2001.7.1)の目次を予告します。
『繍像小説』編者問題の結末………樽本照雄
呉趼人赴滬謀生時間考 ………裴 效維
呉趼人『情変』の原作について……松田郁子
包天笑「三千里尋親記」のこと……神田一三
占有並剖析第一手資料 ………郭 浩帆
一九〇七年小説略説(下) ………武 禧
2001.3.30
前回、上海図書館のついて少し書きました。
詳しく聞きたい、という要望をいただきましたが、英国図書館ほど複雑ではありません。
今後、利用される方のため、まごつかないように、箇条書きにします。ただし、私が利用した近代文献室のみの情況です。古籍とか、ほかにもいろいろな部屋がありますから、それらについては現地でご確認ください。
★ 1ヵ月の閲覧証発行の場合。
1 本館1階の閲覧証発行所窓口に行く。(長期の閲覧証は、2階の窓口へ)
2 パスポートを提示し10元を支払うと、即座に閲覧証が発行される。肖像写真は不要。
★ 2階近代文献室での閲覧。閲覧申請、借り出し、返却(8:30-17:00。日曜休み)
3 図書カードで所蔵番号を調べる。
4 窓口で閲覧証と工作証(パスポート)を提示して図書貸出し請求書をもらう。
5 申請書に閲覧希望図書の書名と番号を記入する。その時、呼出し番号札をくれる。
6 書籍が出てくるまで隣の閲覧室でまつ。あるいは、別の書籍を図書カードで調べておく。
7 図書がでてくると番号で呼出しがある。
8 冊数を確認して借り出す。
9 閲覧がすめば窓口まで持って行って返却する。
★ 文献を複写する場合
10 書籍を全ページ複写してほしいといえばよい。どこか別のところで複写してくれる。
その時、1枚につき複写料金がいる以外に、近代文献室の資料は保存料金が必要だと説明がある。(1枚につき2元でした。つまり0.40元プラス2元で2.40元)
11 部分複写の場合、中央に複写カウンタがある。係員に複写場所を説明すれば、その場で複写してくれる。複写料金をその場で支払う。→近代文献室の窓口に持って帰れば、文献保存料金を請求される。そこでまた支払う。
★ マイクロフィルムの場合
12 図書カードで番号を調べる。
13 同じ近代文献窓口で請求書に記入する。閲覧する場合、1リールにつき使用料3元が必要であることが確認される。
14 閲覧室にマイクロリーダが数台おかれている。
15 複写は、別の複写室があります。申し込みをしたかったのに、係員が不在で、とうとうできませんでした。
★ その他
16 近代文献室には、自分の書籍、カバンを持ち込むことはできないようです。本と鞄の持ち込みについて老人と係員の女性が口論しておりました。
17 玄関横にロッカー室が設置されております。驚いたことに全自動です。1元が必要。ロッカーについている「保存」キーを押す。1元を投入。器械が自動的に空きロッカーを判断し、扉が開く。同時に暗証番号を印字したキップが出てくる。これをなくすると扉が開かなくなるので要注意。→荷物を取り出す時。「拿出?」キーを押す。暗証番号を押す。自動的に扉が開く。
それほど複雑ではないでしょう。係員も親切に対応してくれます。近くには地下鉄の駅もあります。また、聞いたところによると、上海図書館の裏はホテルだそうです(確かにホテルらしい新しいビルがあります)。仮に、このホテルに宿泊するとすれば、1日たっぷりと上海図書館が利用できるでしょう。


2001 in SHANGHAI
2001.3.20
漢訳ドイル調査のため上海図書館を訪問しました。
パスポート提示と10元を支払うだけで1ヵ月有効の臨時閲覧証が、ただちに発行されます。
解放以前の図書新聞は、近代文献室で簡単に閲覧できるのが便利です。図書、新聞のマイクロフィルム(1巻につき3元の使用料が必要)の調査で朝8時半から午後5時まで、休むことなく閲覧しました。それでもまだ時間が不足したのには、往生しました。それだけ資料が豊富だということです。
複写も簡単です(A5判1枚につき複写料4毛+使用料2元)。
日曜は近代文献室は休みですから、上海の街に出て書店めぐりをしました。上の写真は、世界チェーン店のコーヒー屋と最近はやっている日本のスシ屋。つい数年前、といっても10年くらい前ですが、残っていた1920、30年代の面影は、すでに完全に消滅したといってもいいのではないでしょうか。古本の店は、ありません。古本市については、短文を書きました。
2001.3.5
樽本照雄「清末翻訳小説研究周辺――英国図書館における文献検索の実例」(『大阪経済大学教養部紀要』第18号2000.12.31)を掲げます。昨年の発行になっていますが、いつものことで出版が遅れているのです。
2001.3.2
前回のドイル作 The Man from Archangel の読みについて訂正します。辞書を調べたところ「アーカンジェル」の方が適当かと思うようになりました。ちなみに、石田幸太郎「アーケインジエル」、延原謙「アーケーンジェル」などとあるそうです。尾崎紅葉は、「心中船」のなかで「アヽカンゲル」としています。場所はといえば、北ドビナ川の河口、白海に面した港町で、現在ロシアでいえばアルハンゲリスクになります。
2001.3.1
周作人は、コナン・ドイル「アーケインジェルからの男」The Man from Archangel | London Society 1885.1 を「荒磯」という題名で漢訳しています(『女子世界』2年2-3期(14-15期)刊年不記[乙巳(1905)])。漢訳に際して、周作人は、日本語は読むことができない、といいながら、山縣五十雄訳註『荒磯』(内外出版協会、言文社1901.11.29)を参照にしているのは明らかなのです。
それはさておき、ドイルの同じ作品を、尾崎紅葉が「心中船」と題して日訳していることを藤元直樹編「コナン・ドイル小説作品邦訳書誌」(『未来趣味』第8号2000.5.3。84頁)で知りました。「心中船」が収録されている『紅葉全集』第8巻(岩波書店1994.5.23)の須田千里「解題」、菅野昭正「解説」を見ても、どこにもドイル作品の翻訳だとは書かれていません。藤元直樹氏の新発見です。2000年に「金色夜叉」の原作が発見され、新聞で大きく報道されました。同じようなことは、同時に発生するものらしいですね。
2001.2.23
「漢訳コナン・ドイル研究小史」(『大阪経大論集』第51巻第5号(通巻第259号)2001.1.15)を書きました。ここ当分、ドイルものが続くことになるでしょう。
『明清小説研究』2000年第4期をいただきました。王学鈞「樽本照雄与清末小説(続)」というのは、『清末小説(研究)』の目録です。また、同誌掲載の汪叔子「近代史上一大疑獄――劉鶚被捕流放案試析」は、検討するに値する論文だと思います。
2001.2.17
(英)科南達利著、其〓言刃}、天笑同訳「(医学小説)紅燈談屑」という作品が『小説大観』第11-14集(1917.9.30-1919.9.1)に連載されています。コナン・ドイル原作“Round the Red Lamp”1894の漢訳です。
「赤ランプ雑話」としておきますが、この漢訳は、医学を主題としており、まとまったものとしては日本語訳よりもはるか以前に発表されております。
包天笑と名前を連ねる其〓とは、誰か。いろいろ調査しましたが、筆名録などには、掲載されていません。
包天笑と鄭逸梅の文章をつづりあわせると、この其〓は、張毅漢のことであることがわかりました。
民国初期の作家のことになると、とたんに視界が悪くなるのは、どうにかならないものでしょうか。
その分、やりがいがあるということは、確かに言うことができるのですが。
2001.1.31
『清末小説から』第61号(2001.4.1)予告
『華生包探案』は誤訳である――漢訳ホームズ物語「采〓」について………樽本照雄
ホームズパスティッシュ史における中国作品………平山雄一
晩清小説研究思路的拓展――郭浩帆先生《中國近代四大小説雜誌研究》讀後………劉 徳隆
訪書偶記3………張 純
《商界現形記》著者探佚………田 若虹
一九〇七年小説略説(中)………武 禧
魯迅誤斷呉趼人生年原因考………裴 效維
【書評再録】
中国現代文学の源流を発掘する――樽本照雄『初期商務印書館研究』………阪口直樹
清末小説から
2001.1.27
清末翻訳研究のむつかしさは、いまさら言うまでもありません。
郭延礼『中国近代翻訳文学概論』(漢口・湖北教育出版社1998.3)が、突破口をつくってくれました。のちの研究者は、どれだけ該書のお世話になるかわからないくらいです。
ただし、大作でありますからとりこぼしも生じます。
包天笑の『三千里尋親記』について、郭延礼は、阿英『晩清戯曲小説目』および樽本照雄編『清末民初小説目録』のいずれもが収録していない、といいます(426頁注3)。
目録が『三千里尋親記』を収録していないのは、当然なのです。そういう翻訳書は、出版されたことがないからです。
包天笑は、エドモンド・デ・アミーチス Edmondo De Amicis の作品『クオーレ Cuore』を『馨児就学記』という題名で大胆に翻案しました。ただし、原作の一部分である「母をたずねて三千里」は、省略しています。そのかわり、抜き出して『児童修身之感情』と題名をつけました。これを文明書局が単行本にした、というのが真相です。
包天笑は、回憶録を書いた時、もとの題名を忘れてしまい、『三千里尋親記』と間違って記述しました。郭延礼は、『児童修身之感情』と『馨児就学記』の関係に気づかず、あるはずのない『三千里尋親記』を目録に探し求めたというわけなのです。
郭延礼の大著の間違いを訂正するだけでも、いくらか翻訳研究の前進に役立つのではないかと考えています。
2001.1.14
呉相『従印刷作坊到出版重鎮』について短文を書きました。

2001 b
2001.1.6
以前、王学鈞「樽本照雄与清末小説研究」(『明清小説研究』2000年第3期)が発表されたことをお知らせしました。もったいぶるんじゃない、本ホームページに掲載して読めるように便宜をはかれ、というお声がかかりましたので掲げます。

2001 a
2000.1.5
大事なお知らせです。
清末小説研究会刊行物の購入方法について
本研究会は、単行本として『新編清末民初小説目録』『清末民初小説年表』『初期商務印書館研究』などを出版しました。
また、年刊『清末小説』、季刊『清末小説から』を発行しています。
これらは、今まで通り中国書籍専門店で購入が可能です(『清末小説から』を除く)。
ところが、内山書店に注文したが扱っていないと断わられたということを聞きました。
申し訳ございません。説明が足りませんでした。内山書店とは、20数年前に取り引きを停止したままになっております。それ以外の専門店から入手できます。
中国書籍専門店など知らないという方のために、購入方法をご紹介しましょう。
●清末小説研究会に直接ご注文ください
本研究会へ電子メール(tarumoto@mx.biwa.ne.jp)あるいはファクス(077-528-5465)でご連絡くださればさいわいです。
郵便でのあて先は、〒520-0806滋賀県大津市打出浜8番4-202 清末小説研究会 です。
電話でのご注文は、行き違いなどが生じる可能性がありますので、ご遠慮下さい。
●ご注文には、書名、注文冊数、お名前、お届け先などをご明記ください。
●消費税ナシ。送料無料
料金は、本体価格のみです。消費税はいただきません。送料は当方負担です。
●料金後払い
郵便振替用紙を同封いたします。書籍到着後、ご送金ください。
個人でもご購入ができることを広くお知らせいたします。
清末小説研究会の単行本は、こちらをごらん下さい。
『清末小説』はこちらをどうぞ。ただし、目次だけあって論文そのものが出てこないものがあります。また、写真、図版などは省略した場合が多いのでご了承ください。バックナンバーで在庫のない号があります。
(お願い:公共機関でのご購入は、従来通り中国書籍専門店へご注文ください)
2000.12.19
『清末小説から』第60号の誤植をご指摘いただきました。感謝>渡辺浩司氏
印刷物は、以下の通り訂正いたします。
なお、本ホームページ掲載分は、すでに訂正しておきました。
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3頁右倒13行 魚奎綬 → 魯奎綬
4頁右倒1行 辻本晴彦 → 辻本春彦
5頁左倒8行 Wnag → Wang
8頁右11-12行 衛字四百四十二号 月月小説編輯部
→ 衛字四百四二号 月月小説編譯部
13頁左6行 第一冊 → 第一期
13頁右6行 小説林編輯所 → 小説林總編輯所
14頁左12-14行
古近体詩、遊戯文章などを → 古近体詩、遊戯文章などについて
14頁左倒6行 小説林編輯所 → 小説林總編輯所
2000.12.17
商務印書館発行の『華生包探案』は、書名が間違っていることを指摘しました。該書の前身は、『補訳華生包探案』といいます。
コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの思い出』から選択漢訳した6篇のホームズ物語です。「華生包探案」というシリーズ名のもとに『繍像小説』に連載されました。連載終了後、単行本になったのが、この『補訳華生包探案』(1903年/未見)です。
これも奇妙な書名だとは思われませんか。商務印書館がはじめて発行した漢訳ホームズ物語が、「補訳」というのです。まるで、以前に『華生包探案』が出版されているかのような命名ですから。
奇妙な書名であるというのは、当時の商務印書館編訳所内部でも問題になったのではないでしょうか。
「説部叢書」を改組し初集第4編として発行する時、「補訳」をはずして『華生包探案』(1906年)に改名したのだと想像しています。
どちらにしても、『華生包探案』という書名が正しくないことに、かわりはありません。

映画「恋する惑星」のエスカレータ in Hong Kong
2000.12.16
すこし前に届いた『明清小説研究』2000年第3期に、王学鈞「樽本照雄与清末小説研究」が掲載されました。
6ページにわたって、本研究会の活動などが紹介されています。興味のある方は、どうぞごらん下さい。
はじめに
中国の清末小説を専門に研究している会です。清末とは、清朝末期のことを指します。厳密にいえば、「中国の」と付ける必要はありません。清末は、中国にしか存在しませんから。まあ、丁寧に言っております、くらいのことですのでご了承ください。
研究会と称していますが、組織はありません。
定期刊行物として年刊の『清末小説』と季刊の『清末小説から』を発行することが研究会の目的です。『清末小説』は、第23号を、『清末小説から』は、第60号を発行しました。なお、『清末小説』のバックナンバーのいくつかは、中国書籍専門店で印刷したものを購入することができます。『清末小説から』は、研究会あて直接お申し込みください。
おなじく、清末小説研究会の出版物は、中国書籍専門店(東方書店、燎原、朋友書店、福岡中国書店など)で購入できます。ご注文ください。
これまでの研究会活動を紹介するかわりに雑誌『清末小説(研究)』の編集ノートをあつめた編集ノート集をかかげます。おおよその活動が理解できるでしょう。
また、『清末小説』最新号 と 『清末小説から』最近既刊号 を掲載しておきますのでご覧下さい。
研究論文目録は、研究のお役に立つと信じています。『清末小説(研究)』『清末小説から』著者別論文目録)を作成しています。
研究をめざす人を対象に清末小説研究ガイド97(1997.1.1)を掲載しました(量が多いので動きがにぶいかもしれません)。